第9話『心のままに』
恵は父と一緒に母のお墓参りに来ていた。お寺本堂のご本尊像さまにお参りをした後、水汲み場で手を洗い、母が眠っているお墓へと向かった。
「そうだ父さん、この雑誌見て。私が作ったデザートが載ってるの」
「ほぉ~、すごいじゃないか。こんな人気のレストランで恵は働いてるんだな」
途中で父に、プレゼント用に購入したグルメ雑誌を手渡し、二人は母が眠るお墓の前へとたどり着いた。
「母さん…。今日は恵と一緒に来たよ…」
「…久しぶり、母さん…。なかなか来られなくてごめんね…」
墓石に水をかけ、お線香を立てて二人はゆっくりと手を合わせた。
「…じゃあ、父さんは住職様に挨拶してくるよ」
「…うん」
父が立ち去った後、恵は新しい菊の花を供え、母に語りかけた。
「今日が十三回忌だって、父さんに電話もらうまで私スッカリ忘れてた…。母さんの事を忘れてた訳じゃないのよ…、ただ…、生きるのに精一杯の毎日で…」
母は良き理解者だった。恵が中学生になる前に病気で亡くなってしまったが、いつも明るく恵を見守り、たくさんの愛情をそそいでくれた。恵が落ち込んでいる時は、必ず好物であるホットケーキを焼いてくれて、恵をまず胃袋から励ました。
「私ね、ホテルのレストラン…、クビになっちゃった…。二年も勤めたのに、不当解雇されちゃったのよ?ヒドイ話でしょ?母さんが生きてたら、きっと乗り込んで行って、オーナーをボコボコにしてたわよね…。私ってやっぱり、母さんの子なんだわ…。フフフ…」
気が強いのは母親譲りで、昔から"やられたら三倍返しするのよ"と教えられて来た。負けん気が強くて"クヨクヨしてても仕方ない"が口癖の母は、死ぬ間際も"クヨクヨしてても仕方ない"とつぶやいていた。
「…今は、新しいレストランで働かせてもらってるの…。ほら、同じ小学校に通ってた和夫くん、覚えてる?事情があって、今は和沙に改名したんだけど…あの子のおかげで再就職できたの…。だから…、心配しないでね…」
恵がパティシエになったキッカケは中学生の頃、担任の嫌な教師に"お前は何もできないヤツだから…"と言われ、その担任を見返してやりたかったからだ。確かに学校の成績も悪く、運動音痴な恵はなんのとりえもない生徒だった。
母の死後、ホットケーキを自分で作るようになってから、お菓子作りの魅力に虜になり、留学してあのホテルレストランに就職できたのだ。
"やられたら三倍返し"精神の恵は、中学校の同窓会で再会した担任に"何もできないはずなのに、今は有名なホテルレストランでパティシエをしてますの"と嫌味タップリで自慢できたことを、今も努力の源にしている。
「……母さんにパティシエになった私の姿を、見てもらいたかったな…。今日はケーキ作って来たの、よ~く味わって食べてね…」
恵は手作りケーキをお墓に供えた。
しばらくすると父が戻り、母にお別れの挨拶をして十三回忌を終えた。
今夜もバーオリオンに、克哉オーナーが売り上げを確認しに来た。
「…今日はどうだった?」
「23時くらいまで満卓でしたね。シティホールでコンサートがあったみたいで、その流れで来たお客さんが多かったです」
カウンタースタッフ兼オリオンの店長に売り上げの詳細を聞きだしている途中で、入店ベルがなった。
「よぉ!」
「新次郎…。もう閉店だぞ?」
レストランプレアデスの支配人、進次郎がひょっこり現れた。
「いいじゃないか、休みの日はどうも寝つけなくてな…、軽く飲みに来たんだよ。どうせお前がいるだろうと思ってさ」
「お前も勤勉体質だな…」
「それはお前だろ。プレアデスが休みでも、オリオンは年中無休じゃないか」
スタッフ兼店長が帰宅し、オリオンでは克哉がせっせと売り上げの報告書をまとめていた。
「…そう言えば、雑誌みたか?」
軽く酒を飲みながら、お通しの残りをつまんでいる進次郎が克哉に語りかけた。
「…ああ」
「デザートの評価が高かったな…」
「…ああ。明日取材を受ける予定だ…」
「へぇ~、取材か。おもしろそうだな」
次の日、レストランプレアデスの厨房には、いつも以上に張り切っている恵の姿があった。
「おいしょ!おいしょ!」
恵は母の十三回忌で元気をもらい、自分への自信を取り戻していた。
