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悪役令嬢フィリアの事件簿

無実の悪役令嬢・番外編 あの事件の共犯者は、野放しにしません

作者: 夜華カナタ
掲載日:2026/09/30

『無実の悪役令嬢、処刑まで三十日で真犯人を捕まえます』(全30話・完結済み)の番外編です。

本編の第二十九話と第三十話のあいだ、事件の「後始末」のお話。

本編はこちら → https://ncode.syosetu.com/n8272mr/


 王宮の地下牢の扉が開いた時、ジェラルド・ホーンは、眩しそうに目を細めた。


 恰幅の良かった体は、ひと回り小さくなっていた。頬はこけ、髭も伸び放題だった。それでも、自分の足で階段を上がってきた彼は、門の脇に立つフィリアの姿を見つけると、その場で立ち止まった。


「――フィリア様」


「お迎えに来ました。ジェラルド様」


 ジェラルドは、しばらく口を開けたまま、何も言えずにいた。


 鑑定式から、十日が経っていた。ヴィオラの罪が明らかになった後も、彼の釈放の手続きは、なかなか進まなかった。一度「犯人」として拘束した者を、宰相府の誰も、自分の名前で出したがらなかったのだ。最後は、セドリックが自ら署名した。


「……私は、忘れられているのだと思っていました」


 ジェラルドは、かすれた声で言った。


「真犯人が捕まったと、牢番の噂話で聞きました。それでも、誰も来なかった。このまま、私のことなど、誰も思い出さないのだろうと」


「遅くなって、申し訳ありません」


 フィリアは、深く頭を下げた。


「あなたは、私の代わりに、牢に入れられていました。私が離宮で調べ物をしていられたのは、あなたが『答え』として置かれていたからです」


「頭を上げてください。あなたも、同じ目に遭われた方だ」


 ジェラルドは、ゆっくりと首を振った。それから、ふと、声を落とした。


「一つだけ、伺ってもいいですか。――あの男は」


 フィリアは、その問いの意味を、すぐに理解した。


 帳簿を手伝わせてほしいと、ジェラルドの屋敷に入り込んだ男。痩せ型で、指が異様に長く、灰色がかった銀髪の――。


「ルカは、まだ捕まっていません」


 ジェラルドの顔が、僅かに強張った。


「必ず、捕まえます。そう、お約束はできませんが――」


「いいえ」


 フィリアは、自分の言葉を、途中で言い直した。


「お約束します」


 ◇


 その夜、ラングドン邸を訪れたセドリックは、疲れた顔をしていた。


「宰相府の次官を、拘束した」


 応接間の椅子に腰を下ろすなり、彼はそう切り出した。


「鑑定式の前倒しを評議会に持ち込んだのも、ジェラルドの件を急いで片付けようとした調査班を動かしたのも、お前たちの証拠に異議を申し立てたのも、同じ男だった。マルクスが洗っていた金の流れの先に、三日月商会からの支払いが見つかった」


「――お義母様から、お金を」


「ああ。本人は、ヴィオラ卿の頼みを聞いただけだ、と言い張っている」


 セドリックは、苦いものを飲み込むような顔をした。


「宰相府には、ヴィオラ卿と親しかった官僚が他にもいる。全員を裁けば、王宮が止まる。だから、その多くは、表向きは静かに役目を退いてもらうことになる。――だが、次官だけは、別だ。金を受け取り、一人の商人を身代わりに仕立てようとした。爵位も官職も取り上げて、裁きの場に立たせる」


「ありがとうございます、殿下」


「礼を言われることではない。本来なら、もっと早く、私が気づくべきだった」


 セドリックは、それから、僅かに声を落とした。


「――ルカの行方は、まだ掴めていない。近衛が総出で追っている。カインも、離宮の任が明けた翌日から、その捜索に回っている」


 フィリアは、小さく息を呑んだ。ここ数日、カインが顔を見せなかった理由が、ようやく分かった。


「それと、もう一つ。三日後に、王家の役人が、この屋敷のヴィオラ卿の私室を検める。封印はしてあるが、中の品は、まだ誰も調べていない」


 セドリックが帰った後、フィリアは、一人で考え込んだ。


(ルカは、なぜ、まだこの国にいるの)


 本当に逃げるつもりなら、国境を越えれば済む話だ。それなのに、近衛が総出で探しても、国境の関所にそれらしい男が現れたという話は、一つもない。


 フィリアは、鑑定式の後、ヴィオラが語った言葉を思い出した。


 ――ルカは、昔からの知り合い。私が、彼の弱みを握っていた。


(弱みを「握っていた」。つまり、何か、形のあるもの)


(お義母様が捕まった今、それは、どこにあるの)


 ヴィオラは、大神殿の鑑定式の場から、そのまま連行された。この屋敷には、一度も戻っていない。私室は封印されたまま、まだ誰も中を検めていない。


 もし、その「形のあるもの」が既に王家の手に渡っていれば、ルカは、とうに国を捨てているはずだ。捨てずに留まっているのは、まだ取り返せると思っているから。


 答えは、同じ屋根の下にあった。


 ◇


「――あんたは、自分の部屋にいろ」


 翌日の夕方、呼び出されてやって来たカインは、フィリアの話を最後まで聞くと、真っ先にそう言った。


「話は分かった。ルカが取り返しに来るなら、役人が検める前の、この二晩のどちらかだ。だが、待ち伏せは近衛の仕事だ」


「分かっています。囮になるつもりはありません」


 フィリアは、屋敷の見取り図を、卓の上に広げた。


「ただ、どこから入ってくるかは、分かる気がします」


 フィリアの指が、庭の奥の一点で止まった。


「使われていない、古い温室。アレンが閉じ込められていた場所です。あの子は、『母様のお知り合い』だという男に、ここへ連れて来られたと言っていました。この屋敷の人間でも、滅多に足を向けない場所です。そこを選べたということは、ルカは、この庭の抜け道を知っている」


