思わぬところでの再会
わたくしは今、ラナンキュラス家の家紋が厳かに描かれた馬車に揺られ、期待と不安の入り混じった胸中でアカデミーへと向かっていた。窓の外を流れる景色は、三ヶ月間の籠もりきりの生活から解放されたわたくしの心を、微かに震わせる。
「ふふ……ついに、ついにアカデミーへ入学するのね! やっと……やっと……!」
こみ上げる熱いものを抑えきれず、わたくしはそっと目元を拭った。固く歯を食いしばるたびに、ようやくあの地獄のような三ヶ月間を抜け出せたのだと、全身で、魂の奥底から実感する。
この三ヶ月……ほんっっっとうに辛かったですわ!!
毎朝七時には、悪魔のリヒトに容赦なく起こされ、まだぼんやりとした頭で朝食を流し込む。
そして九時から十二時まで、三時間ぶっ通しで頭脳を酷使する勉強。
午後は十四時から夜の十九時まで休憩を挟むことなく勉学に励み、さらに、二十一時から深夜の二十三時まで追い打ちをかけるような勉強……。
勉強、勉強、勉強、勉強! 気が狂いそうなほど、ずっーと勉強漬けの毎日でした!
それがようやく……ようやく解放されて、わたくしは今、鳥かごから放たれた小鳥のように自由の身なのですわ!
「お嬢様、一体何に対してそのような大歓喜されているのか存じませんが、そろそろアカデミーに到着しますので、そのみっともない顔を整えてください」
「うっ! リ、リヒト! あなた最近、わたくしへの発言がひどくありませんこと!?」
「え? そうでしょうか? しかし、私に自由に発言することを許したのはお嬢様ご自身ですよ?」
「そ、それは……」
えぇ、確かに三ヶ月前に言いましたとも!
いちいち主人に発言の許可を取るのは面倒だから、思ったことは自由に言っていいと。そうしたら、彼は本当にこの三ヶ月間、寸分の容赦もなく本音をわたくしにぶつけてきたのだ。
「お嬢様……こんな簡単なことも分からないなんて、本当に駄目ですね! これくらいできないと、公爵令嬢として恥をかくのはお嬢様ご自身ですよ!」
「お嬢様、その不協和音……やめてください。耳障りです」
「お嬢様、マナーがなっておりません」
「お嬢様、姿勢が悪いです。やり直しです」
と、勉強以外にも、この三ヶ月間は座学だけでなく、公爵令嬢としてのマナーも一から徹底的に叩き直されたのだった。そのおかげで、背筋はピンと伸び、歩き方も以前より格段に美しくなったと自負している。
「はぁ……本当にわたくし、アカデミーでやっていけるのかしら」
思わず漏れた独り言に、リヒトは感情の読めない声で答える。
「それは、お嬢様次第ですね。私は世話係として、やれることは全てやったと思っていますので」
「世話係として連れて行けるのがあんたじゃなくて、ステラだったら良かったのに……」
私が諦め半分でそうボソッと呟くと、リヒトは『残念でしたね』とでも言っているかのような、面白くなさそうな顔を浮かべた。
「ステラでしたら、先にアカデミーに到着していると思いますので、どうぞご安心ください」
「えっ……なんで!?」
なぜステラまで、わたくしの世話係として先にアカデミーに行っているの!?
