第57話~情報収集《海崎班・火箸班》~
日が昇った。
祝詩歩は寝ぼけ眼でいつも通り自分の背丈程の愛刀『長刀・紫水』を抱えて辺りを見回した。
辺りは朝日の差し込んだ緑の木々がそよ風に吹かれて優しく揺らいでいた。
「起きたか。お前、なかなか変わった寝方をするな。食うか?」
海崎は先に1人でパンをかじっていて詩歩が起きると1つパンを差し出した。
「な! 何が!?」
詩歩は顔を赤らめて海崎が差し出したパンをひったくる様に取った。
「その刀を抱き締め、一時も離さずに眠っていながらまるで隙がない。武人というよりもむしろ俺のような忍に近いものを感じた」
「ま、まあね。私は寝込みも襲われない死角のない女なのよ、ふふん!」
突然褒められたので詩歩は得意げに答えた。
海崎はパンを食べ終わるとペットボトルの水をごくごく飲み、腰の短刀を抜き手入れを始めた。
「食べ終わったら出発するぞ。声を掛けてくれ」
「はーい」
詩歩は海崎の言う事に素直に返事をした。あまり他人を信用しない性格の詩歩だが、海崎とはユノティアの事件の時に共に戦ったという経歴があるので少し気を許していた。
詩歩はパンをペットボトルの水で流し込み荷物を纏め、トレードマークのカンカン帽を被ると立ち上がった。
「準備出来ましたよー」
「ああ、早いな。じゃあ覚悟しろよ。今日は青龍山脈へ入る」
「え?」
海崎はさも当たり前のように言ったが詩歩の顔は一瞬にして青ざめた。
青龍山脈と言えば、悪路な上に傾斜もキツく、おまけに得体の知れない巨大な猛獣が住み着いている特別危険な場所と聞いていた。かつて、カンナ、つかさ、茉里、燈の4人が任務で入り、巨大な狼の大群や巨大な犀のような怪物に襲われたらしい。いくら腕の立つ海崎と一緒だからと言えど無事に捜索出来る保証はない。やはりまだ海崎の事を心の底から信用する事も出来ないのだ。
「せ、青龍山脈って怪獣みたいなのがたくさんいるんでしょ? しかも道が険しくて無事に抜けられないかもしれないって聞いたけど」
詩歩はそっぽを向いて言った。
「なんだお前、怖いのか? もし澄川が青龍山脈に入っていたらどうするんだ? 他の班からは小龍山脈には入るが青龍山脈に入るという連絡はなかったぞ? 俺達が入らなければ誰も青龍山脈を捜さない事になる」
「そ、それは……そうだけど、でも、私達2人じゃあんな広くて険しい山を捜すのなんて不可能でしょ?」
詩歩は少し先に聳える山々を指さしながら反論したが海崎は再考する様子も見せず馬に荷物を括り付け始めた。
「信じられない、マジで行くの!?」
詩歩が駄々をこねていると海崎の腰の無線機に通信が入った。
『こちら帝都軍久壽居。帝都軍から捜索部隊を派遣出来る事になった、詳しく話したい。誰か応答出来るか?』
海崎は詩歩の顔を見ながら腰の無線機を取った。久壽居がこの無線の周波数を知っているという事はきっと柚木か誰かが久壽居のいる南橙徳に寄って教えてきたのだろう。
『こちら海崎、詳細を教えてくれ、どうぞ』
『ある情報筋からの情報で、青幻はしばらくは軍備増強の為出撃はないとの事だ。念の為俺の部下にその情報の裏を取らせたが間違いないようだ。よって、我々の軍からも捜索に兵が避ける事になった。青龍山脈へは上級将校の哭陸沙我に3千の兵を率いて捜索させる』
無線から聴こえた朗報に詩歩は思わずガッツポーズをした。
『そうか、それは有難い。ところで、その哭陸沙我という者は青龍山脈で兵の指揮がとれるのか? 並の将校では兵を徒に失うぞ』
『その点に関しては帝都軍において哭陸沙我の右に出る者はいないと言っても過言ではない。元々哭陸沙我は青龍山脈を支配していた蔡王の部下だった男だ。帝都軍に投降してからも青龍山脈で戦えるように兵の調練もこの男に任せてきた。奴にとっては青龍山脈は庭みたいなもんだ』
