第96話~御影の証言~
浪臥村の夜。
村当番以外でこんな遅くまで村にいたのは初めてだ。
海で遊んだ後は、村の温泉でゆったりと湯に浸かった。もちろん、男女別の浴場だったので和流だけは別だ。
それから、結愛の働く居酒屋に入って4人は夕食を楽しむことになった。
昼間、海の家で結愛を自警団の厄介者から助けたお礼にと、結愛の父の好意で夕食をご馳走してくれると言うのだ。カンナ達はその好意に甘える事にした。
夕食時という事もあり、店は満席で酒の入った客の笑い声などが陽気に響いている。
「さあ! 澄川さん! 今日は呑みましょう!」
蒼衣はメニューを開き向かいに座るカンナにグイッと押し付けた。
「いや、お酒は呑まないよ。今日は馬で来たし。飲酒運転ならぬ、飲酒乗馬になっちゃうでしょ」
「何言ってんですか?? そんなの気にしちゃダメですよ! せっかく結愛ちゃんのお店に来たのに!」
「あ、あの、ノンアルコールもありますので無理にお酒注文しなくても大丈夫ですよ?」
結愛はカンナ達の注文を取る為テーブルの横で丈の短い着物の様な制服を纏い笑顔で言った。
カンナの隣の光希は黙ってメニューを眺めている。
「水無瀬さん、お酒呑みたいなら呑んでもいいよ。その代わり、帰りは俺の馬に一緒に乗って。水無瀬さんの馬は俺が一緒に曳いて行くよ」
蒼衣の隣に座っている和流の提案を、カンナは手で遮った。
「そんな、それじゃ和流君に負担掛かっちゃう。だったら私が水無瀬さんを後ろに乗せるから、和流君は馬を曳いてくれる?」
カンナの提案を聞いた蒼衣が不服そうに口を挟む。
「ちがーう! 私は皆でお酒を呑みたいのー! 私だけ呑むとか意味ないしーつまんないー! ……と言うか、澄川さんにお酒呑ませたいんですよねー。澄川さん、お酒呑むとどうなるか気になるじゃないですか? ねえ? 和流さん」
蒼衣の話にメニューを眺めていた光希が反応し蒼衣を見た。しかし、蒼衣はそのまま和流と話を続けた。
「え? そうだね……気になるか気にならないかで言ったら……気になる」
「絶対ダメ。カンナにお酒呑ませないで」
話を聞いていた光希は、突然真顔で言った。
「何でー? 篁さん」
蒼衣は意地悪くニヤリと笑いながら聞いた。
「カンナお酒弱過ぎて……その……面倒臭い」
「え? 私、面倒臭いの??」
光希の評価にカンナは思わず聞き返していた。
「色々とね。大変なの。私が」
光希が理由を濁そうとすると、蒼衣がまた不敵な笑みを浮かべた。
「えー! 気になる気になるー! じゃあ私が面倒臭いの責任持つから是非呑んでください澄川さん! 結愛ちゃん、澄川さんにウィスキー! ストレートで!」
「え? えぇ!?」
突然の蒼衣の勝手な注文にずっと話を聞いていた結愛は、カンナと和流に助けを求めるように目線を動かした。
「水無瀬さん、勝手に決めちゃダメだよ。澄川さんは呑まないって言ってるんだから」
和流が優しく言ったが、蒼衣は和流にも不敵な笑みを見せた。
「えー? だってー見たくないですか? 澄川さんて、シラフでもビッチだから、きっと酔うとヤバいですって! 和流さん、今夜ヤレるかもですよ? 」
「水無瀬さん、何言ってるの? シラフでもビッチって? どういう根拠があってそんな事言ってるわけ?」
カンナが顔をしかめて尋ねると、蒼衣はカンナに笑顔を向けた。
「え? 言っちゃって良いんですか? 和流さんの前で? 私澄川さんの秘密結構知ってますよ? 例えば……」
蒼衣は和流にもたれ掛かり、悪そうな顔でカンナの秘密を話そうとした時、突然カンナの隣の光希がバンとテーブルを叩き、蒼衣を睨んだ。
「いい加減にしてくれませんか? 水無瀬さん。ひっぱたきますよ?」
蒼衣は和流に抱きついたまま睨みを利かせている光希を睨み返した。
大人しかった光希が突然声を上げたので、カンナも和流も注文を待っていた結愛も光希に視線をやったまま固まってしまった。
しかし、蒼衣だけはすぐに和流の胸に顔を埋めた。
「ごめんなさーい。冗談よー冗談。睨まないでよ序列25位の篁さん」
抱きつかれている和流はどうしたものかとカンナと光希の顔を見てまた苦笑いを浮かべ、光希は呆れたように溜息をついてまたメニューを取り顔を隠した。
