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第4話 草を食べる妹

クラフト伯爵家次男、エカード・クラフトは困惑していた。


ようやく王都の屋敷へ戻れたというのに、一ヶ月前に死にかけていた妹が草むらにしゃがみ込み、美味しそうに草を食べている様子を見てしまったからだ。


しかも、着ている服はネグリジェだ。

さらには、誰もいない空間へ向かってぶつぶつと話しかけている。


(おかしなものが見える……)


ここのところずっと忙しかったから、疲れが溜まりすぎているせいかもしれない。


そう思って眼鏡を外し、目頭を押さえて再び眼鏡をかけ直す。

しかし残念ながらそれが消えることはなかった。


(いや、うん、現実から目を反らしてる場合じゃないな。……とりあえず、放置するわけにはいかないし)


エカードは意を決し、妹のもとへ静かに足を運んだ。





グランツ王国は、建国千年を超える長寿国である。


国境付近では小競り合いがあるものの、ここ百年ほどは王家が主導するような戦争は起きていない、概ね平穏な国といえるだろう。


その国において、クラフト伯爵家は武の一族として知られていた。


過去に幾人もの英雄を輩出しているこの家門には、伝説じみた逸話の数々が存在しており、王国民に広く親しまれている。


そんな家に生まれながら、エカード・クラフトは明らかに異質な存在だった。


クラフト家の直系は、魔力値が低く戦闘力は飛び抜けて高いのが特徴だ。ところが、エカードはその真逆で、魔力値が高く戦闘力は低かった。


ストロベリーブロンドの髪色に女性的な顔立ち、そして聡明な頭脳。


エカードは、そのどれもが母マデリンデとよく似ていた。現当主である父バルナバスと似ているのは、せいぜいくせ毛くらいだろう。


グランツ王国では、性別関係なく長子が家督を継ぐのが通例だ。本来、次期当主の座にあったのは長男のタデウスだった。


ある理由により、エカードがその座を引き継いだのは二年前のこと。


それが原因で王都の屋敷内が荒れてしまったことに加え、後継者教育の場としてもそのほうが効率的だという判断から、エカードは王都を離れ、領地の屋敷に拠点を移した。


一年を過ぎるころには、実務に携わる機会も増え、はじめてのことばかりで目が回りそうになりつつも、充実した日々を過ごすようになっていた。


そんな生活にもようやく慣れ、落ち着いて物事を考えられるようになった二年後、王都で暮らしている妹が危篤だという一報が届いたのだ。


妹の名はアニカ。


現在十六歳になる彼女は、エカードが国から正式に次期当主として認められる少し前に、クラフト家の養女として迎えられた。


はじめて対面したとき、アニカはひどく心を閉ざしていた。


新しい環境にゆっくり馴染むことが大切だから、無理に距離を縮めようとしないでください。

医者にそう言われたことを、よく覚えている。


ただ、当時のエカードは、次期当主の変更手続きに追われていた。だから距離を縮めるどころか、ほとんど接点を持てないまま領地へ向かうことになってしまった。


ときどき思い出すことはあれど、別の家族との手紙のやりとりの中にアニカのことは書かれておらず、エカードもわざわざアニカのことを訊ねることはしなかった。


そのうち、話す機会があるだろう。


離れて暮らしている自分が関わらなくても、同じ屋敷で暮らしている家族がうまくやってくれているはずだ。


――そう、思っていた。


だから、知らせに驚き、慌てて王都の屋敷へ駆けつけ、そこでこの二年間アニカがどのように過ごしていたのかを知ったとき愕然としてしまったのだ。


アニカはずっとひとりだったらしい。


屋敷に住む誰とも関わろうとせず、食事も自室に持ち込んで済ませていたようだ。


学園へは三男のレンナルトも通っていたのに、別々の馬車に乗って通っていたのだという。


医者に言われたことを気にして、一緒に住んでいた父も母も、アニカと年の近い弟ですら、自分たちから距離を縮めようとしなかったようだ。


そして時間が経てば経つほど、どのタイミングで、どの程度の距離で接することが正しいのか、わからなくなっていったのだという。


手紙にアニカのことが書かれていなかったのは、問題がないからではなく、エカードに知らせることができないほど根の深い悩みになっていたからだと気づいたとき、胸の奥が重く沈んだ。


