庭のトマトが『神話級エリクサー』だった件
「うん、いい赤色だ。今年一番の出来かもしれない」
俺、相田カイト(22歳)は、掌の上でツヤツヤと輝くトマトを見て、満足げに頷いた。
ここ最近、ダンジョンだのモンスターだのと世間は騒がしいけれど、日本の片田舎にある俺の庭だけは平和そのものだ。
覚醒したスキル『家庭菜園』。
戦闘力ゼロのハズレスキルだと言われたけれど、こうやって美味しい野菜が食べられるなら文句はない。
ガサガサッ!!
不意に、庭の生け垣が激しく揺れた。
なんだ? タヌキか? それとも近所の猫か?
「はぁ、はぁ……っ! ここなら、撒け、たか……?」
茂みから転がり出てきたのは、タヌキではなかった。
銀色の長髪に、透き通るような白い肌。そして、見るからに高そうな銀色の鎧を身にまとった美女だった。
ただし、その鎧はボロボロで、腹部からは痛々しいほど血が流れている。
(うわぁ、コスプレイヤー……じゃないな、これ)
彼女は俺と目が合うと、縋るように手を伸ばしてきた。
「み、水を……喉が焼けるように、熱いの……毒が……」
「あー、水か。ちょっと待ってて」
俺は立ち上がろうとしたが、彼女の顔色はみるみる青ざめていく。
これ、水道まで走ってる間に死ぬんじゃないか?
手元を見る。そこには、今収穫したばかりの、水分たっぷりの完熟トマト。
「お姉さん、水はないけど、これ食う?」
「え……?」
「リコピン豊富だよ。美容にもいいし」
俺は服でキュキュッとトマトを拭くと、彼女の口元に差し出した。
彼女は朦朧とした意識のまま、そのトマトにかぶりつく。
ジュワッ。
瑞々しい果汁が溢れた、その直後だった。
カッーーーーーーー!!!
俺の庭が、目も眩むような金色の光に包まれた。
光が収まると、そこには傷一つない肌で、困惑したように自分の体を見下ろす美女の姿があった。
なんか肌が発光してるんだけど。化粧水なに使ってるの?
「な、何ですかこれは……!? 体中の魔力回路が暴走するほどのエネルギー……まさか、伝説の秘薬『神々の晩餐』!? い、いいえ、それ以上の純度なんてありえない……!」
美女がガバッと顔を上げ、血走った目で俺を凝視する。
「あなたは……一体、何者なのですか!? これほど国宝級の秘宝を、惜しげもなく通りすがりの人間に与えるなんて!」
「いや、ただのトマトだけど」
「トマト……? これが……?」
なんだろう。味が薄かったかな?
俺は少し不安になって、彼女に問いかけた。
「あー、まだ完熟じゃなかったか? ちょっと酸っぱい?」
「酸っぱいとか、そういう次元の話ではありません!」
彼女はカッと目を見開き、懐から片眼鏡のような道具を取り出した。
どうやら俺のトマトを詳しく調べるつもりらしい。
「失礼します……『鑑定』!」
彼女が叫ぶと、モノクルが青白く発光した。
へえ、最近のアプリってすごいな。ARグラスってやつか。
数秒後。
彼女はモノクルを落としそうになりながら、ガタガタと震え出した。
「う、嘘……ありえない……」
「どうした?」
「……こ、これを見てください!」
彼女が空中に投影したホログラム画面には、なにやらゲームのようなステータスが表示されていた。
【鑑定結果】
対象:真紅の果実(※トマト)
ランク:SSS(神話級)
産地:世界樹の苗床(※相田家の庭)
効果:万病治癒、魔力無限回復、寿命延長(+100年)
推定市場価格:測定不能(国家予算3年分相当)
「……あの、これバグってない?」
「バグなものですか! 寿命延長効果付きの食材なんて、エルフの里の秘宝レベルですよ!? それを、こんな無造作に……!」
彼女は俺の肩を掴んで揺さぶり始めた。
すごい剣幕だ。やっぱり都会の人はオーガニック食材へのこだわりが強いんだな。
俺がどう説明しようか迷っていると――。
グオオオオオオオオオオオッ!!!!
空気がビリビリと震えるような、腹の底に響く咆哮が轟いた。
突風が吹き荒れ、庭のビニールハウスがバタバタと音を立てる。
「きゃっ!?」
「うおっ、なんだ今の風!」
空が急に暗くなった。
見上げると、そこには巨大な影があった。
翼を広げれば10メートルはありそうな、漆黒の巨体。
ギラギラと輝く鱗に、凶悪な牙。
彼女が顔面蒼白で叫んだ。
「……追いつかれた……! あれは『災厄の黒竜』! さっき私を瀕死に追いやった、Sランク指定の魔物です!」
「え、魔物?」
俺は目を細めた。
たしかにデカい。トカゲにしてはデカすぎるし、空を飛んでいる。
ということは……。
「……大型のカラスか? いや、トンビか?」
「どう見てもドラゴンです!!」
彼女のツッコミは無視して、俺は焦った。
種類はどうでもいい。問題なのは、あいつが今、俺の丹精込めて育てたナスの畝に着地しようとしていることだ。
「おい、そこはやめろ!! 昨日マルチシート張ったばっかりなんだぞ!!」
俺の叫びも虚しく、黒竜は「グルルル……」と喉を鳴らしながら、ナスの苗を踏み潰した。
プチッ。
あ。折れた。一番花がついてた苗が。
「あいつ……許さん」
俺の中で、プツンと何かが切れる音がした。
恐怖? そんなものはない。あるのは純粋な殺意(農家の怒り)だけだ。
「逃げてください、師匠! 私の剣も折れてしまった今、奴を止める手段は……」
「どいてろお姉さん。害虫駆除の時間だ」
俺は足元に突き刺してあった園芸用のスコップをひっこ抜いた。
ホームセンターで500円で買った、鉄製のハンドスコップだ。
ただし、毎日俺の魔力(肥料)をたっぷりと浴びて、なぜか黒光りしている愛用品。
「害虫って……あれはドラゴンで、武器がスコップ!?」
「シッ、静かに。狙いがズレる」
俺は大きく振りかぶった。
野球経験はないが、カラス避けの石投げなら自信がある。
狙うは眉間。
俺は全身のバネを使って、思い切りスコップを投擲した。
「そこのナスから……離れろおおおおおおっ!!」
ドォォォォォンッ!!!!
