Sランクパーティを追放されたので、こっそり維持していた『チュートリアルモード』を終了しますね。 ~これから始まるのは、味方の攻撃が当たり、痛覚が100%機能する『ハードコア・リアリティ』です~
地下迷宮『アビス・ゲート』、深層域第七階層。
そこは本来、人の身で踏み入るにはあまりに過酷な領域だ。
湿った岩肌には猛毒を含んだ苔が密生し、空気中には肺を焼くほどの高濃度魔素が漂っている。一歩足を踏み外せば底なしの奈落。徘徊する魔獣は、鋼鉄すら容易く噛み砕く顎を持つ。
だが、その一角にある『安全地帯』だけは、まるでピクニック会場のような能天気な空気が流れていた。
「なあクロト。お前さあ、そろそろ自分の立場わかってる?」
焚き火の爆ぜる音が、勇者カイルの嘲るような声と重なる。
彼は最高級の霜降り肉を串に刺し、無防備に足を投げ出して座っていた。黄金に輝く鎧には傷ひとつなく、その顔には緊張感の欠片もない。
「立場、とは?」
俺は荷物の整理をしていた手を止めず、淡々と問い返す。
指先が少し荒れている。この階層の環境維持に、思ったより魔力を食われていたらしい。
「とぼけんなって。お前、戦闘に参加しねえじゃん。俺が剣で無双して、リナが魔法でドカーン。それで終わり。お前、後ろで何してんの? 突っ立ってるだけだろ?」
カイルの隣で、魔法使いのリナがくすくすと笑う。
彼女は杖の先端で焚き火を突き、火の粉を遊ばせていた。その杖の先が、カイルのマントを掠めているが、二人は気にも留めない。燃え移らないと『知っている』からだ。
「そうよねぇ。クロトってば、荷物持ちとしても微妙だしぃ。ポーションとか、私たち使ったことないじゃない? そもそもダメージ食らわないし」
「だろ? 俺ら強くなりすぎちゃってさ、もう『完全回避』とか余裕なわけよ。お前のサポートとか、ぶっちゃけ誤差? いや、もはやノイズなんだわ」
カイルが肉を齧りつき、脂ぎった口元を手の甲で拭う。
その視線には、明確な侮蔑があった。
不要な家具を見るような、冷たい目。
(……なるほど。ここまで増長したか)
俺は心の中で、静かにログを照会する。
彼らの言う「強さ」。
それは確かに、彼らのレベルアップによるものもある。
だが、根本的な前提が間違っている。
この世界はゲームではない。物理法則が支配する、残酷な現実だ。
彼らが無傷でいられるのは、俺が常時展開している固有スキル【チュートリアル管理】が、世界の理を歪めているからに過ぎない。
敵の攻撃判定を修正し、味方の攻撃判定を必中に書き換え、痛覚を遮断し、フレンドリーファイアを無効化する。
いわば、彼らは補助輪付きの自転車に乗って、F1レースに出ているようなものだ。
「で、結論なんだけどさ。ここで降りてくんない?」
カイルが懐から金貨袋を放り投げた。
ジャラリ、と重い音が足元で鳴る。
「手切れ金。これだけありゃ、地上まで戻る護衛くらい雇えるだろ。ま、俺らはこのまま最深部まで行って、魔王の首取ってくるからさ」
「あ、私の分もあげる。邪魔しないでね、一般人さん」
リナが食べかけのビスケットを放る。
それは俺のブーツに当たり、砕け散った。
怒りは湧かなかった。
ただ、急速に冷めていくのを感じた。
彼らへの情も、使命感も、そして『保護者』としての責任感も。
回路が遮断されるように、すん、と意識がクリアになる。
