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葉桜、ひらり 2

作者: おにぎり

こちらは「葉桜、ひらり 1」の続きです。次の人物紹介は飛ばしていただいても構わないです。



菊田さくら……高2。演技が大好きな現役若手女優。本当の自分をさらけ出せないでいる。


佐藤晴大……高2。絵を描くことが好きで、学校でも常に絵を描いている。内気でいつも一人。菊田さくらの一個前の席。


新宮あまね……高2。学級委員長。正直な人が好きで、いつも猫を被る菊田さくらとは少し相性が悪いと感じている。


野木駿介……高2。新宮あまねの隣の席。自分の気持ちに正直で、下ネタが大好き。


巻き髪の女……高2。菊田さくらの取り巻きの一人。気が強く、大人しい人間は声を掛けるのですら難しい。新宮あまねとはあまり仲が良くない。



 時はあっという間に過ぎ、中間テストがやってきた。


「文化祭で浮かれてたら、テストがやってきたんですけどぉ〜〜!!」


 そう泣き叫ぶのは、野木駿介だ。野木は自分の席でぼおっとしている佐藤晴大の後ろに立ち、その肩をぶんぶん振り回した。


「……テスト。」


 佐藤晴大はそう呟き、頭を机に打ちつけた。野木はギョッとして、思わずその頭を持ち上げた。


「だ、大丈夫??」


 すると佐藤晴大はゆっくりと野木の顔を見て、口を開いた。


「テスト、やだ。絵描きたい。辛い。」


 ロボットのようにぎこちない動きをする佐藤晴大を見て、野木は肩をポンと叩いた。


「大丈夫だって!!ほら、テスト終わったら、また絵描けるだろ!」


 するとそのタイミングで、新宮あまねが野木の肩を叩いた。


「あんた、そろそろテスト始まるわよ。座ろうか?」


 その恐ろしい笑顔によって、野木は回収されていった。


――――――――――――――――――――――――


「テスト全部終わったぁ〜〜!これからは文化祭に本腰入れなきゃだな!」


「そうね、宣伝係として、何をしたら良いのかしら。」


 放課後、新宮あまねと野木は自分の席で話をしていた。新宮あまねは徐に机に突っ伏し、後ろの席を眺めた。


 (ふむ……)


 突然、新宮あまねは立ち上がり、後ろの方へと歩いて行った。


「ねぇねぇ、佐藤くん。君さ、いつも何か描いてるでしょ?」


 そう話しかけられ、佐藤晴大は思わずノートを隠した。それを見て、新宮あまねは佐藤晴大の目を見て話した。


「佐藤くん。その絵で、宣伝係に貢献してくれない?」


 佐藤晴大は突然の申し出に目を見開いて固まった。


「確かに!シンデレラの絵でも描いてさ、たくさん客を呼び込もうぜ!!」


 野木が自分の席から佐藤晴大の方を向いて叫んだ。だが、佐藤晴大は乗り気ではなかった。


「………」


 佐藤晴大は俯いて、何を言おうか考えていた。


「佐藤くん?」


 新宮あまねは違和感を感じ、尋ねた。


「嫌なら良いんだけど……。」


 新宮あまねがそう言うと、佐藤晴大はそれに重なるように答えた。


「嫌、ではないんです。嫌じゃ、ないけど……。」


 そして佐藤晴大は小さな声でこう呟いた。


「……見られたくないな。」


 その答えに、新宮あまねと野木は顔を見合わせた。


「そんな、もっと自信持ちなって〜!大体さ、教室内で堂々と描いてる割に、何でそんなに見られたくないのさ〜!」


 新宮あまねが佐藤晴大の背中をバシバシと叩いた。すると佐藤晴大はそれ以上何も言わずに、心の中でこう呟いた。


(僕は、本当は絵を描いちゃ駄目なんだ。)


――――――――――――――――


 その日の夜。


「ただいま。」


「……おかえり。父さん。」


 佐藤晴大の父は、リビングの扉を開けてソファに腰を下ろした。その間、佐藤晴大は黙々と晩御飯を机に並べている。


「……テスト、どうだった。」


 父はネクタイを外しながら、徐に尋ねた。佐藤晴大は動いたままで、


「まあまあだったよ。」


 とだけ答えた。


 父は「そうか」と小さく答えると、テレビ付近に置かれた写真を眺めながら、口を開いた。


「お前……もう将来の夢とか決めたのか。」


 すると佐藤晴大は写真を眺める男に少し目をやり、


「まだだけど。」


 と素っ気なく答えた。


「……そうか。だけどお前、漫画家だけは」

「分かってるから。もう、食べれるよ。」


 父の言葉を遮るように答えると、そのまま食卓についた。

 

