第20話 客間の空気は重くてナギは怖い
客間に入ろうとしたレンナルトを、扉の前に立っていた老人が止めたことをきっかけに、さっきからずっとこのやり取りが続いている。
老人は、先ほどお客様を屋敷へ案内していた人で、どうやらこの人が家令のエルゲンらしい。
「レン兄、ほら、エルゲンさん困ってるよ? 大人しく待っとこうよ」
「……さん? おい、エルゲン。てめぇアニカに『さん』付けで呼ばせてんのか」
止めたつもりが変な方向に話が飛んだ。
「い、いえ。そのようなことはございません。お嬢様とお会いしたのは、これがはじめてでございますし……。お手紙のやりとりなら幾度かいたしましたが」
「て、手紙……? お前、いい気になんなよ? あぁ?」
「そう申されましても……」
手紙というのは、肉の件でやりとりしたことや、主治医になるかもしれない人が訪ねて来るとお知らせしてくれたことである。
いちいち説明する気にもなれず、アニカはちいさく息を吐いた。
「――レン兄、あたし怒るよ」
言ってから、『怒るよ』ってなんだ。子ども相手か。と自分に突っ込む。
こんなこと言ったアニカにも怒りの矛先が向くのではと、背中がひやりとしたのだが、
「っ、アニカがそう言うなら仕方がない」
思った以上に効果があった。これでいけるらしい。
どうやらなんとかなったと、ほっとしたのも束の間で、
「つーか、手紙の件はあとで聞くとして、中には入るぜ?」
レンナルトはレンナルトだった。
エルゲンを押し避け、強引に扉を開いてしまったのだ。
「あ、ちょっと、レン兄……っ」
扉の向こうには、品のいい壁紙に大きな絵画が飾られ、美しい模様の織り込まれた絨毯が敷かれた、見るからに格式の高そうな部屋が広がっていた。
中央のテーブルを挟んで置かれているソファーには、マデリンデとエカードが並び、その向かいに特例伯爵が座っている。
三人の視線が一斉にこちらへ向けられた。
(な、なに、この緊張感……!)
マデリンデとエカードはあきらかにレンナルトのほうを向いているが、特例伯爵の目はまっすぐアニカを捉えている。
目が合って、胸が跳ねる。
『……ぐ、るるる……るる……っ』
静かだったナギがまた唸りだしてしまった。
顔がいい、などと感心している場合ではなかった。
「レンナルト・クラフトです。失礼いたします」
「……お待ちなさい、レンナルト。今は人払いをお願いしていたのだけれど?」
「あー、それはどうも気づきませんでした」
呼び止めたマデリンデの声は冷え切っていたが、レンナルトは平然とした様子でそのまま部屋の中へ進む。
(うひー、怖い……。怖いけど……っ)
入り口にひとりだけ取り残されるのも心細くて、アニカも恐る恐るレンナルトに付いていく。
「失礼ですよ? あと少しで話が終わるから、もうしばらく外で待っていなさい」
「いえ、僕は構いませんよ。もともと、クラフト伯爵令嬢を待っているあいだの雑談でしたから」
「特例伯爵様がそうおっしゃるのでしたら……」
マデリンデが特例伯爵の言葉を受けて、ちいさくため息をついた。
その隣にいるエカードの表情は、暗く硬い。
(雑談って、雰囲気じゃない……よねぇ?)
部屋の中の空気はひやりとしていて、息が詰まりそうなくらい重い。
先ほどまでいた筋肉だらけの廊下とは全然違う。
『……ねぇ、アニカ……』
ぐるぐる唸り続けていたナギが話しかけてきた。
しかし返事はできない。こんな場で見えないお友達とお話する子にはなれない。
黙っていると、ナギが話を続けた。
『ボクに、あいつを消すように望んでよ。あいつは、本当に危険なんだ……っ』
変な声が出そうになって、必死に呑み込む。
(いやいやいやいや、消すってなに!? 怖いよっ!?)
『キミの望みがあれば、ボクは力を使うことができるから! お願い!』
(絶対に嫌! そんなこと望みたくない!)
声に出せないのがもどかしい。
だから、アニカはナギに返事をする代わりに、首を横に振った。
この気持ちが伝わるように、ぶるぶるぶるぶる必死に振り続ける。
「……ア、アニカ? 大丈夫かい? こういう場は慣れないだろうけど、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
エカードが、ちょっと可哀想な子を見るような顔で声をかけてきてハッとした。
ちょっと首を振りすぎた、かもしれない。
「は、はい……、ありがとうございます」
恥ずかしくなって、うつむきながら答えておく。
ナギにはアニカの拒否が伝わったようで、怖いお願いはやめてくれた。どうやら振り損にはならなかったようだ。
(あとから、どういうことなのか聞かなきゃ……)
座るように促され、アニカは特例伯爵の真正面の席へ座らされた。
左にマデリンデ、右にエカード。がっちり脇を固められている。
レンナルトはサイドに置かれていた一人席に腰を下ろした。
「それで、レンナルト殿はどうしてこの部屋へ?」
特例伯爵が微笑みながら言うと、レンナルトの片眉がぴくりと上がる。
「先ほどの非礼の詫びをさせていただきたく」
「ああ、その件でしたら必要ありませんよ」
「は……」
「エカード殿にも同じことをお話したのですが、あれは、あの場に『偶然居合わせただけ』で『頼まれていないのに』僕が『勝手』にしたことなんです。それに対して詫びも礼もないんですよ」
「で、でも……」
レンナルトはちらっとマデリンデへ視線を投げる。マデリンデが首を横に振ると、納得のいかない様子のまま黙り込んだ。
「――では、クラフト伯爵令嬢もいらっしゃいましたし、本題に入らせてもらってもいいでしょうか」
レンナルトへ向けられていた視線が、アニカへと移る。
やさしそうな微笑みなのに、やさしそうな人だと思えない。
ナギがあれほど危険視していたからすごく恐ろしい存在のように思えて、緊張で口が乾くのを感じる。
「はじめまして、クラフト伯爵令嬢。僕はヨルク・バイスハイト。――君の新しい主治医です」




