第75話~黒仮面の女、参~
日は既に頭上高く昇っていた。
高さ30メートル程の切り立った崖の下に、川幅15メートル程の天霊川とその支流の細い四童川がちょうど崖で分かれるように流れていた。
カンナがそこに到着すると、既に到着していたつかさが真っ先に走って来たので馬を降りた。カンナが地面に足を着くと同時に走って来たつかさが抱き締めてきた。つかさの大きな胸がカンナの胸に押し当てられた。
「カンナ!! 良かった無事で!! 私、ほんと、心配で……」
つかさはカンナの耳元で言うとそのままカンナとの再開の余韻に浸った。カンナもつかさを抱き締めた。つかさの柔らかく温かい温もりがとても安心感を与えてくれた。
「ごめんね、つかさ。心配掛けちゃって……。それと、助けに来てくれてありがとう。皆も助けに来てくれてありがとう!!」
カンナがその場の全員に礼を言うと全員ニコリと微笑んだ。
「何言ってんだよ。そりゃ助けに行くだろ? あたし達は仲間なんだからさ。カンナがいないとちょっとだけ、つまらなくなるからな。ちょっとだけだけどな」
燈が頭の後ろで腕を組んでニコニコしながら答えた。
すると今度は茉里がカンナに近付いて来て、まだ抱き締めたままのつかさを肩で押し退けてカンナの目の前に立った。
「斉宮さん、今度はわたくしの番です」
茉里に邪魔されてつかさは口を尖らせながら腕を組み茉里を睨んだ。
「澄川さん、わたくし、斉宮さんの100倍は心配しておりましたのよ。本当に無事で良かった……」
茉里の発言につかさが何か言おうとしたが、茉里はそのままカンナを抱き締めカンナの唇に自らの唇を重ねた。
「んん??」
カンナは勿論、その場にいた全員が声にならない声を漏らして驚いた。
茉里はすぐに唇を離したが、周りは何とも言えない空気になってしまった。
つかさは口を開けたまま固まっているし、その他の者も全員同じ様子で気まずさから手で顔を覆ったり、下を向いたりしている。
ただ1人だけ腹を抱えて笑いを堪えてる者がいた。
「くふふふふ……、超面白い、わ、笑っちゃ駄目なのコレ? ……皆、よく我慢出来んな……ふふふふふ」
「燈!? 空気読んでよ!? どう考えても笑うところじゃないわよ??」
詩歩が咎めたが、燈の笑いを超える大きな声で堂々と笑い始めた者がカンナの背後にいた。
「いやーこれは笑うところでしょ?? 澄川、お前どうしていつも私のツボを突いてくるのよ? あはははは! 女にキスされて、ビクって! ビクってしてんの! あはははは! 可愛いー!」
まだリリアと共に馬に乗せられていた蛇紅がケラケラと笑っていた。
カンナも茉里もつかさも軽蔑の眼差しを蛇紅に向けた。
「何が可笑しいんですの? そこの方。わたくし、怒りますわよ?」
茉里が目の色を変えて蛇紅の方へ行こうとしたのでカンナは茉里の手を掴んで止めた。
「何で? 可笑しいじゃん? ねぇ? 可笑しくない?? あの反応」
蛇紅は後ろを向き、背後のリリアに同意を求めた。
「可笑しくありませんよ。ちょっと、ビックリしたけど……」
リリアの同意は得られなかったが蛇紅は余程面白かったのかまだ笑い続けていた。
「何だよあのおばさんはよ、あたし以上に爆笑しやがって」
燈は蛇紅の笑いにシラケてしまったようで面白くなさそうにまた頭の後ろで腕を組んだ。
つかさが珍しくカンナを馬鹿にした燈や蛇紅に突っかからない事を不思議に思いつかさの顔を見ると、今まで見た事もないような複雑な顔をして右腕を握り締めて俯いていた。
「つかさ……?」
カンナが声を掛けるとつかさは我に返り顔を上げた。
「あ、え? 何だっけ? ううん! 何でもない!」
つかさは気丈に振舞っていたがその瞳の奥には悲しみが見えた。
「皆、まだ柚木師範と篁が到着していないんだぞ。今喜ぶのはその辺にしておいてくれ」
斑鳩が馬から降りて言った。
リリアの前の蛇紅は落ち着いたようで1人天霊川の方を眺めていた。
「そうだな。全員が揃い、学園に戻った時まで喜ぶのはお預けだ。その時は盛大に宴でも開けばいい」
今度は海崎が言った。