――――――――――――――――

〜7月、放課後の教室〜


「文化祭って、ワクワクするね!!」


 そんな能天気なセリフを吐いたのは、いつにもまして元気な菊田さくらだった。


「……そうですね。」


 佐藤晴大はそれだけ答えると、近付こうとする菊田さくらから少し距離を置き、タブレット端末に視線を下した。


 今、佐藤晴大たちは宣伝係としての作業をしていた。それはポスター作りと看板作りである。


 佐藤晴大はポスターの絵を考えていた。あれから結局、佐藤晴大は絵を描くことになった。というのも、新宮あまねの強引な手口によって丸め込まれたからだ。強く否定しなかったことも大きな要因なのだが。


「いやぁ、助かるよぉ〜!佐藤くんの絵なら、絶対お客さん来るよぉ〜!!」


 そう笑顔で看板を組み立てるのは、新宮あまねである。そしてその横で野木は、菊田さくらの顔をじっと見つめていた。


「やっぱり……可愛いなぁ……」


 そう言いながら鼻の下を伸ばす野木を肘で突くと、新宮あまねは菊田さくらに向かってこう言った。


「あんた、何でそんなに嬉しそうなの?」


 すると菊田さくらは満面の笑みが一変、気まずいような顔をして、


「え?あぁ、まあ、ね。あはは……。」


 とだけ答えた。


 それに新宮あまねは少しだけ眉を顰めて、こう尋ねた。


「あんた、私が話しかけると明らかにテンション下がるの何でなの??」


「……」


 菊田さくらは新宮あまねから目を逸らしつつ、答えた。


「だって、なんか怖い。裏表無さそうで、怖い。」


 すると新宮あまねは口をあんぐりと開け、


「は、はぁ!?良いじゃない、それの何が怖いの!?」


 と叫んだ。すると菊田さくらは口を尖らせて、


「そんな人、私の周りには殆どいないんだもん。皆んな必ず裏表がある感じでさぁ。」


 と言った。


「は、はぁ……??ま、まあ良いわ。その辺は私、分かんないし。別に怖いなら怖いで良いです。」


 新宮あまねはそう言うと、再び作業を開始した。


――――――――――――――――

〜移動中の車内にて〜


「さくら、映画の主役大抜擢、素晴らしいわ!!」


 そう菊田さくらに言うのは、菊田さくらのマネージー・木村さんだ。大人しい見た目だが、落ち着いた雰囲気の美人さんである。菊田さくらの横に座って、小さな拍手をしている。


「ありがとう、木村さん。私、映画は初めてだから緊張するなぁ。」


「大丈夫よ、さくらなら。あ、そうだわ。最近忙しくてSNSの更新してないから、写真撮っちゃいましょ。」


「ここで!?」


「あら、皆んなこれくらいしてるわよ〜」


 そう穏やかに微笑むと、木村さんは菊田さくらの写真を慣れた手つきで撮っていく。菊田さくらは得意の愛らしい笑顔をスマホのレンズに向け、撮り終えると一息ついて言った。


「私ね、木村さん。最近さ、いろんな人がいるなぁって実感するんだぁ〜。」


「どうしたの、急に?」


 木村さんは写真の編集をしながら、耳を傾けていた。


「いやぁ、なんかね。この世界って『生きるか死ぬか』でしょ?だから私、生きるために必死になって自分を作ってる。本当の自分なんて見せたら、きっと死んじゃうんだろうなぁって。周りを見てても思うし。」


 菊田さくらは車の外をぼんやりと眺め、続けて言った。


「でも、その世界が全てじゃなくて、『生きるか死ぬか』なんて考えてない、ただ自分らしく生きてる人もいるんだなって。」


 一通り言い終えると、菊田さくらは急に顔を真っ赤にして、

 

