第54話~囚われの身のカンナ~
目の前には揺れる仄かな灯の中に、見慣れない黒っぽい石造りの壁があった。その壁に付いているランプの灯が揺らめいているようだ。
頬には冷たい感触。
澄川カンナはハッとして起きようと地面に手を付いた。その時ようやく両手が鉄製の板のような手錠で固定されている事に気が付いた。
ゆっくり固定されたままの両手で身体を支えながら起き上がった。どうやら脚は自由なようだ。
周りを見回すと、目の前には錆びた鉄格子。カンナは何故こんな所にいるのかを考えた。その答えはすぐに思い出せた。
「そうだ……程突に捕まったんだ」
カンナは立ち上がり鉄格子の間から外の様子を窺った。今は見える範囲に人の姿はなく気配も感じない。何やら雨のような音がするだけだ。
牢屋の中という事はここはもう既に蒼の都・焔安なのだろう。その地下の牢屋に閉じ込められているという事に違いない。
カンナは念の為辺りの『氣』を探ぐる事にした。カンナは自らの氣を周囲に放つ事によりその氣が届く範囲内の人間から発せられる氣を読み取る事が出来る。もし近くに誰もいなければこの手錠も鉄格子も氣の力で破壊して脱出出来る。
カンナは氣を放った。
だが、すぐに違和感に気が付いた。
氣が全く放てない。身体の中にはいつも通り氣の力はある。しかし、体外へ放出出来ない。氣の出入口であるツボ『鼓動穴』や『氣門』に違和感はない。氣が練れないというわけではない。
不思議に思い今度は手錠を破壊する為、両手へ氣を流してみた。
「……これか」
カンナはようやく違和感の正体を突き止めた。まさしくこの手錠こそが氣を体外へ放出出来なくしている原因。カンナの氣門から流れる氣は全てこの鉄板状の手錠が吸収してしまっているようだ。
カンナはもう1度鉄格子の外を覗き誰もいない事を確認した。そして、思いっ切り鉄格子に手錠を打ち付けた。
甲高い金属音が石造りの部屋に響いた。だが、鉄格子も手錠もほんの少しだけ傷が付いただけでビクともしない。カンナはそのまま何度も鉄格子を手錠で叩き続けた。
「おいおい、やめた方がいいぞ。澄川カンナ」
突然鉄格子の外から声が聴こえたのでカンナは鉄格子を叩くのをやめた。
見ると奥の階段から顔に包帯を巻いた男が降りて来た。
「……程突!」
カンナは程突を睨み付けた。
「その手錠はお前を捕まえる為の特別製でな。お前の得意な氣の力を吸収し消してしまう物質で出来ているんだ。もう氣は試したんだろ?」
鉄格子の前まで来て程突の包帯で隠れていない口元が笑った。髪や服が濡れていた。やはり外は雨のようだ。
「それと、そいつは爆弾にもなっている。無理に外そうとすれば腕どころか全身が粉々になるぞ」
「え!?」
カンナはゾッとして鉄格子から離れ後ずさり、牢内の壁に背中を付けた。
「あー、あと、俺からあまり離れない方がいい。その手錠は俺の持つこの手錠の鍵と電波で繋がっていてな、俺から離れ過ぎると電波が遮断されて起爆する。電波は50メートルから良くて100メートル程度しか届かない。間に遮蔽物があったりすると電波が遮断され起爆する可能性があるから気を付けろ」
程突は鉄格子を上着のポケットの中から小さな銀色の鍵を取り出しカンナに見せながら楽しそうに言った。
「な、なんて恐ろしいもの付けてくれてるんですか!?」
カンナが震える声で言うと程突は声を出して笑った。
「お前のような奴を運ぶのはこちとら命懸けなんだ。安全に青幻様の元へ運ぶには万全の準備が必要。お前の氣の力の研究は蒼ではだいぶ進んでいる。故にお前の氣の力を封じる事など朝飯前と言うわけだ。氣が使えなければただの体術使い。それ程恐れることはない」
カンナは歯を食いしばり必死に動揺を押さえ込んだ。
「1つ聞いていいですか? 私と一緒にいた女の子はどうしました?」
カンナが意識を失った時、水無瀬蒼衣も捕まっていた。蒼衣の命は助けるという約束でカンナは程突に捕まったのだ。
「約束通り、あの女は殺さなかった。まあ殺さなかったという証拠はないがな。お前があの女に会う事も2度とないんだ。気にするな」
