第43話~包帯の暗殺者~
カンナの瞳に振り下ろされる刃が映った刹那。紙一重の差でカンナは蒼衣を抱きながら横に転がった。目の前ではらはらと髪の毛が何本か宙を舞った。
蒼衣は相変わらず目を覚まさないが刀を持った者は数メートル先でカンナ達を凝視していた。
良く見るとその顔には包帯がミイラ男のように何重にも巻かれており、両目と口が僅かに見えるだけだ。
だが、カンナはその包帯を巻いた男の氣を知っていた。
「あなた……程突?」
顔に包帯を巻いた男はカンナの言葉に反応し僅かに首が動いた。
「ほう。澄川カンナ。俺が分かるのか? 1度会っただけで、しかも顔も殆ど見えない俺の事を。惚れてしまいそうだぜ」
カンナは眠っている蒼衣の肩を抱きかかえながら片膝立ちで身構えた。
「あの時の事は、忘れたくても忘れられないので」
言いながらカンナは不快な思い出に苦い顔をした。
程突は鼻で笑うとカンナに刀を向けた。
程突という男は細身で身長が180センチ以上はあろうかという長身だが、その巨体に似合わず動きが素早い。気配を消す事にも長けているようで先程はカンナが油断していたとは言え全くその存在に気付けなかった。程突の攻撃を躱せたのは長年の体術の訓練のお陰で身体が勝手に反応してくれたからと言っても過言ではない。
「本当に生きていたんですね」
「俺は簡単には死なんよ。殺されても殺されても蘇るぞ」
「こんな所まで一体何の用ですか?」
「色々とあってな。手柄を立てなければならなくなった」
「手柄?」
カンナが怪訝そうに訊くと程突はまた少し首を動かし刀を下ろした。包帯のせいで表情の変化は全く分からない。
「ご存知の通り、俺は前回の任務でしくじってな。どうやら国のお偉いさんに嫌われたらしい。お陰で北方の平和な街へ左遷された」
突然、程突は刀を乱暴に振った。
「この俺が! そんな所で何してろってんだ!? 俺にとって戦いこそが全てだ!! 俺だけじゃねぇ!! 幹部の連中は皆そうさ!! 戦う事を奪われたら俺達は生きる意味を奪われたと同義だ!! だから俺は青幻様に考え直してもらう為に手柄を立てに来た」
程突の包帯の隙間から覗く狂気に支配された目がカンナの目を見た。
「澄川カンナ。お前を青幻様の元へ連れて行く」
「私を……!?」
カンナが睨み付けると程突は左手で髪をかき上げた。
「お前、2年前に青幻様の計画の邪魔をしただろ? あれ以来お前は青幻様のブラックリストに載っている。そのお前を生きたまま連れ帰れば俺は蒼国最大の手柄を立てた男になる!! ……本当は、四百苅奈南と後醍院茉里をぶち殺してからお前を連れ去ろうと思っていたが、何の因果かお前が先に現れた。しかも、学園外のこんな山道でな」
程突は顔を抑えながら憎しみの篭もった声で言った。
「不意打ちばかりしか出来ないあなたが、私を捕まえるんですか? 2年前の事を知っているなら、私が強いって事も知ってるんじゃないですか? それ以上怪我したくなかったら」
「ガキが!! なんという傲岸不遜!! 学園の女共は皆そうなのか!? 胸クソ悪い!! お前も殺してしまいたいがそれは出来ぬ。代わりにその寝てる女を殺すとしよう」
程突は刀を両手で握ると次の瞬間にはカンナの目の前に迫っており間髪入れずに眠っている蒼衣に刀を振り下ろしたが、カンナが蒼衣の身体を抱え横に飛んで避けたので程突の刀は地面を斬った。
カンナは蒼衣と地面を転がりながら程突から距離を取り、蒼衣の左胸に手を当てた。すぐに鼓動穴に氣を注入し直して蒼衣を目覚めさせるしかない。この状況では蒼衣を守りながら闘う事はとても出来ない。
しかし、程突はその事を読んでいるのか、カンナが蒼衣を起こそうとするとすかさず刀を振り回してくる。蒼衣の鼓動穴に氣を注入出来ない。
「ほらほらどうした!? 守りながらじゃ闘えんだろ?? いっその事そんな腹黒女等見捨てしまったらどうだ? んん?」
程突は嘲笑いながらも、姿勢を低くし太刀筋をギリギリで見極めて避けるカンナを追い詰めてきた。
蒼衣を起こせればこんな奴……