「……わかった。パーティ離脱の合意、と受け取ろう」
俺は金貨袋を拾わない。
砕けたビスケットもそのままに、背負っていたバックパックをゆっくりと下ろした。
中に入っているのは、彼らの予備装備や食料、そして何より『緊急蘇生キット』だ。
もう、必要ないものだ。
「最後に一つだけ忠告しておく」
「ああん? まだなんかあんのかよ」
「ここは現実だ。剣は重いし、火は熱い。そして、人は血を流せば死ぬ。その当たり前を、思い出せ」
「はっ! 詩人かよ。ダッセェこと言ってねえで消えろ!」
罵声を背に、俺は『安全地帯』の結界を出る。
湿った冷気が肌を刺す。
背後からは、まだ彼らの高笑いが聞こえていた。
俺は暗闇に向かって歩きながら、脳内のコンソールを開く。
管理者権限、認証。
対象、勇者パーティ『暁の光』。
(今まで守ってやって悪かったな。これからは、思う存分楽しんでくれ)
俺は指先を軽く振った。
――【チュートリアルモード】、終了。
――難易度設定、【リアリティ(現実)】へ移行。
――全アシスト機能、オフ。
世界から、優しい膜が剥がれ落ちた。
◇
「っし、邪魔者も消えたし、サクサク行くか!」
カイルは聖剣を抜いた。
その瞬間、腕にずしりと嫌な重みがかかる。
「……ん? なんか今日、剣が重くねえか?」
「気のせいじゃない? 肉の食いすぎで体が重いんでしょ」
リナが欠伸をしながらついてくる。
二人は狭い洞窟の通路を進み始めた。
ほどなくして、前方の闇から唸り声が聞こえてくる。
オークロード。
身長三メートル近い、豚の頭を持つ巨人が、錆びついた大斧を引きずって現れた。
「げ、いきなり中ボスかよ。まあいいや、瞬殺してやる!」
カイルはいつものように、正面から突っ込んだ。
足場が悪く、苔で滑る岩場だ。
だが彼は気にしない。今までは『オートバランス補正』が、どんな足場でも彼を転ばせないように支えてくれていたからだ。
ダンッ、と地面を蹴った瞬間。
「うおっ!?」
カイルの足が、つるりと滑った。
苔のぬめりに足を取られ、体勢が大きく崩れる。
前につんのめるような無様な姿勢。
「な、なんだ!? 滑っ……!?」
迫りくるオークロード。
カイルは慌てて聖剣を振り上げようとする。
だが、剣が上がらない。
体勢が崩れた状態で、十キロ以上ある鋼鉄の塊を振り回すには、全身の筋肉と体幹の連動が不可欠だ。
ただ腕力だけで振り回せていたのは、『筋力アシスト』のおかげだったのだ。
「ぐ、おォッ!」
無理やり手首だけで剣を返そうとした瞬間、ブチリ、と嫌な音が鳴った。
手首の腱が悲鳴を上げ、激痛が脳天を貫く。
「あがぁぁぁっ!?」
カイルは剣を取り落とした。
カラン、と乾いた音がして、聖剣が地面を転がる。
丸腰。
目の前には、オークロードの振り上げた大斧。
「カイル! 何やってんの! 『ファイアボール』!」
後方のリナが叫び、杖を振るう。
彼女は焦っていた。
カイルとオークロードの距離はわずか数メートル。
射線軸上には、転倒したカイルがいる。
だが、彼女は躊躇しなかった。
今までは『フレンドリーファイア無効』があった。
味方に当たった魔法は、霧のように透過して敵だけに命中する仕様だったからだ。
紅蓮の炎弾が放たれた。
それは一直線に飛び――起き上がろうとしたカイルの背中に、直撃した。
ドォォォォンッ!!