程突の氣を探れば嘘かどうか分かるのだが今は氣を放つ事さえ出来ないので確かめようがなかった。
カンナはその場に座り込んだ。今はどの道ここから出る手段はないが、青幻の元へ連れていかれる前になんとか程突の目を盗んで逃げ出さなければならない。
「そうだ、大人しくしていろ。雨が止んだらここを出る。小龍山脈を越える。ここからはお前の足で歩いてもらうぞ。ここまでは俺がお前を担いで歩いて来たんだからな」
「え? ここを出る? ちょっと待ってください。ここが焔安なんじゃないんですか?」
「焔安どころかまだ龍武の領内だ。ここは今は使われていない簡易的な牢獄か何かだろう。たまたま森の中にこの建物を見付けたからな。雨宿りついでに休憩していたというわけだ」
カンナは程突の話を聞き微かな希望を抱いた。まだ焔安ではないという事は移動中に逃げ出す機会がある筈だ。それにもしかすると学園や帝都軍が捜索に動いてくれているかもしれない。ならば今は程突の言う事に従い従順を装いながら、出来るだけ焔安到着の時間を延ばす。今カンナに出来る事はそれだけだろう。この手錠さえなければすぐにでも脱出出来るのだが……
カンナが黙っていると鉄格子の隙間から水の入ったペットボトルが投げ込まれカンナの足元に転がされた。
「手錠があってもキャップを外して飲む事位は出来るだろ? それとも俺が飲ませてやろうか?」
カンナはペットボトルを手錠の付いた手で拾い太ももの間に挟みキャップを外した。
「結構です。自分で出来ます。それより、毒とか入ってませんよね?」
カンナは両手でペットボトルを持ち上げ口の所へ鼻を近づけ匂いを嗅いだ。
「安心しろ、ただの水だ。お前を青幻様の元へ殺さずに連れて行くというのに、毒で殺す馬鹿が何処にいる?」
「……そうですね」
カンナは水を口に流し込んだ。本当にただの水だった。
「水も食料も与えず餓死されても困るからな。腹が減ったら言えよ。パンの1つくらいはくれてやる」
カンナはペットボトルの水を半分程飲むとまた太ももの間に挟みキャップを締めてから脇に置いた。
「……あの、その前に」
「何だ?」
「トイレに行きたいんですけど……」
カンナは俯きながら太ももをモジモジとさせて言った。
すると程突の小さな溜息が聴こえた。
「ここから出す訳にはいかない。小便ならその床にある排水溝にでもしろ。紙くらいは用意してやる。糞ならバケツでも探してきてやるよ」
カンナは驚きのあまり目を見開いて程突の顔を見上げた。しかし程突は何処からともなく半分位使われたトイレットペーパーを持って来て鉄格子の隙間から投げ入れた。
足元に転がるトイレットペーパーを見て本当にここでしなければならないのだとカンナは悟った。別に今すぐしたいというわけではなかった。あわよくばトイレに行く時にここから一時的に出してもらえるのではないかと期待して試しに言ってみたのだ。少しでも外の様子を見たかったのだが、程突は全く隙を見せず何があってもカンナを牢屋から出すつもりはなさそうだった。
「俺は飯にするが気にせずやれ」
程突はそれだけ言うと、鉄格子の前の椅子にカンナに背を向けて座り、どこで調達したのか机に置いてあった小さなパンやハム、トマトやきゅうり等の野菜をむしゃむしゃと食べ始めた。
カンナはその様子を見ると小さく溜息をつき、膝を抱えて俯いた。
逃げるタイミングはやはり焔安までの道中しかない。それまでにこの厄介な手錠を外す手段を考えなければならない。
カンナは脇に置いた水の入ったペットボトルをチラリと見たが、ここに閉じ込められている内は飲まないようにしようと思った。
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学園からカンナを捜索する為に出動した人数は柚木と海崎を入れて14名。程突がカンナを連れ去った理由を青幻に引き渡す為だと仮定して捜索する事になった。つまり、鄭程港から小龍山脈を越えた先の蒼国までの広大な範囲を14人で捜索しなければならない。
そこで柚木は14人のメンバーを2人1組に分け、合計7組の捜索班を作った。
