無能と追放された『味付け係』の私、未開の古代迷宮で極上スープを作っていたら、飢餓状態の帝国騎士団長が壁をぶち破って求婚してきました
「エリス、本日付でお前を我がギルドおよび伯爵家から除籍、追放とする」
冷え切った執務室に、婚約者でもあったギルド長・アルベルトの尊大な声が響いた。
手渡されたのは、サイン済みの契約破棄通知書。隣には、新入りの聖女・ミリアが勝ち誇ったような笑みを浮かべて寄り添っている。
「アルベルト様、そんなにあっさり追い出してしまって大丈夫なのですか? エリス様はこれまでずっと、遠征隊の『味付け係』をしてくださっていたのに……ふふっ」
「構わんさ。ただの『味覚調整』ごとき、代わりはいくらでもいる。ミリア、お前の神聖魔法があれば傷も即座に癒えるし、何より華がある。お前のような地味で魔力数値も平々凡々な女に、これ以上無駄飯を食わせる余裕は我がギルドにはないのだよ」
エリスは静かに息を吐き、机の上の書類を手に取った。
彼らが言うエリスのスキル【味付け】。
ステータス画面には確かにそう小さく表示されるだけの、一見すれば何の戦闘力もない家庭用スキルだった。
しかし、彼らは決定的な事実を誤解していた。
深層のダンジョンで手に入る魔獣の肉や野草は、人間を狂わせる猛毒と瘴気の塊だ。エリスが「味付け」と称して行っていたのは、食材に含まれる狂気・毒素・呪詛の構成要素を分子レベルで完全に中和し、純度百パーセントの滋養と超高濃度の魔力回復成分へと【再構築】する、世界で唯一の神性特異スキルだったのだ。
「……わかりました。謹んでお受けいたします。今までの手当の残額も請求いたしませんので、私の私物だけ持ち出すことをお許しいただけますか」
「ああ、お前のガラクタなど好きに持っていくがいい。精々、場末の酒場で残飯の味付けでもしながら野垂れ死ぬんだな!」
エリスは深く頭を下げ、一度も振り返ることなくギルドの門を出た。
怒りも未練もなかった。ただ、何年ぶりかに肩の荷が下りたような、爽快な風が頬を撫でていった。
(あんなに毎日、何十人分もの瘴気抜きスープを仕込むのは本当に重労働だったのよね……これからは、自分のためだけに料理ができるわ)
エリスは街の銀行で全財産を下ろすと、旅装を整え、街の誰もが決して近づかない禁忌の領域――【古代樹の底なし大迷宮】へと向かった。
そこは凶悪な変異種が跋扈し、いかなる一流探索者も生きて戻れないとされる未踏破の地下ダンジョン。だがエリスは知っていた。地下五階層の奥深く、結晶化した魔力水が湧き出る地底湖の畔に、陽光に似た発光苔が照らす、穏やかで美しい安全地帯が存在することを。
「うん、ここなら誰の邪魔も入らない。私の新しい家ね」
エリスは背負い袋を下ろし、腕まくりをした。
それから一ヶ月後。
地底湖の畔には、見違えるような空間が広がっていた。
白く滑らかな古代石を組み合わせて作った調理台と、耐火性の岩を削り出した頑丈なかまど。周囲にはエリスのスキルで土壌の瘴気を完全に浄化し、すくすくと育った自生の香草や甘い根菜が瑞々しい青葉を茂らせている。
「今日のメインは、湖で獲れた月光鱒と、森で採れた白妖精茸のポタージュにしようかしら」
エリスは鼻歌を歌いながら、大鍋に火をかけた。
月光鱒は、本来なら触れただけで皮膚をただれさせる劇薬性の粘膜を持つ危険生物だ。だがエリスが包丁を入れ、【味付け】を発動させると、禍々しい紫色の光はたちまち純白の輝きへと分解される。
毒素は極上の出汁と上品な脂の旨味へと転換され、骨はスープに溶けて濃厚なコクを生み出す。
刻んだ白妖精茸と、野生の穀物を練り上げて作った手作りの平焼きパン。
コトコトと煮立つ鍋から、胃袋を直接掴んで揺さぶるような、甘く香ばしい極上の匂いが立ち上った。
「ん〜っ、完璧な出来栄え!」
エリスが木のお玉ですくい、息を吹きかけて味見をしたその時だった。
――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!
安全地帯であるはずの地底空間が、凄まじい地響きとともに激しく揺れた。
地震ではない。金属が衝突する轟音と、何者かが力任せに岩盤を破壊している破砕音が、ものすごいスピードで近づいてくる。
「な、何事……!?」
エリスが包丁を構えて身構えた瞬間。
ドガァァァァァンッ!!
