008 それはつまり
その時、リュートは自分とルクティスが一体になったかのような感覚に包まれた。まるでモニター越しにではなく、自分の目で外景を見ているかのように。ルクティスの手足が、自分の手足そのものであるかのように。
人機一体、という言葉は聞いたことがあるが、こんなに具体的に感じたのは初めてだ。自衛団を裏切り、上官と決闘しているという極限状況ゆえに感覚が鋭敏になっているのだろうか。それとも、ルクティスがそれほど特別な機体だということか。
分からないが、今はこの感覚を信じるしかない。
プレリュードの矛先の動きが、その軌道が手に取るように見える。リュートは脚部スラスターを使い、最小限の動きでルクティスを軌道から外した。
一瞬ののち、矛槍はルクティスの腕と胴の間のわずかな隙間をすり抜けた。
リュートはすぐにその柄を抱え込み、スラスターを全開にして後方宙返りをした。プレリュードの突進の勢いを利用し、ルクティスから離れて遠くまで放り出す。
「メル、今!」
「分かってる!」
リュートの合図に従い、メルが後部座席で何かの操作を行った。するとルクティスの機体のあちこちでパーツがスライドし、回転し、ロックされる音が鳴り響いた。小刻みな振動が、コクピット内を震わせる。
何が起こったのか咄嗟に分からなかったので、リュートは反射的に右下のサブモニターに目をやった。
そのモニターには通常はルクティスの姿がワイヤーフレームで表示され、機体の状態が見て取れるようになっている。しかし今、そこに見えるのは人型の操機ではなく、コヨーテのような四足獣の形をした機械の姿だった。
「これって……もしかして」
「言っただろ、ルクティスにはもう一つの|《姿》があるって」
少し自慢げに言うメルの言葉で、リュートは状況を理解した。信じられないことだが……ルクティスはたった今、ほんの一瞬の間に人型から獣型へと変形したのだ。
「この機獣形態は機動力が高くなる。これならあの白い操機も振り切れるはず」
そう説明されて改めてサブモニターを見ると、腕が変形した前脚の途中から、ヴァリアブル・トンファーの長柄が後ろ向きに伸びているのが分かった。
機人形態では突きの威力を上げるために使われるトンファー先端のスラスターが、今度は推進力の向上に使えるということらしい。
ここでもたついてせっかくの隙をふいにするわけにはいかない。リュートはそれ以上のことを考えるのは後回しにして、ルクティスを最大加速させた。
体をシートに押さえ付ける負荷の強さが、機獣ルクティスの加速力の高さを物語る。斜め上に上昇することで、眼下のピルグリムの夜景も遠ざかっていく。
左下モニターで背後を確認すると、月明かりに映えるプレリュードがなおも追って来ていた。しかしその姿は次第に小さくなり、生活光が瞬くピルグリムの風景に溶け込んでいった。
プレリュードは自衛団内で最も速い操機だ。それを振り切れたということは、すなわちこの脱出劇の成功を意味する。
「……ふぅ、助かった……」
まだ完全に気は抜けないとはいえ、ひとまずの安心感がリュートの緊張を解いた。同時に、イカヅチを倒した時よりもずっと激しい疲労感に襲われる。
戦いそのものによる体力の消耗に加え、ソアンが想像以上に容赦なく攻撃してきた事へのショックも大きくのしかかってきたのだ。
「……あの、さ、リュート」
しばらく経った頃、メルがおもむろに声をかけてきた。リュートは気怠さを我慢しつつ後部座席を振り返った。ルクティスは高速巡航を続けているが、進行方向に障害物がないことは確認済みだ。
「どうしたの、メル?」
「……その……助けてくれて、ありがとう……って、まだ、ちゃんと言ってなかったなって」
気恥ずかしそうに髪の毛の先をいじり、耳を赤くしながら、メルが言った。その様子が思いがけずいじらしくて、リュートまで急に照れてしまった。
「い、いいんだよ。俺が、自分で決めたことなんだから」
赤くなった顔を見られるのが恥ずかしくて、リュートは前に向き直った。メインモニターには、満天の星が映っている。
ルクティスに乗って進むこの先には、一体どんな景色が広がっているのだろう。リュートは唐突に、そんなことを思ってみたりした。
*****
「……行ってしまった、か」
プレリュードのコクピット内で、ソアンは呟いた。その心の中には、様々な思いが去来している。
あえて、ソアンは一切手を抜くことなく、全力でリュートを倒そうとした。そうすることで、少女を助けようというリュートの覚悟を試したかったのだ。
もしリュートに本当の覚悟がなければ、プレリュードの矛槍はあの赤い機体を貫き、その機関を停止させていただろう。
しかし、リュートはその一撃を躱した。それはつまり、そういうことなのだ。
(だがリュート、お前は本当に分かっているのか……?)
ソアンは心の中で問うた。
(たった今、お前が選び取った道。それが、世界の重荷を背負う道だということが……)
そう思いながらも、ソアンは自嘲的に鼻を鳴らした。リュートたちの逃走を止めるつもりなら、戦っている間に部下たちを呼んで包囲させ、逃げ道を塞げばよかった話だ。
しかし、ソアンはそれをしなかった。それはつまり、そういうことなのだ。




