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ホシは二つに割れて、真実は闇に消えた  作者: なるほど わからん
1/5

殺人事件発生・捜査本部設置(1~2)

京都府南部のまちで高齢女性が殺害される事件が発生した。


   1


 貸与スマートフォンが鳴った。

 早水(はやみ)(けん)は慌てて立ち上がる。一眼レフカメラを肩に掛け、ワイシャツの胸ポケットから貸与スマートフォンを抜き出す。

 相手は―キャップだ。

「はい、早水です」

―今どこ。

 柏木(かしわぎ)(まこと)の醒めた声。

「み、三室戸寺です」ついどもる。

―三室戸って宇治やったな……近いな。何してんの。

「アジサイの試験点灯の取材です」昨夜、署回りを終えたあとに伝えたはずだ。

―城陽で殺しや。今すぐ向かって。

「え……取材は……」京都府内版に写真ものとしてエントリーしている。デスクがスペースを空けて待っている。午後七時半過ぎ。さすがにまずくないか。

―殺しやで、殺し。お花の取材してる場合ちゃうで。どうせ府内版やろ。デスクにゆうとくから大丈夫や。現場のヤサはメールするからはよ向かって。

 千切って投げるような関西弁。熊谷出身の早水が、この二カ月で関西弁に嫌悪感を抱くようになったのは、偏に柏木のせいだ。

 早水はリュックを地面に下ろし、カメラを押し込む。立ち上がり、境内を見回す。引き揚げる前に、住職に詫びておくことを忘れなかった。来たときと違い、アジサイには目もくれず寺を後にする。

 タクシーをつかまえないといけない。早水は息を弾ませ、府道まで駆け下りた。


 二〇分経っても、流しのタクシーは通らなかった。京都市内と同じように考えていたのがいけなかった。焦る気持ちを見透かしたように、貸与スマートフォンが鳴る。

―今どこ。

「えっと……」まだ宇治です、とは恐ろしくて言えない。こういうときに限って、行灯を灯したタクシーが一台、目の前を通り過ぎる。幹線道路の騒々しさがうらめしい。

―おまえ、まだ宇治にいるんちゃうやろな。

 勘づかれた。早水の口から咄嗟に言葉が出てこない。

―あほか! はよタクシー呼べって!

 言って電話は切れた。

 早水は貸与スマートフォンを持った右手を力なく下ろす。歩道に立ち尽くし、右を向く。向こうの方から行灯を灯した流しのタクシーが走ってくるのが見えた。


 道路に並ぶ黒塗りのハイヤーやタクシーを横目に、早水は現場のマンションに到着した。運転手に、近所迷惑にならないところで待ってて下さい、と言い置いてタクシーを降りる。マンション前にたむろする記者やカメラマンが、今さら来た、と見下すような目で早水を見る。一〇人以上はいる―全社お揃いのようだ。彼らはぞろぞろとマンションのエントランスへと歩いていった。パトカーやバンは駐まっているが、表に警察官の姿は見えない。

 柏木から送られてきた広報文とメモによると、現場は一二階建てマンションの1102号室。この部屋では七〇代の女性が一人暮らしをしていた。今日の午後五時ごろに訪ねてきた息子が、室内で血を流して倒れている母親を発見し、一一〇番通報した。遺体の状況などは捜査中だという。

 早水は柏木を呼び出した。

―おお、着いたんけ。

 声調は打って変わって軽い。

―どうせオートロックやろ? とりあえず片っ端からインターホン押してコミって。まだ八時過ぎやから大丈夫や。押して押して押しまくってみ。あと、マンションのPと周辺住人のワーキャーも押さえといてな。あとそうや、スマホでええから出入りするサツも撮って、俺にメールちょうだいや。誰が現場に行ってんのか知りたいんやわ。

 柏木は口早ながらも丁寧に指示した。

 殺人事件の現場は初めてだ。もちろん、コミ―聞き込みも。

 エントランスのインターホンに群がるマスコミの中に、早水は知った後ろ姿を見つけ駆け寄った。

「どういう状況?」

 新日(しんにち)新聞の真鍋(まなべ)香澄(かすみ)の背後に立って小声で話しかけた。

 真鍋は顔を後ろに向ける。良い香りが鼻腔をくすぐる。

「談合。各社で押したら迷惑でしょ」囁き、ボールペンとメモ帳を掲げ、インターホンに向けて首を伸す。早水は人垣越しに、ICレコーダーをインターホンに差し向けた。


 貸与スマートフォンの画面を親指と人差し指で広げた。

 PDF化された第二社会面の早版の降版刷りが拡大される。最下段に置かれたベタ記事。「京都・城陽市で 女性殺害される マンションの一室」。扱いも見出しも変わっていない。アジサイの取材を打ち切らされ、いきなり現場に放り込まれた早水としては、こんなものか、と思わずにはいられない。府内版のアジサイの記事が抜けた跡地には、早水が突っ込んだマンションの写真と近隣住人の声が載ったが。

 貸与スマートフォンが鳴った―キャップ。

―とりあえず落ち着いたけど、そっちはどんな?

