本を探してまいります
「ユイ」
声をかけられて、バッと振り返る。
そこには、ソファで寝ていたはずのレンが私を見ていた。
じっと、静かな目で。
「レ、レン。おはよう」
「おはよう。それ、読んだ?」
レンが指さしたのは、私が持っていた本。『Sumire』の本を見る目は、静かなのにどこが哀しげだ。私は、ぎゅっと本を抱きしめる。
「……読んだよ」
「そっか」
もう、お酒は抜け切っているようだった。神様の体は、なんとも丈夫にできているものだ。私も、そんな丈夫な体が欲しかったな。
レンは、ゆっくりと体を起こす。乱れた髪を直す姿は、これまでずっと見てきたはず。それなのに、今日はなぜだか初めて見たような感覚があった。
「聞きたいことはある?」
「え?」
「だから、聞きたいこと」
変な違和感にぼんやりとしていると、レンが問いかけてきた。彼は、真剣な眼差しで私を見つめている。明るいレンはいつも笑って過ごしているけれど、たまにこうやって物静かに問いかけてくることがあった。それはきっと、彼が何かに向き合っているから。
聞きたいことはたくさんある。『Sumire』ってなんのこと? 途中で本が終わった理由は? でも、それ以前に。
「なんで、この本を隠したの?」
「……」
「隠したのは、何かの理由があったからなんだよね。その理由を教えて欲しい」
私の問いかけを聞いたレンは、天を仰いだ。天井には、揺らめく灯りがひとつ。その煌めきは、レンに何かを語りかけているようだった。
「……ユイに見せたくなかったんだ」
「え?」
「この本をユイが読めば、失っている記憶を取り戻すかもしれないって思ったんだ。だから、読んで欲しくなかった。僕は、今のこの生活が好きだから」
「じゃあ、前世での生活は大変だったの?」
「そうとも言えるね」
ユイ、おいで。そう言って、レンは座っている隣をぽんぽんと叩いた。それに反対する理由はない。だから、私は本を抱えたままレンの隣に腰かけた。
「ここ、触って欲しい」
レンが差し出してきたのは、彼の手首。細いようでがっしりしている、男の人の手。私は、その手首にそっと手を伸ばした。
そこは、脈が感じられる場所。神様って、脈があるんだろうか。少しの好奇心とともに、レンの手首に触れる。指先から脈を感じ取れるように、そっと気持ちを落ち着けながら。
「……脈が、ない」
脈はなかった。どんなに感じようとしても、指先は脈を捉えない。何かの間違えだろうと、レンの反対側の手首も触ってみる。それに、その首筋にも、しかし、どれだけ触ろうと脈はなかった。
「神様に実体はないけど、神界に来るとその実体が姿を現すんだ。でも、生きている者たちのように、脈はない。だって、実体はないんだからね。だから、神界にいる者たちには脈がないんだよ」
つまり、レンに脈が感じられないのは当たり前のことなんだ。だって、レンは神様なんだから。
「ユイは? 脈はある?」
「私?」
考えたこともなかった。脈なんて、日常の中で気にも留めないことだから。よく考えてみれば、脈があることで私たちは生きているのだから、とても大切なことなんだよね。
私は、自分の手首に触れた。神様ではないけれど、私は神界にいる身。だから、きっと脈はないはず。レンみたいに、ただ静かな手首があるだけだ。
しかし。
──とく、とく。
「な、なんで」
私の指先は、動く何かを捉えた。小さく、こちらにノックしているかのように。
それは、私が『生きている』という証拠。
「なんで? 私が半神だから?」
「……そうかもね」
「ねぇ、なんでそんな曖昧なの? 脈がある理由を教えてよっ」
ぞわぞわと背中に何かが這っている。心臓を冷たい手でぎゅっと掴まれた感覚。それらから解放されたくて、私はレンに詰め寄った。
彼は、ただ私をじっと見つめていた。哀しい色を浮かべた瞳で、静かな表情を乗せて。今にも泣き出しそうなその顔を、私はどこかで見たことがある。
「教えて、レン!」
「ごめんね」
違う、謝ってほしい訳じゃない。脈があるのはなぜなのか、それを知りたいんだ!
レンは、ただ静かな瞳をしていた。口を開けば、謝罪の言葉ばかり。そんなレンがなんだかうっとおしく思えて、私はバッと立ち上がった。
「レン!」
「ユイ。そこまでじゃ」
大声でレンの名前を叫んだ、そのとき。突然、違う声が飛び込んできた。我に返って、ハッと顔を上げる。部屋の入口に、大神様が佇んでいたのだ。
「大神様?」
「真実を話すときが来たみたいだな」
「えぇ」
レンは、がくりと項垂れた。なに、そんなに言い辛い話なの?
大神様とレンの会話はよく分からなかった。分かったのは、レンが私に対して隠していたことがあったこと。それが、とんでもなく悲しい事実だった。
「レンは、嘘が嫌いだったんじゃないの……?」
「嘘は吐いてないぞ。言えないことがたくさんあるんじゃ」
「そんな」
大神様は、いつもの優しいおじいさんではなかった。神様たちの頂点に立つ存在として、その立ち姿には威厳がある。それがまた、レンだけの事情ではないことを表しているかのように思えて、私はこみ上げてくる憤りを抑えるしかなかった。




