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 ピッピッピ。

 無機質に響き渡る電子音と、ツンとする薬剤の香り。

 あの花の香りは、いつからか病院特有のものに替わっていた。


「今日は、レンくんが来てくれたのよ。ほら、レンくん」


 知らない声が聞こえて、ハッとする。

 レン? レンって言った?

 目を閉じているのか、目の前は暗い。体は重たくて、胸は少しだけ痛みを持っていた。


──会いたい。顔を見たい。


 なかなか持ち上がらない瞼。それを押し上げるように開けると、視界いっぱいに白い光が飛び込んできた。


「え、──さん!?」

「早く、先生に!」


 そんな声が飛び交う。何がなんだか分からなくて、ぼんやりと宙を見つめる。ここは、どこだろう。

 ふと、あたたかい何かが私に触れた。きっと、手だ。私の手に、誰かが触れている。

 ぎゅっと握られた手。その持ち主が、視界の中に入ってきた。


「僕が分かる? 分かったら、手を握って」


 優しい声。普段は明るいけど、たまにしんみりしたような静かな声になる。黒い髪に、特徴的な柔らかい色の茶色い瞳。この顔を私は知っている。


──レン、だ。


 手に力を込めたけれど、指先しか動かなかった。それでも、レンの手に指が触れる。

 私の指先を感じ取ってくれたのだろう、レンはその瞳に涙を浮かべた。綺麗な色で、吸い込まれそうに透明。それを見つめていると、レンはゆっくりと口を開いた。


「おかえり。やっと会えたね」


 その後に続いた、私の名前。

 それは『ユイ』ではなく、あの名前。


「スミレ」





 私は、昔から体が弱かった。病院に入院することは、日常茶飯事。学校にも満足に通えなかった。

 それでも、念願だった小学校の先生になった。司書の資格も取って、楽しい人生を歩み始めていた矢先だった。ある日、両親が急死したのは。

 私の体をいつまでも気遣い続けて、なるべく普通の日常を送ることができるように動いてくれた、大切な存在だった。


「倒れてから、もう二週間だよ。よかった、目が覚めてくれて」


 ベッド脇に佇む、ひとりの青年。

 柔らかい黒髪に、透き通った瞳。どんなときでも素直で、嘘を吐かない、まっすぐな性格。恋人の廉は、そっと私を見ていた。


「……ここは?」

「病院だよ」


 起き上がってみれば、病室の中がよく見えるようになる。吊るされた点滴パックに、枕元の機械。ちらりと視線を向ければ、『霧島純蓮』という名前が見えた。

 あぁ、私だ。そう実感した途端、ある場所での記憶が蘇ってきた。


 不思議な図書館での出来事。

 たくさんの神様がいて、のんびりと過ごしていること。世界を創っては失敗して、本になって、イライラして投げていたこと。

 そして、『レン』に教えてもらったこと。


「廉は、神様だったんだ……」

「うん」


 廉はそっと目を伏せた。その姿は、あの図書館での様子にそっくりだった。大神様の言葉に項垂れて、儚い笑みを浮かべていたあの出来事。それを、私は鮮明に覚えている。あのときの雰囲気、ぴりりとした空気の香り。あの世界がどこに存在しているのかは分からないけれど、五感がすべて記憶していた。


「君は生きてるよ。転生なんかしていない、ただ眠っていただけだ」

「だから、脈があったの?」

「そう。君が神になれなかったのも、『実体』が別の世界にあったからだよ」


 じゃあ、なんで私を神界に連れて行ったの?

 私は、ここにはいられなかったの?

 問い詰めたいけれど、体が思うように動かない。何不自由なく動けていた神界は、本当に『神様の世界』だったのだと思い知らされる。


「廉は、私をどうしたかったの……?」

「……どうしても叶えたい夢ってある?」


 ふと、廉がそう言った。

 窓の外に目を向けて、空にぽっかりと浮かぶ月を見上げた。青い光ではない、黄金の輝き。当たり前なはずの月の色は、なんだか不気味にさえ見えてくる。


「自分の命と引き換えでもいい。僕がこの世界からいなくなってもいい。自分を犠牲にしてまで叶えたい夢があったんだ」


 廉が私を見た。

 今にも泣きそうな瞳で、でも意思を固めた煌めきを放ちながら。


「純蓮に、生きていて欲しかった」


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