42話 巡視艇を掌握したらしい
巡視艇に戻ったマノンは、巡視艇の前部甲板に97式を載せると、ブリッジの指揮所向かって機外スピーカーである提案をした。
その提案と言うのは、砂中より上に出ている沈没艇の船体に穴を開ける作戦である。
牽引ロープが何本も切れてしまっている現状では、引き揚げに耐えられないと見たからだ。
それで引き揚げは断念し、代わりに船体に穴を開けて乗員を救出しようというのだ。
とは言っても牽引ロープは付けたままで、沈没艇が沈まないように維持しないと作業は出来ない。
それと穴を開けて侵入しても、そこから機関室までのルートが潰れている可能性だってある。かなりの冒険だ。
それにいつ砂に飲まれるか分からない状況で、かなり危険を伴う作業でもある。
このマノンの提案に、階級が上であるマキシム艇長は猛反対だ。
かなり強めな言い方で、やはりスピーカーを使って返答した。
『クルーム少尉っ、たった3人の整備兵ごときの為に、この巡視艇102号の乗組員全員を危険にさらせと貴官は言うのか!』
幼女の声が巡視艇に響く。
それを聞いたマノンの機体がピクリと反応した。
『今、“ごとき”と言ったか……』
そうマノンは囁いた。
その言葉は限りなく冷たく、そして怒りの感情が込められていた。
それを聞いた巡視艇の乗組員は、背筋に冷たい嫌なものを感じたと言う。
しかしマキシム艇長はマノンよりも階級が上。それを改めて思い返し背筋を整え、目一杯虚勢を張ってマイクに返答した。
『こ、こりゃはーー』
噛んだ上に声が裏返った様だ。
「コホン」と咳払いした後、改めて言い直すマキシム艇長。
『これは、じよ、じょ、上官命令である。撤収よっ』
声が震えているのだが、本人はその理由が分からない。
するとマノン。
『はぁっ?!』
スピーカーから聞こえる装甲歩兵越しのその一言。
マノンの顔は見えないのだが、マキシム艇長には死神の顔が見えた。
それでも威厳を持って言い放つ。
『てっ、撤収すりゅっ!』
それでも噛んだ。
次の瞬間、マノン機の腕が動いた。
そして指揮所の窓の目の前に、突如巨大な鉈が現れる。
それはブ〜ンという微細な振動を不気味に放つ。
あたかもその振動が、ブリッジの乗組員の体まで振動させる様だった。
だがそれが恐怖から来る震えだと直ぐに気付く。
それを見たマキシム艇長は、今何が起こったのか理解出来ていない一人。しかし97式に描かれた『骸骨に刺さった鉈』のパーソナルマークを見て、マノンが誰なのかを思い出す。
『死、死神の主……』
そう言ったきり、顔面蒼白でその場に座り込むマキシム艇長。そこでやっと自分が何をやったか理解した。
その時の彼女の頭の中では、巷で流れる噂話が巡りだす。
ーー彼女らの前に出ると、敵味方関係無く撃たれる
ーー思い通りにならないと大暴れ
ーーお前のモノは私のモノ
ーー反抗する者は戦闘が終わる頃には何故か全滅
ーーアラクネ部隊の死神にしてその主と恐れられた、この世ならざる者
そこで慌てたのは副艇長のジョージ少尉。
ブリッジ内では、数少ない男性士官の一人だ。
マキシム艇長の泡を吹く顔を覗き込み、急いで近くの兵に指示を出す。
「担架を持って来いっ」
さらに艇内の各所へマノンの作戦を指示し始めた。
マノンの提案した作戦が、ゴリ押しされた瞬間だった。
そしてマキシム艇長はあっという間に医務室へと運ばれ、乗員達はジョージ副艇長の指示でキビキビと動き始める。
それを確認したマノンは機体から降りると、巡視艇の指揮所へと入って行く。