「特に動きはないです」言って視線を上げる。マンションの廊下に動き回る捜査員の姿が見える。

―コミは厳しい?

「ちょっと厳しいですね……」

 辺りでは他社の記者が所在無げに佇んでいる。インターホン越しに出た住人は当然のごとく、1102号室に住んでいた高齢女性のことを知らなかった。マンションの目の前に建つ一軒家の住人は、近くで殺人事件が起きたことに驚き「普段は静かなところなんですよ」「早く犯人が捕まってほしいです」「それは怖いですよ」と、早水の質問に型通りに答えた。

 現場は「アル・プラザ城陽店」の裏。月明かりを感じられる場所だった。周囲には田畑が広がっている。そこを越えて聞き込みの範囲を広げるのは、無意味に思えた。時刻は一〇時になろうとしている。

―分かった。じゃあ、そのまま待機で。

 帰ってええで、ではなかったことに落胆する。

―検視がもうちょっとかかるらしいんやわ。それが終わって身元の発表と捜本(そうほん)設置やから、会見は零時ごろになるんちゃうか、って広報はゆうてるわ。会見には上村(かみむら)と早水が出て、早水はトリテキや。まだ時間あるし、楽にしてていいからな。

 じゃあ、俺は夜回りに出るから、と言って柏木は電話を切った。

 楽にしてていい、と言われてもここを離れるわけにはいかない。あと二時間―気持ちが暗くなる。気づくと、新日新聞の真鍋の姿がない。もう帰らせてもらったのだろうか。生ぬるい風が吹きつける。早水は後ろに撫で付けた髪に触れた。


   2


 山城署の三階道場。

 伊達(だて)慶司(けいじ)は後ろに立って、記者会見の様子を眺めている。

「昨日、六月七日に京都府城陽市富野のマンションの一室で見つかった遺体について、その遺体の状況等から被害者が何者かに殺害されたとみて、本日、ここ山城署に刑事部長以下八〇名態勢の捜査本部を設置することに致しました。被害者につきましては、この部屋に住む職業不詳、益川(ますかわ)カツ子さん、七五歳であります」

 言い終えた捜査一課長が広報文から顔を上げた。右隣に置物のように座る署長がやけに小さく見える。

「それでは質疑応答に移ります。質問のある社は挙手のうえ、社名と名前を名乗って質問して下さい」それではどうぞ、という広報官の言葉を合図に、パイプ椅子に座るマスコミからぱらぱらと手が挙がった―知っている記者はいなさそうだ。

「被害者は室内のどこに倒れてたんですか」という質問に始まり、マスコミは矢継ぎ早に質問した。新日新聞の真鍋という女性記者が「金銭トラブルがあった、というような話は入ってないですか」と言ったときには、おっ、と思ったが、どれほど鋭い質問をしようと関係ない。

 ①被害者はリビングで俯せに倒れていた、②遺体には複数の刺し傷があった、③凶器は見つかっていない、④司法解剖は本日の午後

 大きくこの四つ以外については何を訊かれても、「捜査中ですので回答を差し控えさせて頂きます」と、一課長が通り一辺倒に答えることになっているからだ。

 これ以上聞いていても意味がない、と感じた伊達はそっと道場を出て、捜査本部が入る大会議室に戻った。


「課長、いらんこと言ってませんでした?」

 伊達が席に着くなり、係長の立石(たていし)道夫(みちお)が冗談めかして訊いてきた。ほかの三人の班員も顔を向ける。

「タテさんの杞憂でしたよ」

 伊達は微笑を浮かべて首を振る。会見を覗いて来たらどうですか、と促したのは立石だった。

「そういえば、さっそく金銭トラブルのことを質問した記者がいましたわ」

「ほんまですか」

 言って立石が椅子を回した。よく膨れた腹が伊達の方を向く。伊達が捜査一課に上がりたての頃は、それこそ息子のように可愛がられた。伊達が警部に昇任し署に出て、この春に強行第二の課長補佐(班長)として捜査一課に戻ってからというもの、周りに人がいる時は互いに敬語で話す関係になってしまっている。

