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文久三年八月の事件簿 其の二

 二人は奉行所から遣わされた目明し(岡っ引き)の案内で、佐々木とあぐりの遺体が運び込まれている番所を訪れた。信太郎が戸を開けて中を覗くと、でっぷりと腹の肥えた同心が一人、土間に並べられた遺体の傍らに立っていた。


「浪士組、林信太郎と申します。この者は同じく松本喜次郎。遺体の検分に参りました」

「やっと来たか。全く……」


 あからさまに不機嫌そうな態度で同心はそう言うと、並べられた遺体を顎で指した。


「この男の方、お前たちの仲間で間違いないか? さっさと確認しろ」


 あまりに無礼な態度に信太郎は顔をしかめたが、それよりも検分を優先すべきと考え、遺体に近づいてその顔を確認した。顔が殴打痕で赤黒く腫れあがってはいるが、佐々木愛次郎に間違いなかった。体には無数の刀疵があり、あまりにも酷い有様だった。

 続けて、佐々木の隣に横たわる遺体へと目を向ける。佐々木の恋人あぐりの遺体だ。信太郎は何度かその姿を見かけた事があるが、少し幼さが残るものの非常に可愛らしい娘で、佐々木と並ぶ姿は一枚の美人画のようであった。

 そのあぐりの遺体の胸元には刺し傷があり、これが致命傷になったものと思われる。それ以外に目立った外傷はなく、まるでただ眠っているかのように綺麗な姿であった。


「我々の同志、佐々木愛次郎に相違ございません。娘も佐々木と恋仲であったあぐりです。何度か見かけたことがございます」

「……」


 信太郎が同心と話をしている傍ら、喜次郎は二人の遺体に近づき、しゃがみこんでその姿をまじまじと見ていた。信太郎は実際に同期の遺体を見て、心臓を掴まれるような嫌な感じを覚えたが、喜次郎は何の動揺も見せず、普段通りの様子であった。


「おい貴様! あまり死体に近づくな! 検分が済んだならばさっさと帰らんか!」


 同心が喜次郎に向かって大声で怒鳴るも、喜次郎は意に介さず二人の──特に佐々木の遺体を注視していた。口元を掌で覆ってぶつぶつとなにか呟きながら思案にふけっている。


「貴様聞いているのか! これ以上邪魔するなら──」

見出し人(第一発見者)は?」


 同心の声を逆に遮るかのように、喜次郎がはっきりとよく通る声で問いかけた。その眼光は射貫くかのように鋭く、思わず気圧された同心は言葉に詰まってしまった。


「見出し人は何と言っていたんだ。発見時の状況は。付近に不審な点や怪しい人物はいなかったのか。あんた、まさかずっと番所(ここ)にいたわけじゃあるまい。どこまで調べは済んでるんだ」


 矢継ぎ早に問いかけられ同心が言葉を失っていると、喜次郎はゆっくりと立ち上がり、自分より頭一つ小さい相手を見下ろして睨みつけた。


「さっさと答えろ」


 ようやく我に返った同心の顔がみるみる真っ赤に染まっていく。


「き、貴様いい加減に──」

「はい、そこまで」


 ぱん、と信太郎が柏手を鳴らし、今にも斬り合いを始めそうな二人の気を削いだ。そのまますっと二人の間に入り、同心と向かい合う形を取る。


「非礼をお許し願いたい。ただ我々も役目として来ている以上、ただ検分だけで帰るわけにはまいりません」

「さっきも言っただろう、浪人共に話すことなどないわ! さっさと立ち去れ!」


 そう言うと同心は信太郎の肩をどんと突き、地に唾を吐いた。さすがに堪忍袋の緒が切れたのか、喜次郎が刀の鯉口を切ろうとしたが、信太郎がそれを制した。


「松本君、すみませんが少しだけ外で待ってもらえますか?」

「……はい?」

「すぐ済みますので。お願いします」


 ですが……と言いかけて、喜次郎はその言葉を飲み込んだ。信太郎は笑みを浮かべてはいるが、その笑顔を見た途端に、背筋にぞくりと蛇が這ったような悪寒が走ったのだ。いつもの信太郎の温和な笑みとは明らかに違う、怒気をはらんでいた。