下位序列の相手の名前の前に、わざわざ序列を付けて呼ぶのは、自分より下の癖に生意気だな。という意味を孕んでいる。しかし、その事を他人がどうこう言う権利はない。何故なら、学園では序列が絶対。悔しかったらその者より自分が上になればいいだけの事。この考え方は、重黒木新体制になった今でも変わらない。
「私この蟹と海老のピザ、あとメロンソーダ」
意外にも、光希は蒼衣の絡みを無視して突然注文をし始めた。それが、結愛にではなくカンナにこっそりメニューの絵を指さしてお願いするように言ってくるのだから可愛い。
こう見ると、蒼衣よりも歳下の光希の方が大人だと思った。
「分かった。和流君と水無瀬さんは何食べる?」
蒼衣は光希に無視されたので不服そうにしながらも、和流からようやく離れ、カンナが差し出したメニューを見た。
「とりあえずーアボカドのサラダとウーロン茶でー」
蒼衣は全く迷わずに即決したが、隣の和流はうーむと腕を組んで唸っている。
「迷うな……全て美味そうだ。どうしたものか」
「皆で食べられるものテキトーに選んでくださいよー。優柔不断な男は澄川さんに嫌われますよー。げしげし」
蒼衣はテーブルに顎を付け、和流の肩にあざとい猫パンチを食らわせている。
「うぜー」
カンナの耳にだけ光希の小さな声が聴こえた。
注文待ちの結愛は和流と蒼衣を何とも言えないような目で見ていた。
結局、和流は鳥の唐揚げと刺身の3種盛りを注文し、カンナは皆で取り分けて食べる用に、オムライスを注文した。もちろん、飲み物はソフトドリンクだ。
結愛はようやく注文を聞くと、ホッとした様子で注文を復唱した。
「ありがとね、寿さん。今日の食事代、全部ご馳走してもらっちゃって……。海の家の店長さんにはスイカ頂いちゃったし」
カンナが申し訳なさそうに言うと、結愛は笑顔を見せた。
「良いんですよ! 海の家の店長もあなた達のお陰で助かったってとても感謝してましたし、何より私も危ないところを助けて貰っちゃって……何かお礼がしたかったので。あ、ホント気にしないでごゆっくり楽しんで行ってくださいね!」
結愛はそう言うと、最後に和流にニコリと微笑んで厨房へと注文を伝えに行った。和流もそれに応えるように笑顔で手を振った。
食事が運ばれてくると、蒼衣は先程までの態度を改めたのか、カンナ達に自分が注文したサラダを小皿に取り分けて配膳したり、場を盛り上げようとカンナ達に話を振ったりと卓越した女子力を発揮していた。
怒っていた光希ももう気にしていないのか、美味しそうにピザを頬張りながら蒼衣にピザを一切れ分けていた。
カンナもその様子を見ると、やはり蒼衣が悪い子には思えなくなるのだった。
4人の食事も済み、しばしの団欒を楽しんでいると、突然店の扉を勢い良く開けて誰かが駆け込んで来た。
「いたー! やっと見つけましたよー……って、村に遊びに来てる学園の生徒って和流さんすかー。何だよ1人だけ女の子達と楽しんじゃって」
入って来たのは槍を持った男、今月の村当番の序列27位、槍特の十朱太史だった。和流の顔を見るやいなや不服そうにしながら近付いて来た。
「おう、太史。お疲れ! どうした? また自警団の厄介者達が暴れ始めたのかい?」
「違いますよ、あいつらは浜辺で騒ぎを起こした後、他の自警団に引き渡されて1ヶ月間の自宅謹慎になったそうです。次暴れたら除名処分だそうです。あー、その節は代わりに奴らを鎮圧していただきありがとうございました。でもでも! 自警団の信用ガタ落ちになったから、僕ら村当番の仕事が増えちゃいましたよ。こんなんじゃ、僕も澄川さん達とお食事でもしないとやってられない」
十朱は和流に文句をくどくどと言い始め、和流がそれを宥めるように聞いていた。
「おい! 十朱! 見付けたなら教えろよ」
今度は屈強な身体付きの序列16位、弓特の矢継玲我が怒りながら入って来た。背中には弓と矢筒、腰には刀を佩いている。いつも眉間に皺が寄った怖い顔をしているので、カンナはあまり得意ではない。
矢継が来たので、十朱は大人しく矢継の隣に直立した。
「矢継さんまで、一体どうしたんですか? そんな怖い顔して」
和流は臆する事なく矢継の顔に突っ込みを入れた。
「良かった。澄川さんと和流さんも一緒でしたか。ちょっと学園で問題が起きましてね、人手を探してたんですよ。村に生徒4人、そして、俺達村当番を合わせて6人か」
