第13話『栄光への架け橋』
閉店後のレストランで、洗い物を終えた恵は、新作デザートのイメージをメモ用紙に描いていた。
「お疲れ様」
厨房に進次郎がひょっこり顔を出した。
「まだ帰らないの?」
「オーナーを待っているんです。新しいデザートに必要な材料を仕入れてくれるみたいなので…」
「おっ!考案したんだね」
「はい…。なんとなく頭の中でイメージは出来たので…」
「そうか…。じゃあ頑張れよ!」
進次郎が帰宅し、レストランプレアデスには恵だけが残っていた。
静まり返ったフロアの椅子に座り克哉を待っていると、午前1時を過ぎた頃、エレベーターの開閉音が"チーン"と響き渡った。
恵はすかさず、入り口を出て廊下へと向かった。
「…悪い悪い。渋滞してて遅れちまった」
克哉は大きなダンボールを両手で持ちながら、入り口へ向かって廊下を歩いていた。
「いえ全然!…あっ、手伝います!」
「大丈夫だ。手を怪我でもされたら店の利益に関わるからな」
恵は克哉と一緒に厨房へ向かい、早速デザートの制作に取り掛かった。
「お疲れ様でしたオーナー。私はこれから作業に入りますんで、安心してお帰りください」
「…徹夜する気か?」
「明日の仕事には影響ないようにしますから…。やらせてください!」
「…わかった」
克哉は懇願を受け入れ厨房を去り、恵のパティシエ魂に火がついた。
まずは飴細工の制作に取り掛かる。パリではシュクルダールという工芸菓子の制作を学ぶ課程で得意だった分野だ。
シュクル・ティレという飴を何度も引っ張り空気を含ませながら光沢を出す工程を経て、宝石のように模った光り輝くブルーの飴細工と、細かな網状にした金色の飴細工を完成させた。
そして、小麦粉のかわりにココアパウダーとベルギー産の濃厚なミルクチョコレートでメインとなる生地を作り、北海道産の最高級生クリームとカスタードクリームをたっぷりと塗り、何層も重ねてミルフィールに。
大玉のラ・フランスを追熟させ、果肉を柔らかく緻密にしたモノをスライスし、ミルフィーユの横に添えて、南米の奥地で採れる野生カカオのクリオロ種を贅沢に使用したチョコレートソースをかける。
仕上げに金箔を散りばめ、宝石のような飴細工と、網状の飴細工を添えて新デザートを完成させた。
(できた!…想像以上にうまく行った!)
恵は大満足していた。頭の中でイメージした通りのデザートが作れたからである。
しかし、問題は味。恵は新デザートの皿を持ち、雰囲気を出しながら試食してみようとフロアに向かった。
「できたのか」
「きゃっ!……ビックリしたぁ~」
フロアには、帰ったはずの克哉がいた。
「…私が作っている間、ずっと待ってたんですか?」
「いや、オリオンの帰りだ」
「でも…もう朝ですよ?…この時間まで待ってたんですか?」
「いいから!早く見せろよ」
克哉が何時間フロアで待っていたのか真相は分からなかったが、きっと恵が仕事をしている以上、オーナーとして自宅に帰ることはできなかったのだろう。
恵は"ジャーン"と効果音を口に出しながら、克哉が座っているテーブルに新デザートを差し出した。
「……じゃあ食うぞ」
克哉は1分近く無言でデザートを眺めた後、ナイフとフォークを使い恵の力作を口に運び始めた。
「どうですか?ね?どうでしょう?」
「……いいんじゃないか」
「もっと具体的に言ってくださいよ!」
「だからウマイって言ってるだろ…」
恵が考案した新デザートは、どうやら認めてもらえたようだ。
「デザートのタイトルは?」
克哉の問いかけに、待ってましたという顔で恵は答えた。
「……星空の記憶です」
克哉と進次郎の原点、そして恵の大切な曲…。
全体的に黒をイメージしたシックな雰囲気の中にも、キラキラと星のように輝く細工と、優しく包んでくれる真っ白な光をイメージした。
店のイメージ、曲のイメージ、そして克哉と進次郎の絆から連想した"星空の記憶"は、克哉の心に深く響いた。
