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不浄な存在と気高き拒絶

わたくしたち三人がアカデミーの広大で美しい敷地内を歩き回る光景は、単なる見学の域を超えていた。それはまさに、王族の公式行進にも等しい圧倒的な注目の的だった。


石畳の回廊を行くたびに、生徒たちの視線が磁石のように吸い寄せられる。


「見て、アイリス様よ! 今日もあの神々しい光を放っていらっしゃるわ」


「今日もお美しいわ……ああ、あの慈悲深い微笑みだけで、わたくしの世界が救われるようだわ」


「さすが、未来の王妃様ですわ。そのお姿、遠くから拝見できるだけで光栄です」


周囲の生徒たちから投げかけられるのは、アイリスに対する熱狂的な尊敬と、狂信的とも言えるほどの限りない憧れがこもった視線や感嘆の言葉ばかりだ。息を呑む音、憧憬の溜め息。さすがアイリス、この学園における絶対的な人気とカリスマは、揺るぎないものがある。


そのアイリスの隣を歩くアザレアもまた、アイリスの優しい言葉に熱心に耳を傾けながら、瞳を大きく輝かせている。初めて見るすべてのものに好奇心を刺激され、無邪気に視線をあちこちに向けている姿は、守ってあげたくなるような愛らしさだ。


(くっ……! か、可愛い……!!)


あまりの可愛さと愛らしさに加え、女神と女神の神々しすぎる交流を目の当たりにし、わたくしは高鳴る鼓動を抑えるため、思わず胸元の服をぎゅっと握りしめた。今のわたくしは、尊さのあまり昇天寸前の熱烈な信徒そのもの。この光景だけで、ご飯三杯はいける。


しかし、その幸福な時間は冷たいさざ波によって乱され始めた。


アイリスの隣という特等席を許された、白髪の少女、アザレアの姿に気がついた生徒たちが、ひときわ大きなざわめきと共に、口元を隠してひそひそと話し始めたのだ。


「ねぇ、あの子、一体誰なの? 初めて見る顔だわ」


「見たことないわね。あの、まるで雪のような白髪の子……」


「あのアイリス様が隣を歩くことを許された子だぞ。ただ者ではない。きっと地方の大物貴族の隠し子か何かに違いないわ」


アザレアに向けられる視線は、興味、好奇心、そして身分を測りかねる戸惑い……様々な感情が複雑に混ざり合っていた。


それは当然のことだ。アイリスはこのアカデミーにおいて、崇拝すべき尊き存在であり、未来の王妃。誰もが彼女の聖域に触れたいと願い、近づきたいと渇望する。だからこそ、彼女の身分や存在に相応しくない者がアイリスに近づくことを許さない、『親衛隊』気取りの生徒も多い。


そう、その『相応しくない者』の筆頭として挙げられるのが、このわたくし、カンナ・ロベリアだ。


ほら、耳を澄ませてごらんなさい。


アイリスやアザレアには決して向けられることのない、まるで毒針のような視線や、刺々しい言葉が、わたくしの鼓膜を直接叩く。


「アイリス様、どうしてあの悪評まみれの女といるのよ?」


「どうせあいつが無理矢理アイリス様に取り入って、着いて歩いているだけだろ。本当にしつこい女だ」


「あいつが側にいたら、アイリス様まで変な影響を受けてしまうわ。早く追い出せばいいのに」


向けられるのは、敵意むき出しの視線と侮蔑の言葉の数々。


これが、カンナ・ロベリアが毎日肌で感じ取っていた、冷たく、変わらない日常の一部だった。幼い頃から一歩外に出る度に向けられたそれは、カンナ・ロベリアにとっては、気にするに値しない、価値のないただの雑音だったはずだ。


しかし、前世の記憶を思い出したわたくしは、感じ取ってしまった。


どれだけ強がって『価値がない』『どうでもいい』『気にする必要などない』と理性で言い聞かせても、心の奥底、魂の深淵には深く傷ついている『カンナ・ロベリア』の心が残っていることを。