「い、いやいや、別にカッコつけようとか?そんなの思ってないからね!?うわ、待って恥ずかしいかも、うわ〜〜!!」


 と全力で訂正しようとした。だがそんな菊田さくらを見て、木村さんはニコリと笑い、


「良いじゃない。一つ大人になったってことでしょ。」


 と優しく答えた。


――――――――――――――――


「さくら、映画の主役やるんだって!?」


 次の日、巻き髪の女を中心に、クラスの大半がその話題で持ちきりだった。


「う、うん、情報が早いねぇ…」


 菊田さくらは苦笑いをしながら答えた。


「そりゃもちろん、私たち、さくらの一番のファンだからね!」


 巻き髪の女はそう言うと、菊田さくらにスマホを渡した。


「ほら、もう写真載ってるし!」


 するとそこには、映画のタイトルと共に、菊田さくらの愛らしい笑顔が載っていた。


 (あぁ、さすが木村さん。仕事が早い……)


 いつぞやの写真と、それに合わせて本人が書いたかのような文章。未成年の芸能人の場合、事務所の指示でSNSはマネージャーに一任することもあるのだ。


 菊田さくらは写真の中の、爽やかに笑う自分の顔をまじまじと見つめた。


 (なんか……変なの。)


 そう思うと、菊田さくらはスマホを返し、自分を囲む女子たちの質問に笑顔で答えた。


――――――――――――――――


「はぁん??映画の主役ですって?何、絶対儲かるでしょ!」


 新宮あまねは文化祭準備のための作業をしながら、ズバズバと鋭い質問を投げかける。その度に菊田さくらは苦笑いで誤魔化していた。


「お金よりも、ただ演技できることが嬉しいかな。」


 菊田さくらは木材を組み立てながらそう言った。すると新宮あまねはつまらなそうに


「ふぅん、私だったら絶対お金だけどね。」


 と呟いた。そして隣に座って作業する野木に、


「野木はどうなの?お金か演技なら、どっち?」


 と尋ねた。野木は「うーん」と唸りながら、作業を止めて答えた。


「演技ってのが、俺にとっての『好きなこと』なら、まぁ昔の俺ならそっちを選んでたかもなぁ。」


「そっちって、『好きなこと』?」


「うん、だけど今はもう分かんねっ。」


 野木はそれだけ言うと、作業を再開した。そんな野木を見て、新宮あまねは何か言おうと口を開いたが、すぐに閉じた。そしてそのまま、木材と睨み合いを繰り返し、看板作りは順調に進んでいった。


 その間、佐藤晴大は自分の席でタブレット端末と睨めっこを繰り広げていた。より良いものをと思えば、いつまで経っても終わらない。だがそれは、絵に対する情熱ゆえのものでもあった。


 そんな佐藤晴大の後ろ姿を見て、菊田さくらはふっと微笑んだ。そして、


「佐藤くん、絵の方はどう?」


 と聞いた。すると佐藤晴大は少し後ろを振り返って、


「まあまあです。」


 とだけ答え、再びタブレット端末との睨めっこを開始した。そんないつも通りの佐藤晴大に少し安心して、菊田さくらも木材と向き合った。


――――――――――――――――

 時計は夜の7時を指していた。

 

「はぁ、結構進んだんじゃない?」


 新宮あまねはそう言うと、作りかけの立て看板を壊れないようにそっと、ロッカーと壁の間に立て掛けた。


「ん〜〜!!疲れたぁ!帰りにコンビニでも寄るか?」


 野木がそう言うと、新宮あまねも「そうね」と落ち着いた声で答えた。それを聞いて、菊田さくらも「私も行く〜」と答え、三人は佐藤晴大の方に目をやった。すると、視線を感じ取ったのか、佐藤晴大は後ろを振り向き、パチクリと瞬きしながら、


「ん………。いってらしゃい……。」


 と小さく言った。それを聞いた野木が、佐藤晴大の元へと近づき、背中を強く叩いた。そして、


「何言ってんだ!お前も行くんだよっ!!」


 と言うと、佐藤晴大に帰宅の身支度をさせた。その間、野木はとてもにこやかだった。その様子を、佐藤晴大は時々チラリと見ては、不思議に思って首を傾げた。そして佐藤晴大が身支度を終えたのを確認すると、野木が


「よし、ほんじゃ帰りますかっ」


 と元気良く言い、教室の電気を消した。


――――――――――――――――


「いらっしゃいませ〜」


 コンビニに入ると、扉の開く無機質な音とは対照的に、元気な店員の声が店内に響いた。


 四人は各々、好きな場所を見て楽しんでいた。佐藤晴大は何か買うつもりもなく、ただボンヤリと本の棚を見ていた。それに菊田さくらは気付いていたが、話しかけることもなく、遠くから見守っていた。


