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第4話 「叶うなら、名前を呼び合える夫婦になりたかった」(令嬢視点)

『王妃にふさわしくない』


 分かっていたことだ。彼にとって『婚約者』は『国母』になる相手であり、『妻』になる相手ではない。私である必要はない。


「殿下」


 見下ろす先にいる彼は王子としてふさわしいものは何も身に付けていない。けれど、彼は変わらず『王子』なのだ。


「こちらを受け取ってください」


 だから、私は彼に杯を差し出した。


「······何故君はこれを私に?」

「何故と仰いますと?」


「君にとって処刑される方が都合がいい筈だ」


 確かに彼の名誉を徹底的に貶めたいならば、処刑台に送ればいい。この国の処刑は公開処刑が主流であり、民衆にとっては娯楽の一種だ。ましてや王族ともなれば、民衆はこぞって見物に訪れるだろう。けれど、


「――あの男爵令嬢ですが」


 呟くように言った。


「先程私は処刑されたとお伝えしました」

「······ああ······」

「嘘です」

「は?」

「かの令嬢は処刑で死んだのではありません」


 無意識に杯を持つ手に力が込めた。


「民衆が投げた石で死んだのです」


 最後に見た男爵令嬢は酷く傷だらけで、歩くのもやっとと言う有り様だった。そんな相手に、民衆は罵詈雑言を発していた。


 ――見るに堪えない。


 醜悪な光景だった。


「民衆の一人が『罪人』を目の前にして興奮しすぎたらしく、手のひらに収まる程度の石を投げてつけて、そのまま――」


 衰弱していた上、当たり所が悪かったのだろう。石がぶつけられた直後、男爵令嬢は倒れた。強引に立ち上がらせようにも、全く動かない。


 死んでいるのは誰の目にも明らかだった。


「ただ、」

「ただ?」

「執行官達はおそらく慣れているのでしょう。かの令嬢の死体を処刑台まで引き摺っていきました」

 

