見えない街のどこかで
新宿ワシントンホテル旧館二十四階の部屋を出てねずみ色のカーペットが敷かれた通路をエレベーターの乗り場に向かうと、白い杖を手にしたひとりの青年が戸惑っていた。三つずつ向かい合う六基のエレベーターは到着すると丸いランプが点灯するのだが音はせず、目が見えない青年にはどの入口から乗りこめばいいのかわからないようだ。呆然と立ちすくむ青年を横目に逆三角形のボタンを押してしばらく待つとボタンを押した側と反対のランプが点灯し、ドアが開いた。白杖の君は動かない。ちょうど居合わせた初老の紳士が肩を抱きかかえるようにして青年をエレベーターの箱の中に乗りこませた。ドアが閉まり、一瞬ふわりとからだが浮き上がり、箱は地上に向かって急降下する。落ち着きのない様子で青年が尋ねた。
「一階に止まりますか」
「ええ。ただ途中で何回か止まるみたいだな」
初老の紳士はそう言って、そして黙った。1階のボタンはすでに点灯している。問題があるとすれば『3階フロントロビーにていったん停止します』という表示だった。7階で停止し、まだまだ、と紳士が呟く。女性客が三人、乗りこんでくる。強烈な化粧の香りと息苦しい沈黙。3階で停止すると女性客が吐きだされ紳士が、まだ1階ではない、と青年に伝えた。やがて箱が再度、止まった。
「1階だ」
白杖の青年は箱から出ていき初老の紳士もいなくなり、エレベーターは空になった。