「とりあえず茜、悪いが蛇紅を馬から降ろして見張ってて貰えるか?」
斑鳩の指示通り、リリアはまず馬から降りて両手を前で縛られている蛇紅に手を伸ばした。
「あ、手伝いますよ、リリアさん」
リリアが馬から蛇紅を降ろそうとすると、率先して蔦浜が自分の馬から飛び降り手を貸した。
「じゃあ私も手伝いまーす!」
キナも蔦浜が手伝うのを見ると元気良く手を挙げて蔦浜がの隣に行き、2人で蛇紅を馬から降ろすと近くの木の根元に座らせた。
そして、柚木と光希を待つ為、各々楽な姿勢で休憩を始めた。
それからすぐの事だった。
光希から無線が入った。
『こちら篁……、あの、柚木師範が』
無線はこの場には6台あった。その全てに光希からの連絡は届いたがその声は震え途切れ途切れでその場の全員がただ事ではないと感じただろう。
『篁、どうした? 柚木師範がどうかしたのか?』
斑鳩がすぐに応答した。
皆斑鳩の方を黙って見た。
『ごめんなさい……私……敵が、たくさん来たから……』
要領を得ない光希の話に座っていた燈が立ち上がり髪を掻き乱した。
「何なんだよ! 敵!? 程突じゃねーのか!? たくさんて、まだ仲間がいたのかよ!!」
斑鳩が答える前に燈は自分の無線機で光希に言った。
かなり動揺しているようで光希はすぐには返事を返さなかった。
カンナは周囲に氣を飛ばした。光希が近くに来ているかもしれない。目を瞑り精神を研ぎ澄ませる。
「見付けた! 光希! 真っ直ぐこっちに近付いて来てる……けど」
「来てるけど、何だ? 澄川」
無線機を持った斑鳩がハッキリと言わないカンナに言った。他の者達もカンナを見た。
「確認出来る氣は光希だけです。柚木師範の氣はありません……」
全員の表情が強ばった。確かに無線機を持っていたのは指示を各班に出していた柚木だった。しかし、今光希が無線機を持っている。きっと何かがあって柚木が光希に無線機を託したのだろう。
「どういう事なの? カンナ」
つかさが皆に先んじて尋ねてきたが、カンナはその問いには答えず木々が生い茂る森の方を見た。それに釣られて皆もその森を見た。
すると、その森の中から馬に乗った光希が飛び出して来た。
「光希!!」
「あっ!! カンナ!!!?」
光希は馬を止め、力なく崩れるように馬から降りた。カンナはすぐに膝を突いた光希を抱き留めた。皆も光希の周りに駆け寄った。
「どうしたの!? 光希!! 焦らなくていいから、落ち着いて話して」
カンナが言ったが光希は息を切らしてまともに喋れる状態ではなかった。光希のアイシャドウも涙でボロボロに崩れていた。
「誰か、お水ちょうだい!」
カンナが頼むとつかさがすかさず自分の鞄から水の入ったペットボトルを取り出しキャプを開け光希に渡した。
光希はそれを受け取り、喉を鳴らしその水を飲むとようやく落ち着きを取り戻し、カンナの手を放れ自力で座った。
「落ち着いた? それじゃあ、何があったのか、詳しく教えて」
カンナは優しく問い掛けた。
光希は1つ息を吐くと深刻な顔のまま柚木の事を話し始めた。
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光希を逃がす為に敵を引き付けた柚木だったが、あっという間に敵に囲まれてしまった。
光希は逃げ切れたようなので柚木の役割は果たした。
柚木を取り囲んでいる兵は軽装備でまさに山岳戦の為に派遣されたと言わんばかりの出で立ちだった。
柚木が大人しく馬上で停止していると、取り囲んでいた兵の中の一際目立つ格好の女が馬で近付いてきた。その女は紺色のローブを纏い、目と鼻のところだけの黒い仮面を付けて長い茶髪の髪を風に靡かせていた。手には何の変哲もない鉄槍を持っている。雰囲気からして只者ではない。柚木はその女の姿を見た瞬間にそう感じ取った。
「一応聞こうか。ここで、1人で何やっている」
問い掛けて来たのは仮面の女ではなく、その後ろからひょっこりと顔を出した馬に乗った若い男だった。
男は、この場には全くの場違いな白衣を着た科学者のような出で立ち。見るからに大した事はない、ただの付き人か軍師だろうか。頭は良さそうに見える。
