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誰がなんと言おうとも

「――以上が、アザレア様のご報告になります」


リヒトは恭しく頭を下げ、分厚い報告書をわたくしの目の前に差し出した。その姿勢は完璧で、まるで絵画のよう。


「あ、ありがとう……リヒト」


わたくしはリヒトから受け取った『活動報告書』を見下ろし、そこに書かれている内容に軽く目を通した。数日前、わたくしは確かにアザレアを探し出すようにリヒトにお願いした。


そう……ただの『人探し』を、それも名前以外の情報なしで、だ。


それだけだと言うのに、この報告書の分厚さは一体何なの!? これもう、本が一冊出来上がるくらいの厚さよ! 人探しをお願いしただけなのに、ここまで調べてこなくても……。


いや、でも。わたくしが知らない幼少期時代のアザレアの情報がきめ細やかに記載されている。これはリヒトが出ていった後に、じっくりと読み込ませてもらおう。そして、後世に家宝として残す所存だ。


「お嬢様がアザレア様のことを知りたがっていらっしゃるようでしたので、人探しを含め、俺なりに彼女の情報を集めてみました。なので特に深い理由はありません」


そう言ってリヒトは、ニッコリとわたくしに笑い返してみせた。


一見、その笑顔はとても爽やかで、彼のことを知らない人がその顔を見たら、間違いなく一瞬でハートキャッチされるだろう。


しかし、わたくしから見たらその笑顔から、『ちゃんと見つけましたよ? これで満足ですよね?』と、まるで無言の圧力をかけられているような感覚に襲われた。


さ、さすがカンナ・ロベリアの執事なだけある。頼んでもないことまで、こんなに簡単にやってのけてしまうのだ。とりあえずここは、素直に褒めることに尽きる。


「さ、さすがリヒトね。まさかアザレアの情報をこんなにたくさん集めてくれるなんて、思ってもいなかったわ。さすが私の専属執事ね。あなたにお願いして正解だったわ」


うん、本当にリヒトにお願いしてよかった。後で彼に何かお礼でもしなくちゃね。彼ほどの有能な人材は、どこを探しても見つからないだろう。


「そんなことありません。お嬢様にご依頼されれば、必ずやり遂げるのが、俺のポリシーでもありますから」


「ぽ、ポリシー……ね」


本当にカンナ・ロベリアの言うことなら何でも忠実にこなすのね。そう思うとちょっと怖いところもあるけれど、やっぱりリヒトを協力者として引き入れて正解だったと、改めて確信する。彼がいれば、わたくしの計画もきっと上手くいくはずだ。


「ところでお嬢様。これは俺個人としての意見なのですが、発言をお許し願えますか?」


リヒトが、いつになく真剣な面持ちで尋ねてきた。彼の表情は、普段の完璧な執事の顔とは少し違っていた。


「ん? 良いわよ、何でも言ってちょうだい」


リヒトからわたくしに意見するなんて珍しい。これまでそんなこと一度もなかったのに。そう思いながら報告書のページをパラパラと見送っていた時、リヒトはゆっくりとわたくしの側へと歩み寄ってきた。彼の足音が、静かな部屋に響く。


「お嬢様。アザレア様と関わるのは……やめておいた方がよろしいかと思います」


「……っ」


その言葉を聞いた瞬間、報告書をパラパラとめくっていたわたくしの手がピタリと止まった。心臓がドクンと跳ねる。ゆっくりと、リヒトの顔を横目で見上げた。


その時のリヒトは、前にも一度見たことがある表情を浮かべていた。


ああ、この目はあの時と同じだ。


獲物――いや、敵を見るような鋭い目つき。緑色の瞳からは光が失われ、瞳の奥で、底知れぬ敵意むき出しの感情が鳴りを潜めているのがわかる。


わたくしは軽く目を細めて、低い声で口を開いた。


「リヒト。それは一体どういう意味なのかしら?」


「これはお嬢様のご心配あってこその助言です。そこにも書いてありますように、アザレア様は貴族ではなく平民出身です。しかも平民の中では特に最悪と言われる『スラムの孤児』ですよ」


アザレアがスラムの孤児だったということは、既にゲームをクリアしているわたくしからしたら、何とも思わない情報だ。しかし、リヒトにとっては、それは彼女と関わるべきではない明確な理由なのだろう。