「おう、佐藤くん。どのお姉さんが好み?」


 突然、後ろから野木が話しかけてきたので、佐藤晴大はピクリとして固まった。


「も、もしや恥ずかしがってる?可愛いねぇ」


 野木はそう言いながら佐藤晴大の顔を覗くので、佐藤晴大はプイッとそっぽを向いて言った。


「別に、そんなんじゃねぇし。」


 そんな佐藤晴大を面白がりながら、野木は本棚に目をやった。


「お、このお姉さん可愛い!あっ、しかもデカいな………。」


 野木がぶつぶつと呟くのを見て、佐藤晴大は軽くため息を吐いた。


「お前、周りに人居るのによく堂々とそんなこと言えるな。」


 佐藤晴大が半ば感心していると、野木はニヤリと笑い、


「逆にお前は何を恥ずかしがってんだよ!どうせこのお姉さんのメロンに釘付けだったんだろっ?」


 と、からかうように言った。


「はぁっ!?いや、別に見てねぇし!」


 佐藤晴大が慌てて反論していたとき、後ろから新宮あまねと菊田さくらがやって来た。


「なぁに騒いでんの。ほら、買うもんあるなら、さっさと買って来な。」


 新宮あまねはそう言うと、菊田さくらと一緒に店の外へと出て行った。残された野木と佐藤晴大は顔を見合わせ、小さく「はぁい」と返事をし、そそくさとレジへ向かうのだった。


――――――――――――――――


 コンビニを出た後、四人は最寄駅へと静かに歩いていた。その時ふと、野木がぼそっと口を開いた。


「………そういやさ、皆んなは将来の夢とか決めた?」


「どうしたの、急に。」


 新宮あまねが少し笑いながら尋ねた。すると野木は、


「いやぁ、別に深い意味は無いけどさ。気になって。」


 と頭を掻きながら答えた。


「まぁそろそろ決めなきゃだしね。あれ、あんたはずっとこの先も女優?」


 新宮あまねは隣を歩く菊田さくらに問いかける。すると菊田さくらは空を見上げながら、


「うん、そのつもりかな。」


 と小さく答えた。


「まぁそうよね〜。佐藤くんは?イラスト関係?」


 新宮あまねはトボトボと歩く佐藤晴大の方を見て、尋ねた。佐藤晴大は重い鞄を背負い、少し前屈みで歩いていた。


「……だったら良いですけどね。」


 そう答えた佐藤晴大を、三人はマジマジと見る。


「ふぅん。色々悩んでるのね。」


 新宮あまねはポツリと答えたが、その横で菊田さくらは佐藤晴大の顔を眺めた。暗くてよく見えないが、チラリと見えるその顔には、不安な感じが見え隠れしていた、ように思えた。


「あ、俺はなぁ、………宝くじで一攫千金!!!はっはっはっ!!」


 野木が唐突にそう言ったので、新宮あまねは冷めた目で野木を見つめ、菊田さくらは少し苦笑し、佐藤晴大は地面を眺めていた。


――――――――――――――――

〜次の日の昼間〜


「あ、さくらちゃん。」


 菊田さくらが事務所の中を歩いていると、向こうから愛らしい顔で、菊田さくらよりも少しだけ背の高い女性が歩いてきた。


「あぁ、佐々木先輩。」


 菊田さくらが挨拶をすると、『佐々木』と呼ばれたその人物はニコリと微笑んで言った。


「今回の映画初主演、おめでとう!応援してる!」


 その女性は「佐々木美月」。菊田さくらの事務所の先輩であり、歳は2歳年上で、子役時代から何かと顔を合わせることが多い人物である。


「あ、ありがとうございま……」

「はぁ?」


 菊田さくらがお礼を言うために、頭を下げたときだった。突然、頭の上からそんな風に鋭い声が聞こえてきた。


「あ……」


 菊田さくらは顔を上げ、目の前の人間の顔を見た。


「えっと、あ、ありが……」

「あはっ、良いよ良いよ〜そんなの言わなくて。」


 目の前の人間は菊田さくらの肩に手を置き、冷ややかな目で見てこう吐いた。


「どうせ、思ってないんでしょ??」

「………。」


 その人間は口角だけを大袈裟に上げ、わざとらしい笑顔を見せた後、そのまま歩いて行った。


 菊田さくらは呆然とそこに立ち尽くし、ふっと笑ってみせた。


「こんなの、いつものことでしょ。」


 そう呟くと、そのまま真っ直ぐ歩いて行った。


――――――――――――――――


「あ、菊田。よく来てくれたね。」


 事務所の社長に呼び出され、社長室へと足を踏み入れた。こんなことは初めてだ。菊田さくらは事務所に来る前から、足取りが重かった。


「何ですか?」


 菊田さくらは全く見当もつかない、という風に社長を見つめる。すると、社長はニコリと笑って、


「今回、映画初主演だろ?それでいろんな取材やらバラエティ番組やら、ネットの方からもオファーが沢山来ててね。いや、何か特別なことがあって呼び出したわけじゃないんだ。」


