第16話 草って野菜だよね?
魔石が入っていたあの宝石箱には、いくつかアクセサリーも入っていた。
オリアニはシンプルなものが好きだったのか、そのどれもが華やかすぎず、日常的に使っても飽きなさそうなデザインだ。
(とはいえ、さすがにあたしが使うのは抵抗がある……)
オリアニが亡くなったことを知っているのはアニカだけなので、遺品として誰かにあげたり供養に出したりすることはできない。そっと宝箱に戻しておいた。
あまり手入れをするタイプではなかったのか、銀製のものは酸化して真っ黒になっていたから、それは時間のあるときに磨いておこうと思う。
(……手入れするタイプじゃないといえば、髪の毛のこともそうだよね)
姿見に映っている自分を見て、アニカはうーんと唸る。
はじめて見たときにからずっと気になっていたのだが、前髪がやたら長くて全体的にもさもさしている。
切るのが面倒で放っておいたのかなと思うレベルだ。
「というわけで、こざっぱりしたいから切ってほしいんだけど」
「うち、ひつじの毛くらいしか切ったことないんじゃけど……、大丈夫じゃろうか……?」
マリーがおろおろしながら言う。
ひつじの毛って切るっていうより、刈る、じゃないかな。
「じゃあ、前髪を少し切るだけでいいよ。近いうちに食事のことでお父さんと話す予定だから、そのときにちゃんと切ってくれるところのこと聞いてみる」
今はひとまず、視界を遮る前髪がなんとかなればいい。
「では、ほんまに、すこーしだけ切りますね」
言いながら、マリーの手がぶるぶる震えているように見える。
あ、これやばいかな?
と思った次の瞬間、前髪は容赦なく斜めにぱっつん切りされた。
「…………マリー……、こ、これ……」
「あ、あああ……、やってもうた。も、もうしわけございませ……っ」
「……ううん。あたしが無理にお願いしたから……いいんだよ。髪はまた伸びるから」
「アニカ様ぁぁぁぁぁぁ!」
泣いてない。
◇
そんな日々を過ごしながら、ひたすら父からの連絡を待ち続けていたアニカだったが、その日はいつもと違っていた。
「アニカ様! 朗報っす!」
そう言っているミナの手には、幅三センチほどある太い茎の草が握られている。
「中庭でな、うちら、ええもん見つけたんよ」
「いいもの? それが?」
「これ、ウタドリいうて、地方では野菜として食べられとるんです」
「生食可能なんっす」
「ほう……」
野菜と聞いて俄然興味が湧いた。食い入るようにそれを見る。
「皮は固くて食感悪いから取るっすね」
ミナが引っ張ると、簡単にするすると縦方向にむけていく。
赤みかかった緑色の皮がめくれると、中からみずみずしい黄緑色の茎が現れた。
「どうぞ」
手に持つところを残してむいてくれたそれを受け取る。
太い茎だが真ん中は空洞になっており、固くはなさそうだ。
「いただきます」
ぱくりと口に入れると、さっぱりとさわやかな酸味を感じる。しゃくしゃくした歯ごたえもいい。
ほんのり舌に残るえぐみを感じるが、それが逆に味のアクセントになっていた。
なにより、うぇっとこない。胃に全力でもたれてくる感じがしない。
「……おい、しい……」
最初見たとき、草だと思ってごめんなさい。
これは野菜。間違いなく、野菜。
「これ、中庭のどのあたりにあるの?」
胸に熱いものがこみ上げてくるのを感じながら聞くと、ふたりはうれしそうに顔を見合わせて笑い、早速アニカを中庭へ案内してくれた。
びっくりするぐらい草がぼうぼうに茂っている中庭のはしのほうに、それはにょきにょき生えていたから、しばらく父から連絡がなくても心穏やかに過ごすことができそうだ。
この日から、アニカは毎日ウタドリを食べにひとりで中庭へ行っている。
気分転換だからと言って、ミナとマリーには部屋で待機してもらうことにした。そうすることで日中に、ナギと会話する時間を作れたのは思いがけない収穫だった。
ただ、ひとつだけ、思わぬ事態というか気になることがある。
