第39話~図書室での出会い~
ある日の放課後。
学園の図書室にはカンナしかいなかった。
窓からは西陽が差し込んで部屋をオレンジ色に照らしていた。
この学園の図書室には意外に多くの蔵書があり、以前より武術のみを生徒達に教えているわけではないという事が伺えた。もっとも、蔵書の多くは武術に関連するものが多いのだが。
カンナは授業で理解が追いつかなかったところがあると、決まって寮へ戻る前にこの図書室で復習をする。分からないものを分からないままにしておく事が好きではないのだ。
この図書室で普段から生徒を見掛ける事は少ない。流石に座学の試験がある時は試験の1週間前くらいから放課後図書室は満席になる。しかし、それ以外の日はここで勉強などせずに皆武術の鍛錬に勤しむのだ。
カンナはそんな小さな努力を続けているからこそ成績も優秀だった。
1時間程棚から借りてきた数学の参考書とにらめっこしていると日も暮れて部屋は薄暗くなっていた。
「はぁ、やっぱりちょっと解んないなぁ。仕方ない、明日柚木師範に聞こう……嫌だけど」
カンナは誰もいない図書室で伸びをしながら独り言を言った。
その時、部屋の戸が開き、誰かが入って来る音が聴こえた。
カンナが図書室への来訪者に目をやると、見慣れない少女が棚から本を指差しながら選んでいた。
「あ……」
カンナの声に少女が振り向いた。
その少女と目が合ったが、「なんだ、人か」と言わんばかりにカンナに興味を示さずまた本を探し始めた。
「霜月さん……だよね?」
カンナは少女の後ろ姿に話し掛けた。すると少女は本を探す指を止めた。
この学園の生徒は高々39名。話す事がないにしろ、こちらが意識すれば生徒の顔と名前くらいは分かる。カンナも霜月ノアの事はここ最近の序列仕合の件で話題になっていたので知っていたのだ。
「何か、用でしょうか? 序列4位、澄川カンナさん」
ノアはカンナの方は振り向かずにまた本を探しながら言った。
わざわざ人の名前の前に「序列何位」とか付けて呼ぶ事自体、少なからず序列に対して拘りがあるのだろう。
「いや、用って程の事じゃないんだけど……霜月さんもお勉強?」
カンナは冷た過ぎるノアの態度に苦笑しながら尋ねた。
「……まあ、勉強です」
ノアは相変わらず振り向かずに淡々と答えた。
「へー、何の勉強? 良かったら一緒に」
「用がないなら話し掛けないで貰えますか? 気が散ります。コミュニケーションを取ろうとしているのなら不要です」
ノアの拒絶の言葉にカンナは口を閉じた。確かに、アリアや蒼衣が嫌うのも納得だ。
「霜月さんさ、次の序列仕合、篁光希とやるの?」
カンナは声色を変えて尋ねた。
するとノアの本を探す指がまた止まった。そしてゆっくりとカンナの方を向いた。
その目付きは鋭く、凍てつくような水色の瞳がカンナを射抜いた。
「いいえ」
ノアの答えはカンナの予想を裏切るものだった。
「でも、順番的には次は序列25位の光希じゃ……もしかして、もう仕合しないの?」
「順番通りに仕合をしなければならないというルールはなかった筈。私の見立てだと、もう中位の生徒達は飛ばしてしまっても問題ない……そう判断しました」
カンナは眉をひそめた。
「闘うまでもない……って事?」
「そうです。ましてや体術使いなど、弓術を使う私が相手にするものではありません。私は思うのです。何故この学園のトップが弓術使いではないのか。弓術こそが最強の武術。……私の言ってる事、理解出来ます?」
ノアは全く表情を動かさず敵意だけを向けそう言い切った。
「弓術が凄いのは知ってる。だけど、ほかの武術を見下すのは良くないよ。そんな権利はあなたにはない」
「強ければ、許されるんですよね? この学園では」
ノアはカンナを睨み付けて言った。
カンナもいつの間にかノアを睨み付けていた。
弓術以外の武術。つまり、体術も含め見下されたのだ。それは聞き捨てならない。
「まあ、分からないですよね。篝氣功掌を広めるとか言ってる癖に、ここでぬくぬくと仲間達と楽しい学園生活を送っているだけで何も行動を起こさないあなたにはね」
「喧嘩売ってるの?」
カンナの中で、篝氣功掌の名を出して馬鹿にされた事に対しふつふつと怒りが湧き始めていた。
だがノアは、カンナの怒りの視線を浴びても全く動じず、むしろ口元で馬鹿にしたように笑った。
「序列4位ならその内仕合しようと思います。この私が、未だに序列2桁だなんて有り得ない事ですから。もし、あなたと仕合する事になったその時は、私の弓術の恐ろしさを身をもって味わってください。澄川カンナさん」
ノアはカンナに宣戦布告し、探していた本をスっと取り出すと、図書室から出て行った。
ノアが出て行くとカンナは机に突っ伏した。
「……何も行動を起こさない……か」
誰もいなくなった図書室で、カンナはまた独り言を呟いた。
週末の朝。
カンナは蒼衣に強制的に約束させられ、浪臥村へ出掛ける事になった。
寮を出る時に光希が心配してくれたがカンナは笑顔で出発した。
