第二話 「救いの手」
私はニーナの父、アーデルベルト・ライトワールだ。はっきりいって今のニーナの状況に絶望している。
ニーナは魔術を使えるようになった。だが、ニーナ曰く『加速』の使い方は理論的ではなく感覚的なものらしい。
であるならば、ニーナには体に染み込むレベルで『加速』を練習してほしい。
だが、今のニーナの体では『加速』の加減が効かない。そのため『加速』を一日に一回しか使用できないのだ。
彼女には『加速』に慣れた戦い方を求められている。それしかできないためだ。だが『加速』を一日一回しか使えないなんて……おお、神よ……
そのように思い悩みながら鍛冶の仕事を行う。だが、身に入らない状況である。ニーナの練習、そして鍛冶の仕事。どちらにも手がつかないこの現状だが、救いの手を差し伸べてくれる人が現れた。
カランコローン、と鍛冶場にベルが鳴り、人がやってきたことを知らせる。
「はい、いらっしゃい」
「こんちはアーデルベルトのおじさん。依頼してたアーマーは完成した?」
「やあクリス。安心したまえ、きちんと完成しているよ。見るかい?」
「ああ、もちろん。おじさんの武具なら安心だけどね」
私が作ったのは動きやすいようにと鱗のようなものを重ね合わせた軽量ながらも十分に強度のあるアーマー。今のフラークスの主流といえる武具である。
魔術師しかいない環境で重厚なアーマーを着る必要はない。それを着るくらいならクリスのようなサポート専門の魔術師が『魔法障壁』や『身体強化』の魔術を付与した方が……
『身体強化』……? これだ‼
「クリス! 私の娘を助けてくれ!」
「……さすがにボクの魔術で病とかは助けられないよ?」
……冷静になろう。急を要するがそこまでのことではないのだから。
「すまない。病とかではないんだ。私の娘なんだが今度から冒険者デビューさせようと思っていてな。だが、娘が使える魔術が『加速』だけなんだ。」
「……うん」
「娘が『加速』しか使えないせいで『身体強化』を付与できず、『加速』を満足に使えず体が疲れてしまうんだ。頼む、娘の練習のために『身体強化』を付与させてくれないか?」
クリスが真剣な顔でこちらを見てくる。その表情には悩みや諦めといった複雑な感情を漂わせている。
私のお願いがそんなに大変なものなのだろうか。
「いいよ。その代わり二つ聞くね」
「ああ、いいぞ」
「まず一つ。依頼として受けるから報酬をいただきたい。報酬はそうだね……このアーマーを半額にしてくれること。練習期間は一週間くらいだろうからこれくらいいただくよ」
「そうだな。一週間お願いしたいしそれで構わない」
俺の作る武具はそれなりに品質が高い。一週間冒険者を練習指南に依頼するとなると納得である。
「それで、もう一つは?」
「もう一つ、おじさんは本当に娘さんを冒険者にしたいんだね? はっきり言うけど、冒険途中で死ぬ可能性が高いよ」
クリスとはかなり仲が良く、店主と客の間柄ながら飯にも行く。だが、さすがに今の言葉には不快感を得た。
「クリスが優しいことは俺もちゃんと知っている。だが、さすがにその言葉は俺にも、何より娘に失礼じゃないか?」
「うん。失礼だね。だけどそれ以上に厳しい現実を知ってほしいんだ。おじさんは鍛冶屋一筋で冒険者稼業がどんなものか知らないでしょ?」
「……ああ、そうだな」
たしかに俺は知らない。冒険者がどういうものかを。毎年冒険者デビューする人と冒険者の死亡者数がほぼ同じということくらいしか知らない。
「本当にね、簡単に人が死ぬんだ。魔物が魔術を使うことだってある。なんだったら純粋な力と力のぶつけ合いなんだ」
クリスは悲痛な声で続ける。
「だから弱かったら死ぬ。ただそれだけ。弱肉強食の世界だ。彼女はボクみたいにサポートすればある程度活躍できるかもしれないよ?
