第二十五話 伯爵との夕食
「うまい……」
箸で一口すくい、口に運べば次は酒が欲しくなる。
くいっとお猪口を傾ければ口の中に爽やかな香りが広がり全てを洗い流していく。
そうすると再び箸が料理へと伸びる。
だめだ、これエンドレスになりそう。
「はは、口にあったようでよかった」
「おっと、失礼しました。あまりにも美味しかったのでつい」
白いテーブルクロスの上に置かれた黒四角の皿の上には綺麗な料理が飾られていた。
そのどれもが趣向を凝らしてあり、味もさることながら目も楽しませてくれる。
先付けがこれだけ美味しいとなるとこのあともかなり期待できそうだ。
「このお酒も素晴らしいですね」
「わかりますか? そちらは当家で作っている特選純米大吟醸でしてね」
「なるほど。柔らかな甘味と果物のような香り、たまりませんね」
俺が答えると伯爵はピクリと眉を動かした。
あれ、なにかまずいことでもいっただろうか。
「そういってもらえると嬉しいですな」
だが、違和感は一瞬で消え微笑に隠される。
気のせいかな?
それにしても酒と料理の相性が合いすぎてて怖いくらいだ。
日本酒は今まであまり美味しいと思ったことはなかったけど、これなら日本酒が好きという人の気持ちもわかる。
「さ、遠慮なさらずに。そちらのお嬢様方も」
伯爵がタマモたちにも食べるように勧めるが、彼女たちは手を付けようとしない。
料理が少しばかり大人向けというか、酒向けの料理だから仕方がない部分もあるかと思っていたのだが、違ったようだ。
「は、はい、ありがとうございます。いただきます」
「お姉ちゃん、この棒どうやって使うの……?」
「ナナオ、うちにわかるわけがないやん……」
「しかたないの、妾が教えるのじゃ」
考えてみれば街のレストランなんかではずっとフォークとスプーン、ナイフだった。
特に気にしていなかったが、まさか箸が使えないとは。
いや、一般庶民ではそれが普通なのかもしれない。
思い出せば他の客が箸を使っている姿も見たことがないし、そもそも箸が出てきたこともない。
「ウリュウ殿は、やはり箸を使えるのですな」
「……、ええ、まぁ」
何か試されたみたいだな、これ。
たぶんだけど靴と同じく、箸が使えるのはそれなり以上の家の人間だけって感じなのだろう。
「失礼。少々気になったもので」
「今は亡き両親の教育が厳しかったもので」
「そうですか……」
それ以上詮索するなと軽く釘を刺す。
この人ならこれだけで十分理解してくれるだろう。
「ミサト、お嬢様方にフォークとナイフを用意して差し上げろ。それからメニューも、わかっているな?」
「はっ」
「それなら妾の料理も同じものにするのじゃ」
「承りました」
どうやらタマモたちの料理はわざと大人と同じものが出されていたらしい。
様子を見る限り、アヤセも言い含められてたのかな。
彼女も幼いながらに貴族ということなのだろう。
その後出された刺し身を始めとした料理の数々は期待したとおりとても美味しかった。
これだけ美味しい料理を毎日食べれると考えれば貴族というのも悪くないのかもしれない。
もっとも、伯爵は上級貴族。
しかも法衣ではなく領地持ちの貴族だからという線も捨てられないからなんともいえないけど。
「ごちそうさまでした」
「満足していただけたようで何より」
「ええ、素晴らしい料理でした」
本心からそう答える。
あとで街を散策して是非とも何本か購入しておきたいし、銘柄を教えてもらうのを忘れないようにしないと。
「ところで、このあとに予定はありますかな?」
「いえ、あとは帰って寝るだけですね」
俺は気分良く答える。
うまい飯、うまい酒、あとは寝るだけとなれば機嫌も良くなるというものだ。
「ならば少々お付き合いいただきたいのだが」
「今からですか? うーん、うちの子たちがもう眠そうですからできれば明日にしてもらいたいのですが」
せっかくなのだから今日のところは気分良いまま締めたい。
アルコールが回ってるし、変な言質取られるのも怖いし。
「それでしたら当家に泊まられてはいかがかな?」
「え?」
「それがいいのじゃ! ミサト!」
「はい、客間は用意できてございます」
「では案内するのじゃ!」
俺が呆気にとられているうちに小太郎たちは連れ出されてしまった。
随分手際のいいことだ。
酒に酔っていたとはいえ、少し油断しすぎたかもしれないな。
「はは、そう警戒なさるな。なにも取って喰おうというわけではないのだ」
「いえ、そういうわけではありませんよ」
とはいうものの、俺からしたら人質を取られたも同然なんですけどね?
