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本はもとの場所に戻しましょう

 ここは神界。

 世界を創ることが仕事の神様たちが、のんびり気ままに過ごしているところ。

 

「おや、カレン。今日も忙しそうだね」


 神様の図書室で蔵書を読んでいると、そう声をかけられた。

 振り返れば、そこには『星夜界』の神ノクティアさんが立っていた。


「世界を創ることより、前の神から引き継がれる方が大変なのかな」

「そうですね。前の神が何を大事にしていたのかを知らなければならないので」


 そう言って、私は本を閉じた。これは、前の神が遺した『世界』の本。私は、この世界の神として神界にやってきたのだ。


「ちなみに、カレンって前世の記憶はある?」

「前世、ですか?」

「大神様が連れてきたんだ。君は生粋の神界出身ではなく、他の世界からの『転生者』だろう?」

「そうなんですか?」


 私には、前世の記憶はない。

 気付いたらここにいて、目の前に大きなおじいさんが立っていたんだ。

 名前も思い出せない私に、大神様は『カレン』という名前をくれた。どこか悲しそうな顔をしながら、でも祝福するように贈ってくれたのだ。


「ノクティアさんは、神界出身なんですか?」

「もちろん。永遠をここで過ごしているよ」


 だからかな、と彼は伸びをした。

 図書館をぐるりと見回して、ふっと懐かしそうに目を細める。


「いなくなった奴らが恋しくなるときがあるんだ」

「え、ここは不死の場所なのに?」

「神は強欲だからねぇ。ルールに反したら厳しい罰が待っているんだ。昔、ここにいたんだよ。神と半神の恋人同士で、二人で地に落ちていった二人がね」

「へぇ」


 何年前の話だろうか。不死の神が言うことだ、その単位は何百年になってもおかしくない。

 今度、図書館で調べてみよう。


「ま、昔話はここまでだ」


 ノクティアさんはふっと微笑むと、私の頭にぽんと手を置いた。


「今から『視察』なんでしょ? 気を付けていっておいで」

「はい」

「きっと、君には良いことがあると思うよ」


 それだけ言って、ノクティアさんは去って行った。

 相変わらず不思議な人だ。初対面のときから、知り合いのように軽く接してくる。知らない人のはずなのに、どこか懐かしさだけが残る。見たことあるような、でも知らない、そんなモヤモヤする感情。彼に会う度、私の心ではその感情がぐるぐると渦巻くのだ。





 神は、姿を変えて世界に降り立つ。

 降り立つ場所は、神が祀られている神聖な場所。私の世界では、その場所のことを『神社』と言っていた。

降り立った神社は、前回とは別の地域のようだ。しかも、ここの神社には本殿がなく、鳥居だけがぽつんと残っている。この世界は不思議で、あらゆる場所で神様を祀っているようだった。


「えっと、今日は天候とかを見るんだったよね」


 今日は、なんだか面倒くさくて髪色とその長さだけはそのままだ。いつもならすべて変えるんだけど、森の中の神社だから良いかなと思って。

 手にしている書類を確認する。やるべきことを確認し、改めて神社を見渡した。


「すごい、お花だらけだ」


 神社のいたるところに、紫色の花が咲いていた。小さいけれど、風に揺られてしっかりと咲き誇っている花。それを見ていると、なんだか胸がきゅっとした。理由は分からないけれど、どこか懐かしさを感じる。


