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文久三年八月の事件簿 其の三

 喜次郎と信太郎の二人は検分を終え屯所へと戻っていた。すぐに副長二名の元へ向かい、遺体の様子と下手人とおぼしき人物が、局長の芹沢である事を伝える。

 土方は右手で前髪を鷲掴みにするように頭を抱えた。


「……やはり芹沢か」

「土方君、局長を呼び捨てにするものではないよ」


 そう諌めつつ、山南は天を仰いで嘆息する。無理もない。よりによって筆頭局長が隊士に手を掛け、その恋人を手籠めにした挙句殺害するなど鬼畜の所業だ。

 しかもあまりにも時期が悪い。よりにもよってこの時期(・・・・)に筆頭局長が問題を起こすなど隊の存続に関わる。


「このままだと会津は薩摩の二の舞になる」


 山南はそう呟いた。

 三ヶ月ほど前、一人の公家が暗殺された。過激な尊王攘夷論者で、倒幕派公家の筆頭だったその公家は、幕臣である勝海舟(かつかいしゅう)との会談を経て公武合体派(親幕派)へと変節し、それを裏切りと捉えた倒幕派の志士らに暗殺されたとされる。

 実行犯の中に薩摩藩士がいたことで、御所の警備を任されていた薩摩藩はその任を解かれたうえ御所立ち入り禁止となり、後ろ盾であった親幕府派の公家らの発言力も著しく低下した。そして御所内では過激な倒幕派公家らが勢力を増長させることとなった。

 薩摩藩が失脚した今、会津藩は公武合体派の天皇や公家にとって最後の砦であり希望だ。会津が薩摩藩同様に失脚のうえ御所の出入りを禁じられた場合、御所は完全に尊王攘夷倒幕派に掌握されることになる。


「ただでさえ会津の立場が危うい今の時期に、筆頭局長が何度も問題行動を起こしているとなると、浪士組は解散を命じられる可能性がある」

「それどころじゃねえよ山南さん。最悪、局長達が腹ぁ切ることになるかもしれねえ」


 土方は苛立たしそうに右手で頭を掻いた。会津藩の中にはいまだに浪士組を快く思っていない者も多い。

 今回の件が御所の公家や会津の耳に入れば、筆頭局長である芹沢と局長の近藤勇(こんどういさみ)は切腹でもおかしくない。


「まだ、下手人が芹沢先生と決まったわけではありません」


 信太郎が発言すると、ようやく土方は右手を頭から離した。そして真っ直ぐに信太郎の顔を見据える。


「確かに現時点で芹沢先生が一番疑わしいのは事実です。ですが、芹沢先生の当日の動きをまだ確認していませんし、大柄な男で愛次郎より強い者など、芹沢先生以外にもこの京にはごまんといるでしょう」

「……確かにそうだが、楽観的すぎやしねえか?」

「もちろん根拠はあります。あまりにか細い希望の糸ですがね」


 そう言うと信太郎は、隣に座る喜次郎の方へと顔を向ける。


「松本君。君が先程感じた違和感を説明してもらえますか」


 ここで話を振られると思っていなかった喜次郎はいささか驚いたが、すぐに気を取り直して口を開いた。


「あぐりの遺体が、綺麗すぎました」

「あぐりが? どういうことだ」と土方が続きを促す。


「佐々木さんの遺体は惨たらしく痛めつけられていました。顔を何度も殴られ、全身を斬り刻まれて。しかし、あぐりには抵抗した様子も、無理やり押さえ込まれたような痕跡もなかった。不自然に感じました」


 芹沢は常に取り巻きの配下を三、四名付き従えている。もし芹沢らがあぐりを手籠めにしたのならば、手首などに強く抑えられた跡や、抵抗した痕跡が残っているはずだが、あぐりの体に遺された痕跡といえば胸元の刺し傷くらいのものであった。


「奉行所の検死結果によると、あぐりの陰門には男の淫水(精液)が乾いてこびりついていたそうです。死の直前に犯されたのは間違いないでしょうが、力尽くで押さえつけたようには見えなかった」

