神々しき推しと、止まらぬ鼓動
「こちらはお母様が大事にされている庭園、あそこが騎士団の皆さんが日々鍛錬を行っております修練場、そしてあちらが厩舎と中庭、使用人たちが住んでいる使用人棟になります」
屋敷の中を案内している間、アザレアはどれも初めて見るものが多いせいか、その瞳をキラキラと輝かせ、まるで夢見る少女のようにワクワクした表情を浮かべていた。
あちこちに視線を配り、その純粋な好奇心を隠そうともしない。
まあ、当然、その姿がもう超絶可愛らしいので、わたくしの心臓は常にバクバクと激しく鳴り響いている。ええ、もう胸から飛び出してくるのではないかと思ってしまうくらい、もはや「バクバク」というよりは「ドキュンッ、ドキュンッ」という表現が相応しいわね。
「あ、あの、カンナ様!」
「は、はい、何ですか? アザレア様?」
推しの可愛らしい姿を脳内フォルダに保存している最中、アザレアがわたくしの名前を呼んでくれた!
こ、これで名前を呼ばれたのが二回目……二回目ですわ! この尊さに、もう体が震えそうになる。
「あ、あの……き、今日は――」
アザレアが何かを言いかけた、その時。
「お嬢様」
「ひゃっ!?」
背後にいつの間に立っていたのか、リヒトに声をかけられたわたくしは、思わず小さな悲鳴を上げてしまった。
「……」
リヒトはぽかんとした表情を浮かべながら、わたくしをじっと見下ろしてくる。そんな彼の顔を見て、腹が立たないわけがない。
「り、リヒト! びっくりしたじゃないの! 急に後ろから声をかけるの、やめなさい!」
普段のカンナ・ロベリアだったら絶対に発することのない、感情丸出しの声が出てしまい、恥ずかしさのあまりわたくしの顔は真っ赤に染まった。
リヒトはリヒトで、わたくしの反応が面白かったのだろう、必死に笑うのを我慢しながら頭を下げる。
だが、その肩は微かに震えている。
「も、申し訳……ふっ、ございません。お、ふふぅ……お嬢様」
「ねぇ、笑ってるの気づいているんですけど? もう怒っていいのかしら?」
わたくしは右手に握り拳を作り、こめかみをピクピクと震わせる。
「いいえ、お嬢様。俺は決して馬鹿にして笑っていたわけではありません。俺はただ、お嬢様の間の抜けた――いえ、可愛らしい悲鳴を聞いて、微笑んでいただけでございます」
「それを笑って人を馬鹿にしているって言うのよ!」
ぜぇはぁぜぇはぁと息を切らしながら、わたくしはふと背後にいるアザレアの存在を思い出した。
「あっ……」
アザレアはわたくしたちのやり取りに、少し困惑している様子だった。その表情には、戸惑いと、ほんの少しの面白がっているような色が見え隠れする。
「……カンナ様」
「は、は~ぁぃ~……」
背中にダラダラと冷や汗が流れ落ちてくる。まずい、まずいですわ!
ここまで上品に、そして優雅に振る舞ってきたのに、リヒトのせいで素の自分を晒してしまったわ! せっかく積み上げてきた貴族令嬢のイメージが、すべて無駄に――
「ふふっ、カンナ様は使用人の方と仲が良いと、お父様とお母様から聞いておりました」
「…………へ?」
わたくしが使用人たちと仲がいい? え? 誰それ?
そう思いながら私は目を点にした。
ユリウス様とカトレア様がそう言っていたってどういうことなの?
だってカンナ・ロベリアは、気に入らない使用人がいれば、罵声や怒声を浴びせるだけ浴びせた後、父様に言って首にしてしまうほど、使用人たちに嫌われている存在だ。
それをあのご夫妻たちはご存知のはずだ。それだと言うのに、これは一体どういうことなのかしら?
すると、わたくしの困惑をよそに、話を聞いていたリヒトもまた、アザレアの会話に合わせるように口を開いた。
「ええ、そうですね。俺とお嬢様は幼い頃からの付き合いになります。ですので、お嬢様のことについては知らないことはほとんどありませんので、なんなりと俺にお聞きください」
「えっ! ちょ、リヒト?!」
二人の会話についていけていないわたくしを見かねて、リヒトがそっと耳打ちをしてくる。
「俺の方から事前にユリウス様たちに、俺とお嬢様が昔から仲がいいことを伝えてもらうように言っておいたんです」
「あっ!」
なるほど! アザレアが言っていた使用人って、リヒトのことだったのね!
「そ、そうなんです、アザレア様。リヒトはわたくしの専属執事なので、常にわたくしの側に居てくれる存在なんですわ。そして、たまに主であるはずのわたくしを小馬鹿にしてくるんです」
「酷いですよ、お嬢様。俺がいつ、どこで、お嬢様を小馬鹿にするようなことを言いましたっていうんですか?」
そう言ったリヒトは、まるで「俺は何も間違ったことは言っていませんけど」と言っているかのような表情で、こちらを見てきている。
「こんの……!」
今この場で、こいつの顔を殴り飛ばしてやりたいところだけど、今は落ち着くのよ。
リヒトがここに来たということは、プランBの準備が整ったということだ。だからここでわたくしが言うことはただ一つ。
「アザレア様。お茶のご用意ができたみたいなので、よろしければご一緒にいかがでしょうか?」
「えっ!」
突然の誘いに、アザレアはびっくりして肩を震わせた。
色々と頭の中で作戦やら言葉やらを考えてきたけれど、ここはもう直球で行くことにするわ!それに、アザレアが皆がいる前で誘いを断れる人ではないことを、この私が誰よりもよく知っているのだから。
アザレアは数秒間黙り込むと、伏せていた顔を上げて優しく微笑んでみせた。その顔にわたくしは当然、釘付けになった。
「もちろんです、カンナ様。ご迷惑でありませんでしたら、ぜひご一緒させてください」
「…………はぅ」
か、かわぃぃぃぃ! そして神々しい笑顔! これじゃあ、アザレアを直視できない! いいえ、直視するだなんておこがましい!!
オタクだった頃の感情が爆発し、感情が高ぶっている中、リヒトがそっと耳打ちする。
「お嬢様、気持ち悪いのでその顔なんとかしてください」
「なっ!!!」
彼の一言で我に返ったわたくしは、やっぱり一発殴ってやろうかと後ろを振り返ると。
「では、アザレア様。こちらへ」
「は、はい」
リヒトはわたくしを置き去りにして、先にアザレアと一緒に歩いて行ってしまった。
「…………こんのぉぉぉぉ!!」
その時、屋敷中にわたくしの怒りの叫び声が広まったのは言うまでもない。