だけどさ、それっておんぶにだっことおんなじなんだ。だって剣より魔術の方が強いから。これは揺るがないよ。
そうやって人類は魔物に対抗してきた。おじさんの作ってくれるアーマーだってみんな最後の保険として買ってくれるんだよね? そういうことだよ」
魔術は剣や槍といった物理攻撃より強い。ずっと、ずっと言われてきたこと。
だけど、だけどよ……
「それでも、頼む。娘に夢を見させてくれないか……それでダメなら俺がちゃんと伝える」
親バカなのは分かってる。無理を承知なのも分かってる。だけどな、俺はニーナが【俺の剣を使って活躍したい】といったあの言葉を裏切りたくないんだ。
「はあ……分かったよおじさん。やるからにはちゃんと教えるからね」
「……! ありがとう! ありがとうクリス!」
「まったく、一度言ったら聞かないからねえ。仕方ないよ。それに、おじさんの娘さんがこのフラークスの常識を覆す可能性を考えるとワクワクするしね」
「ということで、これから一週間、ニーナの指南をしてくれるクリスくんだ。色々教わるんだぞ」
「はじめまして。キミがニーナちゃんだね。ボクはクリス、現役の冒険者で無属性のスペシャリスト、なんて恥ずかしい二つ名で呼ばれている」
「クリスさんですね。よろしくお願いします!」
「今回の依頼では主にキミに『身体強化』を付与して『加速』に慣れてもらうことを目的にしているけど、さすがに冒険者デビューしてもらうには色んな知識を得てほしいから今まで経験したことを教えていくよ。よろしくね」
「はい!」
「俺はそろそろ鍛冶の仕事に戻る。クリスに色々教わるんだぞ」
「うん!」
ここからだぞ。ニーナ。頑張れよ。
アーデルベルトは心の中で呟き、広場を後にする。
ここから冒険者として戦えるかの資質を問われるのはニーナ自身なのだから。
さて、これから短いけれども過酷な一週間が始まる。もっともこの過酷というのはニーナちゃんにとってだけどね。
「さあ、始めよっか。まずはキミがどんな風に『加速』をどんな風に使ったのか教えてくれるかな?」
「うーん。速く! 速く! ってイメージしたらできなくて、速く、に加えて鋭くイメージして、あとは踏み込む時に溜めを作ろうとしてみました」
「なるほどね。魔力が通っている感覚はつかめた?」
「まだつかめてないです。走ったら自然と使えた感じです」
ふむ、俗に言う魔術の前兆のようなものをこれで初めて分かったということか。
「じゃあ、まずは魔力の通い方を理解できるところまで慣れていくしかないね。じゃあ今からニーナちゃんに『身体強化』を付与するよ」
『身体強化』。いつものように心の中で呟く。体の中の魔力を通わせ、彼女へと届ける。
「なんか、体が元気になったような……?」
「うん。『身体強化』をかけたからね。これなら『加速』を使っても体が疲れることはないよ」
「へー魔術ってすごい! あ、そういえば……なんか魔術の呪文詠唱とかしなくていいんですか?」
「そうだねえ。【した方がいい人】と【しなくてもいい人】がいるね。この二種類の人について説明しようか。
まずはしなくてもいい人から説明するね。しなくてもいい人はその魔術の在り方や、体の中の魔術回路をどんな風に使えば魔術が成功するか分かる人だね。念のためボクは心の中で『身体強化』って呟いて魔術を行使してるよ」
さっき使った風に。心の中で呟かなくても別にできなくはないけど、他の人に付与させる魔術だから丁寧に行いたいんだよね。
「分かりました。では詠唱をした方がいい人は?」
「うん。詠唱を行う理由は2つあって、フラークスの世界には魔術の素である魔素が漂っているんだけど、それを利用するために詠唱するんだ。上級や極級の魔術を使う時に詠唱する人が多いね。一度使うと体の魔力が一気に減っちゃうからそれの防止も兼ねてるんだ」
「なるほど……そしてもう一つは?」
「単純に魔術行使をするのが不安定な人たちだね。魔術詠唱をすることによって魔素を取り込むのはもちろんのことなんだけど、詠唱をすることでその魔術が発動しやすくなるんだ。
これはフラークスの世界の影響力なのかな。そういうシステムがフラークスには存在するって聞いたことあるね。それを利用して難易度の高い魔術を成功させようとしていることもあるね」
「そういった側面もあるんですね。でもなるべく無詠唱の方がいいですよね。魔物の中にも詠唱でどんな魔術が来るか分かって対策してくるかもしれませんし」
ふーん。いいセンスしてるね。一つの情報から別の知識を得られるのは成長するためには大きな要素だからね。
色んな魔術さえ使えれば大成していたかもしれない……そう思うとやるせなくなるね。
「そのうえでニーナちゃんには『加速』を無詠唱で使えるようになってもらいたいんだ。キミは『加速』を使った戦闘スタイルを確立するしかないからね。『加速』を呼吸レベルで無意識に使えるようにならないと、冒険者として活躍するのは難しいと思うよ」
「はい。頑張ります」
「これは大変なことだ。時代を逆行した戦い方。そして攻撃魔術を使ったいろんな人たちと遜色ない戦闘力を持たないといけないからね」
さあ、これから『加速』のみをもつ少女との一週間が始まる。