どういうことか説明しろやゴラァ!!
「あ、アザレア……どうしてあなたがここに……?」
目の前の光景に、わたくしの全身は激しい衝撃を受けていた。
信じられない、理解不能。
まさか、今ここで、このタイミングで、わたくしの最推しであるアザレアに遭遇するとは。
驚愕と混乱で、わたくしの体は意思に反してがたがたと小刻みに震えだす。呼吸すらままならない。
しかしそんなわたくしの動揺をよそに、リヒトはまるで全てを予見していたかのように、アザレアに向かってゆっくりと、そして深々と頭を下げた。
その流れるような所作は、長年仕える執事としての完璧さを物語っていた。
「お久しぶりです、アザレア様。この度はご入学おめでとうございます」
「はい! リヒトさんのおかげです。本当にありがとうございました!」
「は?」
わたくしは思わず間の抜けた声を漏らした。
「ご入学が間に合って何よりです」?
「リヒトさんのおかげ」だと?
意味が分からない。
何もかもが、わたくしの知る『物語』と食い違っている。
この突然の状況に全くついていけないわたくしは、顔に貼り付いた笑顔を一度崩し、そして無理やりまた作り直した。そして、一瞬だけアザレアに振り返り、努めて冷静な声で告げる。
「アザレア、少しここで待っていてください」
「え、あ、はい?」
アザレアの戸惑った声を聞きながらも、わたくしは一刻も早く真実を問い詰めたかった。リヒトを伴い、
すぐそばにあった巨大な木の陰に身を隠す。人目がないことを確認すると、わたくしはためらいなく彼の胸倉を力強く掴んだ。絹のシャツが皺になるのも構わず、ぐいぐいと体を前後に揺さぶる。
「ちょっと! どういうことよ! なんでアザレアがここにいるのよ! あの子は十六歳で初めてアカデミーに通うはずでしょ! しかも、舞台はここじゃないはずよ!!」
怒涛のように言葉をまくし立てたわたくしは、激しい呼吸を整えるため、大きく息を吸い込んだ。
「これはいったい何の真似!? わたくしの知らないところで一体何をやっていたのかしら? 一言一句、間違いなく説明しなさい、ゴラァァ!!」
最後の叫びには、もはや令嬢としての品位など微塵もなかっただろう。しかし、そんなことはどうでもよかった。
「お、お嬢様……とりあえず苦しいので放してください。ちゃんとご説明しますから」
リヒトの声は、いつもの冷静さを保ちつつも、どこか引きつっているように聞こえた。
わたくしは不満げに「……はぁぁぁ」と大きなため息をつき、胸倉から手を離した。
「リヒト、あなたまさか……また『物語の短縮』をしたのね?」
わたくしの問いに、リヒトは視線をわずかに逸らし、観念したように息を吐いた。
「ええ、簡潔に言いますと、その通りでございます」
「それなら行動を起こす前に、わたくしにも教えてくれてもよかったのに!」
わたくしは責めるような視線を送ったが、リヒトはまるで子供を諭すような口調で言い返してきた。
「お嬢様に『アカデミーにはアザレア様もご一緒に入学するみたいですよ』などと申し上げたら、勉強どころではなくなるでしょう? 毎日毎日、『アザレアと入学、アザレアと勉強、アザレアとの学園生活』と呪詛のように同じ言葉を繰り返し、前日には全然寝付けず、朝寝坊して慌ててアカデミーに駆け込む羽目になっていたはずですから」
「何それ、まるで全て見てきたかのような言い方ね」
わたくしは呆れて言った。しかし、リヒトは涼しい顔で、まるで未来を言い当てる預言者のように断言する。
「ええ、絶対にそうなると決まっていますから」
くっ……否定できない!