無数の視線が、かつての孤独を呼び覚まそうとした時だった。


「カンナちゃん?」


「――っ!」


アザレアに優しく名前を呼ばれて、わたくしはハッと我に返り前を向く。


そこには、心配を滲ませた表情を浮かべたアザレアがいた。彼女はわたくしの元へ一歩駆け寄ると、そっと優しく、その小さな手でわたくしの冷え切った手を包み込むように取ってくれた。


「あっ……」


アザレアの優しく温かい温もりが、冷え切ってしまっていたわたくしの手を通じて、じんわりと伝わってくる。まるで分厚い氷を少しずつ、時間をかけて溶かしてくれるような、確かな生命の熱。


わたくしは一呼吸おいて心の震えを鎮めてから、アザレアに向けて心からの微笑みを浮かべた。


「大丈夫ですよ、アザレア。だって、あなたが側に居てくれますから」


わたくしの言葉に、アザレアは本当に安堵した表情を浮かべ、小さくコクンと頷いてくれた。その健気な仕草にまたしても尊さが爆発しそうになる。……ありがとう。


そんなわたくしたちの様子を優しく見守っていたアイリスの目の前に、一人のご令嬢が優雅に、強烈な意志をまとって歩み寄ってきた。


立ち止まったのは、メアリー・フェイ・クリフトン伯爵令嬢。


彼女は、日の光を浴びて輝く黄金の巻き髪と、貴族らしい完璧に整った端正な顔立ちの持ち主だ。透き通るような陶器の肌と、自信に満ちたサファイアのような瞳は、まさしくアカデミーの華というにふさわしい。


彼女はアイリスの幼馴染で、公爵令嬢に劣らない家柄を持つ、このアカデミーのトップグループ、カーストの頂点に位置する女性だ。


(メアリー・フェイ・クリフトン……そう、彼女こそ、前世のゲームでアイリス様を熱烈に推す筆頭信者だったわね)


わたくしだけが知っている設定では、メアリーもかつては王妃候補の一人だった。だけどアイリスの姿を見た瞬間に、その圧倒的な美しさと未来の王妃としての器を悟り、早々に候補を辞退した過去がある。以来、彼女はアイリスに心酔し、彼女を女神のように愛し、その傍が清らかであるべきだと狂信的に信じているのだ。


「ごきげんよう、アイリス様」


メアリーは、まずアイリスに教科書通りの完璧で優雅なカーテシーを捧げた。そして慈愛に満ちた微笑みで挨拶した後ゆっくりと顔を上げ、アザレアとわたくしを品定めするような冷徹な視線で一瞥してから、口を開いた。


「アイリス様。先ほどから、多くの生徒の間で貴女様の御身を案じる声が挙がっております」


彼女は心底憂いているような表情を作り、わたくしをあえて視界に入れないようにしながら、アイリスにだけ語りかける。


「その、どちら様かわからない白髪のご令嬢は、今は一時の客人としてさておき……あの、カンナ・ロベリア様とご一緒されることは、どうか再考していただけないでしょうか」


メアリーの言葉は極めて丁寧だ。だが、その内容は非常に侮辱的だ。アザレアのことは『客人』として軽く流しつつ、アイリスに向かってわたくしとの交友を断つように『忠言』という名の『排除命令』を出している。


「メアリー、それはどういう意味でしょうか?」


それをアイリスも悟ったのか表情から笑みが完全に消え、その声には周囲の空気を凍らせるような、絶対零度の冷たさが宿った。


しかしメアリーは、アイリスの怒りを感じ取りながらも、崇拝する女神の純潔を守るためという強い使命感からか、一歩も引かない。


「アイリス様。貴女は未来の王妃でいらっしゃいます。その高貴なお立場に、カンナ様は……」


彼女はここで言葉を区切り、黄金の巻き髪を揺らしながら、わたくしを正面から見据えた。そのサファイアの瞳には、隠そうともしない軽蔑と侮蔑の色がにじんでいる。


「アイリス様もご存知の筈です。カンナ様の黒い噂の数々を。その噂はほぼ、事実と言っても過言ではありません。本来でしたら、公爵令嬢としてアイリス様と同じ場所に立っていなければならないはず。しかし、今のカンナ様は真逆と言っていいでしょう。そんな不浄の存在が、アイリス様のそばに居ることは、アイリス様の名誉にも傷が入るのです」