「おはよう…」
「あっ、支配人…。おはようございます」
「今日は一段と仕込み頑張ってるな~」
「そりゃ頑張りますよ!1位の座を守る義務がありますから…」
「おっ?あの雑誌みたんだな?…デザート、大絶賛だったな!…今日もよろしく頼むよ」
「はい!」
(支配人って本当に素敵な人だな…、格好良いし…。それに比べて……)
相変わらず爽やかな進次郎が、恒例である恵への激励を終え去って行った直後に、克哉が廊下を歩いてくる革靴のコツコツ音が聞こえてきた。
「…おす」
「…おはようございます」
「今日も18時オープン…間に合うか?」
「…14時に入ってるんですから、間に合うに決まってるでしょ…」
「パティシエは一人しかいないんだから、店に迷惑だけは掛けるなよ…」
(これだもの…せっかくのやる気が吹き飛んだわクソ野郎)
克哉が去り、恵がウンザリしながらも仕込みを続け、レストランが開店の時間となった。
そんなクソ野郎の克哉は、恵への激励を終えた後、グルメ雑誌の出版社が用意したホテルの一室に移動していた。
「ではプレアデスのオーナー慶徳さん、インタビューよろしくお願いします」
「……よろしく」
日本で一番売れている月刊のグルメ雑誌インタビューを受けることになった克哉。この雑誌は影響力が大きく、レストラン情報は和沙の同僚であるニューハーフはもちろん、OLや主婦を中心に幅広い世代がチェックしている。本来なら断る仕事だが、さすがに先月1位を獲得した店のコメントが取材拒否だとイメージが悪いので、しぶしぶ了承した。
「先月の読者アンケートで1位になった勝因は、何だと思われますか?」
「そうですね…。やはり低価格競争といえども、本物の味を食べたいと望む人が多いのでしょう。ウチは確かに安くはありません…でも味やサービスには何処にも負けない自信があります」
無愛想な素性を隠しつつ、淡々と質問に答えていく克哉。
「プロ意識の高い、素晴らしいレストランですね。アンケートで一番多かったのが、以前よりデザートが美味しくなったとの意見だったのですが…、何か工夫されたんでしょうか?」
「実はパティシエが変わったんです。パリで修行した女性パティシエを迎える事になりまして…」
「そうなんですか。人気デザートを作る女性パティシエ…、魅力的な方なんでしょうね」
「…え、ええ……。もちろんです………はい」
恵の本性をよく知っている克哉は、若干言葉を濁しながらも、インタビューアーの意見に賛同した。
「ふぅ~、やっと終わった…」
都内の有名レストラン『プレアデス』の厨房で、一人の女が安堵の声を上げた。
「あ~、疲れたぁ~……。今日は団体客多くてずっと作りっぱなしだったもんな~」
彼女の名前は御影恵、高等学校の調理科を卒業後フランスへと留学し、パリ近郊の小さなお城を改装した日本人向けのパティシエ学校に通い経験を積み、帰国後ホテルレストランで女性パティシエとして働き始めたが懲戒解雇され、さまざまな人間関係を経てこのレストランで働き始めた。
激動の一日をようやく終えて、棒のようになった足を幾度となく片手で揉み解しながら、用の済んだ調理器具を洗い始めた。
「あぁ~、足がパンパンだわ。帰りにマッサージ行こうかな?……いやいや、お金は節約しないと。いつ何があるか分からないんだし……」
「御影くん!」
恵が洗い物と自分の両手を使った足のマッサージを終えた所で、進次郎が厨房に顔を出した。
「あっ、支配人…。どうしたんですか?」
「克哉が君を呼んでるよ」
「オーナーが?私を?」
恵がオーナーに呼び出しを受けたのは就職以来初めてのことだった。
「今すぐフロアに来てくれって…」
「……いったい何の用かしら?」
「さぁ、それは克哉に聞いてみないと…」
(…この流れ、どこかであったような…。デジャヴ?……いいや違う!クビになった時の流れと同じだ!)
そう、ここまでの展開は、恵が懲戒解雇された日とまったく同じだったのだ。
「…あの、まさか…クビとか?」
「ハハハ…、それはないさ…」
「……そうですよね」
不安を抱きながら恵は克哉が待っているフロアへと向かった。巻き毛のキャバ嬢女が隣にいないことを祈りながら…。