 と言った。それを聞き、菊田さくらは黙って首を傾げた。


「結局……どういうことですか??」


「あぁ、うん。頑張れ、ってことだよ。要は。」


「……え?」


 菊田さくらはあまり理解できない様子で、社長を見つめ返した。


「まぁ、君はいつも良くやってくれてるからさ、何も心配してないけど。君は、これからもっと売れるから。絶対に。だから、くれぐれも油断はしないように。……ってだけだよ。」


「は、はぁ……分かりました。」


――――――――――――――――


 菊田さくらはそのまま社長室を出て、一息ついた。


 (心臓飛び出るかと思った………!!!)


 菊田さくらは胸をそっと撫で下ろした。そしてそのまま、軽い足取りで事務所を後にしようと歩いていた。その時だった。


「菊田、順調だな。」

「ふふっ、そうでしょ?」

「全部、お前のおかげだ。」

「うふふ」


 ある会議室の前を通り過ぎようとしたとき、そんな会話が耳に入り、足を止めた。会議室は少し扉が開いているようで、中の会話が部分的に聞こえる。


菊田さくらは壁に背中をつけて、その会話にさり気なく耳を傾けた。中からは聞き覚えのある若い女性の声と、しがれた男の声がする。


「そんなお前に、頼みたいことがある。」

「何?」


菊田さくらは「何だろう」という好奇心だけでその場に留まっていた。そして、耳をそば立てる。その時、耳に入った言葉はこれだった。

 

 

「こいつ、消しといて。」



 その言葉を聞いた瞬間、菊田さくらは驚きと恐怖で固まった。そして、続く言葉に注意深く耳を傾ける。


「あぁ、分かりました。別にこんな事しなくても良いとは思うけど?」

「念には念をだよ。」


 会話が終わったのを感じ取ると、菊田さくらは急いでその場から離れた。後ろは振り返らず、そのまま事務所を後にした。しばらく街を歩き、気持ちが落ち着いてきたとき、不意に言葉が口を出た。


「………な、に、あれ。」


 菊田さくらは訳も分からぬまま歩いていた。ただ、自分の知らないところで何かが起きている。それだけが直感で分かった。


 (さっきの声って………。いや、姿を見た訳じゃないし、うん、きっと声が似てる誰かだ……)


 菊田さくらはそう心の中で唱えた。だが、考えれば考えるほど、女性の声が『いつも一緒にいる、あの人』に思えてくる。そんな時でも、周りには名前も知らない他人が何食わぬ顔で歩いている。


「……いや、まさか、」


(そもそも、さっきの会話も私の勘違いかもだし、)


 考えを巡らせるほど、先ほどの会話に妙に思い当たる点がある。これまでの経験と、どこかリンクする部分があるように思えるのだ。

――――――――――――――――

〜回想〜

「なんか最近さぁ、妙に仕事が来るんだよね……。私と同世代の女優だって沢山いるのにぃ。」


 ある日、移動中、車の中で菊田さくらが木村さんに尋ねた。ふと、不思議に思ったのだ。


「あはっ、そこは人気が出てきたんだなって思っときなさいよ〜」


 木村さんはなんて事ない様子で笑った。菊田さくらは続けて、


「だってさ、今回のドラマだって、最初は芦屋さんが主役するはずだったのに、急遽私になったじゃん?何だか最近、そういうことが多い気がする……。」


 と不安げに呟いた。だが木村さんは、あまり気にしていない様子で、


「まあまあ。あんたは強運の持ち主ってことでしょ?それは女優にとって最強の武器なんだから、もっと自信持ちなさい。」


 と諭すような口調で言い、菊田さくらの肩に手を置いた。そして優しい顔で微笑むと、「ね?」と念を押した。

 そう言われると、菊田さくらは心にかかったもやがどこかへ消える感覚を覚え、「うん!」と元気いっぱいに答えた。


――――――――――――――――

〜現在〜


(いや、やっぱりそうだ。絶対そうだ。)