いざとなったら館を爆破して逃げ出すぞ。
っと、思考がちょっとばかり危険な方向に行き過ぎた。
それもこれもうますぎる酒が悪いんだ……。
「食事の他にもう一つ、自慢したいものがあってな」
「自慢ですか?」
「ああ。まぁ騙されたと思ってついてきてくれたまえ」
伯爵は席を立ち上がるとこちらに背を向けた。
罠、はいまさらか。
はめようと思えばこれまでの流れでいくらでもはめれたはずだ。
毒食えば皿までともいうし、最後まで付き合うとしよう。
「お供します」
俺は覚悟を決めて伯爵のあとをついていくのだった。
「伯爵、これはずるい。ずるすぎますよ……」
「ははは、どうかね? 身も心も溶けるようだろう」
「ええ、伯爵が自慢するだけはあります……」
星空の下、俺は肩まで湯に使っていた。
伯爵が自慢したかったもの、それは立派な露天風呂だったのだ。
洗浄の魔法があるとはいえ、風呂は日本人の魂ともいえる。
俺も銭湯に時々いっていたものだ。
まぁお金がなかったから銭湯に行くのはせいぜい週に一回程度だったが。
湯船で揺れる桶には徳利とお猪口。
ここは天国なのだろうか。
「さぁ、一献」
「おっと、これは失礼」
差し出されたお猪口を受け取り、注がれた命の水を呷る。
五臓六腑に染み渡るとはまさにこのことだろう。
夕食に供されたものも素晴らしかったが、この酒も甲乙つけがたいほどにうまかった。
文明レベルがかなり衰退しているというのに、やはりあるところにはあるのだなぁ。
もしかしたら貴族という特権階級が一部の文化を保全しているのかもしれない。
嗜好品や美術品といったものはそういう層が居ないと廃れてしまうものだし。
「伯爵もどうぞ」
「これはすまない。しかし、自分の娘にこういうのはなんだが、あのじゃじゃ馬をどうやって手懐けたのだ?」
「へ?」
「こうして裸の付き合いもしたのだ、少しは胸襟を開いてもらいたいものだ」
アヤセは今までどれだけ優秀な教育係を着けても全て追い返してしまっていた。
それが昨日気を失って帰宅し、朝になれば俺のことを拒むどころか自ら近づいて教えを請うた。
「親バカといわれるかもしれないが、自分の娘のことだからな。気になるのだよ」
わずか一日でこの代わり様だ。
狐につままれた気分になったらしい。
そしていままでの苦労は一体何だったのかとも。
「ミサトも口を割らなくてな。何も知らないと嘯きよった」
「あはは……」
ミサトさんも義理堅いな、自らの主に逆らってまで俺のことを秘密にしてくれたのか。
だが気取られない程度に離れたところから監視はされていたはずだ。
それでも信じられずに俺に直接聞くことにしたというのが真相といったところだろう。
別にそこまで隠していることでもないが、ミサトさんの手前全てを明かすのも申し訳が立たないかな。
「少しばかり現実を教えて差し上げただけですよ」
俺が伯爵から依頼されたときの台詞を返してみる。
すると彼は面白いものをみるようにニヤリと笑った。
「なるほどな。上には上がいるということを教えたわけか」
「さて、なんのことでしょうか」
「ふん、ウリュウ殿は人が悪い」
そういう割には楽しそうに小さく笑っている。
ま、こういう人だから俺も協力する気になったんだけど。
「なにぶん育ちが悪い物で」
「飲め」
「いただきます。それでは返杯を」
「いただこう」
返杯を繰り返し、夜は更けていく。
その姿を見ているのは半分に割れた月と瞬く星だけだった。




