第18話 レンナルトとはじめての会話
部屋に戻ってからの出来事を端的に言うと、大嵐だった。
ダナは有無も言わさぬ空気感でミナとマリーを制圧し、アニカを鏡の前に座らせ、疾風のようなハサミさばきで前髪を整えてくれた。
その結果、手の施しようがなかったはずの斜めぱっつんが、斜めではあるがおしゃれな感じに早変わり。
さらに両脇の髪を繊細に編み込んで、後ろでリボンに結い留める。
控えめながらも気品のあるハーフアップが完成した。
(……うぉ……ぉ、す、すごい……)
ヘアメイクと同時進行でダナがクローゼットから持ってきたドレスは、落ち着いた深紅でありながら、ふんわりと可憐さを残した一着だった。
胸元の小さな飾りを留め、袖口の装飾を整え、腰のあたりをギュッと締め、なすがままされるがまま、あれよあれよとしているうちに、目の前の鏡にどこぞのご令嬢が出現していた。
(え、誰!? って、あ、あたしだーーーーっ!)
ダナはひとりしかいないはずなのに、途中で分裂したのではないかと疑っていいレベルの早業である。
「お嬢様。できましてございます」
「は、……はひ。いえ、ちがう、うん、ありがとう」
圧がすごすぎてミナやマリーと同じように接することができない。これがメイド長。
ミナとマリーは後ろに控えているものの、完全に気配を消した状態で微動だにしていない。
「これからお嬢様は、バイスハイト特例伯爵様とお会いする予定になっております」
さっきの顔がいいお客様は、バイスハイト特例伯爵というらしい。
伯爵と特例伯爵はなにが違うのだろう。
「お嬢様が記憶をなくされていることは特例伯爵様も存じ上げていらっしゃいます。礼儀作法が完全ではなくとも問題はないと存じますし、マデリンデ様とエカード様もご同席されますので、その辺りのことはご安心なさってください」
「う……うん?」
エカードは兄のことなので、マデリンデは母のことだろうと察したが、さっき会ったばかりの面々の前で、なにをどう安心すればいいのか。
「客間まではダナがご案内いたします。……そのあと、お嬢様のメイドたちをしばらく預からせていただきます。お戻しが遅くなってしまうかもしれませんので、ご不便なきようこちらにベルを置いておきます。なにかご用があれば、お鳴らしくださいませ。近くの使用人が伺います」
ゆっくりと、はっきりとした口調でダナが言う。
「う、うん」
アニカはこくこく頷くだけでいいが、メイドを預からせていただくというあたりで、ミナとマリーがごくりと息を呑んだのを感じた。頑張れ。
(あたし、お嬢様でよかった……)
準備が終わった頃合いで頭に乗ってきたナギは、あれからずっとぴりぴりしたままだ。
「では、参りましょうか」
そう言ってダナはドアを開け、すぐに動きを止める。
「――おや、レンナルト様、どうされましたか」
出てきた名前に驚いて、ダナの横から顔をのぞかせて見てみると、確かにレンナルトが立っていた。
いつものラフな装いではなく、きちんとした衣装に身を包み、前髪も上げて後ろへ撫でつけている。こうして見ると貴族っぽく見える。
(服装って、大事なんだな)
それにしてもレンナルトはなぜここにいるのだろう。
先ほどまで大暴れしていた相手だけに、アニカはダナの後ろに隠れるようにしてじっとおく。
「俺がアニカを客間に連れてく」
「レンナルト様が、ですか」
「悪ぃか?」
「マデリンデ様には私が連れて行くよう指示を頂いておりますが」
「お前は来なくていい」
「それは――」
言葉のやりとりに、ダナからぴりっとした緊張感が伝わったものの、それは長く続かなかった。
「アニカと話したいことがあるんだ。頼む」
思いつめた顔つきで、レンナルトが静かに言った。
「……、アニカ様はどうなさりたいですか?」
「えっ、あたし? あたしは……」
レンナルトを見ると、視線が合った。
視線が合うことはもちろん、こんなに近くで会うのもはじめてだ。
いつも遠くから睨むように見られていた記憶しかなかったから、もっと人相が悪いと思い込んでいたが、よく見ると父とよく似た眼差しをしていた。
(……ちゃんと話をする機会かもしれない)
レンナルトのほうからアニカに話しかけてくれたらいいのに。と、ずっと思っていたのだから。
「レンナルトお兄様に案内をお願いします」
「……アニカ」
レンナルトの表情が安堵に変わる。
ダナは部屋で控えているらしいので、ミナとマリーへのなにかが今から開始されることになったようだ。
ふたりのことはもちろん心配だが、今はそれ以上にレンナルトがアニカになにを言いたいのかが気になる。
部屋を出たあと、特に話がはじまることはなく、レンナルトとアニカはしばらく無言のまま歩いた。
これまでの屋敷なら、静まり返った廊下にふたりの足音だけが響き、会話がないことへの気まずさを感じる時間になったことだろう。
そう、これまでの屋敷なら。
(……いや、おかしくない?)