 菊田さくらはこれまでの疑念を思い返し、疑惑が徐々に、確信に変わっていくのを感じた。そして、鞄からスマホを取り出し、『あの人』に電話をかけた。


 長い呼出音の後、聞き慣れた優しい声が聞こえた。


「あれ、さくら〜。どうしたの?」


 そして菊田さくらは息を精一杯吸い込み、口を開いた。


「木村さん。ちょっと良い?」


――――――――――――――――

 〜佐藤晴大の家〜


 佐藤晴大は自分の部屋で、ベッドに寝転がっていた。そして徐に起き上がり、壁に貼ってある黄ばんだ紙を眺めた。


――「晴大は絵が上手だねぇ。私に似たのかなぁ。ふふっ。」


 佐藤晴大はその絵を眺めると、ある日の記憶が浮かび上がり、目の前が霞むような感覚に陥る。その絵を何度も剥がそうとした。が、ダメだった。


(いい加減、諦めろよな。)


 佐藤晴大は必死になって自分に言い聞かせる。その時、不意に扉が開いた。


「晴大。」


 真面目な顔をした父がいた。佐藤晴大はその方を見て、ぶっきらぼうに「何。」とだけ言った。すると、父は気まずそうに俯きながら、こう言った。


「そろそろさ、本気で将来の夢、決めないとじゃないか?」


「分かってるよ。」


 佐藤晴大は父の言葉に重なるように言った。ベッドの上に背中を丸めて座る息子を見て、父は気の毒そうにその場に留まった。だが、意を決したように真っ直ぐ息子を見つめると、こう言い放った。


「あのさ、話し合わないか。」


 思いがけない父の言葉に、佐藤晴大は目を瞬いた。そして黙っていると、父は無言で部屋の中に入ってきた。


「話し合うって、どうせ一方的なこと言って終わるんだろ。」


 佐藤晴大は冷たく言うと、父と目を合わせないように下の方を見た。父は佐藤晴大の前に立ち、こう言ってきた。


「確かに、俺は反対だよ。だけど、他の進路でなら、お前に勧められるものが何個かあるんだ。」


 その言葉に、佐藤晴大は嘲笑した。


「はっ、何も分かってない。僕は、漫画家じゃないとイヤなんだ。だけど父さんの気持ちも分かるから、それは諦めようと思ってた。なのに、父さんの希望進路なんかに就いたら、僕は父さんの操り人形か?」

 

 佐藤晴大は一気にそう言うと、大きく深呼吸をして心を落ち着かせた。佐藤晴大の話す姿を見て、父は慌てて付け加える。


「そ、そんなつもりはないんだ。だけどお前、漫画家以外眼中に無いだろうと思って、」


「そうだよ、だからって父さんが勧めるヤツなんか絶対にならない。」


 佐藤晴大がそう言うと、父は肩を下ろして静かにこう言った。


「……母さんがいたら、どうしてたかな。」


 佐藤晴大はその言葉を聞いた瞬間、口が勝手に動いた。


「何でそんなこと、」


 すると父は、佐藤晴大を止めるように被せて言った。


「母さんが死ななかったら、俺だってお前が漫画家やりたいって言っても止めなかった。」

「父さん、」

「母さんが生きてたら、お前はもっと、明るくて、」

「なぁ、」


 佐藤晴大が止めようとした時には既に、父はゼェゼェと息を切らしていた。


「なぁ、父さん。もう、止めてくれ。母さんのことは、もう良いだろ。」


 佐藤晴大がそう言うと、父は何とか呼吸をしながらこう言った。


「俺はただ、お前に母さんと同じ道を辿ってほしくないんだ。」


 その言葉を聞き、佐藤晴大は(またか。)と思いながら、作り笑いでこう告げた。


「分かってるよ、父さん。」


 すると父は、みるみる顔が和らいでいった。それと対照的に、佐藤晴大の内心は穏やかではなかった。


 (結局また、これの繰り返しだ。)


 その後、父は軽い足取りで部屋を出た。佐藤晴大はそれを思い出し、虫唾が走る、と思った。そして、ふっとベッドに寝転がると、そのまま目を瞑り、何も考えないよう努めた。そんなこと、不可能だと知りながら。

早く完結させたい気持ちと、もっと掘り下げたいという気持ちがせめぎ合う今日この頃。

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