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推しを出迎える準備をします

「おはようございます、お嬢様。そろそろ起床のお時間……」


部屋の扉をノックして入ってきたリヒトは、目の前の光景に思わず目を瞠った。まるで幻でも見ているかのように目をこすった後、腰の懐中時計で時間を確認する。


「いやいや、ありえない、ありえない。これは何か見間違いだ。それか部屋を間違えたんだな」


そう自分に言い聞かせ、彼は踵を返して一度部屋を出て行った。


だが、すぐにまた扉をノックして中に入ってくる。しかし、目の前の光景が何も変わっていないことに呆然とし、彼は一度咳払いをして口を開いた。


「お、おはようございます、お嬢様。その……今日は随分とお早いお目覚めですね」


窓の外をじっと見つめていたわたくしですが、さっきのリヒトの行動を思い出して笑いをこらえるため、深く息を吸い込んで気持ちを落ち着かせ、それから振り返った。


「ふっ……おはようございます、リヒト。えぇ、そうね。いつもならあと二時間はベッドの中にいるところですが、なんだか今日はいつもより早く目が覚めてしまいましたから、早く起きることにしたの」


そう言ってわたくしは得意げに腰に手を当て、胸を大きく張った。


リヒトが驚くのも無理はない。


先ほども言いましたが、いつものわたくしなら、まだあと二時間は夢の中にいる時間なのだ。


わたくしの起床時間は朝の八時。その前に起こされると、わたくしはものすごく機嫌が悪くなります。


だからリヒトも一度はわたくしを起こすために、声だけはかけに来てくれます。だが、わたくしが起きないことを知っているので、リヒトは一声かけた後に自分の仕事に戻る。


そして二時間後に再びわたくしを起こしにやって来ます。


今度は必ず起こす勢いで。


「お嬢様。そうはおっしゃいますが、まだ朝の六時ですよ? そんなにアザレア様がいらっしゃるのが待ち遠しくて、眠れなかったんですか?」


「そ、そんなことないわよ! 確かにアザレアが来てくれるのは楽しみで仕方なかったけれど、それで睡眠を怠るほど子供じゃないわ! 昨日はちゃんと夜の九時には就寝しました。あなただって見ていたでしょう?」


「そうですね、確かに見届けました。しかしお嬢様はその後必ずと言っていいほど、夜更かしなさるじゃないですか? ひどい時は夜中を回っているのに俺に夜食を用意させたり、散歩に付き合わされたりするんですから」


「そ、それはだって……夜はお腹が空くし、起きているのリヒトくらいなんですもの」


夜遅くまで起きてお菓子を食べている、なんてことが父様の耳に入ったら絶対に怒られてしまいますが、今はそんなことを話している場合ではありません。


「リヒト! 今日わたくしはアザレアに会うのよ! だから身支度を怠るわけにはいかないわ! 急いで準備してちょうだい!」


リヒトは右手を左胸に添えると頭を下げた。


「かしこまりました、お嬢様。でしたら、今日の服装はどうなさいますか?」


「そうね……派手すぎるとかえって、アザレアを緊張させてしまうと思うの。だから今日は派手すぎず、シンプルかつ清楚で親しみやすいコーデをお願いできるかしら?」


「承知いたしました、お嬢様。ではメイドのステラ・ヴェーヌスにご支度のお手伝いをさせます」


「えぇ、お願いしますね」


リヒトが部屋から出て行って数分後、彼が呼んだステラ・ヴェーヌスが扉をノックして部屋に入ってきた。


「おはようございます、お嬢様。リヒトさんに言われて、ご支度のお手伝いをさせていただきます」


「おはようございます、ステラ。よろしくお願いしますね」


ステラ・ヴェーヌス――彼女はリヒトから信頼を勝ち取っている、数少ないロベリア家の使用人の一人だ。


リヒトが数日わたくしの側を離れている間、彼は必ず彼女を使用人としてわたくしによこす。

だって彼女は……。


「はぁ……めんどくさ。これ手伝ったら給料上げてくれますかね?」


可愛い名前に似合わず、思ったことを隠さず口に出すタイプの人間なのだ。しかも誰よりもお金に飢えている。


「お給料の話はリヒトにしておいてあげますから、よろしくお願いしますね」


「はいは〜い。だったら頑張っちゃいます」


そう言って彼女は、仕事道具一式を机の上に広げて見せる。その中にはお化粧道具や寝癖直しなど、女の子の身支度には欠かせない道具が全て揃っていた。


ステラはその中からまず手袋を取り出し両手にはめると、本気を出すために腰まである青緑色の髪をゴムを使って束ねた。


「ではお嬢様、早速失礼させていただきます」


彼女の言葉に覚悟を決めたわたくしは、小さく頷いて全てを委ねることにした。


「こんなもんでどうでしょう? お嬢様」


「おぉ〜……!!」


彼女はわたくしが思い描いた、理想通りの姿へと大変身させてくれた。


爽やかな青系統の色で揃えられたチューブトップのワンピースドレスには、透ける水色のチュールが重ねられ、スカートにはフラワー柄が散りばめられ紺色のフリルが付いている。