「姉ちゃんでしょ?」立石は下世話な話が好きだ。

「分かります?」

刑事(デカ)の勘ですよ、刑事(デカ)の」立石は人差し指でこめかみをつつく。

「さすがですわ。ショートカットのなかなか良さそうな女性記者でしたよ。後ろ姿しか見てへんから分かりませんけど」

「それはぁ―補佐の責任でウチに引っ張ってきてもらわなアカンなあ」

 ふたりの笑い声が、明るいだけの捜査本部に響く。

 山城署は今回の現場の目と鼻の先にある。署員一〇〇名に満たないC級署。灰色がかった豆腐型の庁舎は三階建て。老朽化が進む。事件が少なく目立たない署で、捜査本部が立ったことなんて……歴史を紐解かないと分からないだろう。捜査本部は三階の大会議室に入った。大会議室の向かいにある二つの会議室のうち一つは、捜査二課が特殊詐欺事件の捜査で帳場を開いているが、捜査員はすでに帰っている。

 手持ち無沙汰になった伊達は、スマートフォンで「城陽市」を検索してみる。このまちに来るのは初めてだった。京都府南部の市。隣の宇治市のような知名度はない。ただ、京奈和道開通、アウトレットモール開業―とその地位をじわじわと上げているのは知っていた。

 伊達の口元が緩む。

「緑と太陽、やすらぎのまち・城陽」

 城陽市のキャッチフレーズ。それは、何もないですよ、と言っているに等しい。山城署の周辺が実際そうだった。遅くまでやっている、署員御用達の中華料理屋でもあれば、仕事終わりに部下を労ってやれるのだが―スマートフォンを胸ポケットに仕舞い、捜査本部を見渡す。

 長机で作られた雛壇席と四つの島。立ち上がったばかりの捜査本部に残っているのは、調査官と「伊達班」の五人のほかに、一課長の運転手と署の捜査員数人だけだ。陽が昇れば慌ただしくなる。嵐の前の静けさだ。

「これで当分、休みナシですね」

 ぽつりと伊達が言った。伊達班が次の捜査本部事件に送り込まれる「待機班」だったから、心の準備はできていた。金曜日だから今晩は飲みに行こう、と五人で予定を合わせた朝が、ずいぶん前のことのように思える。

「解決したら、うまい酒が飲めますって。流しやないやろうし、そんなにかからんと思いますよ」

 伊達は頷く。自身もそう感じていた。

 課長補佐になって初めての捜査本部事件。未解決にでもなろうものなら、担当したのは伊達班という不名誉が末代まで残る。

 が、そんな不安は微塵も感じていない。交友関係を洗えば被疑者は浮かぶだろう。舐めてかかっているわけではない。経験に基づいた、相場観だ。

 捜査本部のドアが開き、反射的に伊達は腰を浮かした。

「……あれ、課長はおらんのか。表に車があったから寄らせてもらったんやけど」

 入ってきたのは一課長ではなく、鑑識服を着た鑑識課長だった。

「記者会見中なんですわ」

 調査官が道場の方を指しながら歩み寄る。

「ああ、そうか、そうか」気の良いオッチャンみたく鑑識課長は言うとキャップを上げて、アイツもこんな時間まで大変やなあ、と頭を搔いた。髪の毛全体がへたっている。現場検証にずっと立ち会っていたのだろう。

 一課長と鑑識課長は同期だ。同級生でもあり、歳は五二、三。主に総務部と警務部を経験してきた一課長に対し、鑑識課長は鑑識一筋に歩んできた職人気質。といって張り合うわけでなく、互いに尊重し合い、肩を組んで出世の階段を昇ってきたようなふたりだった。次の一課長は鑑識課長だと言われている。

 伊達は壁の時計を見る。午前零時半になろうかという時刻だ。

「遅くまでほんまにお疲れ様です」調査官が労う。

「お互い様やないか。明日―ああ、今日か。なんか雨が降るようなこと言ってたし、外だけはやっときたかったんやわ。それだけやから、課長によろしく言っといてくれるか。どうせ、朝になったら顔合わすけどな」