廊下で掃除をする筋肉、窓を拭いている筋肉、積み上げた箱を運ぶ筋肉。
そんな筋肉が視界のあちこちに存在しており、
「うっす!」
「坊ちゃん、その服きまってるっす!」
「お嬢様お綺麗っす!」
と、いちいち声をかけてくる。
日中ですらちょっと怖かった歴史を感じさせる廊下が、今は筋肉で満ちていた。
怪現象である。
「…………レンナルトお兄様」
レンナルトが無言なのは、この筋肉たちのせいで話す気を失っているからではないかと思い、話しやすい場所への移動を提案しようとした。
ところが、アニカの声にレンナルトはびくっと肩を揺らし、強くアニカを睨みつける。
「ひぇ……!」
驚いて立ち止まるとレンナルトも立ち止まり、アニカに向かって勢いよく頭をさげた。
「すまんっ!」
「あ、あの……?」
「くそっ! 駄目だな俺ァ。俺から話したいことがあるって言ったくせに、どうしても、話しかけるタイミングがわかんなくて……っ!」
「え、いえ、それは気になさらな――」
「いやっ! お前はなにも言うなっ! 俺が今から言うから!」
「……っ、ど……、どうぞ」
いちいち声も口調も強いから、ちょっと腰が引けてしまう。
(今からあたし、なにを言われるの……!?)
緊張しながら身構えていると、
「……申し訳なかった」
「え……?」
レンナルトの口調は、一転して静かなものへと変わった。
よく見れば、その手は震えている。
「俺ァ、お前のことずっと避けてて、話をしようともしなかった。……俺の勇気が足りなくて、踏み出せなくて、お前が死にかけるような目に遭うときも、俺ァ、なにもできなくて……。兄貴なのに、頼りなくて、ごめん……」
「…………」
「――なんて。記憶がないお前に言ってもわかんねぇよな? けど、これ俺の自己満足だけどさ、どうしても伝えたかったんだ」
「レンナルトお兄様……」
「……レンでいい。敬語もいらねぇ。だからアニカ、今度はちゃんと俺の妹になってくれねぇか?」
「あ、あの……、あたし……」
「俺はもう、お前から逃げねぇ」
「…………」
オリアニとレンナルトのあいだでなにがあったのか知らない。
けれど、レンナルトの後悔は伝わるし、妹になってほしいと言われて胸の奥がじんわりと温かくなった。
今から新しく作る関係は、新しい人生を歩むアニカにとって、レンナルトが思う以上に意味のあることだから――。
しかし。
それはそれとして、である。
(周囲……っ! 周囲が気になって話に集中できないぃ!)
立ち止まったまま大きな声で話すから、辺り一帯の筋肉たちが手と足を止めてあからさまに聞き耳を立てている。
誰か泣いているのか、鼻をすする音まで聞こえてきた。
「……駄目か?」
この状況下でよく話せるな、と突っ込みを入れずにはいられないが、レンナルトは真剣である。
「駄目、というか……」
筋肉であふれかえる場の異様さと、真面目な雰囲気があまりにもずれている。
真横にはガラスの向こうにぞうきんを持った筋肉。
斜め前方にほうきを持った筋肉。
そして目の前には、真剣な顔のレンナルト。
(なんだこの状況)
皆が固唾を呑んでアニカの答えを待っている。
一周回って、急におかしくなってきた。
「ごふ……っ」
「え、……ア、アニカ?」
「ご……っ、ごめんな、さい……っ。今まで悩んでたのが、馬鹿馬鹿しくなってきちゃって。あはっ、あははははっ!」
駄目だ、お腹が痛い。