地底湖の対岸、数十メートルの厚みがあるはずの古代迷宮の外壁が、まるで薄い板氷のように粉々に吹き飛んだ。
もうもうと立ち込める粉塵と岩煙の中から現れたのは、ボロボロの漆黒の甲冑を纏った一団――そして、その先頭で身の丈ほどもある大剣を片手に握りしめた、ひとりの男だった。
「団長! 壁の向こうに魔力の反応が……って、えええっ!? 人がいる!?」
「待て……この匂いは……何だ……?」
煙の中から歩み出てきた男の姿に、エリスは思わず息を呑んだ。
濡れ羽色の黒髪の下から覗く、彫刻のように研ぎ澄まされた美貌。だがその双眸は血走り、頬はげっそりと削げ、全身からは「飢え」と「疲労」による凄まじい殺気が立ち上っていた。
帝国最強の武力と謳われ、皇帝直属の討伐部隊を率いる男――『黒銀の死神』の異名を持つ帝国第一騎士団長、ルーファス・フォン・アルスハイト辺境伯その人だった。
「……飯の、匂いだ」
ルーファスの鋼色の瞳孔がカッと見開かれ、大鍋に向けられた。
彼の背後に倒れ込んでいる部下たちも、すでに限界を超えているのか、白目を剥きながら這うようにして煙の中から引きずり出てくる。
「だ、団長……補給部隊が壊滅して五日……水も食糧も尽き……俺たち、もう……」
「幻覚だ……迷宮の底に、極上スープの匂いがする天国があるはずが……」
どうやら彼らは深層での長期遠征の末、糧食を絶たれ、飢餓状態で退路を失い、力づくで壁をぶち抜いて迷走していたらしい。
「あ、あの……!」
エリスがおずおずと声をかけると、ルーファスが幽鬼のような足取りで、ズシン、ズシンと間合いを詰めてきた。
大男の影がエリスを覆う。殺される――そう身構えた瞬間。
ドサッ。
ルーファスはエリスの目の前で、両膝を突いて床に崩れ落ちた。
そして、すがるように彼女のエプロンの裾を弱々しく掴んだのだ。
「頼む……恵んでくれ……。一口でいい……何か、腹に入るものを……」
帝国の誇る最強の軍神が、今にも消え入りそうな声で懇願していた。
見捨てられるはずもなかった。エリスはすぐに木製の深い椀を引っ掴むと、熱々のポタージュを並々と注ぎ、焼き立てのパンを添えて差し出した。
「熱いから気をつけてくださいね! 今、皆さんの分もよそいますから!」
ルーファスは椀を受け取ると、震える手でスープを口に運んだ。
その瞬間、彼の全身が電流に打たれたように硬直した。
「……っ!?」
「だ、団長!? 毒ですか!? 迷宮の怪異の罠か――」
部下たちが色めき立とうとした、その刹那。
ルーファスの瞳から、ポロポロと大粒の涙が零れ落ちた。
「う……うまい……。なんだこれは……五臓六腑に、染み渡る……。枯渇した魔力回路が、一瞬で満たされていく……」
それからはもう、嵐のような光景だった。
ルーファスは熱さも構わずスープを一気に飲み干し、パンをちぎって鍋の底を拭うようにして平らげた。部下たちもエリスから配られたスープに貪りつき、最初の一口で全員が感涙し、地べたに頭を擦り付けて「うまい、うまい」と泣き叫びながら飲み干していく。
鍋一杯にあったはずのスープと山盛りのパンは、ものの十分で綺麗さっぱり消え去った。
「ふぅ……生き返った……」
「全身に力がみなぎってくるぞ……傷が塞がっていく……!」
騎士たちが呆然と自らの手を見つめる中、空になった椀を両手で大切そうに抱えたルーファスが、ゆっくりと立ち上がった。
血色の戻った顔立ちは、息を呑むほどに精悍で美しい。だがその眼差しには、先ほどの飢餓とはまた別の、底知れない熱と狂気が宿っていた。
スタスタと迷いのない足取りでエリスの前に歩み寄ると、彼は迷わずその場に片膝を突いた。
そして、エリスの泥と煤に汚れた右手を恭しく取り、甲に誓いの口づけを落としたのだ。
「……え?」
「名も知らぬ麗しき淑女よ。我が名はルーファス・フォン・アルスハイト。不躾を承知で申し上げる」
ルーファスは真摯に、逃げ場を塞ぐような力強い瞳でエリスを見つめ上げた。
「私の妻になってくれ。私の領地、全財産、この命のすべてを貴女に捧げる。朝昼晩、貴女の作った飯を食べさせてほしい。貴女を二度とこの手から離したくない」
「は、はいぃぃぃっ!?」
洞窟内に、エリスの悲鳴が木霊した。
その頃、エリスを追放したアルベルトのギルド『蒼穹の翼』は、完全な地獄絵図と化していた。
「なんなんだこれは! 泥水を煮詰めたような味しかしないではないか! ペッ、ペッ!」
「あ、アルベルト様、申し訳ありません……! 高級な食材をレシピ通りに調理しているのですが、どうしても食材のえぐみと瘴気が抜けなくて……!」
新入りの聖女ミリアが涙目で震えている。
エリスがいなくなって初めて、彼らは思い知ったのだ。
深層の食材は、どんなに腕の良い料理人が扱おうと、瘴気を抜かなければ人間が食せる代物ではないことを。
さらに恐ろしいことに、エリスの食事を断たれたギルドメンバーたちは、全員が重度の魔力中毒と慢性疲労に陥り、討伐どころか剣を握ることすらできなくなっていた。
遠征の失敗、ギルドの評価暴落、多額の違約金――。
「くそっ、なぜだ! エリスだ、あの女を連れ戻せ! 私の婚約者として、再び飯を作らせてやる! あの無能め、私に泣きついて許しを請うなら、雑用係として再雇用してやってもいいぞ!」
アルベルトが血相を変えて執務室を飛び出そうとした、その時だった。
ドガァァァァァンッ!!