「……承知しました」

「ええ、すぐに呼びますので」


 喜次郎は踵を返し、番所の外へと向かう。背後から同心のやかましい声が聞こえてきたが、信太郎の指示通り黙って外で待つことにした。

 待っている間に、喜次郎は先ほど見た佐々木とあぐりの遺体の()()()()()を思い返していた。二人の遺体に残された形跡が、どうしても()()()()()()()()()()()()と一致しないのだ。もう少し詳しく遺体を検分したいところだが、あの醜悪な同心がそれを許すとは思えない。さて、どうしたものかと喜次郎は思考を巡らせていた。すると──


「松本君、もう入って構いませんよ」

「え?」


 番所の戸が開き、信太郎に声をかけられた喜次郎は思わず頓狂な声を上げる。気づけばあれほど騒いでいた同心の大声も収まっていた。まさかこんなにも早く場が収まると思っていなかった喜次郎は面食らってしまった。


「……どうやって黙らせたんですか?」

「浪士組の御役目に、ご理解を頂いただけですよ」


 いつもと変わらない笑みが余計に恐ろしく感じさせるが、深く詮索するのは藪蛇だと判断し、喜次郎は再び番所の中へと入っていく。先ほどまで真っ赤になっていた同心の顔は、今では真逆に青ざめ、冷や汗をかいていた。


「それでは改めて検分させていただきます」

「う、うむ……だがなるべく死体には触れんでくれ……何かあればわしの責任に──」

「存じ上げております。松本君、始めましょう」


 先程とは打って変わってしおらしくなった同心を尻目に、信太郎は二人の遺体の真横に位置取った。一体どのように脅してみせたのか若干気になるが、喜次郎も再び佐々木とあぐりの遺体検分を開始した。


「さて、佐々木君から見てみましょうか」


 改めて喜次郎は佐々木の遺体へと目を向けた。顔には殴られた痕がいくつもあり、赤黒く腫れあがっている。そして体には刀傷が至る所に見られ、首にはくっきりと大きな手で絞められた痕が残っていた。


「どう見ます? 松本君」

「直接の死因は……首を絞められたことによる扼死(やくし)ですかね」

「そのようです。殴られた痕があるのでわかりづらいですが、顔面の鬱血も見られますし、喉仏の上あたりがくぼんでいます。強い力で首を絞めるとここの骨が折れますから。袴に失禁の形跡もありますし、ほぼ間違いないでしょう」


 すらすらと扼殺の特徴を語ってみせる信太郎に、喜次郎は驚いた。いくら学があっても検死の心得がある者など滅多にいない。自分はただ、遺体の首に残った跡から単純に扼殺と判断したが、信太郎のそれは明らかに、確かな知識と経験に裏付けされたものだ。


「親戚に医者がいましてね」


 まるで心を読んだかのように、信太郎はにやりと笑ってそう答えた。


「それにしても随分と大きな手の跡ですね。僕や松本君も人より背は大きい方ですが、明らかにこれは我々の手より一回り以上大きい」

「ええ、下手人はかなりでかい男でしょうね」


 参った。と喜次郎は思った。やはりどうしても()()()が下手人として思い浮かんでしまう。大柄で、柔術の名人である佐々木を殺すだけの腕を持ち、さらにあぐりを手籠めにするような男達に、喜次郎は心当たりがあるのだ。

 だが──。


「それで、松本君。何か気になることがあるんじゃないですか?」

「え?」

「先ほど君は、二人の遺体を随分注意深く見ていました。まるで、納得いかない事でもあるかのように。……何か引っ掛かるんじゃありませんか?」


 そう、引っ掛かるのだ。

 喜次郎は、佐々木が殺され、あぐりが手籠めにあったと聞いた時から、内心ではある人物達による犯行だろうと予感していた。そして、佐々木の死因からその疑いはより深いものとなった。

 しかし、何かが引っ掛かって仕方がない。

 佐々木の遺体には、その人物達の関与が疑われる痕跡が嫌と言うほどある。しかし、あぐりの遺体からはそれが見当たらないのだ。むしろ、()()()()()を感じてしまう。


「松本君、まずはっきりとさせておきましょう。君も恐らく、僕と、そして副長達と、同じ人物を疑っていますね?」


 そう。副長二人が、血相を変えてこの事件を内々に調べようとした理由も、他の幹部達ではなく監察方である信太郎にこの調査を命じた理由も、全ては()()()()が下手人では困るからだ。

 喜次郎は頷き、答えた。


「筆頭局長──芹沢さんですね?」


 浪士組筆頭局長、芹沢鴨(せりざわかも)。神道無念流免許皆伝であり、ここ最近あぐりに執心していた、泣く子も黙る暴君である。

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