そう考えたその時、程突はいきなり刀ではなく、蹴りをカンナの顔に放った。
突然の剣撃からの蹴りに反応が遅れ躱せずカンナは左頬を蹴り飛ばされ蒼衣を抱いたまままた地面をゴロゴロと転がった。
「くっ……こんな奴に」
カンナが口から滲んだ血を手で拭うと、抱いていた蒼衣が僅かに動いた。
「ん……澄川さん……」
「水無瀬さん!! 起きて!! 早く逃げて!!」
カンナが蒼衣に叫ぶと程突がカンナの背後から刀を振り上げたのを感じ咄嗟に後ろ蹴りを放った。
「ぐおっ!?」
程突の喉にカンナの蹴りが突き刺さり、そのまま後ろに吹き飛ばした。
蒼衣はゆっくりと自力で起き上がった。
「澄川さん? 一体何事です?」
「話は後。とりあえず今は学園へ逃げて、総帥に青幻の幹部が襲って来たって伝えて!」
「え!?」
蒼衣は目を見開いて辺りの状況を見回した。
「なかなか、いい蹴りを打つな……おっと、もう1人も起きちまったか」
程突は喉を擦りながらもピンピンとしており首を左右に曲げコキコキと音を鳴らした。
先程カンナが放った蹴りに氣は乗せていない。どうやら程突にはカンナの通常の打撃は効かないようだ。蒼衣が目覚めた今ならしっかりと氣を練った攻撃が可能だ。もう追い詰められはしない。
カンナは立ち上がり構えた。
「澄川さん、私も闘います。2人で確実に倒しましょう!」
逃げろと指示した蒼衣が戦闘に加わる事を表明した為、カンナは思わず蒼衣の顔を見た。
「危険だよ! あいつは青幻の幹部! 私は1度手合わせしたから分かるけど、冗談抜きで強い。本気で殺そうとしてるんだよ!?」
カンナが咎めたが蒼衣は馬に駆け寄り、鞍に付けていた弓と矢筒を取った。
カンナは厳しい表情をした。程突は蒼衣を狙って攻撃してくる。それを守りながら闘う事は難しい。
「ははは! 雑魚が目覚めた所で同じだ。腹黒女を殺して、澄川カンナを連れ帰る」
程突はやはり蒼衣に向かって走った。
「腹黒女って私の事!? ミイラ男みたいな顔して!!」
「水無瀬さん!!」
闘うにしても蒼衣は弓使い。接近されたら明らかに不利だ。いや、むしろこの場合、接近されたら終わりだ。
だが、カンナの心配も他所に、蒼衣は器用にも程突の刀を躱しつつ、矢を次々と放っている。カンナが援護しようとしたが、矢が何本も射られているので迂闊に近寄れない。その矢は程突の左右に逸れ、1本も当たってはいないが、蒼衣は矢が当たっていなくてもまるで気にした素振りは見せず一心不乱に矢を射ていた。
程突が刀を振り上げた時、何かに引っ掛かるように刀が止まった。もちろん引っ掛かるものなどそこにはない。そして丁度蒼衣が矢筒の矢を半分位射尽くした時、大きく左に回り込むように程突の横を走った。そのまま何度か程突の周りを回り、蒼衣が何かを引っ張るような仕草をすると急に程突は身体を縛られたように刀を持つ右手だけを上に上げたまま硬直した。
「何だ!? これは……!?」
程突本人はもちろん、カンナにも何が起こったのか分からなかった。
「ふふふ。何が起きてるのか分からないでしょう? これが五百旗頭流弓術・神無縛り」
蒼衣は得意げに程突の目の前で説明を始めた。
「私が無駄に何本も矢を外すわけがないじゃないですか? 全てはこの技の下準備。周りにある木に特殊な糸が付いた矢を数本射て、まず木と糸をしっかり繋ぐ。この糸は目で見る事が出来ない特殊な加工がされているのよ。日中、陽が射している時に光に反射したり影が出来ない限りは絶対に見えない。おまけに衝撃に強いから簡単には切れないわ。そしてこの糸は矢から伸び、この矢筒に繋がっているの」
蒼衣は自分の腰に付けた矢が半分程残っている矢筒を手で叩き見せた。
「なるはど……その張り巡らされた糸を俺の身体に巻き付ける為に俺の身体の周りを何度も回ったというわけか。見事だな」
確かに先日の序列1位の神髪瞬花捕縛任務の時に蒼衣は蓬莱紫月と共に五百旗頭流弓術で瞬花を捕まえると言っていた。まさか蒼衣1人でこれ程までに華麗な捕縛術を使えるなら紫月と2人なら本当に瞬花を捕えられたのかもしれない。