ギルド本部の頑丈な鉄の正門が、凄まじい衝撃波によって蝶番ごと吹き飛んだ。
「ひ、ひぃぃっ!?」
白煙を割って現れたのは、完全武装を施した帝国第一騎士団の精鋭たち。
そして、その中央から歩み出てきたルーファス辺境伯の冷徹な眼光に射抜かれ、アルベルトはその場に失禁しながらへたり込んだ。
「き、騎士団長閣下……!? な、なぜこのような弱小ギルドに……!」
ルーファスはアルベルトを見下ろし、ゴミを見るような冷たい声で通告した。
「アルベルト・ホーン伯爵令息だな。貴殿を、国家反逆罪および特級魔導資源横領の容疑で拘束する」
「は……? な、何かの間違いでは――」
「貴殿が『無能』と称して不当に追放したエリス嬢は、帝国が長年捜索していた伝説の【浄化神聖術】の唯一の継承者であった。彼女の存在を隠蔽し、私的に搾取し、あまつさえ瘴気の森へと追放して殺害を企てた罪、到底万死に値する」
「え……? エリスが……?」
「なお、エリス嬢はすでに我がアルスハイト辺境伯家が保護し、私の『婚約者』として帝国最高位の庇護下に置かれた。貴殿らの資産はすべて没収、ギルドは即日解散とする。連れて行け」
「ま、待ってくれ! エリス! エリスゥゥゥッ!!」
見苦しく叫びながら衛兵に引きずられていく元婚約者を、ルーファスは一度も振り返ることなく冷酷に切り捨てた。
帝国の一等地にあるアルスハイト公爵邸の裏庭。
そこには、陽光が降り注ぐ美しいガラス張りの特注厨房と、広大な家庭菜園が広がっていた。
「エリス、今日も一段と愛らしいな。愛している」
背後からスッと伸びてきた逞しい腕に抱きしめられ、エリスは苦笑しながらスープをかき混ぜた。
「ルーファス様、お仕事着が汚れてしまいます。朝食はもうすぐできますから、座ってお待ちください」
「嫌だ。一分一秒でも貴女の温もりを感じていたい。あの迷宮で貴女に出会えた奇跡に、私は毎朝神へ感謝を捧げているのだから」
外では『冷血無比の軍神』と恐れられているはずの男は、今やエリスの前に来ると、まるで飼い主に甘える大型犬のように喉を鳴らして擦り寄ってくる。
エリスがスプーンでポタージュをひとすくいし、フーフーと冷まして口元へ運んでやると、ルーファスはとろけるような至福の笑みを浮かべてそれを飲み込んだ。
「……世界一うまい。貴女を追放してくれたあの愚か者には、牢獄の中で感謝状でも送りたい気分だ」
「もう、物騒なことを言わないでください」
エリスは笑いながら、焼き上がったばかりのふわふわのパンをバスケットに並べた。
奪われた自由も、見下されていた過去も、すべてはこのあたたかな幸せへと繋がっていた。
「さあ、朝ごはんを食べましょう、私の旦那様」
最高に美味しい料理と、重すぎるほどの愛に満たされて。
エリスの新しい人生は、今日も幸せな湯気とともに幕を開けるのだった。
お読みいただきありがとうございました! 他にも週末に読めるスカッと系の短編を投稿しています。気に入っていただけたら作者ページから他の作品もぜひ覗いてみてください




