第37話~綻び~
3日ぶりに帰って来た学園は殺伐としていた。
カンナ達がたったの3日学園を留守にしていた間になんと序列仕合が10回近く行われたのだ。中でも驚いたのは、その内の3回を1人の生徒がその全てに勝利し序列29位から序列26位に昇格した事だ。
霜月ノア。弓特の生徒でまだ16歳の少女らしい。
ノアは古参の生徒である槍特の摂津、十朱そして、剣特の扶桑を連続で下した事になる。順番的に次に闘うのは序列25位の光希だ。
ノア以下の新参の生徒達も血気盛んな者が多く、カンナが入学した当初よりも明らかに序列仕合の開催頻度は上がっていた。それは割天風体制時の殺しを良しとするルールが廃止になった事も勿論関係しているだろう。互いが仕合中に死ぬ事がなくなったことで序列仕合のハードルも下がったのだ。
カンナは昼休みに光希を食堂に誘った。
食堂には他に数名生徒達が食事しているだけで比較的静かだった。
カンナはカウンターで調理のおばさんからペンネのアラビアータを受け取り四角いお盆に乗せ席に運んだ。トマトソースとニンニクの香りが食欲をそそり、光希が自分の食事を貰って席に戻って来るのも待ち切れず既に右手にフォークを握っていた。
「カンナ、今日はオムライスじゃないんだね」
光希が意外そうな顔で自分で運んで来た湯気の立ち上る熱々のカルボナーラを机に置いてカンナの向かいに座った。
「まあ、たまにはね」
カンナはニコりと微笑んだ。しかし光希は元気がなかった。まだ序列仕合を申し込まれたわけではないが、ここ最近ずっとノアから序列仕合を挑まれるのではないかと考えているのだろう。
カンナが少し励まそうと口を開きかけた時、やかましい声が耳に入った。
「あらー篁さんじゃない? 奇遇ね? せっかくだから一緒にお食事してあげてもいいのよ?」
この上からの物言いは顔を見ずとも分かる。序列11位、桜崎アリアだ。ピンク色のツインテールを揺らしながら光希がまだ返事もしていないのに運んで来た料理を置いて光希の隣に座った。
「桜崎さん、お疲れ様」
「ごきげんよう。あら、篁さん、またそんな太りそうなもの食べて……」
と言っているアリアも自分が運んで来た料理はハンバーグ定食である。
カンナが学園を留守にしている間に光希とアリアの距離は一段と縮んでいた。どうやら2人で遊んだりしていたようだ。
相変わらずアリアは高飛車で、2つ歳上の光希に対して遠慮なく接している。アリアの方が光希より序列は大分上なので問題はないのだが、アリアの性格からすると例え光希がアリアより序列が上だとしても接し方は変わらないだろう。
アリアの光希への対応とは対称的に、カンナにはほとんど話し掛けない。目を合わせる事もなくずっと光希とばかり話している。
そういう光景を見ると、かつて周防水音が生きていた頃の事を思い出した。カンナと寮が同室だった水音も、光希と2人で話してばかりでカンナはいつも除け者だった。理由は分からないが、カンナは他人からの評価が極端に分かれる。カンナの事を気に入ってくれる人もいれば、逆に心底嫌う人もいる。それが両極端な場合が多く、特にカンナの事を嫌う生徒には嫌がらせをされたり心ない言葉を掛けられたりと酷い仕打ちに遭う。
カンナはこのまま何も話さないのも嫌なので光希との会話が途切れた瞬間を狙いアリアに話し掛けてみた。
「そういえば桜崎さんは後醍院さんとは仲良くやってるの?」
アリアは実の姉のマリアが2年前の学園戦争で亡くなってから、そのマリアに託された後醍院茉里がアリアの面倒を見る事になっている。寮の部屋も同室になって毎日一緒にいる筈だ。
しかし、アリアはカンナの質問に対して信じられないくらいの嫌悪を表した。
「はぁ〜? 後醍院さん? あの人と上手くやれるわけないじゃないですか? 一応、お姉ちゃんとの約束だからあの人の言う事は聞いてますけど、私あの人好きじゃないし、なんならウザイです」
