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お友達になってくださいませんか?

「どうぞ、お嬢様」


リヒトの落ち着いた声に促され、わたくしは優雅に椅子に座った。


「ええ、ありがとうリヒト」


続いてアザレアも、どこか緊張した面持ちでわたくしの向かいに腰を下ろす。


「アザレア様も、どうぞ」


リヒトの言葉に、アザレアは少し肩をすくめながら答えた。


「あ、ありがとう、ございます」


リヒトに案内されたお茶会の会場は、季節の花々が咲き誇る美しい庭園だった。


色とりどりのバラや名も知らぬ草花が、甘やかな香りを風に乗せて運んでくる。目の前の白いアイアンテーブルには、リヒトが丹精込めて焼いたのだろう、宝石のようにきらめくケーキやクッキーが、三段重ねのシルバーのケーキスタンドの上に芸術的に並べられている。


どれもこれも、見ているだけで心が浮き立つような可愛らしい形と色彩だ。


「今日はアザレア様がご一緒ということで、張り切ってご用意させていただきました。さあ、どうぞお好きな物をお選びください」


リヒトがにこやかに促す声は、いつものように穏やかだが、どこか誇らしげにも聞こえた。


「は、はい!」


わたくしはリヒトが淹れてくれた、湯気立つ紅茶を一口すすった。


深い琥珀色の液体からは、芳醇な花の香りが立ち上る。そして、カップの縁越しに、ちらりとアザレアの様子を伺った。


さすが、リヒトだわ。わたくしが事前に伝えた通り、アザレアの好きなものを完璧に網羅してくれたようだ。


アザレアの好きな食べ物も嫌いな食べ物もすべて頭に叩き込んでいる私は、リヒトにある特別な菓子を作るようお願いしていた。それは、アザレアがまだ幼い頃、たった一度だけ口にしたことがあるという、思い出の味。


そう、それが――


アザレアの小さな指が、一番取りやすい位置に置かれた、真っ赤な大粒イチゴが飾られたショートケーキにそっと伸びた。


「で、では……私はこれをいただきます」


その言葉に、わたくしは心の中で歓喜の叫びを上げた。よっしゃ! 予想通りよ! アザレアが一番好きな食べ物、それは『ショートケーキ』なのだ!


まだ幼かったアザレアが生まれて初めて食べたお菓子は、彼女を育ててくれた祖母が、四歳の誕生日に心を込めて手作りしてくれたものだった。スラム街の暮らしでは、ケーキやクッキーなど、全くと言っていいほど縁のない贅沢品だ。


だが、アザレアの祖母は、一度でいいからアザレアにケーキを食べさせてあげたいと願い、身を粉にして働いた。ようやく手に入れたわずかな材料で、愛情たっぷりのショートケーキを作ってアザレアの誕生日を祝ったのだ。


しかし、身を粉にしたその努力は、彼女の体を蝕み、それから間もなくしてアザレアの祖母はこの世を去ってしまう。


その後のアザレアは、奴隷としてエヴァンス男爵の屋敷に連れて行かれることになるのだが、アザレア本人は、自分のせいで祖母が亡くなったことなど知る由もない。


そう、知らなくていいのだ。もし知ってしまったら、きっとアザレアは深く悲しんで、自分のせいだと心を痛めるだろう。


だから、この悲しい事実はわたくしだけでいい。


だって、そんなことを言ってしまったら、アザレアの祖母が彼女にしてくれた、その懸命な努力がすべて無駄になってしまうではないか。


アザレアは慣れない手つきでフォークを持つと、震えるような指先で、ケーキを小さな一口サイズに切り分け、ゆっくりと口へと運んだ。


そして、その瞬間。彼女の瞳が驚きに見開かれ、すぐに満面の、とろけるような笑顔が浮かんだ。


「お、おいひぃ……」


か細い、しかし心底から幸せそうなその声に、わたくしの胸は激しく波打った。


「がはっ!」


お、おいひぃ……「おいひぃ」ですってよ! はい、脳内保存完了! その笑顔もいただきました!


