執事に任せたら物語が短縮されたので推しに早く会えそうです
リヒトが「俺に考えがあります」と告げてから、あっという間に数日が過ぎ去った。
その間、わたくしは落ち着かない日々を過ごしていた。彼の言葉の真意は? 一体何を企んでいるのだろうか? 期待と不安が入り混じり、胸の内でざわめいていた。
そんなある日の午後、庭のテラスで穏やかなティータイムを過ごしていたわたくしの元に、リヒトが静かに姿を現した。
「お嬢様、お喜びください。たった今、ユリウス様とカトレア様が、アザレア様を養子としてラナンキュラス邸に迎え入れたそうです」
その言葉は、まるで雷鳴のようにわたくしの頭に響いた。
「……っ!」
わたくしの手から、ゆっくりと傾いたティーカップが滑り落ちる。中に入っていた琥珀色の紅茶が、ぱしゃりと音を立てて地面に吸い込まれていく。
その一瞬、時間が止まったかのように感じられた。数秒間、体は硬直したままで、何も考えられない。
「ちょっ! ど、どういうことですか?! アザレアがもうラナンキュラス家に入ったですって?! で、でも本来ならもう少し先のはずです! なのに一体……!」
我に返ったわたくしは、勢いよくティーカップを机に叩きつけ、身を乗り出した。
一体何が起こったというのだろう? まさか本当にリヒトが、わたくしが知らないところで何かを仕組んだというのか?
リヒトはそんなわたくしの動揺を楽しむかのように、涼しい顔で微笑んだ。
「思ったよりも慌てたご様子ですね。てっきりすぐにお喜びになって、その辺をピョンピョンとうさぎの如く飛び回るのかと思いましたよ」
「あなたはわたくしをなんだと思っているのよ……!」
わたくしは額に手を当て、深く溜息をつきながら椅子に座り直した。
まさか、こんなにも短期間でアザレアがラナンキュラス家に入ることになるなんて、全く予想していなかった。
もちろんこれは喜ばしいことではある。
わたくしの推しであるアザレアが、幸せな未来へと一歩踏み出したのだ。
しかし、同時に納得がいかなかった。何かが、わたくしの知らないところで大きく動いた予感がした。
「リヒト。もちろん、事の経緯をきちんと報告してくれるのですよね?」
「ええ、もちろんございます、お嬢様。ですから、こうして報告書と一緒にお嬢様の元へ参りました」
リヒトはあの発言をしてからすぐに、わたくしに別の使用人を付けると告げ、三日間もロベリア邸から姿を消していた。
父様にリヒトの行方を尋ねても、はぐらかされるばかりで全く教えてくれない。
夜中にこっそりと彼の部屋に忍び込んでみたが、行方を示す手がかりは何一つ見つからず、わたくしはただ彼の帰りを待つしかなかったのだ。
わたくしはリヒトの右手にある薄い報告書を見て、嫌な予感に襲われた。
以前、アザレア探しを依頼した際に彼が持ってきた報告書は、一冊の本にできるほどの膨大な量だったというのに、今回はそれよりも遥かに薄い。
ぱっと見て、報告書三枚分といったところだろうか。
ということは、今回の件に彼が費やした時間はごくわずかということになる。そのわずかな時間の中で、彼はアザレアをラナンキュラス家に入れるという、途方もない偉業を成し遂げたのだ。
これは……彼の話に期待ができると同時に、聞くのが少し怖いとも思った。
本当に彼は、カンナ・ロベリアの執事として有能すぎる。
「では、俺が何をしたのか簡潔にご説明させていただきます。だらだらと長々しく話しても、お嬢様のお時間が無駄になってしまいますから」
「そうね、この後は久しぶりにヴァイオリンのレッスンも控えていますし、手短にお願いします」
「………はぁ、分かりました」
なぜか溜息をついたリヒトに首を傾げていると、彼は持っていた報告書の表紙を開いた。
「とは申しましても、俺はほとんど何もしておりません。俺がしたのは、情報の共有と、時間の短縮です」
「情報共有と時間短縮?」
「はい。まず俺はお嬢様の傍を離れた後、そのままラナンキュラス邸へと足を運びました。するとそこでタイミングよく、カトレア様が街へ花を買いに出かけようとしているところに遭遇しました」
リヒトはそう言って、持っていた報告書の紙を一枚めくった。
「俺はカトレア様の話に合わせ、『本日はユリウス様とご一緒ではいかがでしょうか?』と助言したところ、ちょうどカトレア様に用事があったユリウス様が屋敷から出て来られまして、俺が『カトレア様が花を買いに行かれるそうですね』と申し上げたところ、ユリウス様が『では我も行こうか』と仰いました。そして俺もお二人に付き添う形で、一緒にアザレア様のところへ花を買いに行った次第です」
「ちょっっっっっと待ったぁぁぁぁ!!! あ、あなたまさか!! このわたくしよりも先に、アザレアと顔を合わせたと言うのですか!?」
わたくしは体を震わせ、顔を青くした。なんてことなの……!
本来ならまだ会うはずのない二人だというのに、リヒトは……リヒトは勝手に一人でアザレアのところへ行ったというのか!?