ウタドリを食べているとき、遠くから鋭い視線を感じるのだ。毎回ではなく、ときどきではあるが気になって仕方がない。
(また見てる……)
視線の主は、以前逃げていった男であり兄でありレンナルトだ。あのあとミナに確認したから間違いない。
何故か目が合うと、すぐにその場から逃げていく。
(あたしに用があるなら話しかけてくれたらいいのに)
話したくても逃げられるので、こちらから近づくことは不可能だ。
「はぁ。どうにかしたいのに、なにをしたらいいのかわかんないんだよね……」
レンナルトのことも塊肉のことも解決せず、いなくなった母や使用人たちが戻ってくるかどうかもわからない。日々、草の背丈が高くなり、廊下が埃と蜘蛛の巣まみれになっていく様子を見ているだけ。
ウタドリのおかげで、口の中はさっぱりしていても、心の奥はなんだか重い。
アニカが異世界憑依してから一ヶ月も経ったというのに、異世界生活を存分に楽しめていない現実がのしかかっていた。
はぁ、とため息をつきながら慣れた手つきで、近くに生えているウタドリをぽきっと折った。
「……そういえば、家令のエルゲンさんから、今日新しい主治医になるかもしれないお客様が、あたしを訪ねて来るって連絡あったんだよねぇ……?」
医者が辞めてからだいぶ経ち、アニカはすっかり元気になっている。
「主治医になるのかならないのかよくわかんないし、そもそも今さらなにを診察するんだろ?」
ミナとマリーは、お客様が来るのならと張り切って、ひらひらふわふわした薄水色のワンピースを着させてくれた。
アニカとしては、服よりも斜めぱっつんの前髪が気になるのだが、これ以上さわって取り返しがつかなくなっても困るから、下手にさわれないでいる。
そろそろ部屋に戻ろうかなと思いながら、皮をむいたウタドリにかじりつこうとしたその瞬間――
「……草、美味しい?」
見知らぬ男性が、すぐ近くに立っていた。
その人は、アニカと同じような髪色の、眼鏡をかけたやさしげな雰囲気の人で、ウタドリは食べ過ぎると健康によくないことを教えてくれた。
「どうしよう、毎日食べてた……!」
ミナもマリーもそんなことは言っていなかったので、専門的な知識を持っている人なのかもしれない。
そこで、ハッと気づく。
「もしかして、あなたが今日来る新しい主治医の先生?」
絶対そうだ。今日来る予定の、主治医になるかもしれないお客様だ。
と思った直後、アニカは戦慄した。
これまで見たことがない形相で、レンナルトが剣を振り上げながらこちらに突進して来る姿が見えたからだ。
ここからが怒濤だった。
お客様が、焦った様子でアニカを思い切り突き飛ばしてきたのだ。
「ぎゃっ! あいたた……っ」
派手に尻もちをついたアニカが、お尻をさすりながら顔を上げると、あろうことかレンナルトが鬼のような顔をしてお客様に剣を振り下ろす光景が目に入った。
お客様はかろうじて逃げたが、レンナルトが振り下ろした剣は地面をえぐり取った。
完全にお客様を殺しにかかっている。
「ひ、ひぇっ!? 怖っ!」
近くの木にしがみついて呆然と様子を見守っていると、レンナルトの剣がお客様の頬を切った。
途端、頬がキラキラと光った、ように見えた。
「――え?」
なんだろうと思って何度かまばたきしているうちに、そのキラキラは見えなくなってしまったから、気のせいかもしれない。
とにかく、お客様は頬を負傷した。
「これ、やばいよね? ど、どうしたらいいの……?」
このままでは目の前で殺人事件が起きてしまう。しかも犯人は兄。
そうなるともう、肉とか母のことなんか些細な出来事だし、そんな現場を目撃してしまったら、のんびりゆるい異世界生活どころではなくなってしまう。
「あたしに出来ることってないのかな!?」
まだお客様は死んでいない。今なら間に合うかもしれない。
『ないんじゃないかな。あそこに飛び出していったら、アニカ死んじゃうよ?』
「だよねぇ!? ナギ、どうにかできない?」
『できなくはないけど、――もう決着ついたよ』