「目の前で佐々木を痛めけられて、脅迫された可能性はないか? 抵抗したくてもできなかったんじゃないか」

「もちろんその可能性もあります。しかし、気になった点は他にもあります。佐々木さんの体の傷です」


 佐々木の遺体には直接の死因となったであろう扼殺の跡のほかに、幾度も顔を殴られた跡と、無数の刀傷があった。喜次郎は先程の首検分で、特に佐々木の刀傷をまじまじと見ていた。


「何が気になった?」

「……すみません。上手く言葉にできませんが、違和感がありました……。なんというか、その……」


 普段物怖じせずはっきりとものを言う喜次郎にしては珍しく歯切れの悪い口ぶりだった。言うべきか否か迷ったが、今更何を恐れることがあろうかと、意を決して口を開いた。


「——私の知る、人が斬られた姿とはあまりにかけ離れていました」


 喜次郎は生きたまま斬られた人間の姿を知っている。あの光景を、彼は生涯忘れることはないだろう。目に焼きついたあの死体(・・・・)の姿と、佐々木の姿は全く異なるものだった。「どういうことだい?」と山南が尋ねる。


「佐々木さんの体には数えきれないほどの刀傷がありました。かなり深く斬られていたものもあります。しかし、血がほとんど出ていなかった。顔があれだけ赤黒く腫れ上がり血まみれだったのに、首から下だけがまるで別人のようでした」

 

 喜次郎が言い合えるとほぼ同時に信太郎が口を開く。


「刀傷は全て死後につけられたものでしょう。人は死ねば血の流れが止まり、斬ってもさほど血が出ません。それに、生きているうちについた傷は傷周りが赤く充血し皮が縮みますが、死後につけられた傷は白っぽく皮が縮みません。佐々木の傷は後者でした。下手人は顔を殴り、首を絞めて殺した後にわざわざ体をなます(・・・)にしたことになります」

「なんだってそんなことを。奉行所はなんて言ってたんだ」

「よくある辻斬りだの一点張りでした。仮にも検死の専門家たちです。いくら今の京の治安が悪く手が回らないからと言って、ここまでずさんな処理など本来しないでしょう。作為的なものを感じます」


 そこまで聞いて土方は腕を組んで考え込んだ。確かにそこまで聞くと、不自然な点が多い。

 確かに芹沢には動機があり、佐々木を殺害した犯人像とも一致するが、今挙げた不自然な点が芹沢鴨という人間からかけ離れている。

 特に奉行所に何かしらの圧力をかけるなど、筆頭局長とはいえ身分は浪人である芹沢にできることではない。そもそもそんな事をする理由がわからない。


「芹沢先生が下手人と決まったわけではありません。しかし、下手人ではないと言い切るにも根拠が薄い。下手人が他にいたとしても、会津を納得させる証拠を至急掴まなければ浪士組は終わりです」


 信太郎の言葉を聞いて、土方は腹を括った。山南と顔を見合わせる。同じ考えのようで、二人はこくりと頷き合った。


「林、松本。お前ら二人には引き続き、佐々木とあぐりの殺害について調べろ。特に芹沢たちが昨夜何をしていたのか徹底的に洗え」

「僕たちは今から近藤局長にこの件を伝え、追って正式に隊内に周知する。しばらく見周りは免除するから、この件に集中してほしい」


 「承知しました」と信太郎が頭を下げる。喜次郎は内心厄介な仕事を任されたと思ったが、一度抱いたこの違和感を放り投げてしまうのも気持ちが悪い。

 素人の自分がどこまで辿り着けるかはわからないが、せめておなじ釜の飯を食った仲間の弔いの為にも、出来る限りは力を尽くそうと誓った。

 それに——。


「身命を賭してこの役目、やり遂げてご覧にいれます」


 あぐりと同じ年頃であった今は亡き妹が、頭にちらついて離れない。

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