第17話 ナギの警戒
「えっ? ……あ、ほんとだ」
一瞬、最悪な現場を予想したが、地面に倒れているのはレンナルトだった。
その身体を、バリバリと音を立てる光の塊が覆っている。お客様が魔術を使って反撃したようだ。
レンナルトの様子を見るに、動きを封じただけらしい。
「おぉ……、魔術ってすご……。誰も死ななくてよかった……」
アニカはほっと胸をなでおろす。
お客様も危機から脱してほっとしたのか、やれやれという顔をしてレンナルトを見ている。それから、アニカに声をかけながら近づいてきた。
「さっきは突き飛ばしてごめんね。怪我してない?」
「え? あ? ああ……、はい」
こくこく頷く。
「……ん?」
ふとお客様の背後に不穏な気配を感じ、アニカは息を呑む。
レンナルトが、よろよろと立ち上がっているのだが、様子がおかしい。その身体を包んでいたギラギラ光る魔術的な塊が、異様な音を立ててこちらに近づいてくる。
「あの、ちょ、あ、あれっ! あれええっ!」
危険であることを伝えなければと思うのに、焦りすぎて言語化できない。
見てる間に異様な魔術の塊はお客様の横をすり抜ける。あろうことか、まっすぐアニカへと向かってきているようだ。
「ナギ、あれ、やばくない……っ!?」
『やばいかも』
「――アニカ、避けろっ!」
お客様が必死の形相で叫んだ。
「ひぃぃ! どうにかして!」
『大丈夫。ボクに任せて』
しかし、もう光るものは眼前に迫っている。アニカはとっさに腕で顔や頭を覆うように動かした。
目をぎゅっとつぶり、直後に来るはずの衝撃に備えたのだが――、
「……あれ?」
なにも感じず、不思議に思って見てみると、目の前に大きな円陣が浮かんでいた。
キラキラと輝く赤い光の粒子が集まって、花の模様を描いている。
(うわぁ……綺麗……)
すぐにそれはサラサラと崩れていく。
まるで雪のように空から降り注ぐそれを、手の平で受け止めようとしたが、その前に消えてしまった。
「ありがとう、ナギ。助かったよ」
反射的にナギを見ると、今まで見たことのないような怖い顔をしていた。
『………………』
「ナギ……? どうしたの?」
『……き、きけん……。あいつ、危険! ぐる、るるる……っ』
ナギの声は、今まで聞いたことのないほど低く、震えていた。
「……? あっちになにがあるの?」
様子のおかしいナギの視線を追うと、美しい女性と、若い青年が立っていた。
女性は険しい顔でお客様に話しかけ、そのあとは若い青年がお客様に近づいてなにやら話し込んでいる。
(なに話してるんだろ)
ここからではなにを話しているのかまでは聞こえない。
ナギの様子からすると、あの中の誰かが危険人物のようだが――、
(……それにしても、あの人……、めちゃくちゃ顔がいい……)
お客様も整った顔をしていたが、比にならないくらいあとから現れた青年の顔がいい。
遠目でも、目と鼻と口の配置が完璧なのがわかる。
それに、藍色と茜色が混じり合った不思議な髪の色。
(もっと、近くで見てみたい……)
じっと見ていると、急にこちらに視線を向けた青年と目が合った。
どきっと胸が弾む。
青年は、アニカを見て少しだけ目を開いた。なにかに驚いているようだ。
『……アニカ、あいつ、あいつだよ! すごく嫌な感じがするっ!』
なにに驚いたんだろうと思っていたら、ナギがぐるぐる唸りながらそんなことを言う。
「え、あの顔のいい人なの?」
『絶対近づかないでね』
「ん、うん……」
そうこうしているうちに、屋敷からひょろりと細長い老人が出てきて、青年を連れて屋敷の中に入って行ってしまった。
(なんか、突然人が増えてない?)
いきなりの出来事にぼんやりしながら成り行きを見守っていたら、美しい女性が微笑みながらこちらに近づいてきた。
外から来たらしく、地味な色のフード付きローブを羽織っているが、それでも隠しきれない気品と優雅さがにじんでいる。
まぶしい。これが本物の貴族というものか。
「こんにちは。具合はどう? 身体につらいところはない?」
「はひ。……そ、そうですね。特に不調は感じていないので健康体だと思います」
緊張してかんでしまった。
「記憶がないと聞いているわ。……私のこともわからないのかしら」
寂しげに言われて、ようやく気づく。
この人は、オリアニのことをよく知っている人だ。
「あ、あの……」
浮ついていた気持ちが、いっきに地に落ちた。
これまで、オリアニを知っている人で会話をしたことがあるのは父だけだ。
父も心配してくれているのは伝わってきたが、それは現時点での体調のことだけであって、こんなふうに、記憶をなくしたことに悲しみをにじませてはいなかった。
「それは……、どうもすみません……」
アニカが憑依したのは遺体だ。
すでに死んでしまっていたのだから、オリアニがいなくなったのはアニカのせいではない。
わかっているはずなのに、どうしても罪悪感で胸が押しつぶされそうになる。
「責めているわけじゃないのよ? …………だから」
女性は小さな言葉でなにかを言い、やさしく微笑む。
よく聞き取れなくて、聞き返そうと思ったのだが、
「今は時間がないわ。あとで時間を作るから、そのときにたくさん話をさせてちょうだい」
そう言われてはなにも言えず。
「はい、わかりました」
こくこくと素直に頷いておく。
だが、これだけはどうしても聞いておかなければと口を開いた。
「……そ、それで、……あなたは、どなたなんでしょう?」
女性は、あ、と驚いた顔をして、
「そうね。ごめんなさい。私はあなたの……母よ」
すぐにやさしい笑顔でそう言った。
「……お母さん、ですか」
胸の奥が、きゅっと痛んだ。
これが、父のことも意識の戻らない娘も置いて、屋敷を出て行ったオリアニの母親なのか。
てっきりオリアニが死んでしまった事件をきっかけに、あのやさしい父と険悪になって出て行ったのかと思っていたから、もっと怖い感じの人を想像していた。
(これから、この人のことをお母さんって呼ばないといけないんだよね? こんな、やさしそうで、オリアニを愛していただろう人を……)
それ以前に綺麗すぎて『お母さん』という感じではない。
『お母様』という感じだ。
(あれ? お母様って呼び方で合ってるんじゃない?)
考えてみれば、庭でウタドリをかじっていても、アニカは一応伯爵令嬢なのだ。すっかり忘れていた。
母相手にもじもじしていると、お客様だと思っていた人が、エカードという名の二番目の兄だと自己紹介してくれた。
ちょっと変な人だけど、こちらもやさしそうな人だ。
話が通じそうな母と兄の帰宅により、もしかして屋敷の問題がいっきに解決するのでは? という期待感が高まる。
ちなみに、本当のお客様は先ほどの顔のいい青年だったらしい。
(あの人って、あたしの主治医になるかもしれないって人だよね? もし、あたしの主治医になったら、会う機会が増えるってことだよね……)
ちらっと横にいるナギを見ると、すごく機嫌が悪そうな顔をしている。
(……ああ。平穏な日々はいつ来るんだろう)
一難去ってまた一難の予感しかしない。
お客様の前に出るのに今のままではいけないからと、メイド長のダナという人がアニカの準備を手伝ってくれることになった。




