第8話~長刀の詩歩~
角笛。
低く遠くまで響く音が学園中に響き渡った。
聴いた事のない音に詩歩も海崎もはっとして顔を見合わせた。
2人は森の中に潜んでいた。海崎が詩歩に光希とユノティアの話をしている時に突然角笛は鳴った。
「もしかして、光希ちゃんが見付かっちゃったのかな?」
詩歩が心配そうに海崎に言った。
海崎は鼻の下の髭を人差し指の腹で撫でながら詩歩を見た。
「恐らくな。単に騎士達に見付かったのか、或いはこの学園の生徒が懸賞金欲しさに通報したのか」
「この学園に光希ちゃんを売る生徒なんていませんよ。仲間なのに」
「何故そう言い切れる? かつてこの学園は憎しみに支配されていたと聞いたぞ。同じ生徒が在籍している以上、篁光希を仲間と思わず金の為に動く輩がいてもおかしくない」
海崎の言葉に詩歩は頭を横に振った。
「あなたは何も分かっていませんね。その憎しみは全て2年前に払拭されました。私達生徒達の力で。同じ過ちは二度と繰り返しませんよ、海崎さん」
「そうか。それはそうと、現に篁光希が見つかってしまった可能性は高い。もし篁光希を助けようとする生徒が騎士達に手を出して返り討ちにされてはまずい。俺はそれを止めろと総帥に言われている。お前は帰れ、祝」
海崎は顎で帰れという仕草をした。
「私も行きます」
「死ぬかもしれないんだぞ? お前にとって篁光希は命を掛けてまで救いたい者なのか?」
海崎は詩歩の目を見て言った。
「ここまで関わったなら、途中で帰るなんて事出来ません」
海崎は何も言わず詩歩の目を見詰め続けている。詩歩は少し恥ずかしくなり目を逸らした。
「先程のお前の闘いぶりではカステル王子や側近の2人には適わん。役に立たんと思うぞ」
「2人……側近はさっきの男とは別にもう1人いるんですか?」
「ああ。あと、親衛隊長の男が1人、そして親衛隊の兵士が20人だ」
「さっきは2対1だったから危なかっただけで、今度は負けませんよ」
海崎は鼻で笑った。
「強情な上に自信過剰か。勝手にしろ。お前がやりたいようにすればいい。死んでも知らんぞ」
「もちろん!」
詩歩は愛刀の紫水をぎゅっと抱き締めた。
話が纏まると、海崎は詩歩を連れて角笛の音のした方へ走って行った。
詩歩と海崎が走っていると後ろから近付いてくる馬蹄が聴こえた。2人が振り向くと騎士が2騎駆けて来た。騎士達は詩歩と海崎を見付けると近くで馬を止めた。
「おい、貴様ら。この辺でオレンジ髪のツインテールの女を見掛けなかったか? 篁光希という名だ」
大きな目玉をした騎士が居丈高に言った。
「まったく、騎士って人達はどうしてみんな偉そうなんだろう」
詩歩が口を尖らせ文句を言った。
「なに?」
騎士は大きな目玉をギョロりと動かし詩歩を睨み付けた。
海崎が短刀の柄に手を掛けているのが横目に見えた。
「貴様らのような薄汚い庶民には当然の振る舞いだぞ? 俺達は貴様ら庶民より身分の高い”騎士”だ。庶民の餓鬼は大人しく質問に答えろ」
大きな目玉の騎士は円錐の先が尖っている槍を詩歩に向けて威圧した。
「この国には騎士なんていないんだよなぁ」
詩歩は海崎が動くよりも先に騎士達に向かい走りながら長い色付き”長刀・紫水”を一瞬で抜き放った。
騎士達は突然詩歩が仕掛けて来たことに驚き一瞬怯んだ。その隙を逃さず詩歩は紫水を振った。騎士達は咄嗟にしゃがんで躱し、馬上で屈んだまま2人同時に詩歩へ槍を突き出した。詩歩はサッとカンカン帽を左手で抑えながら前転し2本の槍を躱した。すかさず詩歩は紫水を振った。騎士達2人同時に詩歩の紫水が襲ったのでどちらも槍で防御した。詩歩は回転しながら2人の騎士の馬の間に入り込み紫水を振り回した。また騎士達は槍で防いだが大きな目玉の方の騎士の目には、すでに詩歩が紫水を振り下ろしている姿が写った。大きな目玉の騎士は槍の柄で防ごうとしたが紫水はまるで鉛筆でも斬るかのようにあっさりと槍を真っ二つにし、そのまま騎士の兜と鎧諸共両断した。