「お土産に持って帰ろうかな」


 ノクティアさんにあげようか。いや、フローラさんの方がお似合いだ。最近、私を見ると特に寂しそうな顔をしているのだ。『常花界』で何かあったのかもしれない。

 私は、その花を一輪だけ摘み取った。上品な香りがふわりと鼻をかすめる。可愛らしい花だ。

 その花を懐にしまい、仕事のために歩き出した、そのときだった。


「綺麗ですよね、この花」


 誰かに話しかけられた。

 どきりと胸が跳ね上がり、おそるおそる後ろを振り返る。そこには、学生服を着た男子生徒がこちらを見ていた。


「お姉さん、この地元の人じゃないんですか?」

「え、えぇっと、ちょっと仕事で」

「へぇ、そうなんですね」


 自分が『神』であることを知られてはいけない。この『人間界』という世界は、知能指数が特に高い人類が住んでいるのだから、バレてしまったら最後なのだ。


「ここ、『菫神社』って言われてるんです。正式名称じゃないんですけどね。あたり一面がスミレの花で覆われているから、そうやって親しまれているんですよ」

「そうなんですね」


 物知りな青年だと、ぼんやり思う。けれど、こんなにも綺麗に花が咲いているのだ。この神社が有名であるのは間違いないはずだった。


「こんなに綺麗に咲いているところ、初めて見ました」

「そうでしょう!? 僕のお気に入りなんですよ」


 ね、スミレ。

 そう言って、青年はスミレの花に顔を寄せた。

 次の瞬間。


 どくん。


 胸が大きく跳ね上がった。冷や汗が背筋を伝って落ち、手は汗でびっしょりと濡れていく。この感覚、この名前。私はどこかで、この感覚を知っている。


「……あ、あの」

「はい?」

「あなたは、ここにどんな用事で来たんですか?」

「あぁ、僕はお参りですよ。それと、」


 青年はそこで言葉を切った。

 目を細めて私を見つめ、摘み取ったスミレの花をそっと撫でる。


「迎えに来たんです」

「だ、誰を?」

「スミレを」


 そう言って、彼はふわりと微笑んだ。


「待ってたよ、ずっと」


 優しい口調、まっすぐな瞳。

 青年のすべてに惹かれ、そして懐かしさが込み上げてくる。

 あぁ、私はこの感覚を知っている。

 神界に来る前、なくしたと思っていたどこかの記憶の欠片。


「……私は、カレン。あなたは?」

「僕はね、唯斗って言うんだ。ユイトだよ」


 『唯一』という言葉の『唯』。その言葉は、私の奥底へゆったりと浸透していく。


「──廉。レン……!」

「純蓮。ユイ」


 彼が、大きく腕を広げた。その胸に、私はためらわずに駆け寄っていく。スミレの花びらが舞う中で、私は勢いよく彼に飛び込んだ。


「レン!」

「約束したでしょ、迎えに行くって」


 ぎゅっと抱きしめられて、懐かしい香りが私を包み込む。あたたかくて、安心する香り。この香りを、私はずっと探していた。


「今は『カレン』っていうんだね」

「レンは『ユイト』なんだ」


 これもまた運命か、それとも必然か。

 分からないけれど、この名前をつけてくれた大神様は何か知っているのだろう。私とレンが、どこかで再会することを。


「ごめんね。僕のせいで、この『日本』を管理してるんだよね」

「いいの、楽しいから。もともと人間界出身だしね」

「それにしても、髪は純蓮のままなんだね。ユイの髪色も好きだったけど」

「大神様がこうしてくれたんだよ」


 そう言って笑い合う。

 一緒に死んで、死者の世界でまた再会すると思っていたのに。神というものは、時に優しくて残酷なものだ。

 神と人。相容れない、二つの存在。私たちは立場を変えて、またひとつの愛を駆けていく。


「大好きだよ、純蓮」

「私も。大好き」


 大好き。愛してる。

 だから、だからね。


「迎えに来たよ、レン」

「うん」


 私は、人間界の神。その『日本区域』で死んだ者たちを、どの世界に送るのかは、私の采配で決まる。


「一緒に帰ろうか」


 ノクティアがソラさんを星夜界へ転生させたように。私も、誰かを別世界へ転生させることができる。


「いこう」


 彼は、制服のポケットから煌めく何かを取り出した。

 カチカチと音を立てて刃を出し、カッターを陽の光にかざす。


「あれからもう数百年だ。大神様の許しは得たよ」

「みんな、レンを待ってるから」

「久しぶりに会いたいよ」


 ザクッ。

 刃が、彼の首に吸い込まれていった。ズブズブと入り込み、プツリと何かを切る。

 足元のスミレが、赤い花びらを散らす。紫色の花畑は、一か所だけ赤い花となっていく。


「このときを、待ってた」

「私も」


 彼の体は、赤い花の上に落ちていく。私は、その体をゆっくりと撫でた。


「ずっと、一緒にいようね」


 神界への扉が開く。ゆらゆらと揺れる空の向こうで、ノクティアがこちらを覗き込んでいる。ガルムも、フローラも。

 亡骸に興味はない。この体は、レンが入っていたただの入れ物だ。私は、彼の魂だけを手にして、空を見上げた。


 目の前にあるのは、黄金の月ではない。不気味に煌めく青い月。そして、ページが増えた『人間界』の本。

 神は、失敗を犯しながら世界を創る。時に残酷に、無慈悲に。それでも、その世界の住人は神を崇める。こんなにも愚かな神たちを、心から崇拝するのだ。


「ようこそ、神界へ」



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