 彼が静かに息を呑んだ。


「死体は絞首刑に処されました」


 刑が執行された後、しばらくの間歓声が鳴り止まなかった。


「君は、」


 彼と目が合った。


「後悔しているのか? 男爵令嬢を巻き込んだことを」

「――いいえ」


 静かに首を振った。


「先程も申し上げた通りです。男爵令嬢は必要な駒でした」


 かわいそうなことをしてしまったとは思うが、それ以上の感情は湧いてこない。


「ならば、何故私にそれを話した?」

「······嫌だと思ったからです」

「は?」

「貴方があんな形で殺されるのは」


 男爵令嬢と同じ死に方をされたのでは、何の意味もない。


「確かに貴方の名誉を貶めるだけならば、処刑台に送るのが合理的でしょう。ですが······」


 杯に視線を落とした。


「私が用意した処刑台で命を落としてほしいのであって、民衆が投げた石で死んでほしいわけではありません」


 民衆の支持を完全に得るには、彼を罪人として処刑するべきだ。それも含めた上での計画だった。しかし、それはあくまで彼が処刑される前提での話だ。


 処刑したいのは彼の死体ではないのだ。


「私が用意した処刑台で死なないのでしたら、私が差し出した杯で死んでほしい」


 顔を上げた私は彼に向かって微笑んだ。


「ですから、殿下、」

「君は確信を得ているのか?」


彼は私の言葉を遮り、こちらの意図を問いかけてくる。それだけで彼がどれほど動揺しているのか見て取れた。


「私が君の杯を飲み干すと」

「ええ、そうですね」


 でなければ、私はきっと彼の元を訪れなかっただろう。


「君は何故、そんな確信を得た?」

「もう忘れられましたか?」

「何を、」

「貴方は先程、私に何と仰いましたか?」


 汚れるのも厭わず、私はその場にふわりと座り込む。そうすれば、彼と同じ目線に立てる気がした。


「『君は王妃として失格だな』」


 先程の言葉を繰り返せば、彼の表情にまた罅が入った。


「第一王子である貴方が私をそのように判断されました」


 ですからと、私は続けて言った。


「殿下、どうかこの杯を飲み干してくださいませ」


 私が杯を差し出す意図に気付いたのか。

 彼の目の奥が揺らいだ気がした。


「そうすれば、貴方は私を次期王妃の座から引き摺り下ろせましょう?」


 王族殺しは例外なく極刑だ。

 処刑を控えているとはいえ、第一王子だった彼を殺したとなれば。その相手が元婚約者であり、次期王妃の座に位置する令嬢だったとすれば。


 間違いなく醜聞沙汰となるだろう。次期王妃の座など望める筈もない。


 そんなものがほしいと思ったことは一度もないけれど。


「······王妃教育を受けているのは君だけだ」


 何かを吐き出すように、彼は言った。


「その君を王妃の座から引き摺り下ろしてどうする? 国益になるとは思えない」


 こんな時ですら『国』なのか。


「······ご心配には及びません」

「何故そう言える?」

「父が用意していた貴方の側室候補達がいるからです」


 彼は言葉を失った様子で、私を見つめていた。


「知らぬとでもお考えでしたか?」

「君は、」

「父にはずっと言い含められていたことです」


『名を呼ばれぬ程、王子の寵愛を得られない婚約者』


 王妃とは斯くあらんと評される一方で、そのように言われていたことを知っている。


 万が一に備え、父は年頃の令嬢達を第一王子の側室候補に選定していた。無論、家門が更なる繁栄を得る為、家門に名を連ねる者ばかりだった。


 この件はごく一部の者しか知らない。ただ、父は私にそれを伝えていた。


『お前の代わりなどいくらでもいる』


 王妃教育とまではいかずとも、それに準じる教育を受けさせている様子だった。


「ですから、多少時間はかかるかもしれませんが、国母の名に恥じない『王妃』は生まれることでしょう」


 家門の繁栄を妨げるような『王妃』を、父が生み出す筈がないのだ。


「君はどうなる?」

「······私、でしょうか?」

「ああ」


 何故、私のことを気にするのだろうか。


「······私の処遇に関しましては、処刑台に立たされることはないかと。父が許しはしないでしょうから」


 親子の情があるわけではない。家門の名に傷が付くことを厭う故だった。たとえ事が公になったとしても、父は当主として、騒ぎを収めるために手を回すことだろう。


 そう、


「私はおそらく『病死』した後、家系図から名を抹消されるかと」


 ――第一王子の婚約者だった令嬢など《《初めからいなかった》》。


 王子の死など矛盾は生じるものの、父のことだ。上手く辻褄を合わせるに違いない。


 家門に泥を塗った娘の名など、父は見たくもない筈だ。


「君はそれでいいのか?」


 不意に彼がそんなことを聞いてきた。


「君は王妃になるべく育てられてきた」

「ええ、そうですね」

「全て、なかったことにされる」

「はい」

「君は、それでいいのか?」


 何を今更。


「確かに父は私をそのように育てました。ですが、私の代わりなど他を探せばよいのです」


 娘がいたから、父は『次期王妃』に据えようとした。いなければ、適当な令嬢を選んでいた。それだけの話だ。


「何より、『王妃にふさわしくない』と断じたのは他でもない殿下ご自身ではありませんか」


 何故、私を気にするのだろうか?

 杯を差し出しながら、彼を見た。


「そのようにお考えでしたら、こちらを飲み干してください」


 彼は数秒押し黙る。何かを考えている様子で、やがて彼は私から目を逸らした。


「······殿下、」

「できない」


 吐き出すような声で、そのまま続けて言った。


「君は王妃になるべきだ」


 杯の中身がまた零れた。


「何故ですか」


 思いの外、冷静な声だった。


「私は王妃にふさわしくないのでしょう?」

「ああ、そうだ」

「でしたら、」

「君は私の王妃にはふさわしくなかった」


 だがと、彼は呟いた。


「この国の王妃にはふさわしい」

「······え?」


 危うく杯を落とすところだった。


「どういう意味でしょうか?」

「そのままの意味だ」

「この国にはふさわしく、貴方の王妃にはふさわしくなかった」

「ああ、そうだ」

「矛盾していませんか?」

「していない」


 私の指摘を、彼は切り捨てた。


「名門の血筋と王妃教育。加えて、君はこの国で最も民衆の支持を集めている」

「······あれはただの計略にすぎません」

「民衆にとっては関係ない」


 一瞬、彼と目が合った。


「民衆の支持を無視した上、君ではない『誰か』が王妃の座に座れば、」


 間違いなく禍根を残す。


「これ以上、国を混乱に陥れるべきではない」

「······だから私に王妃の座に座れと?」

「ああ、そうだ」

「貴方は私が憎くはないのですか?」

「私の私情など、取るに足らないものだ」


 そうだ。そういう人だった。


「何より、君は先程私の『臣下』だと言った」


 あれは嘯いただけだ。


「本当に『臣下』だと言うならば、」


 なのに、彼はそんなことにも気付かない。


「王妃になれ。君は私の命令に従うべきだ」


 私は彼の『婚約者』ですらなかったのか。

 今更のように気が付いた。


「······そうですか」


 差し出した杯を取り下げた。


「畏まりました」


 言いながら、立ち上がる。その際、杯の中身が全て溢れてしまい、地面だけでなく、外套にも飛び散った。が、気にすることなく、牢獄越しの彼を見下ろした。


「貴方の命令に殉じましょう」


 酷く平坦な声だった。


「······」


 彼は何も言わない。そういう人だった。


「殿下」


 呼びかけると、彼は顔を上げた。

 ――言ったところで、きっと彼には響かない。


 それでも、言わずにはいられなかった。


「叶うなら、名前を呼び合える夫婦になりたかった」


 そう言って、私は彼に微笑んだ。

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