爆音が、狭い洞窟内に反響する。
爆風の逃げ場がない閉鎖空間。衝撃波と熱風が、カイルとオークロード、そしてリナ自身をも飲み込んだ。
「ぎゃあああああああああっ!!」
絶叫。
それは、人間の喉が裂けるほどの、本能的な悲鳴だった。
「熱ッ、熱いッ! 熱い熱い熱いィィィッ!!」
カイルが転げ回る。
背中の鎧が高熱で焼けただれ、皮膚に張り付いている。
髪が焦げ、肉が焼ける鼻をつく異臭が充満する。
「え……うそ……カイル……?」
リナは呆然と立ち尽くしていた。
爆風で吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた彼女の額からも、ダラダラと血が流れている。
視界が赤い。
痛い。頭が割れるように痛い。
自分の放った魔法で、仲間が燃えている。
その現実が理解できない。
「オオオオオッ!!」
オークロードは、多少の火傷を負いながらも健在だった。
魔物は、痛みで怯んだりしない。
むしろ血の匂いに興奮し、暴虐の本能を剥き出しにする。
巨人が、のたうち回るカイルを見下ろした。
その手にある大斧が、無慈悲に振り上げられる。
「ひ、嫌ぁぁッ! やめて、こないでぇッ!」
リナが杖を構えるが、手が震えて照準が定まらない。
涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃだ。
魔法の詠唱すら、恐怖で喉が詰まって出てこない。
カイルが顔を上げる。
その顔は、煤と脂汗と涙で汚れ、かつての英雄の面影は微塵もない。
「た、すけ……クロト……たすけて……!」
無意識に出た名前。
いつもなら、どんなピンチでも、必ずあの男が前に立っていた。
絶対的な盾となり、完璧なタイミングで回復薬を投げ、的確な指示をくれていた。
だが、そこには誰もいない。
ただ、冷たい闇が広がっているだけだ。
ゴシャッ!
鈍い音が響いた。
カイルの右足が、大斧の一撃で粉砕された音だ。
鎧ごと骨が砕け、肉がミンチになる感触。
今までの『HP減少』という抽象的な現象ではない。
取り返しのつかない、肉体の破壊。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!! 足がぁぁッ! 俺の足がぁぁぁッ!!」
獣のような咆哮。
失禁し、泥と血にまみれながら、勇者は這いつくばる。
(痛い、痛い、痛い、痛い!)
脳内を埋め尽くすのは、それだけの情報。
栄光も、名誉も、報酬も、今の彼には何の意味もなかった。
ただ、この地獄のような痛みから逃れたい。
それだけだった。
◇
遠く、悲鳴が聞こえた気がした。
俺は立ち止まり、少しだけ耳を澄ませる。
岩壁を伝ってくる微かな振動。
それは、断末魔のようにも、助けを乞う声のようにも聞こえた。
「……随分と賑やかだな」
俺は懐から携帯食料を取り出し、一口かじる。
パサパサとした安物のパンだが、不思議と喉の通りは悪くない。
彼らは今、初めて知っているのだろう。
自分の足で立つことの難しさを。
剣を振るうことの重さを。
そして、命を賭けることの恐怖を。
「授業料にしては高くついたが……まあ、いい経験だろ」
俺はパンを飲み込み、再び歩き出す。
目指すは地上。
そして、新しい職場だ。
噂では、隣国の『鉄血姫』と呼ばれる公爵令嬢が、優秀な管理官を探しているらしい。
彼女なら、この『ハードモード』な世界を、むしろ楽しんでくれるかもしれない。
背後の闇で、もう一度、何かが潰れるような音がした。
だが、俺はもう振り返らなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
「ざまぁ」展開、楽しんでいただけましたでしょうか?
今まで「ゲーム感覚」で生きてきた彼らが、初めて「現実の痛み」を知る瞬間……筆者としても書いていてゾクゾクしました。
さて、四肢を砕かれ、全身火傷を負った彼らですが……。
残念ながら(?)、まだ息はあるようです。
次回、
『這いつくばって地上に戻った勇者を待っていたのは、莫大な治療費請求と、冒険者ギルドからの【ランク剥奪処分】でした』
をお届けする予定です。
「もっと彼らが絶望する姿を見たい!」
「主人公が正当に評価される新章も読みたい!」
と少しでも思っていただけた方は、
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