「矢継さーん、1人で話進めてないでちゃんと説明してくださいよ。学園で何があったんですか?」
蒼衣は眉間に皺を寄せて1人で納得している矢継に手を挙げて尋ねた。
「ああ、悪い。実は」
矢継はカンナ達4人に学園で起きている問題について、深刻そうに語り始めた。
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御影臨実が何者かに襲われた。
たまたま御影に用があり医務室を訪れた医師の小牧が倒れている御影を発見。御影の意識が戻ったところで事情を聞き出し、八門衆の男に消氣剤の詳細が載っている栄枝のメモが盗まれた事が判明した。
この事はすぐに総帥である重黒木に伝えられ、重黒木から海崎、そして、各師範達に報せられた。
総帥の執務室には師範達全員と海崎以下学園の警戒に就いている白い仮面を付けた八門衆の4人が集まった。御影は証人として小牧と共に重黒木が同席させた。
「八門衆の男に御影臨実が襲われた。今学園にいる八門衆は4名。念の為、まずは4人とも『八卦を示せ』」
重黒木が言うと、八門衆の4人はほぼ同じ動きで左手の黒革の手袋を外し、その甲に刻まれたそれぞれの紋様を見せた。
「ここにいる者達は正真正銘の八門衆のようだな、海崎」
「はい、そのようです。総帥」
「御影よ、この中にお前を襲った紋様が刻まれた者はいるか? 仮面の紋様と左手の紋様は一致するはずだ」
御影は重黒木に言われるままに眼鏡の縁を指で抑えながらその紋様を注視した。
「いえ……いません」
「それでは、この中にお前が見た紋様はあるか?」
今度は海崎がそれぞれ別の紋様が書かれた4枚の紙切れを見せた。
御影はまたその紋様を注視すると、1枚の紙を見詰めゆっくりと指をさした。
「これです……間違いありません」
御影が指さした紙切れを見た4人の八門衆は驚いたようにざわついた。
「犯人は『離』か……」
海崎が言うと師範達はお互いに顔を見合わせた。
「離は亜務剡の戦い以降行方知れずになっている。戦闘に巻き込まれ死んだと思っていたが、まさか生きていたとはな」
「しかし、離は蒼と鼎、どちら側の裏切り者なのでしょう、総帥」
槍特師範、南雲が言った。
「分からん……が、以前から潜んでいた内通者も離の可能性が高いな。八門衆が内通者ならば、この学園の警備をかいくぐって神髪瞬花の資料を盗み見る事も出来るやもしれぬ」
「いや、しかし」
海崎が口を挟んだ。
「八門衆が学園を裏切るとはにわかには信じ難い。八門衆は重黒木総帥への忠誠の下結成された組織。もちろん、私は八門衆全員の素顔を知る程彼らを知っている」
「俺もその意見には賛成だ。信頼が置けるからこそ、普段から仮面で顔を隠させ行動させている。八門衆の素顔を知る者は俺と海崎しかいない。御影、お前は襲って来た八門衆の左手の紋様は見たのか?」
「いえ……仮面の紋様だけです」
「なるほど。左手の紋様を確認しなければ本物の八門衆かどうか分からないと言うことですか。つまり、御影先生を襲った八門衆は仮面こそ付けていたが、中身は八門衆ではなかった可能性がある、と」
黙って聞いていた斑鳩爽が言った。
「そう言う事だ。海崎、他に学園で怪しい氣は感知したか?」
「いえ、今のところ怪しい氣はありません」
海崎の返答を聞き、その場の全員が御影を襲った者の正体に気付いたようにざわつき始めた。
「御影を襲った者。それは、八門衆の格好をした学園内部の者の可能性が高いな」
重黒木の言葉にざわついていた一同は急に静かになった。
「という事は、やはり八門衆の離は青幻の手の者か我羅道邪の手の者に殺され、彼の仮面や衣装を纏った学園の裏切り者が御影先生を襲って栄枝先生のメモを奪った。そして、その犯人はまだ学園内にいる。そう言う事ですね? 総帥」
体特師範、柚木が言った。
「恐らくな」
重黒木は目を瞑って頷いた。
「消氣剤に関するメモを奪ったという事は、恐らく氣を消す術は知らないと言う事」
ふと海崎が言った。
「本当に消氣剤以外に氣を消す方法はないのですよね? もし、他にも氣を消す方法があった場合……」
「いや、待ってください、柚木師範。消氣剤以外にも氣を感知出来なくする方法を思い出しました。これは、恐らく蒼国の技術なのですが」
斑鳩は何か重要な事を思い出したかのように柚木に言った。
