第83話~神髪瞬花包囲網~
鼎国の斥候が頻繁に辺りを警戒していた。
初めに来た斥候、総勢8人は捕え、拷問の末その目的を聞き出した後全員始末した。そして、さらにその後斥候が1人現れたので捕らえたが、先に拷問して聞き出した斥候以上の情報は持っていなかった。その斥候も始末した。
朝靄の中、薄全曹は鼎国領の亜務剡の林の中で董韓世、そして孟秦と地図を囲んでいた。
神髪瞬花を監視し始めてからこの日で3日。神髪瞬花はこの場所が気に入ったのか大きな木の上に陣取ったきり動かなくなった。
薄全曹達は、双眼鏡でないと神髪瞬花の姿を視認出来ない程離れた場所にいる。
「恐らく神髪瞬花には我々の存在は気付かれているだろう。奴は氣という力で例え気配を消しても敵を見付けることが出来るという話だ」
「しかし、動かない」
薄全曹が言うと董韓世が続けた。
「ですが、妙ですね。こちらに気付いているのに逃げもしなければ我々を殺しにも来ない。一体、何を考えているのでしょうか、薄全曹殿」
孟秦が言った。
「さあな、よもや何も考えておらんかもしれんぞ。奴は普通の人間の思考はしないらしいからな。それよりも、我羅道邪の兵が5千、ここから東に2キロの地点に陣を敷いているという情報だ。それを上手く使い、神髪瞬花を生け捕れないかと考えている」
「なるほど、確かに神髪瞬花と言えど、5千もの銃を装備した軍隊にたった1人で勝てるとは思えませんな。神髪瞬花も逃げずに戦い続ければやがて力尽き我羅道邪に捕まる。そして捕まった神髪瞬花を我々が強奪する。そんなところですかな、薄全曹殿」
「皆まで言わずとも儂の考えている作戦を当てるとは流石は董韓世だ。まさに、漁夫の利を得るということだ」
さすがに蒼国上位幹部3人がいても、5千もの銃を装備した軍隊に突っ込めば勝機はない。しかし、捕まった神髪瞬花を奪って逃げるだけなら成功の可能性はある。
「名案です。しかし、薄全曹殿。厄介なのが1人神髪瞬花と我々を監視していますがそれは」
孟秦がだんだんと声を潜めながら言った。
「気付いていたか、孟秦。何者かは知らんが我羅道邪の5千の銃火器部隊より厄介な奴かもしれんぞ。そいつは孟秦、お前が先に始末しておけ。可能なら捕らえてこい」
「分かりました」
孟秦が背中の大きな刀を抜き放ち、その刀身を眺めながら答えた。
「薄全曹殿、私が行きましょうか?」
孟秦の様子を見ながら董韓世が言った。
だが、薄全曹は地図を眺めたまま答えた。
「孟秦で十分だろう。お前は神髪瞬花奪取の時の為にここで警戒していろ。神髪瞬花が孟秦がいない間に動かないとも限らん。万が一動く時は儂とお前の方が動きやすい」
「確かに」
董韓世が納得して頷くと孟秦は刀を背中の鞘に戻し拱手して林の奥へと歩いて行った。
孟秦の姿が消えてから、薄全曹は木々以外何もない場所を指さして言った。
「お前はもう1人の雑魚を捕らえよ、董韓世」
「御意」
董韓世もその者の存在には気付いていたようで、驚いた様子も見せずに立ち上がった。
「何だよ、気付かれていたか」
木々の中から出て来たのは人相の悪い大男だった。男は両手で持った銃身の長い黒い銃をこちらに向けて不敵な笑みを浮かべていた。恐らく、ショットガンの類だろう。
「そんな玩具を持っているということは、我羅道邪の手先か。見たところ、今までの斥候とは違うようだが、たった1人で何をしに来たのだ?」
薄全曹は座ったまま男に言った。
董韓世が立ち上がった。
「ウチの斥候が戻って来ないのもお前達の仕業だったんだな」
男は銃口をこちらに向けたまま薄全曹の問いに答えず辺りを見回した。
辺りには殺害した我羅道邪の斥候の死体が無造作に転がしてあった。
「董韓世。その銃の弾は弾ける。儂に当たらんように頼むぞ」
薄全曹は男の構える銃を見ても動かず荷物の中から干し肉を取り出し食い始めた。
「無知かと思ったらさすがにジジイか。銃は知っているんだな。だが、知っていて飯を食い始めるとはボケが始まってるとしか思えんな」
男は黒ずんだ歯を見せてヘラヘラと笑っていた。
「董韓世。武術が銃に勝るということをその男に見せてやれ」
「御意」
董韓世は腰に刀を佩いているがそれには触れずに拳をパキパキと鳴らし肩をゴリゴリと回した。