危篤状態となった日。

アニカは誰にもなにも告げず、夜中にひとりで屋敷を抜け出したらしい。


学園内を巡回していた警備兵が、瀕死の状態で倒れているアニカを発見して、その事実が明らかになった。


倒れていたのは校舎奥にある講堂の床。発見時にはアニカ以外に誰もおらず、なんらかの魔術が起動された痕跡だけが残っていたようだ。


意識を失ったまま屋敷へ運ばれてきたアニカは、魔力欠乏症と診断された。


(誰かに殺されかけたってことか?)


聞いた瞬間、そんな考えがまず脳裏をよぎった。


自身が絶命するほどの魔力を使用するには、禁術や違法な魔道具が必要となる。


そうでなければ自己防衛本能が働き、欠乏症になる前に意識を失うか、あるいは身体の自由がきかなくなるからだ。


自死の手段として選ぶとは考えにくい。


(でも、他殺だとしても無理がある、か……)


方法がなくはないが、相当に高度な魔術の知識が必要であり、被害者の内包する魔力値を正しくわかっていなければ、何時間かけても殺すことはできない。


(……いったい、現場でなにが起きたんだ)


起動された魔術は、目的も威力も不明のものだったらしい。


魔術師団が調査を進めているようなので近日中には結果が出るだろうが、もしかすると未公開の魔術ということも考えられる。


だとすれば、講堂で行われていたのは実験で、失敗や魔術の暴走などに巻き込まれた事故の可能性もあるということだ。


(いや、論点はそこじゃない。そもそも実験であってもなくても)


アニカが単独で計画したとは思えない。


ただでさえクラフト家の屋敷を真夜中にこっそり抜け出し、警備兵のいる学園に忍び込むのは至難の業だ。


それに王都は治安がいいとはいえ、夜になるとそれなりに危険も多い。


誰かがアニカを手引きしたか巻き込んで、講堂に呼び出したと考えるのが自然だろう。


しかし、いったい誰が?


(……もっと、ちゃんと君と関係を築けていたら、こうなる前に防ぐことができたのかな)


二年ぶりに対面した妹は、死んでいるのかと思うほど青白い顔をして、静かにベッドに横たわっている。


こんなふうにしたのは、誰なのか。

現場にいたかもしれない人物なのか、それとも――、


「ごめんなさい、エカード。私がそばにいたのに、こんなことになってしまって。領地で忙しくしていたんでしょう?」


ベッド横に座っているマデリンデが、ふと顔をあげてエカードを見上げた。


その顔はやつれている。使用人たちからの話では、運び込まれてからずっと、時間の許す限りアニカのそばにいるらしい。


「俺のことはいいよ。それに、今回のことは母さんだけのせいじゃない。俺も……、いや、クラフト家全体の問題として受けとめなきゃいけないことだから」


魔力欠乏症に効く薬はあるにはあるが、体力の消耗が激しいため重篤化した人間に使うことは禁止されている。


そのため、今アニカにできるのは、生命維持のために水分と栄養をとることだけ。


腕につけられた細い点滴の管が、途切れそうな命を繋いでいる。


「アニカが元気になったら、家族で食事をしようよ。どういう味のものが好きなのか、苦手な味はあるのか。そんな、他愛ない会話からお互いのことを知るのはどうかな」


「……その食事には、アニカの好物を用意したいわね。喜んでくれるといいけど」


まだ予断を許さない状況が続いているだけに、そんな未来は訪れないかもしれない。


だが、ふたりはあえて口にしなかった。


いつも気丈な母が、ぐすっと鼻をすする。

それだけでエカードも泣きそうになってしまった。


しばらくして、バルナバスが来てマデリンデと交代した。バルナバスはアニカの容体はもちろん、マデリンデの体調も心配しているようだ。


王城に住んでいるタデウスも、アニカの様子を見に業務の合間を縫って屋敷に顔を出しているらしいが、エカードは今のところ会えていない。


(……神様、どうか俺たちに家族としてやり直す機会をください)


バルナバスと領地のことや、この先の予定を少しだけ話してから、エカードはその祈りを胸にアニカの部屋をあとにした。

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