指揮所にマノンが入った途端、空気が変わる。誰もマノンに視線を合わさない。
そのただならぬ雰囲気の中、マノンは副艇長に小声で「マキシム艇長はどうしたの?」と尋ねる。
すると小声で「大丈夫です、単なる船酔いと言う事で処理しました」と返されて表情に困っていた。
そんな中、ひとつ問題が発生した。
敵の工作艇がマノン達の巡視艇から見える場所で、動かなくなったのだ。
ただそれに何かの意図があるのか、本当に動けないのかは判別がつかない。
工作艇は損傷が酷くその内に沈むとは思うが、戦える敵の装甲歩兵はまだ2機いる。装甲歩兵を置いて、脱出艇でパイロットが逃げてくれれば良いのだが、そうでなくて最後の足掻きとばかりに攻撃に転じてくると、マノン達にしたら非常に厄介な存在となる。
現在、巡視艇の砲撃は、振動を伴い作業の妨げになる為に発射回数は制限している。砲撃に集中して、先に工作艇を完全に沈没させるのも手ではあるが、沈没艇の乗員の救出は緊急を要する。
なので今は救出を優先していた。
現在マノンの機体は巡視艇の多目的ラックに収容済みで、アイナとリナの機体が沈没艇の船体に穴を開ける場所を探索している。
そしてマノンはブリッジの指揮所から、野戦電話で沈没艇の軍曹らと会話していた。
『少尉。すみませんが、頼まれて欲しい事があります』
いきなり軍曹がそんな事を言ってきた。マノンは不思議に思いながらも返答する。
「何? 軍曹」
『妻に伝えてくれませんか。俺は最後まで勇敢だったと。それと産まれてくる子に、パパは最後まで立派に戦ったと、伝えてもらえませんか』
彼らは自分達が助かる望みは薄いと、既に感じていたようだった。
「何を言ってるのよっ。そ、そんな事、自分で伝えてよ。生きて自分の口で伝えなさい……」
マノンはグッと涙を堪えた。
だがそれ以上に、続く言葉が出てこない。
すると軍曹に代わって、他の整備兵も言ってきた。
『少尉殿、俺も付き合ってる彼女に伝えて欲しいです。俺の事は忘れて、新しい恋愛をしろって。俺の上げた指輪は売っちゃっていいからって』
「そんなの……生きて戻って、自分で……」
やはり言葉が続かないマノン。
そしてもう一人の整備兵。
「少尉殿、俺もお願いがあるんです。唯一の肉親の妹に、今まで有難うって伝えて欲しいんです。お願いします。有難うって、それだけ伝えて下さい」
「だから、だからそんなのっ……自分で……」
マノンは最後まで言葉にならなかった。
悔しさだけが込み上げてくる。
何もしてあげられない自分に対してだ。
そして再び軍曹が口を開く。
『少尉、機関室に入ってくる砂の勢いが増してきました。直に艇の重さが増して、巡視艇が砂中に引きずり込まれます。だから、外して下さい。牽引ロープを直ぐに外して下さい』
マノンも薄々はその事に気が付いていた。だがそんな事は出来るはずもない。
その時だ。
巡視艇が急にガクンと、引っ張られる様に動いた。
軍曹の言った通り、沈黙艇もろとも砂中に吸い込まれそうになったのだ。
すると指揮所の乗員達が騒ぎ始める。
「このままだとこの巡視艇は砂に引きずり込まれます!」
それを聞いてジョージ副艇長は困惑する。
「牽引ロープを解除しろ」と命令したいのだが、横目で近くにいるマノンを見る。
すると突如全身が震え出す。
その震えを押し殺して指示を出す、ジョージ副艇長。
「艇内の動力分の最低限を残し、それ以外の全てを動力プラントへ回せ!」
咄嗟に思い付いた考えだったが、チラリと横目でマノンを見ると、何も言っては来ない。すると震えが止まり、安堵するジョージ副艇長だった。