メアリーはあえて残酷な言葉を選び、公衆の面前でわたくしの存在を全否定した。


不浄な存在――


その言葉が、わたくしの胸に冷たい刃のように深く突き刺さる。


メアリーにとって、わたくしの存在は愛する女神の足元に湧いた汚泥のようなものなのだろう。わたくしの心を傷つけることが目的ではなく、アイリスを守るためという、純粋すぎるがゆえに歪んだ動機がかえって痛々しく、そして残酷だ。


隣にいたアザレアが、恐怖と不安からわたくしの服の裾をさらに強く握りしめた。


その時アイリスが静かに有無を言わせぬ王者の覇気をもって、メアリーの言葉を遮った。


「メアリー。カンナ様は、あなたが言うような不浄な存在ではありません」


アイリスの声は決して大きくはない。しかし、その場にいる全員の背筋を正させるような、強烈な響きを持っていた。 彼女は、わたくしの肩にそっと手を添え心からの優しさを込めて微笑んだ。


「彼女に向けられる視線は、確かに穏やかではないでしょう。でも、それは彼女の人となりや価値を示すものではないわ。周囲の勝手な偏見と臆測にすぎません」


アイリスは背後にわたくしを守るように目の前に立った。


「メアリー、あなたはカンナ様と直接話をしたことはありますか?」


アイリスの鋭い問いかけに、メアリーはたじろいだ。


「そ、それは……ございませんが……」


「私は確かに、カンナ様の噂を耳にした事があります。しかし、それが本当に全てなのでしょうか? 噂だからと、人伝に聞いたからと、自分で確かめようとせずに勝手に決めつけてしまうことは、貴族として、いえ、人として何よりも失礼に当たる事ですよ」


アイリスの言葉は、まるで周囲の悪意を完全に払いのける力強い光の盾のように、わたくしの心全体を包み込んだ。


「あなたの言う通り、カンナ様は私と同じ公爵令嬢としての立場がある。ですが、自分がどの道を歩むのかは、人に決められるものではありません。公爵令嬢だから、未来の王妃だからと言って、私は私に関する全ての事を、周りから決められたくありません」


アイリスは堂々と、メアリーの前に立って断言してみせた。その姿は可憐な少女ではなく、まさしく未来の国母としての威厳に満ちていた。


「メアリー。あなたみたいに、噂だけで人のことを全て勝手に決めつけてしまう人とは、関わり合いたくありません」


その一言は、決定的な拒絶だった。


メアリーは顔を真っ青にし唇を震わせた。メアリーからすれば、悪女と呼ばれるカンナ・ロベリアと一緒にいるアイリスを救うために、善意で助言したつもりだったのだろう。しかしそれはかえって、アイリスの逆鱗に触れてしまったのだ。


「あ、アイリス様! わ、私はただ、貴方様の身を案じて――」


すがりつくようなメアリーの言葉を、アイリスは冷たく切り捨てた。


「結構です。誰かに身を案じてもらえるほど、私は決して弱くありません」


「あ、アイリス様……」


メアリーは、崇拝している女神から突き放された事実に打ちのめされ、顔面蒼白のまま、その場にガクリと膝をついた。彼女の体は、恐怖と信仰していた世界が崩れ去る悲しみで小刻みに震えている。


その姿を、アイリスは少し寂しそうな表情で見つめていた。 アイリスの言葉の重みに、ざわついていた辺りは一気にシンと静まり返っている。誰もが息を呑み、この結末を見守っていた。


さ、さすがにやりすぎでは? そう密かに思ったけれど、わたくしは不思議と、胸の奥で長年のつかえが取れたような、少しすっきりとした気分になっていた。

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