班分けは、『柚木、篁光希』『海崎、祝詩歩』『斑鳩爽、水無瀬蒼衣』『茜リリア、蔦浜祥悟』『斉宮つかさ、天津風綾星』『後醍院茉里、抱キナ』『火箸燈、四百苅奈南』となった。
各班はすぐに散開した。
斑鳩は小高い丘の上に馬を留め、その背から数キロ先の小龍山脈の麓の街『蘭顕府』を眺めていた。蘭顕府の辺りの空は黒い雲に覆われていて恐らく雨が降っているのだろう。
不意に蒼衣が斑鳩の隣に馬を付けた。
「斑鳩さん……」
蒼衣は複雑な顔をして話し掛けてきた。
「どうした? 水無瀬」
斑鳩が尋ねると蒼衣は斑鳩から目を逸らした。学園を出た時から元気がなかったが、班決めの時から更に気を落としてしまっているようだった。
「……斉宮さん……怖いです」
斑鳩は蒼衣が何を言うのか薄々分かっていた。確かに斉宮つかさは班決めの時かなり殺気立った目を蒼衣に向けていた。理由は分かる。カンナが連れて行かれた事が蒼衣のせいだと思っているからだろう。だが、それ以上につかさを怒らせた原因は斑鳩自信にあると思っている。
「あいつは澄川の事を1番大切に思っているようだからな。澄川の身に危険が及んだ今、ピリピリする気持ちは分かる」
「それは私も分かります……その事とは別に、さっきの班決めで、斑鳩さんが私をパートナーに選んでくれた時、斉宮さん、私だけじゃなく、斑鳩さんの事も睨んでましたよ」
「……ああ」
それは斑鳩も気が付いていた。だが、敢えて気付かない振りをした。
「どうして、私をパートナーに選んでくれたんですか?」
「それは班決めの時に言っただろ。7班全ての力を均等にする為だ」
確かに班決めは斑鳩が戦力に偏りがないように配分するように提案した。すると自ずと斑鳩は蒼衣と組む事になるのだ。しかし、その話に蒼衣は納得していない様子だった。
「それだけじゃないですよね? 私知ってるんです。斑鳩さんが私の為に私を真っ先にパートナーに選んでくれた事」
斑鳩は黙っていた。
「私が他の人と一緒に組む事になったらパートナーになった人が事件の発端になった私を良く思わないから……だから斑鳩さんが私を敢えてパートナーにしてくれたんですよね? 別に私とリリアさんでも力関係は変わらないんだし」
蒼衣の言う事は正しかった。斑鳩は蒼衣を他のメンバーと組ませないように自分のパートナーにした。特に斉宮つかさや後醍院茉里といったカンナを崇拝するかの如く好意を持つ者と蒼衣が組んでしまわないようにしたのだ。万が一つかさや茉里を蒼衣と組ませても上手くいくとは思えない。温厚で面倒見の良いリリアとなら組ませても良かったが、リリアにはそんな役目を押し付けず任務に集中して貰いたかった。それにこうなった事には少なからず自分も関係している事に少し責任も感じている。だから斑鳩は蒼衣と組んだ。恐らくつかさは斑鳩が蒼衣に優しくしたり気に掛けたりするのが気に入らないのだ。しかし、やはり蒼衣の事はどうしても放って置く事は出来なかった。
「そんな事より、今は任務に集中しろ。それと、俺の前で暗い顔はするな。いつも通りのお前でいてくれ」
斑鳩が言うと蒼衣は僅かに微笑んだ。
その時、腰に付けていた無線機から声が聴こえた。
『こちら火箸班、祇堂では有力な情報は得られず。流石にデカい街には現れてないかもな。次は祇堂周辺の山林を捜す、どうぞ』
『こちら柚木、了解。お願いします』
この無線機は、班決めの時に柚木から各班に支給されたものだ。無線機等の精密機器はこの世界では大昔の技術で、『銃火器等完全撤廃条約』以降の世界の技術の後退と共に製造も行われなくなりなかなかお目にかかる事はない代物だ。それを柚木が学園に赴任して来た時に手土産のように10台程持って来てたのだ。今回それを初めて実際に任務に導入したという事だ。
「俺達も行くぞ。まずは蘭顕府の手前の森の中を捜索、その後街の中で聞き込み、それでも有力な手掛かりが掴めなければ小龍山脈に入る」
「はい! 私頑張ります!!」
蒼衣は元気良く答えた。いつもの蒼衣に戻ろうとしてくれている。
斑鳩は微笑み返すと馬を出した。その後を蒼衣が掛け声と共に続いた。