それを聞いて柚木、そして、海崎も思い出したかのような表情をした。
「手枷……」
「澄川さんが程突に攫われた時に付けられていたという手枷。確かにあれを付けられていた時澄川さんは氣の力を使えなかったと言っていましたね。そして、澄川さん救出後、程突はその手枷を自分で片腕に嵌め、澄川さんに気付かれないように後をつけて来ていた。そうでしたね、斑鳩師範代」
「はい、澄川は手枷を付けた程突の氣をまったく感知出来なかったと言っていました」
手枷。その報告は重黒木には入っていた。氣を封じる枷。現在はその物質や仕組みを調べる為に樂庸府の専門機関に現物を送り結果待ちの状態だった。消氣剤の存在でその事はすっかりと盲点になってしまっていた。
「だとすると、その手枷と同じ物を持った者なら氣を消して学園内に潜める。そして、学園から気付かれずに脱出する事も可能……か」
「総帥。念の為、この島から出られないよう、浪臥村の自警団と村当番に光通信で港の封鎖と警戒を指示してあります」
海崎は動揺する様子もなく冷静に言った。
「では、我々も一刻も早く、内通者を見つけ出さねば。行きましょう、柚木師範」
斑鳩が隣の柚木と共に部屋から出ようとしたので重黒木は呼び止めた。
「まだお前達が内通者ではないと決まったわけではない。悪いが、皆の身体検査をさせてもらう」
万が一、栄枝のメモを所持している者がいればその者が内通者という事になる。
「そんな……」
「斑鳩師範代。仕方ありませんよ。このような状況ではこうするのが賢明。やましい事がなければここで潔白を証明してしまいましょう」
「そう……ですね。柚木師範」
柚木の説得に、気持ちが逸っている斑鳩は渋々納得した。
「御影の話によると、八門衆の格好で襲って来たのは男だったらしいが、仲間がいるかもしれない。悪いが美濃口師範、四百苅師範代。お前達の身体も改めさせてもらうぞ。御影、頼む」
「仕方ありませんね。お願いします。御影先生」
弓特師範の美濃口鏡子と暗特師範代の四百苅奈南は素直に従い、御影が持ち物等を念入りに調べた。
全師範と海崎及び八門衆、そして、念の為、小牧の身体検査が終わったが栄枝のメモはもちろん、怪しい物は何も出なかった。
「これで我々の潔白は証明されたわけだな」
剣特師範の大甕は胸をなで下ろして言った。
「いや、まだ分からん。栄枝先生のメモを一旦どこかに隠している可能性もある。今まで上手く我々の目を欺いてきた奴だ。簡単にボロは出さんだろう。とは言え、御影を襲ったのが氣を消す術を身に付けた外部の者という線も消えたわけではない。だが、今はお前達を信用するしかない。全員手分けして学園内を捜索。不審人物の捕縛及び栄枝先生のメモを見付けよ。生徒達も全員捜索に参加させろ」
「はっ!!」
師範達と八門衆は皆すぐに部屋から駆け出して行った。
「海崎、お前は残れ」
共に退出しようとしていた海崎を重黒木は呼び止めた。
「何でしょうか? 総帥」
「御影が栄枝先生のメモを持っていると知っているのは理事会メンバーだけだ。理事会メンバーの中に内通者はいる」
「私もそう思います」
「御影、襲われた時、何か他に特徴のようなものはなかったか?」
重黒木の問いに御影は俯き額に指を当て考え始めた。そして、すぐに重黒木の顔を見た。
「多分……若い男……南雲師範や大甕師範程の年齢ではないかと……腕の感じとか……あ、あと髪の毛……」
「髪の毛?」
「はい、地毛ではないかもしれませんが、茶色っぽくてちょうど柚木師範や斑鳩君のような長さだったと思います……一瞬鏡に映ったのを見ただけなので、少し曖昧な記憶ですが」
重黒木は海崎に目で合図をした。
すぐに海崎は部屋から出て行った。
「まさか……そんな……」
「もしかしたら、内通者は斑鳩と柚木に罪を着せようとそのような容姿で犯行に及んだとも考えられる……が、念の為様子を見る」
御影は崩れ落ちるように床に座り込むと、隣に立っていた小牧が優しく肩に手を置いていた。
「小牧。御影を頼むぞ。俺も動く」
「は、はい」
重黒木は御影と小牧を先に部屋から出すと一度窓から夜空を見上げた。
満月は不気味に赤く輝いていた。
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