ゲームのお話でアザレアがスラム街に住む孤児だと判明するのは、彼女を貶めようとしたカンナ・ロベリアが最後に取る手段なのだ。


確かリヒトルートでカンナ・ロベリアは、「この薄汚いスラムの女め! 今すぐこの学園から出ていきなさい!」と学校の放送機器を使って、全校生徒に彼女の正体を暴露した。


そのせいで、自分がスラムの孤児だったことがバレてしまったアザレアは、クラスメイトや友達から数々の嫌がらせを受けることになる。


そんなアザレアの姿を、リヒトは心を痛めながら、カンナ・ロベリアの側で傍観していた。そう、彼女がスラムの孤児だという情報をカンナ・ロベリアに流したのが、他ならぬリヒトだったのだ。


しかし、今のリヒトは心を痛めるどころか、アザレアと関わるなとわたくしに忠告してきた。


それはきっと、リヒトなりにわたくしのことを思ってのことなのだろう。彼からすれば、身分の低い人間と関わることは、わたくしの名誉を傷つける行為だと考えているに違いない。


「リヒトが言いたいことは分かります。でもわたくしはアザレアを幸せにする義務があります」


わたくしの言葉に、リヒトはさらに目を細めた。彼の表情はますます険しくなる。


「それは前にも言っていましたね。その義務は、お嬢様でなくてもよろしいのではないですか? 顔も知らない、面識もなく、お友達でも何でもない赤の他人のため、なぜお嬢様がそんなことをなさらないといけないのでしょうか? 全く理解ができません」


「いいえ、リヒト。これは……わたくしがやらなければならない事なんです」


リヒトには、このゲームの世界で、カンナ・ロベリアがアザレアに対して行う悪行については話していない。


もし話してしまったら、「ゲームの世界のルールに則る方がよろしいのでは?」などと言い出すに決まっている。


だから、わたくしはリヒトに本当のカンナ・ロベリアのことも、カンナ・ロベリアがルートによって死ぬかもしれないことも、伝える気は一切ない。


話してしまったら、リヒトがどんな風に動くのか全く想像がつかない。


最悪……彼はその手で攻略キャラクターたちを含め、アザレアまでも殺しかねないのだから。


彼はそれほどまでに、わたくしに対して絶対的な忠誠を誓っているのだ。


「アザレアがスラムの孤児? そんなこと、このわたくしには関係ありませんわ! アザレアはアザレアです!」


持っていた報告書を机の上に投げ捨て、勢い良く立ち上がったわたくしは、リヒトの前に仁王立ちし、胸の前で腕を組んでみせた。まるで不屈の女王のようだ。


「お嬢様。どうして会ったこともないその人を、心から信じられるのですか? もしお友達になられたとしても、お嬢様のことを上手く利用して誘拐でもされてしまったら――」


「リヒト!」


わたくしは彼の胸ぐらを掴み、自分の顔をぐっと彼へと近づけた。


急に胸ぐらを掴まれたリヒトは、ちょっとびっくりしたのか瞳を軽く見開いている。その瞳には、一瞬の動揺がよぎった。


「確かにあなたの言う通り、アザレアがわたくしのことを騙して誘拐するかもしれません。でもわたくしは彼女のことを心から信じています。顔を知らない? 面識がない? 素性も知らない? ふん! それはあなたにも言えることですよ、リヒト!」


「っ!」


わたくしの言葉に、リヒトの表情が凍り付いた。彼は何も言わない。その沈黙は、彼がわたくしの言葉の意味を深く理解した証拠だ。


「ですがわたくしはあなたのことを誰よりも信じています。理由は……それだけで十分でしょう!」


わたくしの言葉に、リヒトはさらにびっくりして瞳を丸くしていた。


そう……わたくしは信じているのだ。この言葉は、前にも彼に言ったことのある言葉だ。


その意味について、リヒトは誰よりも重みを感じているはず。彼がまだ幼く、周囲から距離を置いていた頃に、わたくしが彼にかけた言葉。それは彼を縛り付け、同時に彼を救った言葉でもある。


「……そうでしたね、お嬢様」


胸ぐらを掴んでいた手を放すと、リヒトは乱れた服を整え、ゆっくりと頭を深々と下げた。


彼の声には、僅かながら諦めと、再びわたくしの意志を受け入れる覚悟が滲んでいた。


「大変失礼致しました、お嬢様」


「良いのよ、リヒト。誰が何と言おうと、わたくしがアザレアを幸せにしてみせるんだから」


これはわたくしにしかできないことだ。誰が何と言って邪魔して来ようと、わたくしは、わたくしの大好きなアザレアが一番幸せになれるように奮闘する。


たとえその先で、ゲームのルート通りに死ぬ未来が待っていたとしても、わたくしは――

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