第2話
「…………え?」
乾いた声が私の口から出た。
まさか、よりによってフォリア本人に会えるなんて。しかもこんな出会い方で……!
思えば、皇帝の時のフォリアと容姿は似ている。金糸のようなブロンドの髪、切れ長の目、いつも柔らかい笑みを貼り付けている口許……。
私は慌てて気を取り直し、フォリアの前に跪いた。
「皇子殿下とは知らず、このような無礼を働き申し訳ありません…!」
「畏まらないでください、フェルナンド嬢。僕は何も気にしていません」
フォリアは私の手を取り、ゆっくり起き上がらせた。
「部屋に篭もりっぱなしでちょうど息抜きをしたかったんだけれど、いきなり貴女が空から降ってきてとても面白いものが見えました」
まるでいい余興を見たと言うように、フォリアは笑った。
「ところで、どうして木に登っていたのですか?」
「実は庭園を見に来たのですが…」
「庭園を?」
「はい、今まで皇宮の庭園に行ったことがなく父上にお願いしたんです。
そうしたら、庭園で何とも珍しい蝶を見つけて、…ずっと追いかけて着いてきた末にあの木に登ってしまっていたのです」
「庭園から蝶を追いかけてこの部屋まで来るとは、好奇心旺盛な方ですね」
フォリアはクスリと笑った。
笑った顔は年相応の少年のように見えるが、これがあと5年後にはあの冷酷な皇帝となるのだろうか。
フォリアは表の仮面を付けて生活する事が上手だ。人はその彼の親切心や礼儀正しい振る舞いに感心してフォリアを褒め称えるが、本当のフォリアは計算高く自分の有益なることを最優先で動く感情のない人間だ。目的を達成するならば、自分と血の繋がった皇族ですら他国に売り飛ばすくらいだ。
──そして何より黒魔術で聖女を殺す男だ。
あの時の情景が頭の奥で流る。感情のない顔でリリーにトドメを刺す皇帝。
私の宿敵となる人物が、今目の前にいる。
心臓の音が聞こえるくらい早くなり、私は緊張で体を固まらせた。
今はチャンスだ。殺される運命を回避するために、この機会を無駄にすることは出来ない。
せっかく少年時代のフォリアと会うことが出来た。ここで、何か爪痕を残さなければ未来は変わらない……!
「……こちらは皇子殿下のお部屋だったのですね」
「ええ、僕の研究室みたいなところです」
「何を研究なさっているのですか?」
「錬金術です」
この世界の錬金術は、前世の私がいた現代社会で言う化学や物理学の分野と重なっている所がある。この世界では超人的な事象を解明したり、新たに発明することは錬金術で一括りにされていた。
「皇子殿下は勉強熱心でいらっしゃいますね」
「そんなことはないですよ、周りの期待に応えているんです」
それが僕の役目だから。
フォリアは自嘲するように吐き捨てたが、その顔は依然と笑みを浮かべたままだった。
フォリアは少し昔のリリーと似ていると思う。リリーは、自分が本当にやりたいことがなく、ただ決められた「聖女」というレールの上で毎日過ごしていた。
フォリア自身が非情に育ってしまったのも、周りの大人の期待に応えていく内に、自分の感情のが揺さぶられるようなものに出会えなかったのかもしれない。
そう考えると、この時代のフォリアはそんなに怖がる必要はないのかもしれない。フォリアに何か熱中できるようなものが出来れば、性格も変わっていくかもしれない。リリーだって変われたのだから、フォリアだって救えるはず!
「皇子殿下は錬金術がお好きですか?」
「……ええ、好きですよ」
「本当はあまり好きではないのではないですか?」
フォリアはハッとした顔をして私を見つめた。
「皇子殿下は勤勉で聡明な方です。周りの人間は殿下に過度な期待を寄せる者もいるでしょう。中には殿下を利用しようと近づく輩もいるかもしれません」
「…………」
フォリアは数々の発明品を世に出していた。それは子どもの自由研究のような微笑ましい作品もあれば、軍事利用された殺戮用の兵器も含まれている。
幼少期から帝国の貢献を務めてきた彼の実績と才能によって、上の兄弟を抑えて皇帝の座に降臨したのだ。
「自分から窮屈で退屈な世界にしなくても良いのです。まだ、この世界にはきっと皇子殿下が知らない素敵なことがたくさんあります」
私は唖然とするフォリアの手を取り、にこりと微笑んだ。
「私は将来聖女になります。──そしたら、皇子殿下が笑いの絶えない楽しい世界をつくってみせます」
数秒、小さな部屋の中に沈黙が流れた。
沈黙を破ったのはフォリアだった。突然フォリアは声を出して笑った。完璧なスマイルを貼り付けていた時とは違って、心底可笑しいことのように笑い声を立てていた。
「貴女みたいな人に会ったのは初めてだよ。
確かに貴女がいれば僕は退屈しなさそうだ」
フォリアは私の手を掴んだ。
「僕が庭園の入口まで案内するよ。きっと付き人が探しているだろうから」
「いえ、皇子殿下にそのようなことをしていただく訳には……」
「大丈夫、問題ないから」
フォリアは慌てる私の手を引きながら歩き始めた。
「そうだ、危ないから今度はひとりで木登りしてはいけないよ。リリー」
▽
フォリアに見送ってもらった後、庭園で私を探していたアンセラと合流し馬車に乗り込んだ。
帰りの馬車の中で今日のことを振り返る。
フォリアとのファーストコンタクトは成功したことでいいのかな?