カンナは感心して蒼衣を見ていた。
だが、それはまたしても完全なる油断だった。
カンナだけが、程突の僅かな氣の動きを感じた。
「水無瀬さん! 程突から離れて!」
蒼衣がカンナの声に反応しカンナの方を見た時には遅かった。
身動きの取れなかったはずの大男は突然自由に動き出し目の前の蒼衣の首根っこを左手で掴み刀を首筋に当てた。
「くっ……どうして動ける」
蒼衣が弓を持ったまま程突の手を首から引き離そうと必死に抵抗する。だが、その手は益々蒼衣の首を締め付けていた。
「目に見えなかろうが、所詮糸は糸だ。俺は暗殺者。身体に仕込んでる武器はこの刀1本とは限らないんだぜ? お嬢さん。例えばこの左手の仕込み刀とかな」
蒼衣の首を掴む左手の袖の中からは、今まで存在していなかった刃が飛び出しており、手の甲に固定されていた。暗器だ。その刃は必然的に蒼衣の首筋に突き付けられる形になった。
「その仕込み刀で糸を……」
蒼衣は悔しそうな表情で歯軋りした。
蒼衣と細い首は刀と左手の暗器に両側から挟まれて今にも切断されそうな状況だ。
「程突! あなたの相手は私がします! 水無瀬さんを放してください!」
カンナは両手に氣を込めて程突に向かい突っ込んだ。
「おおっと! 動くな! この腹黒女の首を斬るぞ? こいつの生首が見たくなかったら俺の言う通りにしろ!」
カンナはピタリと止まった。
「人質を取るなんて、卑怯ですよ!」
カンナは構えたまま程突に言った。
「黙れ! 今の俺に卑怯もクソもない! いいか? お前が大人しく俺の元へ来るならこの腹黒女は助けてやろう。元々こんな雑魚には興味がないんだ」
蒼衣は逃れようと必死にもがいていた。それに苛ついた程突は蒼衣の頬を刀の柄頭で容赦なく殴り付けた。蒼衣は短い悲鳴を上げて大人しくなってしまった。
「水無瀬さん!? よくも水無瀬さんを!!」
「ふん! お前、この腹黒女に散々嵌められた癖によくもまぁ助けようとするもんだな。俺がお前の立場なら、迷わずこいつ諸共殺してるな」
程突は馬鹿にしたように言った。先程までの蒼衣との会話を全て聴かれていたようだ。相変わらず表情は包帯で見えない。
「私があなたの元へ行けば水無瀬さんは解放してくれるんですよね?」
「ああ、そうだ。用があるのはお前だからな、澄川カンナ」
「なら、そちらに行きますから先に水無瀬さんを放してください」
「駄目だ! お前が先にここに来い! 俺が先にこいつを放したらお前は大人しくこちらに来ないだろう」
「それはあなたも同じですよ!」
口論している間も蒼衣はピクリとも動かない。また気を失ってしまったようで蒼衣の氣がとても弱くなっている。
「従わぬなら、こいつを切り刻むまでだ」
程突は蒼衣の首筋の刀を動かして見せた。そしておもむろに自分の右腕で口元を一瞬隠す仕草をした。カンナにはそれが何を意味するのか分からなかった。
だが、カンナにはまだチャンスがある。「地龍泉」。地面に氣を流して遠距離から敵を攻撃する篝気功掌の技だ。これなら程突の不意を突き蒼衣を救出できる。
「分かりました! 行きます。だから、絶対に水無瀬さんには危害を加えないでください」
「分かってる! 何度も同じ事を言わせるな! おっと、それと、妙な真似はするなよ? お前は地面に氣を流し遠距離から攻撃出来る……と、董韓世殿が言っていたからな」
カンナの密かに練っていた計画も簡単に見透かされてしまっていた。
「分かりました……」
カンナは渋々無計画に程突の元へ歩いた。こうなったらほんの僅かな隙を見付けて氣で程突の動きを封じ、それと同時に蒼衣を救うしか道はない。
────そう思ったが、カンナは突然首にチクリと微かな痛みを感じた。
「あ……そんな……」
カンナが首筋を触ると小さな針が刺さっていた。すぐに引き抜いたが遅かった。
視界がボヤけてきた。程突の顔も蒼衣の顔も分からない。足元がフラつき立っていられずそのまま前に倒れた。しかし、倒れた先は程突の腕の中だった。
カンナの意識はそこで完全に途切れた。