第10話 バイスハイト特例伯爵来訪
「ありがとうございます。助かりました」
「先ほどの光球は、……この魔道具から出現させたものですか?」
そう言いながら、特例伯爵は草むらに落ちていた壊れた魔道具を拾い上げる。
「は、はい」
「……ああ、これは駄目ですね。記述に大きな欠陥がある。これ、数年前に審査落ちした魔道具でしょう?」
手に乗せて、少し眺めただけでわかったらしい。
「そうです。それは試作品で、制作者からもらったんです。いざというときに身を守れるからと」
「うん。確かに身は守れそうです。が、それは相手によりけりですね。一定以上の力を持つ相手だと今回のように魔力暴走が起きて、最悪使用者の命を奪います」
「なっ、そ、そんなこと聞いてませんが」
「でしょうね。普通の魔術師にはわからないと思いますよ。別の理由であったにしろ、審査に落ちていてよかった。これが製品化されていたら、事故が起きていたでしょうから」
特例伯爵は微笑みながら魔道具をエカードに手渡した。
「制作者の方に、今の話をきちんと伝えておいてください。そして、二度と審査落ちした魔道具を他人に渡さないように、とも」
「……わかりました」
丁寧な口調とやさしげな雰囲気なのに、有無を言わせぬ空気がある。
今までエカードの周りにはいなかったタイプだ。
「バイスハイト特例伯爵様、客間のご用意ができましたのでご案内いたします」
声をかけられ見てみると、話をしているあいだにマデリンデのそばにエルゲンが来て控えていた。
久しぶりに見るエルゲンは、もともと線が細かったのに、もっと細くなっていた。苦労がにじみでている。あとで高級酒でも差し入れてあげよう。
「大変恐縮なのですが、もし、お時間に余裕があるようでしたら、しばらくのあいだお待ちいただいてもよろしいですか? わたくしも旅装束ですし、アニカの支度も整えさせたいので……」
エカードはマデリンデと同じく旅装束だし、レンナルトの服は先ほどの魔道具でボロボロになっているし、特例伯爵が会いに来たアニカに至ってはネグリジェだ。
「――、もちろんです」
特例伯爵はちらっとアニカを見て、ちょっとだけ真顔になってから、大きく頷いた。さすがにあの姿はまずいと思ったに違いない。
「おふたりは領地から戻られたばかりと伺っておりますし、僕のことは気にせず、ゆっくり準備なさってください」
「お心遣い感謝いたします。……エルゲン。特例伯爵様をお願いするわね」
「はい。それではバイスハイト特例伯爵様、ご案内させていただきます。こちらへどうぞ」
特例伯爵は、その場にいたクラフト家の面々に柔和な笑顔で会釈したあと、エルゲンと共に屋内へ入っていった。
そして残ったのはクラフト家の人間だけである。
「……で? 魔術師殿はいつここに来たの?」
少なくとも、エカードが屋敷に到着したときにはいなかったはずだ。
「あなたが屋敷の散策をすると言って、私たちから離れてすぐよ。埃だらけの屋敷に入れるわけにはいかなかったから、準備ができるまでと少し外で話をしていたら中庭から大きな声が聞こえてきて……」
近づいてきたマデリンデが、エカードの頬の傷に気づいたらしく顔をしかめた。
「だいたい想像はつくけれど、なにがあったの?」
レンナルトを睨みながらマデリンデが言うと、レンナルトはふてくされた顔で視線をそらす。
エカードは中庭に来てからの出来事を説明した。
「猛獣を行動不能にする魔道具ねぇ……」
アニカが草を食べていた件は、いったん後回しにするらしい。
「一定以上の力を持つ相手だと暴走するって魔術師殿は言ってたけど、あれ、たぶん魔獣クラスの話だと思う。猛獣程度で暴走してたら、さすがに審査に出す前に気づいてただろうし……」