手から離れた瞬間、衝撃波で庭の土が舞い上がった。
スコップは赤い流星となって音速を超え、空気を切り裂いて直進する。
ギャッ――?
黒竜が何か悲鳴を上げようとした時には、もう遅かった。
スコップはドラゴンの硬い鱗を豆腐のように貫通し、そのまま巨大な頭部を弾け飛ばしたのだ。
衝撃は止まらず、後ろにあった裏山の木々を数十本なぎ倒して、ようやく彼方に消えていった。
ズドォォォォン……。
遅れて響く地響き。
首を失った巨大な体が、ドサリと崩れ落ちる。
「……ふう。危ないところだった」
俺は額の汗を拭った。
ナスの被害は苗2本で済んだようだ。ギリギリ許容範囲内だな。
「あーあ、スコップ飛んでっちゃったな。買い直さないと」
俺がぼやきながら振り返ると。
そこには、口をあんぐりと開けて、石像のように固まった彼女がいた。
「……え?」
「ん? どうした?」
「え、ええええええええっ!? い、一撃!? 魔法障壁も、ミスリル級の鱗も貫通して!? スコップで!? 投げて!?」
彼女は腰を抜かしたまま、後ずさる。
そして、改めて俺を見た。
まるで、ドラゴンよりも恐ろしい化け物を見るような目で。
「あ、あなた様は……一体……。まさか、隠居した初代剣聖……いえ、武神の化身……?」
「だから、農家だって」
こうして。
ただの家庭菜園ライフを送りたいだけの俺と、勝手に俺を神格化していくSランク美女との、奇妙な共同生活が始まることになったのだった。
◇◇◇
「……というわけで。責任を持って、私があなた様をお世話させていただきます!」
ドラゴンの死体が片付いた庭(死体は彼女が魔法鞄とかいう便利なアイテムに収納した)で、エレナと名乗った美女は、キラキラした目で宣言した。
「お世話って、別に怪我も治ったし、帰らなくていいのか?」
「とんでもない! 命の恩人に対して、恩を返さずに立ち去るなど騎士の恥です。それに……」
彼女は頬を赤らめ、モジモジと指を組み合わせた。
「あの一撃……感動いたしました。無駄のない所作、圧倒的な破壊力。まさに『神域』の技。どうか私を弟子にして、その極意をご教授いただけないでしょうか!」
弟子、か。
俺は腕組みをして考えた。
正直、一人での農作業も限界を感じていたところだ。
収穫時期は忙しいし、害獣とかの追い払いもしなきゃいけない。
彼女のように体力があって、魔法も使える人が手伝ってくれるなら……。
「……まぁ、いいけど。厳しいぞ?」
「望むところです!」
「朝は早いし、泥だらけになる」
「修行とはそういうものです!」
すごいやる気だ。
最近の若者にしては珍しい、骨のある奴だな。
「わかった。じゃあ、まずはその鎧を脱いで、ジャージに着替えてくれ。動きにくいだろ」
「は、はいっ! 身軽になって回避性能を上げろというのですね……!」
「あと、明日からは『剣』じゃなくて『鍬』を持ってもらうからな」
「鍬……ですか? なるほど、あえて重心の異なる農具を使うことで、体幹と魔力操作を鍛える修行……! さすが師匠、深いです!」
彼女は感極まったように、再びその場に跪いた。
「一生ついていきます、師匠!!」
「いや、だから師匠じゃなくて『農園主』な」
◇◇◇
数日後。
俺の家の食卓には、豪華な料理が並ぶようになった。
エレナは剣の腕も凄いが、料理の腕もSランクだったらしい。
俺が育てた神話級トマトのサラダを食べながら、彼女は幸せそうに微笑む。
「師匠、またギルドから『ドラゴンの素材の買取査定』と『国王からの謁見依頼』が来てますが、どうしますか?」
「あー、めんどくさいから全部断っといて。『今はズッキーニの受粉で忙しい』って」
「ふふっ、さすが師匠。世俗の権力になど興味がないのですね!」
こうして、俺の平穏な家庭菜園ライフは守られた。
……なんか最近、家の周りに勝手に結界が張られたり、冒険者たちが遠巻きに合掌して帰っていったりするけど、まぁ実害はないからいいか。
俺は今日も、最強の弟子(自称)と共に、平和に土を耕す。
世界最強の農家がここに爆誕したことを、俺だけがまだ知らない。
(おわり)




