第68話~李超と狼厳~
何が襲って来たのかは分からなかったがそれは鞭のようにしなり、剣のように鋭利な攻撃だった。前方から木々を切り倒しながらそれは近付いて来た。
茉里はその謎の斬撃を操っている者を見極めようとしたが斬撃が次第に近付いて来ているのでそちらにばかり気を取られ敵を見付けられないまま弦を引き絞りただ斬撃の方へ鏃を向けていた。
「危ない!」
キナの声に振り向く間もなく茉里は馬ごと地面に倒されていた。
その瞬間に頭上を斬撃だけが通り過ぎた。
茉里の紫色の綺麗な髪が何本か宙を舞いハラハラと目の前に落ちてきた。
「抱さん、助かりましたわ」
キナは茉里の馬の手綱を引き馬を地面に伏せるように操ったようだ。既にキナの馬も地面に伏せていた。
「後醍院さん、武器が何かは分からないですが、長中距離武器のようです。逃げ切れそうにないですね。どうにか接近して私がぶちのめして来ます。援護をお願い出来ますか? 」
「勿論。でも、わたくしは逃げませんわよ。わたくしは澄川さんを苦しめる敵は1人残らずぶち壊しますから」
茉里がニヤリと笑ったその時、また斬撃が茉里とキナの頭上から降り注いだ。2人は瞬時に両側に別れて避け、同時に馬を起こし両端の木々の中に逃がした。
「さて、わたくしの愛馬『紫燿花』に怪我をさせるわけにはいきませんからね。これで思う存分戦えますわ。さあ、どなたか存じませんが、隠れて遠くから攻撃ばかりしていないで姿を現したらどうですか?」
茉里はキナと背中合わせになり次の攻撃の方向を見定めた。
ユラりとほんの僅か遠くの木の葉が不自然に揺れたのを茉里の紅い瞳が捉えた。同時に茉里は矢を放っていた。その矢は木々の間を空気を切り裂く音を奏でながら飛んでいき、そして何かに叩き落とされる音へと変わった。
「あそこか!」
キナも敵の位置を掴んだようだ。
その直後だった。
「伏せて!」
茉里が言うより先にキナはしゃがんで頭上を真横に通り過ぎる斬撃を躱していた。どうやらキナの動体視力と反射神経は並の武人のそれではないようだ。
茉里がキナを見たその時、茉里とキナの間に突然男が現れ、身体を狛のように回転させ、手に持った棒を振り回した。茉里もキナも腰を低くしたまま躱し、男から距離を取った。矢を射ようとしたが、男の後ろにはキナがいたためすぐには矢を射る事が出来なかった。
「よく避けたな。一般人なら初撃で首が飛んで終わっていたのだが……これが学園の生徒の実力か。成程、これはその辺の盗賊位じゃ話にならんわな」
男はカールした口髭を左手で弄りながら茉里とキナを見下すように見て言った。
右手には細い筒のような棒を1本持っているだけだ。
「まさか……南蛮千鳥鉄……?」
「ほう! 教養があるな。流石、ちゃんと勉強もしているようだな。紫髪のお嬢様」
男が手にしているのは紛れもない南蛮千鳥鉄という暗器だ。通常はその筒の中に仕込んである鎖分銅で打撃攻撃をする武器で、斬撃などとても繰り出す事は出来ない。しかし、男は他にあの長距離斬撃を可能にする武器は持っていない。
「背中を向けるなんて死にたいのかよ!!」
男の背後を取っていたキナが果敢にも攻撃を仕掛けた。
しかし、男は千鳥鉄で巧みにキナの拳や蹴りを捌き後ろに跳んで距離を取った。
「背後を取らせても問題ないと思ったものでな。この李超が小娘共相手に遅れはとらんよ」
李超と名乗った男は得意げに微笑んだ。
「わたくしは2年前に青幻の中位幹部を2人倒したのですわよ? 李超さん……と言ったかしら? あなたはその2人よりもお強いのかしら?」
茉里はこれでもかという程のドヤ顔で言った。
すると李超は口髭を弄りながら頷いた。
「ほうほう、成程。お嬢様が後醍院茉里だったか。中位幹部の2人を殺ったのはお見事だったな。俺は残念ながら幹部ですらない。ただの程突の同期だ。まあ俺の方が歳は上だがな」
「あら、それじゃあ残念ながらわたくしには勝てませんわね。大人しく降伏なさったら?」
茉里は落ち着き払った李超の態度に警戒していた。それはキナも同じで、幹部ではないと言ってはいたが、まだあの謎の斬撃の正体が掴めていない今、迂闊に動く事も出来ない。もしかしたら、李超ではない他の誰かが斬撃を操っていたのかもしれないのだ。
