時空を超えた図書館
小さな町の古い図書館で司書として働く私は、その日、いつものように本棚を整えていた。
来館者は少なく、窓際に古い地球儀、奥の展示ケースには町の歴史を記した古書が並ぶ。
取り立てて変わったことのない、静かな平日だ。
ところが、その午前中、カウンターに一冊の本が返却されたと同僚が教えてくれた。
その本は『冬の河辺にて』という文学全集の一部。もう何十年も行方不明だった蔵書で、
貸し出し記録すら残っていないほど古い。表紙は黄ばんでおり、
記名カードには半世紀前の日付がスタンプされていた。
「なぜ今になって? 誰が返したのか?」不審に思いながら本を手に取ると、
中に一枚の小さなメモが挟まっていた。
メモは古びた筆記体でこう書かれていた。
「時を経て、約束が果たされる。鍵は西側の書架、歴史の区画。一冊目と三冊目の狭間をよく見よ。」
鍵…? 西側の書架といえば、町史関連の古書が並ぶ一角だ。私は半信半疑でそこへ行き、
指定されているらしき「一冊目と三冊目」を確認する。『町史1890-1920年版』と『町史1940-1970年版』
の間に、薄手の小冊子が挟まっていた。
その小冊子は、かつてこの図書館を設立した初代館長アガタ夫人の個人メモだった。
紙は脆く、慎重にページをめくると、そこに不思議な指示があった。
「開館時に収蔵した「失われた初版」が、展示ケース下部の引き出しに眠る。
60年後、戻るべき本が戻ったとき、その扉は開かれるだろう。」
引き出し? 展示ケースといえば、町史の貴重な資料を納めたガラスケースが玄関近くにある。
だが、その下部に引き出しがあった記憶はない。私はケースをよく調べた。奥まった部分に、
小さな鍵穴のようなものがある。そういえば、先ほどの古い本の裏表紙には錆びた小さな金属片が
貼り付けてあった。もしかして、あれが鍵かもしれない。
急いでカウンターへ戻り、古い本の裏表紙を剥がすと、そこに真鍮製の小さな鍵がはまっていた。
これが引き出しの鍵なのだろうか。私は再び展示ケースへ行き、鍵を差し込む。カチリと小さな音がして、
ほとんど目立たない溝が引き出しとしてせり出した。
引き出しには柔らかな布に包まれた一冊の本があった。それは町の歴史的文学者として語り継がれる
アルト・モーリッツの詩集『夜明けのランタン』の初版。その初版は、戦後の混乱で失われたとされ、
幻の名品として町の伝説になっていたものだ。私は息を呑む。さらに挟まれた一枚の紙にはこうある。
「この初版を隠したのは、当時若き館長であった私、アガタ。戦後、混乱の中でこの書物を守るために封印した。
60年後、再び戻るべき本――『冬の河辺にて』が戻った時、私は未来の司書にこの秘宝を託す。
その司書が、この町の文化を次代に継ぐ者となるだろう。ありがとう。」
なぜ今、この本が戻ってきたのかはわからない。だが、きっと返却者は、この図書館を愛した誰かの子孫か、
あるいは意図的な協力者だったのだろう。アガタ夫人の時代から受け継がれた知と文化を、
正当な形で未来に渡すために。
私は初版を手にし、その優美な装丁と、歴史の重みを感じた。失われたはずの宝物が、
半世紀の時を越えてここに蘇ったのだ。町が大切にしてきた文学的遺産は、これで完全な形を取り戻した。
カウンターに戻り、同僚に事の顛末を話すと、彼女も驚きと喜びに声を上げた。
その日、図書館は何気ない平日でありながら、長い時を超えた謎が解かれ、
歴史の欠片が美しく揃った記念日となった。夕暮れ時、棚に戻した『冬の河辺にて』の背表紙を指でなぞりながら、私は静かな満足感とささやかな誇りを胸に、鍵をそっとポケットにしまいこんだ。