『それは頼もしいな。久壽居将軍が言うなら大丈夫だろう』
『それと、平野部の捜索には田噛という男に2千の兵を与え出動させた。田噛も澄川と顔見知りだから役に立つだろう』
『了解した。色々済まない。では青龍山脈は任せた。海崎班は小龍山脈を越えて蒼国に向かう』
『ああ、それと、言い忘れていた。蒼に入るなら多綺響音を見付けた方がいいかもしれない。アイツの力もそうだが、役に立つ奴を連れている』
『役に立つ奴?』
『まあ会えば分かるさ』
久壽居はその者の事を何故か詳しく教えなかった。
通信が終わると海崎は詩歩の顔を見て溜息をついた。
「なんだ、その嬉しそうな顔は。その顔をするのはまだ早いぞ。澄川を無事に助け出せた時に取っておけ」
「別に、嬉しそうな顔なんてしてませんけど?」
青龍山脈に入らなくて済んだので詩歩の強ばった顔は緩んでいた。得体の知れない猛獣が怖くて青龍山脈に入るのを渋っていた等とは口が裂けても言えない。
「まあ安心しろ。お前が青龍山脈に入りたくないと駄々をこねたことは皆には黙っておいてやる。行くぞ」
「はあ!? ちょっと待ってよ!? 私は別に怖がってなんかないんだからね? 効率が悪いから反対しただけ! 駄々なんてこねてないってば!」
詩歩は鼻で笑って先に馬を出した海崎の背中に喚いた。しかし、海崎は無視してそのまま駆けて行くので詩歩もブツブツと文句を言いながら馬に乗り海崎の後を追った。
火箸燈と四百苅奈南も祇堂周辺を捜索した後真っ直ぐに小龍山脈までの間の街道、山林等をくまなく探して回った。燈は小さな身体に似合わず大きな声でカンナの名を呼び回った。しかし、1つたりともカンナの手掛かりは掴めなかった。
7班に別れてから2日。得られたのはリリアと蔦浜の班が青幻の斥候部隊から聞き出した情報とそれを補足する柚木と光希の班からの情報。そして今朝、久壽居から入った情報くらいだ。肝心のカンナの居場所は分かっていない。やはりこのまま蒼国に入るしかなさそうだ。
「そう言えば燈さん、昨日は梵さんに会えなくて残念だったわね。せっかく祇堂に寄ったのに」
「はあ!? 奈南さん、いきなり何言ってんだ? それじゃあまるであたしが梵将校に会いに行ったみてーじゃんか!」
奈南が突然にこやかに言い出したので燈は顔を赤く染めながら抗議した。すると奈南は首を傾げた。
「違うの?」
「まあ、会えたら挨拶でもしよーかなとは思ったかな。どっちみち会えなくても来年の春には会えるんだしな。2人で……」
蔭定村という龍武の村は、燈と梵の故郷だ。そこで桜の咲く季節に桜を見ようと約束したのだ。それを想像すると心がキュンキュンする。これがいわゆる恋という感情に違いない。そうは思ったが、燈のキャラクターとしては、梵のような見た目が女性的な男に恋をしているとは思われたくなかった。せめて屈強な身体で男らしい男に惚れたというなら周りも納得するだろう。いつも強がっているのに大人しい男が好きなんだと思われたくないのだ。
「そうね。早く春になるといいわね」
奈南は馬を駆けさせながら燈を見て微笑んだ。
「それより、あたし達これからどこ捜す? 昨日は祇堂の中も周りも捜し尽くしたけど何にも掴めなかったからな。今日こそはカンナに近付きたい」
「とりあえず蘭顕府方面に向かってるけど、蘭顕府自体は昨日斑鳩君と蒼衣さんが捜したって言ってたからね……蘭顕府と托凌高の間を捜しましょうか。確かそこの小さな森はまだ誰も捜してない筈だから」
奈南は地図を広げ位置を確認しながら言った。
「おっし! それで行こう! どの班よりも先にカンナの手掛かりを見つけ出そうぜ! 奈南さん!」
燈は白い歯を見せてニッカリと笑うと馬腹を蹴って更にスピードを上げて駆けた。
奈南はやれやれとはしゃぐ子供でも見るかのように苦笑しながら先走る燈を追った。