「検証は土日で終わりそうですか」

 立石が立ち上がって訊いた。こちらの職人は、あと二年ほどで定年を迎える。

「いや、部屋は広くないし、二日もかかりませんわ。今日中には終わると思います」

「それは助かりますわ。よろしく頼みます」

 立石は右手を掲げて腰を折った。

「……頼みますって言われても、出るもんは変わりませんよ。鑑識は現場に残っとるもんしか採って来られませんから」

 鑑識課長の表情は柔らかだが、言葉にはトゲがあった。本人もそのことに気づいたのか、「まあ、現場に残っとるもんは見逃さずに採ってきますんで。それは約束します」と後付けした。じゃ、課長によろしく、と鑑識課長はそれで話を切り上げ、捜査本部を出て行った。

立石が薄くなった頭をさすりながら腰を下ろした。

 程なくして一課長が捜査本部に戻り、伊達班ともども山城署を引き揚げた。朝一番に第一回の捜査会議が開かれる。土日は聞き込みを重点的に行うことになっている。土日にできることは限られている。捜査が本格化するのは週明けからだ。


 伊達は運転席の立石に礼を言い、助手席から降りた。遠ざかっていく捜査車両のテールランプを見送り、住宅街に入る。午前一時過ぎ。辺りは静まり返っている。

 我が家もそうだった。一階も二階も灯りが落ちている。玄関の庇にともる灯りに吸い寄せられるように、とぼとぼと自宅に近づく。

 その時―右手の暗がりから人影が飛び出してきた。

 伊達は咄嗟にブリーフケースを掲げて身構える。

「伊達さん?」

「え?」誰だ、と目を瞠ったが、

 ……坊主頭の知らない男。スーツ姿。伊達の前で立ち止まり、夜分にすみません、と言って揃えた両手を差し出した。名刺。伊達は片手でつまみ取り、目を細めて確かめる。

「日々(ひび)新聞京都総局 記者 柏木誠」―名前も知らない。そもそも付き合いのある記者なんていない。署で当直に入った時に、署回りで訪れた記者と名刺交換したことは何度かあったが、「柏木」という名の記者はいなかったはずだ。

 伊達は目を上げる。背は伊達より低いが体軀のごつい男。ただ、純粋な目をしている。人間は目で分かる。悪い人間ではない。ただ老けて見えるだけで、歳は三十代前半だろうか。それなら俺より一〇歳近く年下だ。柏木の瞳が微かに揺れている。それを認めると、伊達は落ち着きを取り戻し始めた。

「記憶にないんですが、どこかで会いましたか」

「いや、これが初めてです。殺しの現場で伊達さんの姿を見かけたんで」

 〝殺し〟と、知ったように言ったことにも、〝伊達さん〟と、さも親しげに呼んでいることにも苛立ちを覚えた。現場で見かけたということは、会見にも出ていたのだろうか。柏木の後ろ姿は記憶にない。

「会見にも出てたんですか」

「いや、会見にはテカ二人を出席させました。私はキャップなんで、本部で原稿を書いてたんですわ」

 そのテカとやらが、現場で俺を見かけたということか。新聞社のキャップがどの程度のものかは分からないが、柏木の「キャップ」という言葉には自負を感じた。

「課長のとこに行った方がいいんちゃいますか。ちゃんと喋ってくれるでしょ」

 一課長は刑事畑ではないからマスコミに理解があるだろう、と思って言った。ふっ、と呆れたように柏木が肩を落とす。いちいち気に障る。

「一課長のぶら下がりはサブがカバーしてくれてます。どうせ、会見以上のことは喋りませんわ。やから私は伊達さんのところに来たんです」媚びるように言った。

 伊達はどやしつけたくなる衝動を堪える。

「どうして(うち)を?」

 ここは松井山手の新興住宅地。伊達の家も三年前に建てたばかり。表札を出していないし、ゼンリンにも載っていないはずだ。

「それはちょっと……企業努力ということにしといて下さい」

「ふざけた企業努力ですね。私から言えることは何もありませんので。広報対応は次席と課長なんで、もう来ないで下さい」

 普段から指導されている通りに伊達は言い、柏木に背中を向けて玄関に向かう。さすがに追い縋ってはこないだろう。

「夜分に失礼しました。またよろしくお願いします」

 背後で柏木が言った。柏木のお辞儀している姿が容易に思い浮かぶ。伊達は振り返ることも、声を発することも、手を挙げることもせず、恬として自宅に入った。

 玄関ドアの内鍵を閉めると、伊達は自らの鼓動を感じ始めた。俺のところにも記者が来るようになったか。誇らしい気持ちになる。

 ただ、それとこれとは話が違う。

 スマートフォンを手に取る。柏木の名刺を片手に、これも普段からされている指導に則り、一課長にメールで〝通報〟した。

続く

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