可愛さのあまり、わたくしは悶絶しながら、プルプルと震える手でどうにかティーカップを置いた。


もし手が滑ってカップを倒したら、わたくしはきっと発狂するだろう。


そんなわたくしの姿を、リヒトは呆れたように軽く息をついているのが分かった。


「これ、本当に美味しいです! リヒトさんはお料理ができるんですか?」


アザレアの純粋な問いかけに、リヒトは涼しい顔で、しかしどこか自慢げに答える。


「え? ……ええ、まあそうですね。ここにいらっしゃるお嬢様が大変人使いが荒いお方なので、覚えざるを得なかったんですよ」


「おい、ちょっと待ちなさい。誰が人使いが荒いですって?」


思わず、わたくしは彼に鋭く突っ込んでしまった。


「さあ、誰のことでしょうかね。アザレア様、ショートケーキの上に乗っているイチゴは、今朝採れたばかりの新鮮物です。どうぞ、召し上がってみてください」


リヒトはわたくしの抗議を完全に無視し、巧みに話を逸らしてアザレアに話しかける。


そのプロフェッショナルな態度に、内心で舌を巻く。


「あっ、は、はい!」


アザレアは瞳をキラキラと輝かせながらイチゴをパクリと食べると、これ以上ないほど美味しそうな笑顔を浮かべた。


その輝きは、まるで庭園の陽光を一身に集めたかのようだ。


ま、眩しい!! その笑顔は天使を通り越してまさに神!! この世の何よりも可愛くてキラキラと輝いて見える!!


わたくしは脳内で真っ黒なサングラスをかけ、脳内カメラでシャッターを押し続ける。カシャカシャカシャ、と音まで聞こえるようだ。


「本当に……すごく美味しいです」


アザレアの心からの言葉は、まるで澄んだ泉の水のようだ。わたくしの顔は自然と緩み、頬の筋肉が吊り上がりそうになる。


「ふふ……気に入っていただけて何よりですわ」


そう言って、わたくしもプルプルと震える手を必死に抑えながら、目の前に置かれているガトーショコラを手に取った。


ずっしりとした重みと、カカオの濃厚な香りが食欲をそそる。一口サイズに切り分け、ゆっくりと口へと運ぶ。しっとりとした食感と、ビターな甘さが口いっぱいに広がる。


「カンナ様は、どのお菓子がお好きなんですか?」


アザレアが尋ねてきた。その声は、もうすっかり警戒心を解いているかのようだ。


「そうですね……わたくしが一番好きなお菓子は、このガトーショコラですわ。リヒトが作ってくれるお菓子の中で一番大好きです」


これは嘘ではない。


本当にカンナ・ロベリアは、リヒトが作ってくれるお菓子が大好きだった。その中でも特に、このガトーショコラは一番のお気に入りなのだ。


「アザレア様は、やはり一番最初に取られたショートケーキがお好きなのかしら?」


わたくしが問いかけると、アザレアの瞳は遠くを見つめるように、少し潤んだ。


「は、はい! 初めて食べたのは四歳のお誕生日の時ですけど、それからずっとこのショートケーキは私にとって、忘れられないお菓子なんです」


アザレアは懐かしむように、優しく微笑んだ。その表情には、幼い頃の幸せな記憶が滲み出ているかのようだ。


きゃ、きゃわいい……。


「コホン、お嬢様。目的をお忘れにならないでください」


リヒトの静かな声が、わたくしの耳元で囁かれた。その声は、まるで冷たい水を浴びせられたかのように、興奮で熱くなった頭を瞬時にクールダウンさせた。


「はっ!」


目的を思い出したわたくしは、コホンと一度咳払いをしてから、手に持っていたフォークを静かに置いた。


「今日はアザレア様とこのような時を過ごすことができて、本当に嬉しく思っております」


「そ、そんな……私の方こそ。お誘いいただけてとても嬉しいです」


アザレアの謙虚で愛らしい言葉に、わたくしの心臓は再び高鳴る。いよいよ核心に迫る時だ。


「……その、アザレア様はわたくしの噂を聞いたことが……ございますのではないですか?」


わたくしが覚悟を決めて問いかけると、アザレアの小さな体がピクリと固まった。


その瞳には、一瞬の動揺がよぎる。当然、聞いたことがあるだろう。


だって、アザレアは街で花を売っていたのだ。嫌でもわたくしに関する噂は耳に入ってきたはずだ。


わたくしがなぜそのようなことを尋ねたのか。それは、事実を隠してアザレアとお友達になりたくなかったからだ。汚い部分も知った上で、わたくしを選んでほしかった。


「……はい、カンナ様のお噂は聞いたことがあります」


アザレアは躊躇いがちに、しかし正直に答えた。その声は、微かに震えていた。


「そうですか……率直に申し上げます。それはすべて事実ですわ」


わたくしはまっすぐアザレアの目を見つめて、告げる。嘘偽りなく、ありのままを。


「で、では……隠し子というのも」


アザレアは震える声で問いかけた。その表情には、ほんのわずかな恐怖の色が浮かんでいる。


「あ、それは嘘ですわ。わたくしはちゃんとこの家で生まれ、ロベリア家の血を引いております。そこはご安心ください」


「そ、そうですか」


アザレアはホッとした表情を浮かべると、ぎゅっと両手を握りしめた。


まるで、何か大きな不安から解放されたかのように。そして、真っ直ぐこちらを見つめてくるその瞳に、わたくしは何か抗いがたいものに引き寄せられるような、不思議な感覚を覚えた。