最終的には気さくに話しかけてくれたし、一応フォリアに少し気に入られたみたいだ。今日の収穫としては満足の結果かもしれない。
宮殿に戻り、自分の部屋に向かうと、階段の上から足音が聞こえてきた。
「あら、落ちこぼれ。今日は王宮に行ってたらしいわね」
声の主は同い年の従姉妹であるロジーアだった。ロジーアは王宮から帰った私の姿を見るなり、ふんっと鼻で笑った。
「ええ、そうよロジーア」
「引きこもりの貴女がわざわざ自分から外出するなんて、槍でも降るんじゃない?何を企んでいるのかしら」
「何も企んでいないわよ。ただ庭園を見に行っただけ」
「……フン。どうだか」
ロジーアはトゲトゲしい口調で吐き捨てた。
「今更何のアピールか知らないけど、意味ないから。次の聖女になるのはこの私よ」
聖女はフェルナンド一族の血を引く女性が選ばれる。母は私が物心着く前に亡くなってしまったので、現聖女ノナの女性の子孫は私とロジーアの2人だ。
聖女がこの世を去る時、カリタ神が子孫の中から次の聖女を選ぶ。この決定は何者も逆らうことは出来ず、その瞬間から聖女は神の代弁者として責務が発生する。
聖女は全世界のカリタ教の頂点に立ち、政治や経済など国家間のやり取りにも干渉できる力を持つ。ロジーアは昔から私を敵視し、聖女になりたがっていた。
──まるでリリーと正反対ね。
皮肉なことに、最終的に聖女に選ばれたのは、聖女になる気もなかったリリーだった。
今はその結果を知っているからか、ロジーアから罵倒を受けても傷つかない。
▽
「アンセラ、今日は疲れたからよく眠れるものを頂戴」
「かしこまりました」
夕食を済ませ自室に戻ると、ベットに深く腰掛けた。アンセラが紅茶の準備をしてくれている傍らで、深く息を着く。
「お嬢様、王宮の庭園はいかがでしたか?」
「とても綺麗な場所だったわ。さすがエノルメ帝国の王宮ね」
左様ですかと、アンセラは相槌を打ちながらティーカップに紅茶を注ぐ。
ほんのりと茶葉のいい香りが鼻腔を擽った。私はカップに指を添え、口にした。
「そういえば、どなたか皇族の方とお会いいたしましたか?あの庭園では皇女様たちが定期的にサロンを開かれているそうですよ」
「ええ、確かに人はたくさんいたかも……その方たちにはご挨拶出来なかったけれど、第4皇子殿下とお話したわ」
「まあ、本当ですか!」
アンセラは目を輝かせた。
「第4皇子殿下の噂は侍女の間でも有名ですよ。性格も頭脳も文句なしな上に帝国で一二を争う美貌の持ち主だとか!」
「そういえば確かにかっこいいかも…」
私がフォリアの顔を思い出していると、アンセラは嬉しそうに微笑んだ。まるで恋愛話をしている女子高生のような気分だ。
あと5年後に私を殺す予定の相手だとは、アンセラも夢にも思わないだろう。
機嫌のいいアンセラを横目に、私はカップの紅茶を飲み干した。
▽
──暗闇。
気がつくと私は、当たり一面を覆う闇の中にたっていた。
……これは、夢?