「御堂筋弓術。動く的を確実に射抜くという世界最強の弓術。狙われたら最後、その矢からは逃れられないと言うわけだな」
「これは驚きましたわ。わたくしの弓術を良く理解なさっていらっしゃるんですわね。その上でここに出て来たのならその勇気だけは賞賛に値しますわ」
茉里は相手を煽るような言い方をしているが鏃は常に李超に向けており油断はしていない。
「ふふ。だが、最強と言われる御堂筋弓術。その攻略法も知っているぞ」
そう言うと李超は不敵な笑みを浮かべキナの方へ蹴りを放つような素振りを見せた。
その瞬間、茉里は矢を放った。勿論その矢の直線上にキナが入らないように的確に射た。
だが、李超はその矢を千鳥鉄で弾くと茉里の背後に回り、そのまま木々が生い茂っている森の中に猿のように身軽に飛び跳ね姿を消してしまった。
茉里は舌打ちをした。まさか逃がしてしまうとは不覚である。
「御堂筋弓術の攻略法の1つ目は飛んで来た矢を避けるのではなく確実に打ち落とす事。そして、もう1つは相手に姿を見せない事だ。いくら動くものを確実に捉える御堂筋弓術と言えど、的が見えないのなら射抜く事も出来んだろ」
森の中から李超の声が聴こえてきた。声のする方向で大体の位置は分かるがその姿は視認出来ない。
茉里は新しい矢を弓に番えはしたが、狙いを定められず鏃は地面に向けた。
「何かと思えばただの隠れんぼじゃありませんか。くだらない。先程あなたの事を褒めましたが、取り消しますわ。やはりあなたは臆病者ですのね」
茉里は冷静に挑発してみたが森からは笑い声が聴こえるだけだ。
「クソっ! やっぱさっき姿を現した時にぶっ飛ばしとくべきだった……すみません、後醍院さん」
「いいえ、あなたのせいではありませんわ。取り逃したのはわたくしも同じ事ですから。それにしても、どうしましょうか」
恐らくまた先程の斬撃を放って来るだろう。攻撃が来る方向さえ分かれば避ける事は出来る。ただそれではいつまで経っても埒が明かない。
「あの野郎の攻撃の正体がが分かれば戦いようがあるんですけどね。あんな攻撃、一発でも食らったら即死ですよ」
キナは額の汗を腕で拭いながら言った。
「仕方ありませんわ。しばらく相手の攻撃を観察して斬撃の正体を見極めましょう。抱さん、死なないでくださいね」
「私が死ぬ? 後醍院さん、私は序列14位ですが、体特では澄川さんの次のポジションのナンバー3ですよ? 容易く死んだりしませんよ」
キナは白い歯を見せ微笑んだ。金髪のショートカットの髪を靡かせ姿勢を低くし、両膝に手を置いてどっしりと構えていた。
「そうでしたわね。失礼致しました」
風が木々を揺らした。
茉里は矢を番えたまま李超が攻撃を仕掛けて来るのを待った。
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四方八方から手裏剣が燈と奈南を襲った。
だがその程度の攻撃は序列7位と序列13位の2人には効かなかった。燈の戒紅灼が遅い来る手裏剣を真っ二つに切り、奈南の双鞭が残りを弾き返した。
「おいおいどうしたんだ? どれだけ手裏剣なんか投げてこようと、あたしら2人には時間の無駄だぜ? こんなの下級剣術の授業の初歩の初歩だっつーの」
燈は馬上で戒紅灼を振り回し威勢良く言った。
「どうやらそのようだな。ったく、ちょっと位はダメージ与えられるかと思ったんだが、お前ら、手裏剣で死んどいた方が良かったと後悔するなよ」
木々の奥から声がゆっくりと近付いて来た。そして、燈と奈南の前にその男は姿を現した。
「断刀斎……狼厳!?」
男の姿を見るやいなや、奈南が呟いた。
「何だ!? 知り合いか!?」
燈は奈南の言った名前に心当たりがなく首を傾げた。
「ほお、俺様の名を知っているとは、お前、見た目より歳いってるな? はは」
狼厳という男は奈南を小馬鹿にしたように言った。
燈は不味いと思い恐る恐る隣の奈南の顔を見た。表情は変わっていないようだがどこか場が凍り付くような殺気を感じた。奈南に歳の事は言ってはならない。