むしろ、リヒトの言葉は痛いほどに、わたくしの行動パターンを言い当てていた。推しが絡むと、わたくしはとことん駄目になる自覚はある。
「じゃ、じゃあ、ステラが先にアカデミーに来ているというのは?」
わたくしは次の疑問をぶつける。
「ステラでしたら、アザレア様の専属メイドに転職していただきました」
リヒトの答えに、わたくしは目を見開いた。
「はぁ!? 金になる仕事があるって、そういうこと!?」
「ええ、その通りでございます、カンナ様」
その時だった。私たちが身を隠していた木の枝の上から、ひょっこりと上半身だけを出して、ステラが涼しい顔で答えてきたのだ。彼女の表情は、いつもの無愛想だが、どこか満たされたように見えた。
「す、ステラ!?」
まさかこんなところにいるとは夢にも思わなかった。わたくしの驚愕を他所に、ステラは淡々と語る。
「リヒトさんから良い仕事があると聞き、私は迷わず転職しました。こちらの方がお給料が高かったものですから」
「あ、あんた……給料が高ければそれでいいわけ?」
「ええ、私にとってはお金が全てですから」
ステラは真顔で言い放った。その揺るぎない金銭に対する執着心には、呆れるを通り越して感心すらしてしまう。
「お嬢様だって、知らない人間がアザレア様の専属メイドや執事になるより、見知った信頼できる人間が傍にいる方が、安心できるのではないでしょうか?」
リヒトの言葉に、わたくしはハッとした。
「……それは、そうね」
確かにリヒトの言う通りだ。もしこのまま、見ず知らずの人間がアザレアの世話係になってしまっていたら、ゲーム本編に突入した時に、彼らがどう関わってくるのかは全く読めない。
ゲーム本編では、アザレアにはステラではない専属の世話係がいたはずだけど、誰だったか今ひとつ思い出せないのだ。
変な人物にアザレアが利用されたり、危険な目に遭わされたりする可能性だってある。そう考えると、ステラが傍にいる方がよっぽど安心できる。
「あの〜……」
突然、控えめな声が聞こえた。
「あ、アザレア!」
わたくしは慌てて振り向く。木の陰から、アザレアがひょっこりと顔だけを覗かせた。
「お話は大丈夫でしょうか?」
不安げに、しかし可愛らしく首を傾げるアザレアの姿に、わたくしの理性は吹っ飛んだ。脳内でシャッターを押し続け、この一瞬の可愛らしい姿を心ゆくまで保存する。
可愛い、可愛すぎる!
「ご、ごめんなさい、アザレア。まさかあなたもアカデミーに通うだなんて知らなくて、今リヒトを問い詰めて聞いたところなの」
わたくしは出来るだけ穏やかに、そして申し訳なさそうに答えた。アザレアは少し困ったように眉を下げた。
「そ、そうだったんですね。ごめんなさい……本当は直接伝えたかったんだけど、お手紙を出す時間がなくて」
ああ……だからこの三ヶ月、会うことができなかったのね。アザレアに会えなくて寂しかったのは事実だが、わたくしも勉強漬けの日々だったから、正直なところ、こちらから出かけることなんてできませんでしたけど。
「それじゃあ改めて、一緒に行こう! カンナちゃん!」
アザレアが、ぱっと花が咲くような笑顔を浮かべて、わたくしに手を差し出した。その無垢な瞳は、まっすぐにわたくしを見つめている。
「……っ」
その優しい笑顔と、差し出された温かい手に、思わず目の奥が熱くなった。視界がにじむ。
『アカデミー時代のプロフィールに書かれていたカンナ・ロベリアには、友達が一人も出来なかった──』
ゲームのフレーバーテキストとして知っていた、わたくしの未来。その説明は、今、この瞬間に変わった。目の前にいるアザレアが、それを覆してくれたのだ。
「ええ、行きましょう! アザレア!」
わたくしは差し出された温かい手をしっかりと掴んだ。その手は、小さく、柔らかかった。わたくしたちは、並んでアカデミーへ続く道を歩き出した。