音も光もない闇が続いている。けれど足の裏から指の先まで感覚ははっきりと残ったままで、まるで現実にいるかのような錯覚を覚えた。
すると、いきなり眩い光が目の前に現れた。その光はあの時の蝶と同じ、黄金色に輝いていた。
光は大きい集合体になり、やがて人の形となっていく。
「こんにちは、リリー」
光の奥から若い男性の声がする。すると、見る見る内に光が四方へ散っていき、光があった場所に男性の姿が現れた。
青年は、すらっとした体躯に白いローブを身につけており、宝石のように輝く碧色の瞳で私を見つめていた。
「……あの、貴方は誰?」
「ボクはジェロ。天上のカリタ神に仕える天使だ」
その天使は、ニコッと笑った。
「……待って、本物の天使?本当に?」
「本物だよ。正真正銘の天使さ。今、キミの夢の中に来るために意識だけお邪魔しているんだ」
天使が突然指を鳴らすと、場面は私の部屋になった。天使はソファに腰掛けると、「長話になりそうだからキミも座りなよ」と言った。
私は取り敢えずベットの端に座って天使と向き合った。
「あの黄金色の蝶……」
「ああ、そうだよ。キミを王宮であの皇子と出逢わせたのはボクの力だ」
天使が人差し指を宙に向けて指すと、どこからともなく蝶が舞ってきた。
「ていうかキミも凄いよねー。記憶を取り戻した直後に、自分を殺した相手の元へ単身乗り込むなんて。ボクが手助けしなかったらどうなってたことやら」
「貴方は何者なの?どうして私を助けるの?」
「さっきも言ったけど、ボクは天使だよ。それ以上でもそれ以下でもない、ただの天使。
どうして助けるかについては説明が長くなるんだけど…」
うーん、と数秒唸るように天使は考えこんだ後に、口を開いた。
「リリー、キミは黒魔術の呪いを掛けられていたんだ」
「呪い?」
「そう。キミはあの皇子と戦った時に、皇子と契約していた悪魔の黒魔術を受けた。その時キミの体は死に、魂に呪いが刻まれてしまったんだ」
「……待って。それはあと5年後のリリーの話でしょ?私はまだフォリアと戦ってない」
「いいや。キミは一度あの皇子と戦って、敗れた。そして呪われた魂のまま人生を繰り返しているんだ」
天使の言葉に頭の中が混乱した。私が一度死んでいる?でも、そんなはずは無い。だってここはかつての私の妄想の世界なのだ。
「有り得ない。ここは前世の私が作った世界のはずじゃないの?」
「この世界の記憶は本当にあった出来事なんだ。野山梨花は微かにその記憶を持って生まれてきたけど、それが自分の作った妄想の世界と勘違いしていたんだよ」
「どういうこと…?」
天使が指を振ると、飛び回っていた蝶の周りに、全く同じ蝶が二、三匹集まってきた。
「人の魂はね、一度きりではないんだ。亡くなった人の魂は形を変えて、今度は別の世界の別の人間として生まれ変わる。
あの日亡くなったリリーの魂は、別世界に飛ばされて別の人生を歩むはずだっけれど、フォリアにかけられた呪いのせいで魂の形が変わらずに生まれ変わったんだ」
「魂の形が変わらないとどうなるの?」
「その人の人格形成や性格に影響する。野山莉花とリリー・フェルナンドの性格が似ているのも、それが原因だからだよ。呪いをかけられたリリーの時のことを覚えていたのも、その呪いのせい。
──そして何より厄介なのは、寿命が決められているということだ」
天使の言葉に、ドクンと大きく心臓が鳴った。
「リリーは18歳の時に亡くなった。その魂が形を変えないまま生きていると、必ずその人生は18歳で終わるんだ。
これまで何回も、何十回も、キミの魂は別の人間として生まれ変わって、リリーの時の記憶を持ちながら18歳で死んでいった」
頭が真っ白になった。ということは、私は元々リリー本人で、別の世界で生まれ変わった後も延々と18歳で死に続けていたっていうこと?
「じゃあ、野山莉花の時もその呪いのせいで死んだんだよね…?」
「そうなんだけど、正確に言うとちょっと違うんだ」
「え?」
「あの交通事故の日、呪いのせいで野山莉花はそのまま即死する予定だった。事故にあった直後、死ぬ間際のところで誰かが魂を体から引き離したんだ」
まるで幽体離脱のようにね。天使は2匹の蝶を重ねてスライドさせた。
「引き離された魂は、時空を超えて呪いを受ける前のリリーの元へ戻された。つまりキミは呪いのループに掛けられる前に戻ってきたんだよ」
「そんな……」
「もっと喜んだっていいのにー。こんな幸運、中々ないよ?」
「その私の魂を戻してきてくれたのは誰なの?」
「さあ?ボクにも分からないんだ」
「…ジェロはどうして私を助けてくれるの」
「んー、キミの未来を見てみたかったからかな」
天使はまたニコリと笑った。
掴み所がなく、何を考えているのか分からない。
全て事実を語っているのは不明だが、この天使の言うことはちゃんと聞いた方がよさそうだ。
「でも、手を貸せるのはあの時みたいに蝶を飛ばす位しか出来ないんだ。ボクがキミのために力を使ったのが天上界にバレると不味いから」
「大丈夫、自分の力でどうにかするつもりだから」
「お、エラいね。じゃあ、リリー。将来あの皇子の黒魔術に対抗出来るように、特訓してみたら?」
「特訓?」
「キミは一度あの皇子に倒されたけど、もし皇子の黒魔術を超えた聖力を持っていたなら死ななかったはずだ」
「確かに…」
聖力は基本的にカリタ神への信仰心やそれに付随した行いで力を増加させる事ができる。聖人を極めればその分だけ強い聖力を身に宿す。
当時のリリーは信仰心が薄く、聖女としての務めにも積極的ではなかった。その分持っていた聖力も、歴代の聖女と比べるとお粗末な程だった。
当然、フォリアの黒魔術には歯が立たなかった。
変わらなきゃ。今度こそ、生き残るために。
絶対に呪いに打ち勝って、生き延びてみせる!