 カインは、見取り図を見下ろしたまま、しばらく黙っていた。


「温室の裏から、使用人の通路を抜ければ、東の棟に出られる。ヴィオラ卿の私室は、その二階だ」


「ええ」


「……あんたが近衛にいたら、隊長は楽をできただろうな」


 フィリアは、小さく微笑んだだけだった。


 カインは、見取り図を畳んで、懐にしまった。


「今夜から、温室と東の棟に人を置く。あんたは、アレンの部屋の近くにいてくれ。あいつが、また怖い思いをしないように」


 フィリアは、頷いた。それは、囮よりも、ずっと大事な役目に思えた。


 ◇


 一晩目は、何も起きなかった。


 二晩目。月が雲に隠れた頃、アレンの部屋の前の廊下で椅子に座っていたフィリアは、東の棟のほうから響いた、短い物音を聞いた。


 何かが倒れる音。低い声。それから、静寂。


 フィリアは、燭台を手に立ち上がりかけ、それから、アレンの部屋の扉を見た。控えていた侍女に、弟のそばを離れないよう頼んでから、東の棟へ向かった。


 ヴィオラの私室の扉は、開いていた。


 床に、一人の男が膝をついていた。後ろ手に縛られ、その肩を、カインが押さえている。倒れた椅子の脇に、書き物机の引き出しが一つ、引き抜かれたまま転がっていた。


 灰色がかった銀髪。痩せた体。左手には、汚れた布が巻かれている。


 男は、燭台の灯りに顔を上げ、フィリアを見た。それから、カインを見上げて、薄く笑った。


「……レスターか。近衛の訓練以来だな」


「ルカ」


 カインの声は、ひどく平らだった。


「近衛を辞めた後、何をしていたかは、もう全部知っている」


「だろうな」


 ルカは、それ以上、何も弁解しなかった。


 フィリアは、転がった引き出しに目をやった。中には、紐で束ねられた、古い書状の束が入っていた。封は切られていない。ルカの長い指は、あと僅かで、それに届くところだった。


「これを、取り返しに来たのですね」


「あの人は、それで私を飼っていた。あの人がいなくなった以上、私が取り返して、何が悪い」


「悪いかどうかを決めるのは、私ではありません」


 フィリアは、書状の束を拾い上げると、封に手をかけることなく、カインに渡した。


「王家の役人に、封をしたまま、お渡しください」


 ルカは、意外そうに、フィリアを見た。


「中を、見ないのか」


「あなたの弱みに、興味はありません。――ジェラルド様は、今日の昼、ようやく牢を出ました。私が知りたいのは、一つだけです」


 ルカの長い指が、背中の縄の上で、僅かに止まった。


 フィリアは、ルカの前に立った。燭台を持つ手が、僅かに震えていた。


「アレンを、温室に閉じ込めたのは、あなたですか」


 ルカは、しばらく黙っていた。


「……怪我は、させていない」


「そういうことを、聞いているのではありません」


 フィリアの声は、静かだった。だが、その静けさに、ルカは、初めて目を逸らした。


「――ああ。私だ」


 フィリアは、それ以上、何も言わなかった。言いたいことは、山ほどあった。だが、それを口にすれば、自分が何をしてしまうか、分からなかった。


 カインが、ルカを立たせた。廊下の向こうから、近衛の足音が近づいてくる。


 連れ出される直前、ルカは、戸口で足を止めた。近衛に背を押されても、しばらく動かなかった。


「……あの男は、何か言っていたか」


 フィリアは、一瞬、誰のことか分からなかった。それから、昼間の門の前を思い出した。


「あなたは捕まったのかと、聞かれました」


「そうか」


 ルカは、それだけ言うと、もう振り返らなかった。


 ◇


 夜明け前、東の棟の窓辺で、フィリアはカインと並んで立っていた。庭の向こうで、空が少しずつ白み始めている。


「――さっきの、最後の問い」


 フィリアは、窓の外を見たまま言った。


「あの人なりに、気にしていたのでしょうか」


「さあな」


 カインは、短く答えた。


「気にしていたとしても、やったことは変わらない」


「ええ。変わりません」


 フィリアは、小さく息を吐いた。


「でも、これで、ジェラルド様との約束は果たせました」


「あんたが約束したのか」


「はい。昼間に、勝手に」


 カインは、呆れたように眉を上げた。それから、少しだけ、口の端を緩めた。


「……勝手な約束を、守らせる羽目になった」


「ご迷惑でしたか」


「迷惑なら、最初から離宮で断ってる」


 窓の外で、鳥が一羽、鳴いた。


 ジェラルドは家に帰り、次官とルカは、これから裁きの場に立つ。


 フィリアは、白んでいく空を見つめながら、ようやく、あの三十日が本当に終わったのだと思った。


「――少し、眠れ」


 カインが言った。


「あなたも」


「俺は、報告がある」


 いつかの夜と同じやり取りに、フィリアは、思わず小さく笑った。

番外編「残された者たち」をお読みいただき、ありがとうございます。


感想で「共犯者はどうなったの?」「宰相府の人たちは?」というご指摘をいただきました。おっしゃる通りで、本編ではルカや宰相府の次官、そして身代わりにされたジェラルドのその後を、きちんと書けていませんでした。ご指摘、本当にありがとうございます。この番外編で、あの三十日の「後始末」をつけさせていただきました。


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▼本編(全30話・完結済み)

『無実の悪役令嬢、処刑まで三十日で真犯人を捕まえます』

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