「カンナ様。街で言われている噂が真実であれ、嘘であれ、私は今目の前にいるあなた様と、こうしてお話をしております。ですから私は……今のカンナ様のことが知りたいです!」


アザレアの力強い言葉に、わたくしは目を大きく見開いた。


まるで全身を雷が貫いたかのような衝撃が走る。後ろに控えているリヒトもまた、彼女の言葉に驚いた表情を浮かべているのが分かる。


これはカンナ・ロベリアとしての感情なのか? それとも、推しに「自分のことを知りたい」と言われたオタクとしての私の気持ちなのか?


なぜこんなにも、嬉しくて胸が熱くなるのだろう? 心臓が跳ね上がり、全身の血が逆流するような感覚。


「今のわたくしを知りたいのですか?」


わたくしの問いに、アザレアは決意を込めた眼差しで応じる。


「はい! そう意気込んで私は今日ここへ来ました! そ、それで……」


アザレアは恥ずかしそうにもじもじしていると(その姿ももちろん脳内保存完了)、大きく息を吸い込んだ。


その小さな胸が、期待と緊張で膨らむのが見て取れる。


「わ、私とお友達になってくれませんでしょうか!?」


「……お、お友達?」


その言葉に、わたくしの脳内は爆発寸前だった。


お友達! お友達ですってよ!! わたくしが言うよりも先に、アザレアの方から「お友達になってほしい」と言ってきましたわよ!


皆さん聞きましたか! 推しが! 最推しが! わたくしとお友達になってほしいと!!!


「お、お嬢様……そのだらしないお顔を引っ込めてください」


リヒトの冷めた、しかしどこか呆れたような声が、わたくしを現実に引き戻した。


「はっ!!! し、失礼いたしました……」


わたくしは慌ててハンカチでよだれを拭ってから、アザレアに向き直った。


「ほ、本当に、わたくしとお友達になってくれるのですか? ご迷惑ではございませんか?」


「そ、そんなことありません! 私はカンナ様とお友達になりたいです!」


「うっ!!」


彼女から向けられる好意の矢が、わたくきの心臓にブスブスと音を立てて突き刺さる。


その一つ一つが、甘く、しかし強烈な痛みとなって、わたくしの胸を震わせる。


こ、ここは耐えるのよ、カンナ・ロベリア!


ここで気を失ってしまっては、全てが水の泡になるでしょう! 推しとの友情フラグが立つ、この歴史的瞬間に!


わたくしは大きく深呼吸をしてから、真っ直ぐアザレアを見つめた。彼女の澄んだ瞳は、一点の曇りもなくわたくしを捉えている。


「そう言っていただけて、すごく嬉しいです。私でよければ、お友達に――」


その時、わたくしの耳元で、まるで底の見えない暗い影が囁くような声が響いた。それは、ぞっとするほど冷たく、しかし妙に甘い響きを持っていた。


「本当に? 彼女と友達になりたいの? それは……本当にあなたの願い?」


ドクン、と心臓が大きく高鳴った。まるで、誰かに心臓を鷲掴みにされたかのようだ。


「っ!」


咄嗟にわたくしは後ろを振り返った。しかし、そこには誰の姿もない。


「お嬢様? どうかされましたか?」


リヒトが心配そうに問いかける。


「カンナ様?」


アザレアも、不思議そうな顔で私を見つめている。


「……いいえ、何でもありませんわ」


わたくしは震える声を押し殺して答えた。


今まで聞いたことのない、何層もの声が重なって聞こえたような、奇妙な響きを持つ声……。


きっと、気のせい……だと思いたい。


わたくしは大きく深呼吸をしてから気を取り直し、アザレアに最高の笑顔を向けた。


「アザレア様、よければわたくしとお友達になってください」


その言葉に、アザレアは満面の笑みを浮かべた。その笑顔は、まるで庭園に光が差し込んだかのように、周囲を一瞬で明るくする。


リヒトも作戦が成功したことに、ホッとした表情を浮かべているのがわかる。


無事にアザレアに友達になってほしいと伝えることができたわたくしも、安堵と達成感で胸を撫で下ろす。


しかし、未だにあの声が耳に残っているような気がして、わたくしは知らず知らずのうちに、声が聞こえた方向をちらっと振り返ったのだった。

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