その様子を見て男は首を傾げた。
「まさか、その刀も使わねーってのか? 舐めやがって。そんなに死にたいならすぐに粉々にしてやる」
男が引き金を人差し指で引こうとした瞬間、董韓世は男の右腕を取り背中に回した。手に持っていたショットガンは既に地面に落ちていた。
「くそ……! なんて速さだ」
「貴様、名は?」
董韓世が静かに男に訊いた。
「馬鹿め、答えるわけがないだろう。知ったところで意味もない」
男が言った瞬間、董韓世は男の右腕をへし折った。
男は悲鳴をあげながら地べたを転がって悶えた。
しかし、董韓世は容赦なく男の横顔を踏み付けた。
「名は?」
「く、桾瞑……! 桾瞑だ」
「向こうにいる軍の指揮官は誰だ?」
「杷弩歴普将軍だ」
「杷弩歴普……鼎の重鎮の1人だな。目的は神髪瞬花の拘束だと聞いたが、いつ出撃する? 斥候共は1人として作戦の詳細を知らなかった」
董韓世が訊いたが桾瞑はそれ以上喋ろうとしなかった。
すると董韓世は桾瞑の前髪を掴んで引きずり起こし、一発顔面を殴り付けた。それで鼻と前歯が折れて血を流した。
桾瞑は呻き声を上げているが薄全曹は干し肉を食いながら水を飲んだ。
「出撃は……俺が本陣に帰還した時だ。俺が戻らなければ出撃はしないだろうな。さっき聞かせてもらったが、お前達は、杷弩歴普将軍の軍を動かしたいんだろ? なら、俺を生かして帰した方がいいぜ」
桾瞑は鼻と口から血を流し荒い呼吸をしながら言った。
不意に董韓世が薄全曹の顔を見て判断を求めてきた。
「そいつが戻らなくても動くだろうな。奴らの目的は神髪瞬花だ。あの数の軍隊を動かしておいて何もせずに撤退はない。よし、もうそいつに用はない」
話が終わり、薄全曹がまた干し肉を頬張り始めると董韓世は頷き右手を貫手に構えた。
「ま、待て待て待て待て! 俺を殺すと大変なことになるぞ!?」
桾瞑は悪あがきのように慌てて騒ぎ始めた。
「どうなるというのだ?」
董韓世は貫手を構えたまま言った。
薄全曹がチラリと桾瞑の方を見ると、桾瞑は折れていない方の手で上着をめくり、懐に隠していた拳銃を董韓世に向けた。だが、董韓世は咄嗟に拳銃を握り手首を返して桾瞑の胸へと銃口を突き付けた。
銃声。
銃声は消音器の影響で辺りに響かなかったが、桾瞑は身体から血を流し地面に倒れた。
「最後の最後まで銃を使うのか」
董韓世がそう呟きながら薄全曹のもとへ歩いて戻ろうとした時、突然、董韓世の背後の桾瞑の死体が物凄い爆音と風圧を巻き起こし弾け飛んだ。
董韓世はその爆風に巻き込まれ吹き飛ばされ木々の間に消えてしまった。
「董韓世! 無事か?」
薄全曹は片手を顔の前に翳し、爆風を遮りながら董韓世に呼び掛けた。
すると、すぐに頭上から董韓世の返事が聴こえた。
「問題ありません」
いつの間に木の上に避難していたのか、董韓世は木の上から薄全曹の隣に飛び降り、爆発した場所を見た。
「確かに心臓を撃ち抜きました。即死の筈です。自分で起爆したとは思えませんでしたが……」
「ならば、奴が死んだことにより起爆する爆弾でも仕込まれていたか……どちらにせよ、厄介なことになるな、董韓世」
「なるほど、この爆発が杷弩歴普の軍の出動の合図というわけか。それに、神髪瞬花にも完全にこちらの位置を補足された」
薄全曹は神髪瞬花のいた方角を双眼鏡で見た。
しかし、神髪瞬花がいた木の上にはもうその姿はなかった。
「やはり動いた。姿がない。董韓世、警戒しろ。こちらを襲って来るかもしれん」
神髪瞬花が逃げることも考えられるが、薄全曹は敢えてその考えは切り捨てていた。逃げるのならば3日も同じ場所に滞在する筈はない。それに神髪瞬花は強者との戦闘を欲している。蒼国上位幹部の3人と、銃を装備した5千の我羅道邪の兵。この2つの存在を無視して逃走するとは思えないのだ。
薄全曹は双眼鏡を杷弩歴普の軍に向けた。
案の定今の爆発で杷弩歴普は軍をこちらに向け進軍して来ていた。無数の大型のトラックがこちらに向かって来ている。
董韓世は刀を抜いていた。
「杷弩歴普も動いた。これは孟秦が犬を始末するより先に奴らがここに到着するな」
「やられましたな」
薄全曹は顎髭を指先で弄りながら大きく息を吐いた。