「…そうか」
克哉は立ち上がり、フロアのメニュー表を掻き集め始めた。
「明日からメニューに追加する。これから材料の追加発注と、印刷屋に新しいメニュー表と宣伝用のパネルを注文するから、お前は帰って寝ろ」
「オーナー……。はい!ありがとうございます!」
数週間後――
レストランプレアデスでは、テレビ取材のレポーターが客にマイクを向けていた。
「こちらが、今話題のレストランプレアデスです。まだ開店前だというのに、見てくださいこの行列!…何時から並んでるんですか?」
「15時からです…」
「えっ?じゃあもう3時間近く?お目当ては何ですか?」
「お料理も美味しいんですけど、やっぱり新しく追加されたデザートの"星空の記憶"ですね…」
「そんなに魅力的なデザートなんですか?」
「もう一度食べたら忘れられない味なんです…。見た目もロマンティックで…」
「ではここで、ベールに包まれたデザート"星空の記憶"のVTRをご覧いただきましょう、どうぞ!」
連日マスコミが取り上げ、レストランは大盛況となっていた。
広報担当から渡されたVTRを事務室で見ていた克哉と進次郎は、これからの戦略を練っていた。
「すごい人気だな。今までの客層に加えて、デザート目当ての若い女性客が増えてる。近々予約制にしないとな?」
「ああ」
「…お前、どうして御影くんに新デザートの考案を任せたんだ?」
「ん?」
「梨香の時は、そんな事しなかっただろ?」
「…アイツの作ったモノが、評判だったからだ」
「…本当にそれだけか?」
「何が言いたい?…俺はプレアデスの利益を考えて、メニューを充実させたかっただけだ…」
「…ふ~ん」
進次郎は克哉の変化に気づいていた。
今まで人をなかなか信用せず、誰にも頼らなかった克哉が今回、恵にすべてを任せた。そして成功した。
克哉の閉ざされていた心が、恵によって開きつつあることを、進次郎は感じ取っていたのかもしれない…。
――レストランプレアデスのニュースを、高級マンションの一室で見ていた人物がいた。
「…おい。このテレビに出てるの、お前が働いてた店じゃないか?」
「あっ、本当だ~」
レストランプレアデスから突然姿を消したパティシエ"梨香"が、男とソファに座りながら見ていたのだ。
「今話題のレストランだってさ」
「…私が貢献してやったからよ。あんなシケたレストラン、私のレベルには合わなかったのよ」
すると、テレビから"ベールに包まれたデザート星空の記憶の検証VTR"が流れ始めた。
VTRは、人気デザートの秘密は"パティシエが変わったから" "新パティシエが考案したから"と、恵を崇拝する特集が中心となっていた。
「なんだかお前の頃はダメだった…みたいな特集だな。ハッハッハハハ」
「何よ!ふざけるんじゃないわよ!私の時より評判がいいって言うの?そんな訳ないじゃない!店の宣伝よ!マスコミにお金渡して嘘を言わせて客引きしてるなんて、最低ね!!」
梨香はリモコンを手に取り、テレビを消した。
「私がいなくなって、客が減って焦ってるのよ!」
「ふぅ~ん…」
「…何よ!そのバカにした目!」
「いや、別に…」
「梨香が基礎を作ったのよ…。梨香が…」
傷心している梨香の頭を、男が優しく撫でた。
「篤志~!慰めて欲しいよぉ~」
梨香が甘えると、男はこう切り出した。
「…それよりさ、今月もうお金ないんだよね。5万円支援してくれない?」
「またなの~?」
「…悪い。でも投資だよ、俺に対する投資。将来ビッグになって、贅沢させてやるからよぉ…」
「…本当に?」
「ああ…。愛してるお前のためにな…」
「…ウフフ。じゃあ…、はい…」
「サンキュ…」
梨香は男に金を手渡した。
「梨香ね、今日も夜の仕事で遅くなるから、先に寝てていいからね…」
「あー、はいはい~」
この"梨香"という女が招く波乱の運命に、まだ誰も気付いてはいなかった。