「燈さん、聞いた事ない? 断刀斎・狼厳。15年前、龍武で指名手配になった殺人鬼。両手の大きな手甲鉤を使い多くの人を殺し、相手が剣士であれば必ずその刀をへし折った事から『断刀斎』の異名が付けられた極悪人よ。確か当時の懸賞金は」
「500万だ。これまで1人で300人以上殺し、100本以上の刀を折ってきた。1つ訂正がある。俺様はただの殺人鬼ではなく、『暗殺者』だ」
狼厳は奈南の話に割り込み得意げに話始めた。
狼厳の顔は傷だらけでこれまで壮絶な戦いを経験して来たであろう事は一目瞭然だ。腰には確かに手甲鉤が2つぶら下がっていた。
「どーでもいいけどよ、何でわざわざ刀を折るんだよ?」
「刀は剣士の魂だろ? それを死ぬ前に無惨にも折られてしまうところを見せてより深い絶望を味わい死んでもらう。そうする事で俺様の完全勝利の証としてきたのさ」
狼厳は誇らしげに過去の功績を語った。
「趣味が悪ぃなオッサン。だったらあたしのこの戒紅灼と火走がお前に折られなければ、あたしは断刀斎・狼厳に完全勝利した初めての女になるわけだな!」
「この餓鬼、全然可愛げがないな。まあいい。俺様に折れない刀はない。例えそれが色付きの刀でもな。戒紅灼はへし折った後に回収させてもらう。お前が持っている時じゃないとへし折る機会が二度と来ないだろうからな」
狼厳は不敵な笑みを浮かべ、腰の手甲鉤を両手にはめた。
「燈さん、狼厳を甘く見ない方がいいわよ。現に帝都軍の将校達を過去に何人も殺してるのだから」
「忠告ありがとよ! 奈南さん! だけどこのオッサンはあたしが一撃で真っ二つにしてやるよ!」
奈南の忠告等勿論聞かず、燈は戒紅灼を右手に持ち、馬の背から高く飛び上がり、狼厳の真上から斬り掛かった。
「正面からとは、単純な奴だ」
狼厳は燈の太刀筋から消え、背後に回り込みガラ空きの背中に蹴りを放った。しかし、燈はその攻撃を屈んで躱し、低い姿勢のまままた狼厳に向き直り両手で戒紅灼を握り斬り上げた。
狼厳も後方に跳びその斬撃を躱した。だが燈は間髪入れずに狼厳に戒紅灼を振り回し、その肉を斬らんとした。狼厳は勿論、戒紅灼の能力を知っているので絶対に受けようとはしなかった。ただ躱すだけだ。受ければ手甲鉤諸共身体が真っ二つだからだ。
奈南は馬を操りながら、燈と狼厳の戦闘に介入する余地を探っているようだ。
「うむ。大体分かった。お前の実力というものがな。やはり厄介なのは、その戒紅灼だけだな」
「何だと!?」
狼厳が鼻で笑いながら言ったが、燈は構わず戒紅灼を横に振った。狼厳はそれを容易くしゃがんで躱したので、背後にあった岩が綺麗に真っ二つに割れた。
続けざまに燈がしゃがんだ狼厳に膝を打ち込もうとすると狼厳はその膝を左手で受け、燈の前髪を右手で掴み、逆に燈の左頬に膝を入れた。
燈は歯を食いしばり堪えたが、狼厳はすぐに左手で燈の首を掴むと、そのまま走り出し近くの木の幹に燈の身体を叩き付け右手の手甲鉤で首を串刺しにした。
「燈さん!?」
奈南の声が聴こえた。
不思議と痛みを感じないし血も出ていない。
「今のでお前を殺せたが、ただで殺すわけにはいかない。久しぶりの剣士相手なんだ。しっかりとお前の目の前で刀をへし折ってやるよ」
燈の首は狼厳の手甲鉤の5本の爪と爪の間に挟まるように木の幹に固定されていた。爪は短い刀の様な形状で斬ったり突き刺したり出来る仕様になっている。お陰で怪我はないが首から上は動かせないしそこから動く事も出来ない。目の前で狼厳がニヤニヤとしていた。
幸い右手の戒紅灼は動かせる。
「今のであたしを殺さなかった事を後悔させてやるよ!」
燈は戒紅灼を振り上げた。串刺しにしている右腕を切り落としてやる。そう思ったのだが、戒紅灼は狼厳の右腕には届かず手前で何かに止められた。そして、燈の手から戒紅灼が妙な感覚と共に引き離され宙を舞った。
狼厳の左手が同時に上に上がった時には燈の戒紅灼は刀身が真っ二つに割れ宙を舞っていた。
「……そんな……!?」
何が起こったのか分からなかった。
「色付き戒紅灼、へし折ったり!」
狼厳の勝ち誇ったような声が耳に入ってきた。




