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とりあえずシッミ―ってのはどうだ?

こ、この人は……! 本当に自分の立場を分かっているのだろうか?! ……いや、そもそもお嬢様はまだ十二歳。本当は『まだ十二歳』ではなく『もう十二歳』と言いたいところだ。


やはり頭がちょっとあれなせいで、今の自分の立場を理解するのは少々難しいのか……?


アザレア様をスラム街の孤児だと知らせず、ラナンキュラス家の養子として迎え入れさせた後に、アザレア様の正体を知ったラナンキュラス家ご夫妻はきっとお怒りになる。だったらここは最初から素直に話すべきだ。アザレア様の出自について――


「あなたって本当に心配性よね。たまに心配しすぎてあなたが倒れないか心配になるわ」


呆れたように言うお嬢様。その言葉に、俺はつい本音を漏らした。


「だったら……俺に心配させるような事しないで下さいよ。これじゃあお嬢様のせいで胃に風穴が空きます」


そうなったら一週間どころか一ヶ月くらいの休暇を旦那様にお願いしよう。冗談めかして言ったつもりだったが、あながち冗談でもない気がする。


「リヒト。あなただったら分かるでしょ? あのご夫妻なら大丈夫だって」


その言葉に、俺は黙り込んだ。右拳に力を込めて視線を下に投げた。


「それは……」


確かにあのご夫妻ならば、アザレア様がスラム街の孤児だと知ったとしても、きっと笑顔で迎え入れてくれるだろう。


そう、あの時の俺のように――


「記憶のなかったあなたを保護してくれたは、他の誰でもないあのご夫妻じゃないの。得体の知れない、素性も知れなかったあなたに温かい食べ物を与えてくれて、着る服も与えてくれた。そして今の居場所までも与えてくれたのですよ」


お嬢様は、俺がラナンキュラス家に拾われた時のことを知っている。それは、お嬢様がまだ幼い頃に、俺がぽつぽつと話した断片的な記憶からだろう。


「お、お嬢様それは――!」


動揺が声に滲んだ。俺が過去を話すのは、お嬢様相手だけだと決めている。


それを今こうして、まるで当然のように口にされるのは、少々気恥ずかしい。


「そんなご夫妻だからこそ、アザレアの事をお願いする事が出来ると思うのです」


窓の外を見つめていたお嬢様は、こちらに目を向けると優しく微笑んだ。その姿を見た俺は、力を込めていた拳を解き、苦笑しながらお嬢様へと頭を下げる。


「そうですね……。お嬢様の言う通り、あの方々ならきっと――」


俺は目をつむって、あの時の事を思い出す。


「何だお前、こんなところに座り込んでどうした?」


「っ!」


真冬のなか行き場がなかった俺は、薄い毛布に包まりながら路地裏に身を潜めていた。冷たい風が容赦なく吹き付け、骨の髄まで凍えさせる。


そこを偶然通り掛かったユリウス様が俺に気がつくと、しゃがみ込んで顔をじっと覗いてきた。その視線は、決して侮蔑的ではなかった。


「な、何だお前……! あっちに行けよ!」


震える声で、精一杯の威嚇をする。だが、体が震えるのを止められなかった。


「ふむ……この我の事を知らないのか? なぁ、少年。なぜこんなところに座り込んでおる? 寒いのか?」


「み、見れば分かるだろ!」


俺の態度に、ユリウス様は少しも眉をひそめなかった。


「そうか……では、我と共に来い」


「は、はぁ?! あんた何言ってんだよ! こんな見ず知らずのガキを助けるって言うのか? はっ! それとも奴隷にでもするつもりか?」


毛布の中で緑色の瞳を鋭く光らせながら、真冬の夜に輝く翡翠色の髪を持った男を睨み上げた時、首根っこを掴まれた俺の体は軽々と持ち上げられた。まるで軽い荷物のように。


「うわっ、何だこの軽さは。お主まともにご飯も食っていないだろ?」


「ばっ! は、放しやがれ!!」


抵抗する俺に、ユリウス様は穏やかな声で告げる。


「黙れ少年。大人しく我に助けられろ」


「っ!」


その言葉に恐る恐る顔を上げ、ユリウス様の金色の瞳をじっと見上げた。その瞳には、嘘偽りのない優しさが宿っていた。そんな俺に気がついたユリウス様は、優しく微笑むと頭を優しい手つきで撫でてくれた。


そこからユリウス様の温かい何かを感じ取った俺は、ユリウス様の優しさに触れて、みっともなく大声を出して泣き出してしまったんだ。凍えきった体と心に、温かさが染み渡る感覚だった。


「よしよし、もう大丈夫だ。お前の事はこの我がどうにかしてやろう」


ユリウス様に優しく背中を擦られながら、俺はラナンキュラス家の屋敷へと足を踏み入れた。広大な屋敷は、路地裏の俺には眩しすぎるほどだった。


それから自分の名前の事や、両親のこと、どこからやって来たのかという事を尋ねられたが、俺は全ての事に対して頭を左右に振った。記憶が、まるで抜け落ちたように何も思い出せない。


