プロローグ
エノルメ帝国は世界の2/3を領土とし、強大な軍事勢力で領地を支配していた。皇帝フォリアは偉大な黒魔術使いであり、彼のその黒魔術の力は帝国軍の支配力を膨大化させ、一代で領土を急拡大させた。
フォリアは黒魔術の天敵である聖力を根絶させるため、世界各地にいる精霊や幻獣を狩り尽くし、唯一神である「カリタ」を信仰するカリタ教会を解散させ、人々の宗教信仰を禁止した。
黒魔術の力を宿した帝国軍の侵略、略奪は続き、フォリアは傍若無人の暴君皇帝として人々から恐れられ、エノルメ帝国の圧政を阻止する者は誰ひとり現れなかった。──たったひとりの、姫君を除いては。
エノルメ帝国本土の東に位置する小さな属国である島国アヅマで、ひとりの姫君・ユリが反旗を翻した。
皇帝フォリアを倒すため、手練の家臣と共に世界へ革命を呼びかけた。ユリは帝国からかつてのカリタ教の聖女・リリーと、竜人族と前皇帝の息子・カヴァリエを仲間に加え、少数精鋭で王城に乗り込んだ。
聖女リリーの力で、帝国軍に掛けられた黒魔術は解かれ、戦力差があるにも関わらず、生き残りの精霊や帝国軍から潜んでいた教徒たちなどの聖力によって戦況は革命軍に有利にあった。
しかし、皇帝フォリアの黒魔術は凄まじく、どんな聖力でも立ち向かえないほど圧倒的な力を持っていた。聖女リリーはフォリアの黒魔術にその身を投げて対峙するが、呪いを掛けられた上死んでしまう。
友人リリーの死を目の当たりにしたユリは、フォリアへの怒りに包まれた。その強い討伐の決意が、天上で見守るカリタ神の心を動かし、ユリはどのような悪も成敗する大いなる聖力を授けられた。ユリはその力を持ってカヴァリエと共にフォリアを倒し、帝国に蔓延る邪悪な黒魔術を浄化させた。
そして、エノルメ帝国はなくなり、植民地化していた国々は独立をし、民主主義社会の復活とカリタ教の復興が進んだ。
世界に秩序と平和が戻された頃、ユリとカヴァリエはお互いの気持ちに気づき、ふたりはいずれ愛し合う仲となった────
────そう、これはすべて私の妄想のオハナシである。
「ウッソでしょ……」
侍女が朝の支度でやってくるいつもの時刻より早めに目覚めた私は、バクバクと鳴る心臓の音を聞きながら、ベットに半身を起こし呆然としていた。
気づいてしまった。この世界は妄想の世界だ。
突然頭の中に流れ込んだのは、前世の自分の記憶。現代社会で学生をやっていた「野山梨花」は、ファンタジーもののネット小説を読むことが趣味の引きこもりオタクだった。
当時、私は自分の妄想の世界に入り込むことが好きで、現実の嫌なことから逃げるために日常的にファンタジー世界の妄想をしていた。
その妄想とは、とある帝国の暴君と姫君のお話で……そう、今「自分」がいるこの世界と全く同じ世界なのである。
精霊や幻獣などの伝説上の生き物もいるし、文明レベルは19世紀ぐらいで周りは中性貴族のような洋装をしている。カリタという神を信仰しているし、私が今いるここはエノルメ帝国だ。
そして、極めつけは私の名前が「リリー」であること。
ただのリリーであれば問題ないが、本名リリー・フェルナンド。祖母はノナ・フェルナンドで、カリタ教の現・聖女である。
あろうことか、私は将来皇帝に殺される予定の聖女役リリーとして生まれ変わってしまったのだ。
──コンコン。
「お嬢様、朝の支度に参りました」
部屋の外から侍女の声がする。「ど、どうぞ……」と咄嗟に声をかけると、失礼しますと頭を下げながら侍女のアンセラが入ってくる。
「あらお嬢様、今日はお目覚めが早いのですね。いつもは3回くらい呼びかけて起きますのに」
「そ、そうだね……なんだか、目が覚めちゃって」
「ふふ、そうですね。今日は特別な日ですから」
アンセラは部屋のカーテンを開けて、窓の外を覗き込んだ。「まあ、今日はとっても快晴ですね。まるで神がこの日を祝福されてるみたい」アンセラの言葉通り、明るい朝の日差しが部屋をじゅうぶんに照らした。
「お嬢様、13歳のお誕生日おめでとうございます」
そうだ、今日は私の13歳の誕生日。
つまり、私が皇帝フォリアに殺されるのはあと5年後。
────死にたくないッ!!
自分の余命が5年ほどしかないと知ったら、誰でも絶望した気持ちになるだろう。嫌だ、絶対にあんな形で殺されたくない。
徐々に蘇っていく記憶の中で、野山梨花は18歳で死んだことを思い出した。なんの前触れもなく突然起きた交通事故で私の一生は終わり、信じられないことにその当時妄想していた自作のファンタジー世界に転生してしまった。
どうしてこの世界に生まれ変わったのか、しかもなぜ殺される役のリリーなのかは全く分からない。ここが平和な物語の世界とか、国家間の争いとは無縁の平民キャラに生まれ変わっていたら余生として楽しめたかもしれない。なぜか、よりによって死が確定しているメインキャラに転生なんて……。
ああ、最悪だ。私が何をしたって言うの?
前回も若くして自分の生を終えてしまったのに、この世界でもまた理不尽に死ななくてはいけないの?
聖女として生まれ変わっている身であるが、神が実在するのなら恨んでしまう。
はあ、と小さくため息をついた。
アンセラが用意してくれた水を貯めたボウルで顔を洗い、麻布のタオルでゴシゴシと拭いた。
そんな簡単に死んでたまるか。
絶対、未来を変えてみせる。
「ねえ、アンセラ。私決めたわ」
「はい」
「私、今日から生まれ変わる」
そう、ただの死に役の聖女ではなく、この国の未来を変える聖女として。