「まさか……またお金で釣ったの?」
「いや〜、言いがかりは止めてくださいよ。俺はただ、金になる仕事があるけどどうですか? って聞いただけで」
「それをお金で釣ったって言うんでしょうが!」
そんな呆れたやり取りをしていると、馬車がゆっくりと、しかし確実に減速し、やがてぴたりと止まった。
「どうやら、アカデミーに到着したみたいですよ」
「ええ、そのようね」
先にリヒトが馬車を降り、恭しくわたくしに手を差し出した。その手を取り、馬車から降り立った瞬間、目の前に広がる光景にわたくしは思わず目を見開いた。
春の陽光が、周囲を囲む水路の水面に反射し、無数のきらめきとなって視界いっぱいに広がる。まるで宝石を散りばめたかのようだ。
ルークスフロース魔法魔術アカデミーの建物は、歴史の重みを感じさせる威厳ある石造りの壁に、天高く伸びるいくつもの尖塔がそびえ立つ。壁面に埋め込まれた色鮮やかなステンドグラスは、朝日を受けて七色の光を放ち、見る者を幻想的な世界へと誘い込んでいた。
朝日に照らされたステンドグラスは、今日からこのアカデミーに入学する新入生たちを祝福しているかのように、優しく、そして荘厳な光を放っている。
アカデミーの周囲は澄んだ水が流れる水路で囲まれており、その水面には朝日の光を浴びて目を覚ましたばかりの、小さく輝く妖精たちが舞っていた。彼らの舞う姿が生み出す輝きは、建物の壁面に繊細で美しい模様を描き出している。
アカデミーへと続く真っ直ぐに伸びた道では、白と淡い藤色生地に、銀の刺繍が施された真新しい制服に身を包んだ新入生たちや、それぞれのクラスごとに色分けされたローブをまとう上級生たちが、友人たちと楽しそうに会話をしながら、期待に満ちた表情でアカデミーの門へと歩いて行く。その活気と希望に満ちた雰囲気に、わたくしの胸も高鳴る。
「ここが……ルークスフロース魔法魔術アカデミー……!」
ゲームで見た平面的な光景よりも、ずっと、ずっと、何倍も美しい光景だった。細部に至るまで緻密に描かれた世界が、今、目の前に広がっている。
なんて思いながら、少しばかりはしゃいでいると、わたくしの姿を見た生徒たちが、楽しげだった会話をぴたりと止め、一斉にわたくしへと視線を向けた。
その目は、好奇心と同時に露骨な警戒と嫌悪を含んでおり、まるで穢れたものを見るかのように細められる。
彼らはすぐに顔を寄せ合い、耳元でひそひそと、わたくしに聞こえないように声を潜めて話し始めた。
「ねぇ……あれって」
「間違いない、カンナ・ロベリアだわ。本当に来るなんて」
「近づいちゃだめよ、近づいたら何をされるか」
不自然に視線を逸らす者、肩をすくめて嘲笑う者、あからさまに嫌悪の表情を浮かべ、さっと距離を取る者までいる。
そのどれもが、わたくしの心に冷たい水を浴びせるようだった。
ひそひそと話す生徒たちを、リヒトは横目で静かに、しかし明確な敵意を込めて睨みつけている。その表情は、まるで彼らがゴミであるかのように冷淡だった。
「お嬢様、あのような方々は放っておいて、先に進みましょう」
「……ええ」
わたくしは大きく深呼吸し、背筋を伸ばしてアカデミーへ向かって一歩を踏み出した。
こうなることなんて、とっくに分かっていたわ。
だって、カンナ・ロベリアのアカデミー時代のプロフィールにだって、はっきりと書いてあったじゃない。
アカデミーでカンナ・ロベリアは、友達が一人もできなかったと──。
「あっ、そういえばそろそろですね」
不意にリヒトがそう呟き、腰にある懐中時計を取り出して時間を確認した。
そんな彼を見て、わたくしは思わず首を傾げる。
「リヒト、何がですの?」
「さっき言ったじゃないですか、ステラが先に着いていると」
「え、ええ、確かに言っていたわね。でもそれが一体──」
「カンナちゃん!」
「っ!」
背後から、親しげに「カンナちゃん」とわたくしを呼ぶ声がした。
わたくしをそう呼ぶのは、ただ一人しかいない。
でも、どうして?
そんなはずない。だってあなたは、アカデミーには来ないはずだったのだから。
そう思いながら、わたくしはゆっくりと、まるで夢でも見ているかのように後ろを振り返った。
朝日に照らされてキラキラと輝きを放つ、柔らかな白髪。
その中に、桜の花びらで染められたような錯覚を覚える、鮮やかなピンク色のメッシュが揺れている。
そして、不安げな表情を浮かべるわたくしの姿を、大きな桃色の瞳に真っ直ぐに映した彼女、アザレアが、わたくしと同じ白と淡い藤色生地に、銀の刺繍が施された真新しい制服を身にまとって、そこに立っていた。
「な……ななななな、なぁぁ!?!!」
なぜ!
アザレアが!
ここに!
いるの!?!!