「いやー困りましたよ。登山を楽しんでいたら道に迷いましてね。でも兵隊さん達が来てくれたなら一安心ですね」
柚木はニコニコしながら見え透いた嘘を言ってみた。
「登山だと? まあ、登山は登山だろうな。ただ、俺にはお前が只者には見えないのだがなぁ」
科学者風の男は顎を指で擦りながら目を見開いて言った。
「武器なんか持ってませんよ? ほら、調べてください」
柚木は両手を上げた。科学者風の男は近くの兵に身体検査を指示したが、仮面の女がそれを止めさせた。
「必要ないわ。武器があろうがなかろうが、妖しき者は殺す。この男は私の任務に支障を来す恐れがある」
「やれやれ、穏やかじゃありませんね」
柚木が呆れたように首を振ると、仮面の女は馬でゆっくりと近付いて来た。
そして柚木の隣に馬を寄せると身体を乗り出して柚木の耳の後ろの匂いを嗅ぐような仕草を始めた。そのまま首筋、さらに襟を掴んで服の匂いまで嗅いだ。
「なるほど。困ったわ」
一通り柚木の匂いを嗅いだ仮面の女はポツリと呟いた。
その言葉の意味は柚木には理解出来なかった。
「参、困ったとはどういう意味だ?」
科学者風の男はいつの間にかノートを取り出しペンで何かを書き取っていた。
「いえ……」
科学者風の男の問いにはそう答えたが、仮面の女、参はまた柚木の方に身を乗り出し今度は耳元で囁いた。
「あなた……」
参が言った言葉に柚木は戦慄した。
「おい! 俺はお前の実戦データを全て陛下と周承さんに報告しなくてはならないのだ。隠し事はなしだ!」
科学者風の男が怒り気味に言った。しかし、参はその男を一瞥した。
「この子、僕の匂いが好きなんだって」
柚木がごまかそうと科学者風の男に適当に言うと、ぺしっと参が身体を槍の柄で叩いてきた。
「言ってない」
参は目元の表情は分からないが、頬を膨らませて不服そうに言った。そして、今度は科学者風の男に槍を向けた。
「趙景栄、お前が私に命令するな。私がお前の命令を聞かなくてはいけない義務はない筈。戦場に出た今、私が隊長だから」
「ああ!! 馬鹿め!! やはりまだ実戦には早かったか!! 未熟者め!! 仕方ない、参を拘束しろ!!」
趙景栄という科学者風の男は持っていたペンで参を指し全軍に命令した。
柚木を囲んでいた騎兵の一部が参に向かい動き出した。10騎程が参を囲んだ。騎兵は槍を構えている。
「隊長であるこの私に歯向かうのか。言う事を聞かない兵は殺して良いと言われてる。今ならまだ許すけど、やる?」
参は全く動揺しない。それどころか、どちらでも良いという強気な態度を示した。
「生意気な!! 捕獲しろ!! 絶対に殺すな!! 向こうの男も捕獲しろ!!」
趙景栄の命令に騎兵は一斉に柚木と参を襲った。だが、初めに襲って来た10騎程の騎兵は既に身体から血を吹き出して馬からバタバタと落ちていった。柚木はまだ何もしていなかったのでまさかと思い参の方を見た。
すると参は槍の先にべっとりと付いた血を見ながらその匂いを嗅いでいた。
「僕まで助けてくれたんですか?」
「別に。たまたまじゃない?」
参は柚木の方を見ずに淡々と答えた。
「くそ……この出来損ないめ……、兵を殺しやがって!! お前達! 何がなんでも参を捕らえろ!!」
趙景栄の命令と共にたちまち乱戦となった。
柚木は遅い来る槍を躱し、そして1本奪い取り、それを振り回し敵を打ち倒した。
だが、襲い来る敵のほとんどは近くで戦っている参に突き殺されて徐々に数が減っていった。
柚木は敵の包囲網が崩れてきた箇所を見付けるとその隙間へ馬を駆けさせた。
途中数騎が槍で行く手を妨害して来たが、それは柚木の槍で弾き馬から叩き落とした。
参の暴走で混乱している敵軍の中を突破した柚木は、まだ乱戦が続いているのを確認するとそのまま馬を駆けさせその場から離脱した。
100人もの騎兵相手にたった1人で無双している参は勿論、他の兵達も柚木を追っては来る様子はなかった。
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