文久三年八月の事件簿 其の四
正式に佐々木の死が隊内に通達され、隊士達は騒然なった。屯所内は上を下への大騒ぎとなり、生前の愛次郎と親しかった者は涙を流した。
「やあ、林君」
信太郎に声を掛けてきたのは、浪士組随一の大男であり、同じ監察方の島田魁だ。
「驚いたねぇ、愛次郎が亡くなっちまうなんて。あんないい奴が」
島田はそう言って肩を落とす。信太郎より一回り以上も年嵩のこの男は、年齢不相応に純真で情が深い。
「僕も驚きましたよ。島田さんは佐々木君と同じ永倉先生の組でしたよね」
浪士組では市中見廻りの際、副長助勤以下三、四名が一組になって行動する。島田と佐々木は副長助勤である永倉新八の組であったため、普段からよく行動を共にすることが多かった。
「最近彼の周りで変わったことはありましたか? 誰かの恨みを買ったとか、タチの悪い博徒崩れや志士もどきと揉めたりだとか」
「いやぁ全然。そりゃこんなお役目だから、浪人や志士共から快く思われてはいないだろうけどさ。愛次郎個人がひどく恨まれるようなことは無かったと思うよ」
まあ一人を除いてね。と島田は小声で付け加える。芹沢が佐々木の恋人であるあぐりに執心で、何度も自分の妾になるよう迫っていたのは隊内で周知の事実だ。
「どこで聞かれてるかわかりませんよ」と信太郎は苦笑いしながら諌める。島田は大仰に両手で口を押さえておどけて見せる。隊内の監視役も兼ねる監察方が、失言を他の者に聞かれるなど悪い冗談だ。
「そういえばその芹沢先生はまだ帰ってきていないようだね」
「いつもの朝帰りでしょう。といっても、もう昼になりますね。いつもより随分と遅い」
こういった時に限っていつもと違う行動を起こす。つくづく読めない人物だと信太郎は嘆息した。
まずは芹沢達に昨晩以降の動きを尋ねようかと思ったが、信太郎は諦めて別の角度から動くことにした。彼らの帰りをゆっくりと待っている暇はない。会津や公家が短気を起こす前に真相を掴まなければならないのだ。
「林さん」
呼びかけられて振り返ると、そこには喜次郎が立っていた。「よろしいですか?」と尋ねられ、信太郎は島田と別れて人気の少ない場所へと移った。
「早かったですね松本君。どうでしたか」
「言われた通り、佐々木さんの動きから探ってみました。まず、宵五つの点呼の時は、自室にいたようです。同部屋の三人が証言しました。点呼役の佐伯先生にも確認しましたので間違いないかと」
浪士組では夜にそれぞれ部屋で点呼を行い、隊士が門限までに戻っているかを確認している。脱走者がここしばらく相次いだ為だ。点呼役は副長助勤以上が交代で担当し、昨晩は佐伯又三郎という浪士組結成時からの幹部が行っていた。
つまり、佐々木は宵五つまでは屯所におり、その後外に出て何者かに殺害されたことになる。
「やはりそうでしたか」
点呼の時点で佐々木がいなかったならば、脱走したものと見なされて大騒ぎになっている。しかし、昨晩はいたっていつも通りで騒ぎなどなかった。
念の為、松本に佐々木と同部屋の者らと、佐伯のもとへ確認を取りに行ってもらったが、やはり佐々木が屯所の外に出たのは宵五つ以降に間違いなさそうだ。
しかし、隊士は事前の許可なく宵五つ以降に外出することを禁じられており、夜の見廻りを担当する組以外は不寝番に門で止められてしまう。昨晩は佐々木の属する永倉隊の見廻り番ではなかった。
「昨夜不寝番だった者にも確認をとりましたが、夜四つ以降に外出したのは、芹沢局長らいつもの面々が島原あたりへ。斎藤隊、原田隊、佐伯隊のそれぞれ五名ずつが見廻りに。事前に外出願いを出していた沖田先生、永倉先生、藤堂先生が三人で飲みに行ってます」
そう聞くと結構な人数が外出しているが、いずれも集団であり、そこに佐々木は含まれていない。
不寝番が絶えず門を見張っていた以上、誰にも気づかれずに外に出るのは不可能だ。しかし、現に佐々木とあぐりは屯所の外で殺害されている。
「不寝番はサボらず仕事をしていましたか? 見逃した可能性は?」
「真面目が服を着て歩いてる蟻通と、夜でも昼のように目がきく竹内の二人です。まずありえないでしょう」
「ふむ」
不寝番は夜四つから明け六つまで門で見張りをしている。その間に屯所を出たのではないとすると機会は一つしかない。明け六つの隊士達の起床時間。不寝番が屯所内へと引き上げる時だ。
隊士は明け六つに一斉に起床し、各々が朝の準備をしだす。不寝番も仕事を終えて気が緩み、他の隊士もまどろみの中にいるこの時間は、人知れず外に出る好機だ。
「何故そんな事をする必要があったんですかね」
「ただ外出するだけなら、日中いくらでも機会はありますからね。人目につくわけにはいかなかった。それ以外に考えられません」
佐々木は隊からの脱走を試みた可能性が高い。芹沢らに目をつけられ、身の危険を感じた二人は、駆け落ちしようとしたところで朝帰りの芹沢らに運悪く鉢合わせてしまい——。
「……一応の辻褄は合ってしまいますね」
佐々木の動向を特定しようとして、余計に下手人が芹沢である可能性が強まってしまった。信太郎が苦笑いを浮かべて頭をぽりぽりと掻く。
「どうしましょう松本君。いっそ僕達も脱走しちゃいましょうか。お手上げです」
「こんな状況で冗談言えるならまだ大丈夫でしょう」
喜次郎はくすりともせず淡々と返した。この若者はこんな状況でさえ取り乱すことがない。大したものだと感心してしまう。
「さて、芹沢局長達が戻らないなら次はどうします?」
「決まっていますよ」
信太郎がくるりと回れ右をし、外へ向かって歩いていく。
「殺人が起きたなら、現場の確認は必須です」
そう言って信太郎は喜次郎を連れ、佐々木とあぐりの遺体発見場所である朱雀千本通へと向かった。