「なるほど、記憶を失っているのか」


その時部屋の中には、お嬢様のお父様であるアース様もユリウス様に呼ばれてやって来ていた。


「アース。お主もこの少年の事を見たことがないのか?」


「あぁ、残念ながら見たことないな」


アース様は座っていたソファーから立ち上がると、俺の前に立ってまじまじと顔を覗き込んできた。


ヴァイオレットモルガナイト色の瞳の中に、不安そうにしている自分の顔が映り込んでいる事に気が付き、俺は思わず視線を左に逸した。


「金髪に……緑色の瞳か……。おそらくどこかしらの貴族の出だろうが、今のところ行方不明届けは出てないな」


「そうか……では、この少年の家族を見つける事は難しいか」


「まぁ、そうだな。だったらいっそ、お前ん家で引き取ったらどうだ?」


「我の家でか? 我とカトレアは別に構わぬが、なんせこの少年は頭を中々縦に振らんのだ。理由を聞いても『嫌だから』の一点張りでな」


「まじかよ!? あのラナンキュラス家の養子になれるって言うのに、珍しいガキも居たもんだな。……あっ、記憶がないからラナンキュラス家って聞いても分からないか」


ユリウス様とアース様はどうやらこれからの俺の行き先について議論しているようだった。その頃の俺は別にラナンキュラス家の養子になっても構わないと思っていた。


でも俺は何故か『嫌だ』と思ってしまった。理由は分からなかったけど。ただ、漠然とした拒否感が胸の奥にあった。


俺は首から下げていたアンティーク調の懐中時計をギュッと握りしめた。


この懐中時計は記憶を失った時にはもう俺の手の中にあった。しかし懐中時計のガラスにはひび割れが走っていて、壊れているのか時計の針も16時44分を指したところで止まっている。


「なら、少年。俺の屋敷で執事見習いをやってみるってのはどうだ?」


「え?」


執事見習い? それって何だ?


「おい、アース。この少年を助けたのはこの我だぞ。なのに勝手に決めてどうする?」


「まぁまぁそうお硬いこと言うなよ、ユリウス。俺とお前の仲だろ? それに執事が一人欲しいと思っていたのは本当だしな」


「執事が一人欲しい? ……あぁ、なるほどそう言うことか」


「そう、そう言うこと。だから一先ずここは俺に任せてもらえないか?」


ユリウス様は深々と溜め息をつくと渋々と頷いて見せる。了承を得たアース様は歯を見せてニカッと笑うと、俺の体をひょいと抱きかかえた。


「なっ!?」


「おっ、本当にお前って軽いんだな。男のくせにひょろっちぃ。これからはちゃんと食っていかないと大きくならないぞ。それに体力負けするからな」


「は、放せ!! 俺をどこに連れて行くつもりだ!」


俺はバタバタと体を動かしながら、何とかアース様から逃れようとした。しかしがっしりと体を抱き抱えられているせいで、全然びくともしない。


この人……服を着ているせいで気づかなかったけど、思ったよりも体は鍛えられているんだな。腰に剣があるって事は剣士か騎士なのか?


それにさっき言っていた体力負けするってどういう意味だ? まさか本当は執事見習いにする気がなくて、剣士か騎士にでも育て上げるつもりなのか?


アース様によって馬車の中に連れ込まれてからようやく開放され、俺は居心地の悪さを感じながら窓の外をじっと見ていた。知らない景色が、次々と流れていく。


「そういや、ちゃんとした自己紹介をしていなかったな。俺はアース・フレア・ド・アウラ・ロベリアだ。まあ名前は長いからアース・ロベリアって覚えとけ。そんでお前の事はユリウスからちらっと話は聞いてる」


「……そうかよ。それで俺をどうするつもりなんだ? 剣士にでもするのか?」


疑わしげに尋ねる俺に、アース様は笑いながら答えた。


「剣士? いやいや、そんなひょろっちぃ体格で剣なんて持たせられるかよ。さっき言っただろ? お前はロベリア家で一ヶ月執事見習いをやってもらう。まぁ剣士になりたいって言うんならそれでも構わないが、なんせ俺の息子たちは手加減ってもんを知らない。大怪我したいってんなら止めはしないが?」


「うっ……」


ひょろっちぃってうるさい人だ。確かに今はひょろっちくて背も低い。子供だから力で大人に勝てるわけがない。だったらいっそ、一ヶ月間執事見習いって言うのやってみるか? もしやってみて駄目だったら、今度はユリウス様に頼んで養子にしてもらおう。


うん、そっちの方が下手に怪我とかしなくて良さそうだし何より楽そうだ。


「剣士には別になりたくない。だから執事見習いって言うのやってやる」


「おっ、言ったな。今の言葉忘れないからな、少年。いや……ずっと少年って呼ぶのもなんか可哀想だな」


「別に良いし、名前なんてあってもなくても」


投げやりに答える俺に、アース様は少し眉をひそめた。


「それは駄目だ。名前と言うのは、その人個人の存在証明をしてくれるものだ。まぁ身分証明書みたいなやつだ」


「は、はぁ……?」


存在証明? そんな大層なものなのか。


「名前は……そうだな。正式な名前は後で決めるとして、しばらくの間は『シッミー』なんてどうだ?」


「……っ」


その名前に俺は分かりやすいように表情を歪めた。


は? シッミー? 何だその名前。めちゃくちゃダサくないか? てか、何でシッミーなんだ?


「なんだ、嫌なのか?」


「嫌に決まっているだろ! 何だよ、シッミーって!?」


「ん? 『執事見習い』から取って『シッミー』にしたんだが、分かりにくかったか?」


いや、分かりにくいだろ。この人まさか本気で『シッミー』なんて名前が良いと思ってんのか?


「そんなダサイ名前! 絶対名乗らないからな!」


「う〜ん、そうか〜。実は俺の息子も娘も妻が名付けてくれていてな。俺が名付けようとすると決まって妻に『あなたはやめて』って言われるんだが、やっぱり俺が考えた名前はダサイのか?」


「……その人がそう言うなら、そうなんじゃないのか?」


一体この人は自分の子供にどんな名前を付けようとしたんだ。想像するだけで恐ろしい。

更新再開します!

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