靴はヒールが高くないストラップ付きの青色リボンが特徴のストラップパンプス。


わたくしはワンピースの裾を軽くつまみ上げ、鏡の前でくるりと回ってみせる。


「うん、完璧じゃないかしら?」


顔はお母様譲りだから文句なしで、今日はステラによってさらに化粧が施されているせいもあってか、普段の子供っぽさがどこかへと消え去り、いつもと違って少し大人っぽく見える。


「さすがステラね! 給料アップの件は期待しておいてちょうだい」


「ありがとうございます。楽しみにしています。ではわたくしはまだ仕事がありますので、これにて失礼させていただきます」


そう言って彼女はテキパキと使った道具一式をしまうと、ぺこりと頭を下げて足早に部屋から出て行ってしまった。


「……相変わらず仕事が終わったらすぐに行ってしまいますね」


すると今度は入れ違いにリヒトが部屋に入ってくると、わたくしの姿を見て足を止めた。


「どう? リヒト。今日のわたくしは完璧よ!」


どう? どうかしら? いつものわたくしと違うでしょ? 褒めてくれても良いのよ?


そう思いながら彼の言葉を待っていると、リヒトは何も言わずわたくしをドレッサーの前へと座らせた。


彼はそっとわたくしの髪に触れると、最後の仕上げに取り掛かる。


いつもと変わらない自然な流れに、数秒遅れてから思考がようやく追いつき、わたくしは後ろにいるリヒトに声をかける。


「あ、あの〜リヒト。わたくしの姿を見て何か言うことないんですか?」


わたくしの問いかけに、リヒトはちらっと鏡に映っているわたくしを見ると、机に置かれていた紫色の櫛を手に取った。


「そうですね。さすがステラさんと言わざるを得ません。これならアザレア様もお嬢様と二人きりになられても、緊張することはないと思いますよ」


「それは褒めているのかしら? それとも馬鹿にしているのかしら?」


「さぁ、どちらだと思いますか?」


その言葉にカチンとくる。


今日はアザレアが来るからいつもよりおめかしして、服装だっていつもと違って、ちょっと大人びたものを選んでみたっていうのに、そんな言い方ないと思うのだけど?


少しくらい褒めてくれても良いのに……。

わたくしはふてくされ、頬を膨らませてそっぽを向いた。


そんなわたくしの姿が鏡に映り込み、後ろで丁寧に髪をとかしてくれているリヒトが優しい笑みを浮かべていると知らず、彼はわたくしの髪を束ね始める。


「では、今日の髪型は服装に合ったものにしましょう」


彼は慣れた手つきでわたくしの髪を束ねると、最後にサファイアの宝石がはめ込まれたリボンを左髪につけてくれた。


「できましたよ、お嬢様。どうでしょうか?」

わたくしは鏡に映った自分の姿を見て目を見開いた。


「本当にこれがわたくしなんですよね?」


「はい、もちろんです」


もちろん鏡にはわたくしが知っている、カンナ・ロベリアの姿があった。


カンナ・ロベリアはとにかく派手な格好が好きで、デビュタントやパーティーでも誰もが一目見て、『ああ、この人がカンナ・ロベリアか』と思ってしまうくらいのドレスを身にまとって参加していた。


だからこんな格好をしている姿なんて、見たことがなかったのだ。


「こういう格好もなかなか似合うわね」


「そうですね。お嬢様はいつも派手な格好を好んでおりましたが、少し落ち着いた雰囲気のお姿もまたお似合いだと思います。一見この人があのカンナ・ロベリアなのか? なんて思う方々もいらっしゃるのではないでしょうか?」


「なら派手な格好なんて卒業して、これからは自分に合った格好でも研究していこうかしら」


カンナ・ロベリアはお母様似だから、決して可愛くないわけではない。ただ性格に難があるだけで、普通にしていればとても可愛い女の子なのだ。そう、普通にしていればだけど。


