18話 少尉
立ち上がったバーバラに男共が詰め寄る。
だがバーバラの階級章を見た男共の勢いは、そこで止まってしまった。バーバラの階級は伍長。軍の規定によると伍長以上は“下士官”という扱いとなる。
反対にバーバラに詰め寄った男共は一等兵が殆んどで、良くて上等兵であった。つまり兵卒ばかりである。
そこでバーバラが勝ち誇ったように言った。
「さっきまでの勢いはどこへ行ったんだよ、雑魚どもがっ。階級上げてから出直すんだね!」
女達から歓声が上がり、さらに罵声が浴びせられる。
「そうだよ、一昨日来やがれってんだよっ」
「そう、そう、雑魚に用はないんだよっ」
「ママの所にお帰りよ〜」
女達からドッと笑いが巻き起こった。
するとそこで別の男が人並みをかき分けて、バーバラの前に出て来た。
男達からは「やった、ゴゾ分隊長のお出ましだ」とか言われている。
そいつは鼻の下にヒゲを生やした背の高い男。
そのヒゲ男が、バーバラを見下ろすように立つ。
「その話だとよ、俺なら良いってことだよな?」
そんな事を言ってきたヒゲ男の階級章に、女達の視線が集まる。
ヒゲ男の階級章を見たバーバラが舌打ちした。
「ちっ、下士官かよ……」
ヒゲ男は軍曹の階級章だった。
「おい、上官に対しての敬礼はどうしたんだよ、ああ?」
バーバラは雑ではあるがヒゲ男に敬礼する。
「ちゃんと出来るじゃねえか、へへへ」
不敵な笑いをしながらアラクネ部隊を見回す
ヒゲ男。そこで女の子座りするアイナに目が留まる。
「ほほ〜。おいお前、名前は何て言うんだ」
するとアイナは汚い物を見る目で答えた。
「話したいんならさ、まずは鼻の下の毛虫を取ってからにしてよね〜、ばっちいなぁも〜」
ヒゲの事である。
瞬時に怒りの頂点に達するヒゲ男。
「あんだと〜、ひん剥かれてえか!」
ヒゲ男がアイナに歩み寄った所で、アイナの横にいた女が立ち上がる。
「お〜い、おっさんよぉ。何を粋がってんだよ、ああ?」
リナである。
完全に普段の表情とは違うが、間違い無くそこに立つのはリナだった。
リナは背の高い方だが、ヒゲ男はそれよりも高い。
見下ろすヒゲ男と見上げるリナが睨み合う。あからさまに戦闘モードに入っていた。
「おい、二等兵が上官に向かってその態度は何だ」
懲罰部隊の兵卒は皆、階級章は剥ぎ取られていて無い。軍では階級章が無いのは二等兵だけである。だから懲罰部隊の場合は、隊長以外は全員が二等兵ということになる。
実際は二等兵未満の扱いなのだが。
そういった正攻法な事を言われると、逆に困ってしまう女達。軍紀に触れる事を言われたら何も出来ない。何かやらかせば死刑も有り得るのが懲罰部隊だからだ。
そこで仕方無く立ち上がるのはマノンだった。
「仕方無いわね。そいつらは私の部下なんでね、悪いけど見逃してやってくれないかしら」
ヒゲ男はマノンに視線を移す。
「ほ〜、薄汚れてはいるが、中々の美人じゃねえか。階級は……軍曹か。まさかここの指揮官はお前なのか?」
「そうだけど何か?」
「何かじゃねえよっ。その態度が気に食わねえんだよ」
「あらあら、すいませんねえ。なんせアラクネ部隊なもんでね。規律なんて守れたら初めからこんな部隊になんていないからね」
それを聞いた周囲の男共の表情が一気に曇る。そしてヒゲ男が確認する様に繰り返す。
「お前ら、アラクネ部隊なのか……」
リナが答える。
「アラクネ部隊じゃ悪いのかよ?」
ヒゲ男は視線を装甲歩兵に向ける。
「あのマーク……お前ら、まさか、死神か……」
アイナのパーソナルマークである、小悪魔のイラストを見つけた様だ。
するとアイナ。
「その呼び名は好きじゃないんだよね〜」
そこで急に付近が騒がしくなる。
そして「気を付け〜!」という掛け声。
男共が姿勢を正す。
反対に女達はそれをポカーンと眺めていた。
男共が誰かの為に道を開け始め、そこを通って誰かがマノン達の方へ来るようだ。
咄嗟にマノンも声を上げる。
「全員起立!」
慌てて女達が立ち上がる。
そのタイミングで小綺麗な将官服に身を包んだお偉いさんが、マノン達の前で止まった。優しそうな雰囲気の初老のおじさんといった感じであったが、階級章は中将である。
そう、彼こそが懲罰大隊の直属である、師団司令部の師団長、アラムート・グラーフ中将閣下であった。
お供に中尉と大佐の2人と、護衛らしい下士官4人を連れている。
「敬礼!」
マノンの掛け声で、兵士達が一斉に敬礼をする。
グラーフ中将は軽く返礼すると直ぐに口を開いた。
「君がマノン・クルーム軍曹かね?」
マノンを名指ししてきた事に驚くマノン。しかも家名まで言われるのは久々にであり、緊張感が彼女を襲う。
マノンだけじゃなく、その場にいる誰もが驚いていた。
「私は確かにマノン・クルームという者ですが、グラーフ中将閣下が私なんかにお声を掛けて下さるとは驚きです」
マノンは敬礼したまま答えた。
するとグラーフ中将は優しそうな表情で言った。
「まあ、そう緊張しなさんな。貴官がこの街の攻略の突破口を開いたらしいじゃないか。報告によると1個中隊で敵戦線に侵入して、敵の防衛陣地の後方から崩したと聞いたぞ。それが女性だけの部隊と言うから興味が湧いてな、ちょっと見に来たんだよ、はははは」
そう言って笑い始めるグラーフ中将。
すると中将の部下達も一緒に笑い出した。
何だか独特の雰囲気である。
ひとしきり笑った後、グラーフ中将はこう言った。
「そうそう、忘れるとこだったよ。マノン・クルーム、本日を以って貴官を少尉とする」
マノンは何を言われているのか、一瞬分からなくなる。
「ちょ、ちょっと待って下さい。私は懲罰大隊に籍を置く身です。少尉って2階級特進ですよ……理解出来ません」
「何を言ってる。元々大尉だっただろうに。ワシは大尉にしようと言ったらこいつに“それはやり過ぎだ”と反対されてなーー」
そう言ってグラーフ中将は大佐を指さす。
そしてまた話を続ける。
「ーーそれで少尉で話はまとまったんだよ。懲罰大隊で昇格は出来ないなんて規定もないしな。ほれ、新しい階級章だ」
そう言って少尉の階級章をマノンに手渡す中将。
まさか受け取らない訳にもいかず、マノンは階級章を受けった。
中将達はそれだけ渡すと、その場からあっという間に居なくなった。本当にマノンに会いに来ただけの様だ。
それでその場に残された男共とヒゲ男、そしてアラクネ部隊とマノン達。
マノンがその場でクルリと回れ右をし、ヒゲ男に向き合った。
するとヒゲ男の表情が強張る。
そこでマノンは作り笑顔を浮かべながら言った。
「私、少尉なのよ。で、あなたは?」
ヒゲ男は返す言葉が見当たらない。
そしてなんとか絞り出した返答。
「し、失礼しました〜っ」
そう言って敬礼するや「お前たち、行くぞ!」と言って、男共を引き連れてバツが悪そうに退散した。
それを見たアラクネ部隊の兵達は大笑いしたのだった。