蘭顕府と托凌高の間の小さな森。そこを抜けるともうそこは小龍山脈にぶつかる。この大陸ではよく見る広葉樹の木々が茂る何の変哲もない森だ。
そう広くない森で、端から端まで探索するには小1時間あれば終わる位の広さだ。
燈と奈南がこの森に入ってから40分が経とうとした頃、林道の脇の崖下に小さな山小屋を見付けた。
「奈南さん、あの小屋、怪しいよな? カンナが捕まってるかも」
燈は馬を止めて奈南に言った。
「そうね。それじゃあ静かに中の様子を探りましょうか。万が一、程突が澄川さんを連れて中にいたとして、程突には5人の部下がいるという話だしね。建物の周りにも潜んでいるかもしれないわ」
「任せろ!」
奈南の指示に燈は馬で静かに崖を降り、1度馬から降りた。奈南もそれに続き馬を降りた。
燈は奈南を建物の反対側に回し、同時に周囲の調査を始めた。姿勢を低くし、物音を立てないように建物を半周したが周囲にも建物の中にも人の気配はない。
燈が小窓から静かに中を確認していると、反対側を調査し終わった奈南が声を掛けてきた。
「近くには誰もいないようね。中はどう? 燈さん」
「中も人の気配はない……突入するか」
「なら、向こうに扉があったからそこから」
奈南に誘導されて燈は扉の前に来た。奈南が扉のドアノブを掴んだ。
「3、2、1で私が開けるから燈さんは突入して」
「任せろ! 突入は大好きだからな」
燈は扉の横にしゃがんで腰の戒紅灼の柄を掴んだ。
「行くわよ、3、2、1!!」
奈南が扉を開けると同時に燈は戒紅灼を抜き中に突入した。それに続き奈南も腰の双鞭を両手に持ち続いた。
中には部屋が1つだけだった。部屋の隅には机があり、その近くには扉が開けたままのトイレがあった。人はやはり誰もいなかった。ただ、そこにはつい最近まで人がいた気配があった。机の上には血のついた包帯が無造作に捨て置かれていた。
「奈南さん、確か程突は顔に包帯を巻いていたよな? これって……」
「もしかしたら程突の物かもね……。燈さん、ここに地下への階段があるわ。ここも調べてみましょう」
奈南が部屋の隅の階段を見付けるとゆっくりと地下へ降りて行った。
燈もその後に続き地下に降りるとそこにまさに留置場のように鉄格子のある部屋があった。その鉄格子の扉は開いており中には誰もいなかった。
「ここにカンナさんがいたかもしれないわ。見て」
奈南が右手の鉄鞭で牢の中の床を指した。燈が見るとそこには砂やホコリがうっすらと積もった床にいくつかの足跡や座ったり寝転んだりしたような跡があった。
「靴の大きさからして女の子のものだと思うわ。私と同じくらいだし。それに、見て」
奈南は今度は鉄格子の内側の一部に付けられた白い傷を指した。
「この傷も新しい。何か硬いもので叩いた形跡があるわね。素手では付けられない傷……。澄川さんがここに閉じ込められていたなら、持っていた硬い何かで脱出する為にこの鉄格子を叩いた……或いは手枷を付けられていてそれで叩いた」
「奈南さんすげーな、そんな事まで分かるのかよ!」
「確証はないけどね。それと外には私達以外の馬の足跡はなかった。移動は徒歩の可能性が高いわ。もしここにいたならまだ遠くには行っていない筈。無線で情報を共有しましょう」
燈は戒紅灼を鞘に戻すと腰に付けた無線機を取り奈南が分析した情報を各班に共有した。
『火箸さん、こちら柚木、了解しました。引き続き捜索を続けて下さい』
『了解』
無線からの柚木の声と燈の声が狭い牢の中で響いた。
「一体、この建物は何の為に建てられたのかしらね? こんな森の中に牢屋なんか必要あったのかしら」
「さあな、それより、早くカンナを追おうぜ! まだ遠くに行ってないなら追い付けるかも!」
「そうしましょう」
燈と奈南はすぐに建物から出ると馬に乗り、また森の中の捜索を続けた。
早いものでもう日は落ち始めていた。