「では今度、アザレア様をお誘いして街へお出かけしてみてはどうでしょうか? お互いの好みや苦手なものが分かれば、より仲を進展させることができると思いますよ」


「あのねぇ、リヒト。このわたくしがアザレアに対して知らないことなんて何一つないのよ? 好きな食べ物や嫌いな食べ物。一番好きな色や動物、苦手な人や嫌いな異性のタイプまで、アザレアに関するありとあらゆる情報は、この頭の中に叩き込んであるのよ」


「……本当にお嬢様って好きになった人に対しては、とことん色んなこと知っているんですね。フィリックス様の時も、彼の一日のスケジュールを探るように言ってきたほどですし」


「あ、あの時のわたくしはどうかしていたのよ。今思えば、どうしてあんな顔だけが良い男を好きになったのかすら分からないわ」


「顔に惹かれたんですよね?」


「………………否定はできないわね」


確かにフィリックスは顔が良い。


どんなに男嫌いな女の子でも、彼とすれ違えばたちまちに恋する乙女へと早変わりし、年老いたご婦人でも彼の顔を見れば若かりし頃の元気がみなぎってくるし、ぐずっている赤ちゃんも一瞬にして泣き止む。


フィリックスに恋していた頃のわたくしも、リヒトにお願いして撮ってもらった盗撮写真を引き伸ばして、部屋に飾って毎日眺めてたくらいで……。


どうしてわたくしは、あんな気持ち悪いことしていたのだろう。


黒歴史確定ですわね。


「そ、そんなことより! リヒト、今日ご夫妻とアザレアはいつ頃到着されるの?」


リヒトは腰の懐中時計を持つと時間を確認した。


「そうですね。俺が調べた情報ですと、ユリウス様たちは今から四時間後に、ここへご到着される予定となっております」


「ふ〜ん。お昼頃に着くってことは、みんなで一緒に昼食を取ることになりそうね」


「はい、そのようになっております。なので朝から料理長が張り切って、早朝五時からさっきまで包丁を研いでおりましたよ」


「そ、そう……」


朝の五時からさっきまでって……一体何時間包丁を研いでいたというの? 包丁だけそんなに研いでも何か変わるものかしら?


「お嬢様。料理長にとって愛用している包丁は、もう人生のパートナーと言っても過言ではない存在なんですよ?」


「人生のパートナーって、料理長はもう奥様がおられるじゃない!」


「それとこれとは別物ですよ」


でも料理長がそこまで張り切っているってことは、今日の昼食はとても豪華なメニューになりそうね。


「昼食を取った後は、ユリウス様とアース様はお仕事の話をされるため、数時間は部屋に引きこもられます。カトレア様とヴィーナ様たちは、そのまま庭園へと移動されます。おそらくカトレア様は、アザレア様もご一緒に連れて行かれるかと思われます」


「なるほど。ならアザレアを誘って連れ出すなら、そこがチャンスってわけね」


「その通りです、お嬢様。しかしアザレア様は緊張されていると思われますので、急にお誘いするのはおやめになった方がよろしいかと。最悪、カトレア様の側から離れない可能性もありますので、そちらの方向性についても何か対処を考えなければなりません」


リヒトの言う通り、アザレアはラナンキュラス家に養子として迎え入れられてからまだ一ヶ月と経っていない。


そのせいで貴族としてのマナーだってほとんど身につけていないだろう。


父様と母様だってそのことについては十分理解していると思うし、アザレアのマナーがぎこちなくても悪いことは言わない。


むしろ悪いことを言ってしまうのはわたくしの方……。


もしかしたら父様はそれを危惧して、わたくしに今日のことを伝えなかったのかもしれないわね……。


「お嬢様。くれぐれもアザレア様を傷つけるようなことは言わないでください。もしそんなこと言ってしまったら、お友達になるという目的が一気に遠のきますよ」


「わ、分かっています。今日は思ったことをすぐ口にするのをやめるわ。一度考えてから言葉にするように頑張るから」


いくらわたくしが生前アザレア大好き人間だったとしても、今のわたくしはカンナ・ロベリアで、生前のわたくしと今のわたくしは全くの別人だ。


だから意識していないと、思ったことをすぐ口に出しそうになってしまいます。


これはカンナ・ロベリアという人間だから仕方ないことですが、今日はそんなこと言っている場合ではありません。


今日という日は、この先にとって一番大切な日となるのだから、必ずわたくしはアザレアとお友達になってみせます!

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