つまるところ、今回魔力暴走を引き起こした一番の要因は――、
「我が息子ながら……ほんとに、どんどん人間離れしていく……」
まさにそれだ。
「……まぁ、レンナルトはいつものことだとして。アニカの問題のほうが深刻だよ」
「わかってるわ」
エカードとマデリンデが揃ってアニカに視線を送ると、こちらをじっと見ていたアニカが緊張した様子であわあわしはじめた。
マデリンデが、そんなアニカへと近づいて、にこりと微笑みかける。
「こんにちは。具合はどう? 身体につらいところはない?」
「はひ。……そ、そうですね。特に不調は感じていないので健康体だと思います」
「記憶がないと聞いているわ。……私のこともわからないのかしら」
「あ、あの……。それは……、どうもすみません……」
アニカはひどく落ち込んだように答えた。
「責めているわけじゃないのよ? ……あなたの場合、楽しい記憶ばかりじゃなかっただろうから」
「……?」
「今は時間がないわ。あとで時間を作るから、そのときにたくさん話をさせてちょうだい」
「はい、わかりました。……そ、それで、……あなたは、どなたなんでしょう?」
申し訳なさそうにアニカに聞かれて、マデリンデはあっと手で口を押さえる。
「そうね。ごめんなさい。私はあなたの……」
マデリンデはいったん言葉を止めたあと、
「母よ」
と、名乗った。
アニカが自分自身のことをどこまで知っているかわからないからか、少しだけ『母』と名乗ることを迷ったようだ。
「……お母さん、ですか」
(堂々と母だって言えばいいのに。アニカは、アニカ・クラフトになったんだし)
マデリンデの中にある葛藤が垣間見えて、エカードはちいさく息を吐く。
「じゃあ俺も自己紹介しておこうかな。二番目の兄でエカードっていうんだ。いろいろあって、しばらく屋敷を離れていたから、今の君に会うのははじめましてだね」
皆がたどたどしくしていたら、アニカが戸惑ってしまうだろう。
ここは、堂々と名乗るに限る。そう思って、笑顔で手を差し出したら、アニカがそっと握り返してくれた。
ちいさくて、剣を持たないやわらかい手だ。
「おかあさ……、じゃなくて、お母様と、エカードお兄様ですね?」
ほっとしたような顔をして、アニカは名前を呼んでくれたのだが。
(え?)
おにいさま……だと?
「ぐふぅ……っ」
「ひぇ!?」
レンナルトからそんな呼ばれ方をされたことはないうえに、最近では『てめぇ』とか『クソ野郎』としか言われていないから、耐性ができていなかった。
「エカードお兄様、どうしたんですか!?」
「ごっ、ふぅ……っ、いやごめん。ほんとごめん。俺の心が弱すぎる……っ」
正直、ここでこんな態度を取っている場合ではないのに。
わかっていても自制心がきかない。
「……エカード。ちょっとアニカから離れなさい」
「はい」
自分でもあぶない人に思われる自覚があるので、冷ややかなマデリンデの言葉に従う。
「ぅ、……お、……俺も……、俺は……っ」
背後から呻くような声が聞こえたと思ったら、レンナルトが険しい顔をしてアニカを見ていた。
すごく声をかけたそうにしている。
「レン……、お前」
もしかして、本当にこの一ヶ月、今の今まで、名乗ることもせず、遠くから見守るだけに徹していたのだろうか。
それに対して思うことはあれど、エカードより長く一緒にいたはずなのに、お兄様と呼ばれたことがないなんて、ちょっとかわいそうになってきた。
頑張れ、と心で応援をしてみる。
「……さあ、もう時間がないわ。アニカはお客様のもとへ出られるように、しっかり支度を整えなくちゃね」
マデリンデがそう言いながら、さっと手をあげると静かに控えていたダナが寄ってきた。
レンナルトが完全に名乗り出るタイミングを逃した瞬間である。