「少し落ち着いてください、お嬢様。確かに俺はご夫妻に付き添いましたが、アザレア様とは直接会ってはいません」
「えっ……じゃ、じゃあどうしてご夫妻に付き添ったのよ?」
「それは、これをユリウス様にお渡しするためです」
そう言って、彼はわたくしのために用意したという報告書の紙束と、数人の子供の顔写真が写されたアルバムを机の上に置いた。
「こ、これってあなたがわたくしに書いた報告書じゃない。それにこれは……子供の顔写真?」
「ええ、俺はこれをユリウス様にお渡しするために、わざわざお二人に付き添ったのです。この報告書はカトレア様と別れた後にお渡ししたものですが、この顔写真が写されたものは、わたくしからお二人に『養子候補』として提示させていただいたものです」
「よ、養子候補?!」
な、なんでリヒトがそんなことするのですか?! しかもわざわざお二人がいるところで……! わたくしの推しはアザレアだけなのに!
「まあ、これはあくまで俺が、お二人の養子になる気はありませんという意思表示であったのですが、狙いはそこではありません」
「で、ではどうして?」
「それは、カトレア様ご本人から、養子にしたいと思っている子の話をしやすい状況を作るためです」
「えっ……ええぇぇ……」
そんな回りくどいことをする必要があるだろうか? そこはもう直球で養子についての話に触れれば良いのではないか?
「お嬢様、何事にもきっかけというものは大事です。ただ何も考えず猪突猛進に突き進むのではなく、一度冷静になって周りを見てみるべきです。そうすればきっと、目の前にいる人が自分に何かを伝えようとしていることに、気づくことができるのですから」
「ねぇ、とても良いことを言っているように聞こえるけど、なぜかしらものすごく腹が立つんだけど?」
遠回しに、以前リヒトがわたくしに言ったフィリックスの件を混ぜて話していないだろうか?
これは気のせい? 気のせいかで良いのかしら?
「ユリウス様は、俺が出した養子候補を見て表情を歪めましたよ。そしてすぐにカトレア様が何かを言いたげにしていることに気が付きました」
「はいはい、話し続けなさいよ」
リヒトは二枚目の報告書をめくると、話を続けた。
「ユリウス様はカトレア様の話を聞いて、すぐにアザレア様と会うことを決められました。俺は街に着くと同時に、すぐにお二人から離れて影で様子を伺っていました。しばらく様子を見ていたところ、お二人共笑顔でアザレア様と楽しそうにお話をされていました。そして後はうまく事が運び、お嬢様が願った通り、ラナンキュラス家の養子として彼女は迎え入れられました」
「なるほど……ね。あなたがやったことはつまり――『物語の短縮』なのね」
「はい、その通りです」
物語の短縮法――ただゲームの本編に忠実に行くのではなく、物語の一部を端折ることで、お話が一気に進む方法。
確かにこの方法を取ることで、アザレアは予定よりも早くラナンキュラス邸に入ることができた。
ということはつまり――
「わたくしがアザレアと早く会うことができるようになったじゃない!」
わたくしは瞳をランランと輝かせ、椅子から勢いよく立ち上がった。
「リヒト! すぐに手紙を出すから紙とペンを持ってきてちょうだい!」
「はい、かしこまりました、お嬢様」
そう言ってリヒトは軽く頭を下げると、持っていた報告書やらをまとめ、静かに屋敷の中へ戻っていく。
「あれ……でも」
リヒトはどうやってアザレアを奴隷から解放させたのだろう?
そんな考えが一瞬頭を過ぎったが、きっとリヒトから報告を受けたユリウス様が早急に対処したのだろう。そうに違いない。
そう思い直したわたくしは、アザレアと会える日を心待ちにしながら、青い空を見上げた。
☆ ☆ ☆
「本当にお嬢様は人の話を最後まで聞きませんね」
そう言いながら、俺は『養子候補』と書かれたアルバムをめくった。確かにそのアルバムの表紙には、数人の子供の写真が載せてある。
しかし、中身はまったく別の内容が書かれている。
俺がお嬢様に見せた報告書はフェイクだ。本当の報告書はこっち、この『養子候補』と書かれた内容こそが真実だ。
さっき報告書を見ながらお嬢様に色々と報告していたが、あの紙には文字なんて何一つ書かれていなかった。
これを見せた時のユリウス様の真剣な顔。そこにはアザレア様に関する全ての情報が詳細に記載された上、ある貴族が奴隷売買をしているという決定的な情報も添えて、カトレア様がいる前で差し出した。
さすがのユリウス様も驚いていたが、カトレア様の話を聞いて、なぜ俺がそれを渡したのかすぐに理解したようだった。そればかりは、さすがだと思わざるを得ない。
そして俺は、その後の行動を先に起こした。
別にご夫妻とアザレア様の事など見守る必要なんてない。結果はもう分かりきっているのだから。
俺はお嬢様に言われた物を取りに行く前に、一度自室に戻ってから『養子候補』と書かれたアルバムを暖炉の中に放り込んだ。
そして、服の中に隠していた銀のナイフから血を丁寧に拭き取り、元のあった場所にそっと戻す。
「お嬢様が俺の部屋に忍び込むことは想定内なんですよ。だから――」
彼女に見られてまずいものは、早急になかったことにしなければならない。
ふと窓の外を見ると、楽しそうにしているお嬢様の姿が見える。アザレアに会えることに胸を躍らせているのだろう。
そんな彼女の姿を見て、軽い笑みを浮かべた俺は、きびすを返して部屋から出て行こうとする。
部屋の中でメラメラ、チリチリと、報告書が燃えていく小さな鳴き声は、聞かなかったことにした。
それが、誰かの悲鳴であったとしても。