「馬鹿なっ!?」
兜と鎧は騎士から剥がれ落ち、地面にガシャンと音を立てて落ちた。
大きな目玉の騎士はあまりの恐怖に放心し馬から落ちてしまった。
もう1人の騎士はその様子を目の当たりにしたがひるまず大声を上げて詩歩を背後から突き殺そうと槍を伸ばした。しかし、詩歩は振り向きざまに伸された槍の柄を紫水で両断し、刃と峰を持ち替えて馬上で目を見開いている騎士の首を打った。騎士は白目を剥いて馬から落ち気を失ってしまった。
「騎兵2人相手に刀で、しかも1滴も血を流させず仕留めるとはな。俺はお前を見くびっていたよ。すまんな」
海崎は抜き掛けた短刀を鞘に戻しながら詩歩に謝罪した。
「序列20位、”長刀の詩歩”を舐めないでよね」
詩歩も紫水を鞘に納めながらドヤ顔を決めた。
「なんだその異名は? 初めて聞いたぞ」
海崎はまた鼻で笑った。
詩歩は何も喋らず顔を赤くしながら騎士達の乗り手のいなくなった馬に跨った。
海崎は詩歩の反応に笑い声を上げながらもう1頭の馬に乗り、また2人で角笛の聴こえた方角へ急いだ。
アリアが口や鼻から血を流して地面に倒れている。先程からピクリとも動かない。死んでしまったのかもしれない。光希は馬に跨ったまま恐怖で身体が震え冷や汗が止まらなかった。
目の前のエドルドが角笛を吹いていた。仲間達に位置を報せるユノティアの角笛だった。まもなく光希は包囲される。いや、包囲されなくとも、エドルドから逃れられるとは思えない。現役を退いたとはいえ、ユノティア騎士団の元団長だった男だ。ユノティアの騎士達の中で最も強い男。光希に騎士殺人術を教えた男でもある。
エドルドは剣を持ったまま光希の様子を窺っている。
「すぐにカステル王子やザジ、そしてマルコム率いる親衛隊が集結します。観念して馬から降りてください。光希様」
光希はエドルドの言う通り馬から降りた。
もう誰も助けには来ない。いつの間にかこんな森の中だ。関係のないアリアまで巻き込んでしまった。
「分かりました。言う事を聞きますから、だから、学園の人達には危害を加えないでください」
光希が言うとエドルドは頷き剣を納め馬から降りた。
「もう少し早くそうしていれば、この娘は地面に這いつくばらずに済んだというのに」
「良くやった。エドルド」
その声に光希は戦慄した。いつの間にかカステルとザジがこちらへゆっくりと馬を進め近付いて来ていた。
「光希。君が逃げれば学園の仲間達は傷付く。そんな事も分からないのか?」
カステルは微笑みながら徐々に近付いて来る。ザジもカステルの少し後ろに就いて来た。
「あなたがこんな卑劣な事までする人だと言う事を忘れていました」
「光希様、無礼ですぞ」
ザジが叱責するとカステルは手で制した。
「私は光希をユノティアに連れ帰り妃にする。だから何と言われようが構わん。さあ、光希。私と共に行くぞ」
カステルは光希のどんな言葉にも動じず、手を差し伸べた。
もう駄目だ。カステルの手を取るしかない。ここで馬に乗ったエドルドやザジから逃げられる筈もない。闘って勝てる筈もない。楽しかった学園生活もこんな形で終わる事になるとは……。光希は震える唇を噛み締めた。そして、ゆっくりとカステルの手へ自分の手を伸ばした。
「待ちなさい!!」
凛とした声と共に突然光希とカステルの間に1頭の馬が割り込み、前脚を高く上げて嘶いた。カステルは1歩後ろへ跳び距離を取った。光希は何が起きたか分からずただ立ち尽くして馬の乗り手へ目をやった。
そこには、黒髪で後頭部に青いリボンを付けた光希の愛しい人、澄川カンナがこちらを見詰めていた。
「カンナ……!!」
心のどこかで待ち望んでいたカンナが今目の前に凛として馬上からカステル達をその存在だけで威圧している。
光希の目からは何故かポロポロと涙が零れ落ちていた。