007 立ち向かう
「お前が今回の件に納得していないことは分かっている。だが、だからといって私たちを裏切るのか? その少女を助けることが、お前にとってそれほどの意味のあることなのか?」
自分を見つめるソアンの顔に、単純な怒りとは言い切れない独特な表情が浮かんでいるのを見て、リュートは胸を突かれる思いがした。
少女を――メルを救出するということは、こういうことなのだ。すべて分かって決断したことだ。それでも、罪悪感が消え去るわけではない。
「ソアン隊長……お願いです、見逃してください! あなたと戦いたくなんかない!」
「そうさせようとしているのはお前の方だろう! リュート、降伏しろ。今なら、お前の裏切りを知っているのは私だけだ。まだ、取り返しはつく」
リュートは涙が出そうになった。でも、それでも、もう決断は下したのだ。
「隊長……すみません」
その瞬間を見計ったように、背後にいたルクティスが起動した。大きな右腕が伸び、リュートとソアンの間を遮る。ソアンが数回発砲するも、腕の装甲に弾かれた。
鎮圧用のゴム弾ではあったが、撃たれるという現実は恐ろしいことだ。
「リュート、今のうちに!」
メルに呼ばれてリュートは反転し、急いでルクティスの操縦席に潜り込む。そしてすぐにレバーを操作し、コクピットハッチを閉じた。
「ありがとう、メル」
「ああ。でも……本当に、いいんだな?」
流石のメルも、この時ばかりは目に気遣わしげな光を湛えていた。
「……いいんだ。行こう」
振り払うように呟く。そしてベルトを装着するのももどかしく、両手をマニピュレート・グローブに突っ込んだ。
コクピット内壁に外の映像が映し出される。すぐさま周囲の状況を確認したリュートは、格納庫の端にある巨大扉が左右から閉まりつつあるのを見た。ソアンが逃げ道を塞ごうとしているのだ。
リュートはルクティスを操縦し、扉に向かって走らせた。その挙動の素早さに、初めて乗ったときと同じ沸き立つような感情が身の内に滾る。こんな状況でもマシンの性能に感動してしまうのは、操機乗りの性だった。
「間に合うのか?」
「やってみるしかない!」
後ろで心配するメルに、リュートはそう返した。しかし目前の巨大扉は無情に隙間を狭めていく。災獣の攻撃にも耐えられるブラストドアだ、一度閉じてしまえば脱出は絶望的になる。
二足走行では間に合わない。半ば本能的に判断したリュートは、思い切った手段に出た。狭い格納庫内であるにも関わらず、脚部スラスターを噴射し飛行したのだ。地上すれすれの低空飛行は操縦が難しく、今までのリュートなら試そうとすらしなかっただろうが、不思議とルクティスでならできるような気がしたのだ。
少しぐらつきかけたが、なんとか態勢を立て直し、加速していく。全てがスローモーションになったように感じられる緊迫の一瞬を超えて、ルクティスは肩装甲を扉に掠らせながら格納庫の外へと飛び出した。
夜の空へと、ルクティスは上昇していく。天には二つの月が輝き、人工浮遊島ピルグリムの上は電灯の光が星空のように広がっている。地上の明かりにかき消されて、空の星は見えない。
「それで……これから、どうするんだ?」
メルが後ろから問いかけてくる。
「もう、ピルグリムにはいられない。ひとまずどこか他の浮遊島に行こう……でも、その前に」
リュートは左下のサブモニターに目をやった。リアカメラを通じてルクティスの背後の景色が映し出されている。
リュートの懸念通り、こちらに向かって来るプレリュードの姿が月明かりに照らし出されていた。白い装甲に包まれた操機の手には、長柄の矛槍が構えられている。
「ソアン隊長……」
彼我の距離は縮まりつつある。プレリュードの方が速いのだ。このまま逃げ切ることはできないと判断し、リュートはヴァリアブル・トンファーをルクティスの両手に構えさせた。
なんとか、プレリュードを撃墜することなく退けなければならない。しかし、ソアンがそんな甘い考えの通用する相手ではないことも、よく分かっていた。
正確な間合いで、プレリュードが矛槍を横一文字に薙ぐ。リュートはトンファーを用いてそれを払いのけたが、タイミングが僅かにでもずれていたらコクピットに直撃するところだった。
ソアンとは何度も模擬戦をしたことがあるが、その時とは比べものにならない底冷えする感覚がリュートの体を突き抜ける。身が竦みそうになるのを堪えて、リュートはプレリュードの脚部に向かって左手のトンファーを振るった。
しかし回転したトンファーの長柄がプレリュードの大腿部を捉えることはなかった。プレリュードが空中で右に側転し、攻撃を回避したのだ。そしてその回転力を維持したまま、反撃に矛槍を真下から繰り出してくる。
リュートはルクティスを後退させたが、矛先が脛の装甲を切り裂き、コクピット内にまで大きな衝撃が伝わってきた。
このまま攻撃を躱し続けるのは不可能だと、リュートは悟った。いかにルクティスが優秀な機体だったとしても、操縦者であるソアンとリュートの間には埋めることのできない実力の差があるのだ。
このままでは、負ける……。そう思った時、メルが上ずった声で叫んできた。
「リュート、一瞬でいいから、なんとか隙を作ってくれ!」
「メル……? 何か、策があるのか?」
「ルクティスには、もう一つの|《姿》がある。完成してから試すチャンスがなかったけど……あの操機を振り切って逃げたいなら、それに賭けるしかない!」
「……分かった」
リュートは頷き、プレリュードとの戦いに集中を戻した。ルクティスが大幅に後退したことである程度距離が離れていたが、プレリュードは矛槍を中段に構えて突進してきた。まっすぐこちらに向けられた鋭い槍が月明かりに煌めく。
今までの訓練で、あの攻撃を躱せたことは一度もなかった。今まで幾多の災獣を沈めて来た、プレリュードの加速力とソアンの精密な操縦技術が生み出す、正確無比な一撃。
しかし今は、ルクティスの性能を信じて立ち向かうしかない。さもなくば、待っているのは死だけだ。
リュートはこみ上げてくる不安を押し殺し、迫る切っ先をまっすぐに見つめた。