カンナは蒼衣と待ち合わせしている学園の門のところへ行く前に、寮の2階の斑鳩の部屋を訪れた。
斑鳩の部屋の扉を叩くとすぐに斑鳩が出て来た。
「おはようございます! 斑鳩さん!」
カンナは満面の笑みで挨拶をした。
「おお、おはよう。そうか、今日は水無瀬とデートだったな。ま、仲良くな」
斑鳩は今起きたようでとても眠そうだった。
「デートじゃないですよ! ただ、ちょっと付き合うだけ……私がデートするのは斑鳩さんだけです!」
カンナは慌てて蒼衣との関係を訂正した。
「別に俺はお前と水無瀬が仲良くなってくれたらそれはそれでいいんだけどな。いいじゃないか、女同士デートしても。……デートと言えば、澄川。お前和流に言い寄られてるらしいな」
「え!?」
カンナは思わず声が裏返ってしまった。誰にも言っていない筈なのに何故斑鳩が知っているのか。
「だ、誰がそんな事を?」
「柚木師範が言ってたぞ。和流の奴、随分お前の事気に入ってるらしいな。ヌードモデル頼まれたんだって? しかもそれを受けたって聞いたけど、ホントかよそれ」
「なっ!? 違いますよ!!……えっと」
「何が違うんだ?」
カンナは斑鳩に隠していた事が全てバレてしまい頭の中が混乱していた。斑鳩の目も見れず挙動不審に目を伏せてしまった。
「澄川。お前、俺に隠してる事があるのか?」
「ち、違います! ちゃんと説明しますから! 怒らないでください……」
「いや、怒ってはいないよ」
カンナが泣きそうになっていると斑鳩も語気を和らげ少し微笑んでくれた。
「和流君に付き合ってって言われたのは本当です。デートも何度も誘われました。もちろん、全部断りましたよ? それと、絵のモデルも確かに頼まれてそれは受けました……」
「ヌードモデルを?」
斑鳩の眉が動いた。
「それは……和流君の冗談です。私もちゃんとヌードならやらない! って断りましたし。あの、柚木師範が斑鳩さんに誤解を招くような言い方したんですよ。まったく、あの人は」
「なるほどな。別に俺はお前の事を疑ったわけじゃない。本当の事が知りたかっただけだ。気を悪くしないでくれよ。俺はお前に不満はない」
斑鳩はカンナの頭をポンポンと軽く叩いた。
「……私は、斑鳩さんに1つだけ不満があります」
斑鳩は驚いて目を丸くした。
「もう2年も付き合っているのに、どうして私の事を抱いてくれないんですか? 本当は斑鳩さん、私の身体に不満があるんじゃないんですか? やっぱりつかさみたいに胸が大きくないから……そういう気持ちにならないんですか?」
カンナは惰性でいつの間にか胸に秘めていた不満を吐き出していた。斑鳩はその話か、という表情をして口を噤んだ。
カンナが斑鳩からの返事を待って俯いていると斑鳩は何も言わずにカンナをそっと抱き締めてくれた。
「そんなに辛い想いをさせていたのか。悪かったな。澄川。お前の身体に不満があるわけじゃないんだ。お前の全ては魅力的だよ。お前の身体に触れないのにはちゃんと理由がある」
「……理由?」
カンナが恐る恐る斑鳩の顔を見上げると、斑鳩は寂しそうな表情をしていた。
「あーーー!!!」
突然、大声が聴こえカンナは身体を震わせた。
「ちょ、ちょっと、2人とも? 朝から何してるんですか!?」
声の主はこれから合流する予定だった水無瀬蒼衣。怒りと狼狽が入り交じったような目でカンナと斑鳩を見ていた。
カンナと斑鳩はお互い少し離れた。
「遅いと思って迎えに来てみれば……こんな……あの、お2人は付き合ってるんですか?」
蒼衣の瞳から狼狽は消え怒りだけが残っていた。
「見つかっちゃったな。そうだよ。俺と澄川は付き合ってる」
斑鳩は潔く交際を認めた。カンナは斑鳩が公言するならいいかと黙って頷いた。
「あ、あぁ、そうだったんですね。へー。羨ましいなぁー。まさか学園1のイケメンを澄川さんがゲットしてたなんて……ははは」
蒼衣の怒りは表情にまで伝播し、笑い方も引きつっていた。
この状態の蒼衣と2人で村に行くのかと思うと先が思いやられる。なんとか蒼衣の方から今日の約束はなかった事にすると言い出してくれないだろうか。
カンナはそんな淡い願いを抱きつつ、蒼衣の次の言葉を待った。
「ま、まあ、いいやー。それより、早く出発しましょー澄川さん。今日はたくさん村で遊ぶんだから」
「あ、あぁ、うん」
カンナの淡い願いは簡単に打ち砕かれ、蒼衣はカンナの手を掴み斑鳩から引き離すように強引に引かれた。
「あ、ちょっと、まだ私斑鳩さんとお話が」
「帰って来てからにしてください! ただでさえあなたは遅刻して私に迎えに来させてるんだから!」
カンナはそのまま蒼衣に手を引かれ寮の階段を降りて行った。
斑鳩は心配そうに手を振っていた。
「今日はお話する事が増えましたね! じっくり斑鳩さんとの事教えて貰いますよ? 澄川さん」
蒼衣は微笑んでいたが目だけは笑っていなかった。
また虐められるんだろうな……
カンナは鬱々とした気持ちのまま学園を響華に乗り、蒼衣と共に学園を出発した。