アリアの言葉にカンナは言葉を失った。
「い、いくらなんでも、それは言い過ぎじゃない? 何かあったの? 相談乗るよ?」
「いらないです。余計なお世話。姉を気取る奴はどいつもこいつもウザイ。本当のお姉ちゃんじゃない癖に……。その話を続けるなら私澄川さんとは二度と話しません」
カンナの好意はアリアには全く不必要なものだった。あまりにストレートな物言いにカンナは何も言い返せず俯いた。
「桜崎さん、カンナが心配してくれてるのにそんな言い方しないで」
光希がアリアを睨んで言った。
「……はいはい、分かったわよ」
普段絶対に口答えしない光希が反抗した事に流石のアリアも渋々言う事を聞いた。だが相変わらずカンナの目を見ようとはしない。
カンナはこのようにぞんざいに扱われる事は今まで多々あったので気にしない事にした。
「ところで桜崎さん。霜月さんてどんな子なの?」
光希が話題を変えた。ムッとした顔のままハンバーグをナイフとフォークで上品に切り分け口に運ぶアリアは黙っていればかなり可愛い。アリアはナイフとフォークを置いた。
「あぁ、アイツね。まぁ、アイツに始まった事じゃないけど、弓特女子はほかのクラスに比べてみんな頗る性格が悪いと思うわ。鏡子さんと私以外。あー、叶羽もまだましか。ってか、霜月ノアは性格が悪いというより、感覚とか思想がイカレてるわね。関わりたくないもの」
アリアは小馬鹿にしたようにニヤニヤと笑いながら話していた。
「そんなに……? あの、具体的にはどうイカレてるの?」
フォークでパスタをくるくると巻く動きを繰り返しながら光希が心配そうに聞いた。
「そうね、まず自分以外の他人を全員見下してるわね。自分の弓術こそ1番でそれ以外は弓遊び。ほかの武術に関しては眼中にないって感じ? 師範にすらそういう態度取ってるし、私は正直死ねばいいと思ってるわ。それに、周りと関わろうとしないし話し掛けてもシカトされるみたいよ。私は話した事すらないけどね。そういえばその事に関して蒼衣がめっちゃキレてた」
アリアはケラケラ笑いながらまたハンバーグを美味しそうにモグモグ頬張った。
「前は鏡子さんがいてお姉ちゃんがいたからみんな纏まってたけど、お姉ちゃんが死んで、鏡子さんが生徒ではなく師範になってから私達と距離が開いちゃって少しずつ綻びが出来始めてるのよ。元々弓特はお互い仲悪いしね。特に蒼衣が出しゃばり始めたわね〜」
アリアはハンバーグの味を噛み締めながら辛辣な話を淡々と語った。
確かに弓特は以前序列2位で寮長だった美濃口鏡子が絶大な信頼を得ており、弓特生は皆1つに纏まっていた。さらに、弓特内の緩衝役としてアリアの姉の桜崎マリアがいたのだ。その2人のお陰でかつての弓特は他のクラスから見た時、かなり良識のある組織を保っていた。
ところが、マリアが死に鏡子が弓特から一線を画し、さらに新たな弓特生の入学等が重なり次第に荒れ始めたのだろう。現在弓特トップで寮長の茉里は人の上に立つような性格ではないし、そういった組織のいざこざには興味がないだろうから尚更溝は深まるだろう。
光希はアリアの話を聞くとまたさらに元気をなくし、ゆっくりとフォークの先に巻き付けたパスタを食べ始めた。
「で、何でノアの事聞いたの? 篁さん」
アリアは思い出したかのように光希の方を見た。
「実は霜月さんの序列仕合の相手、順番的に次は私なんだ。今まで序列仕合をこんなに立て続けにやってる人舞冬さん以外見た事ないし、しかも全勝してるし……不安」
「なるほどねー、闘うのが嫌なら先に私が潰しといてあげようか?」
アリアの突飛な発言にカンナも光希も目を丸くした。
「何それいいじゃないアリア」
突然、カンナの背後から声がした。カンナの向かいの席のアリアは不快そうな目をしてその声の主を見ていた。
「げ……出た、蒼衣」
「何そのお呼びでない感じ。隣いい? 澄川さん」
水無瀬蒼衣。たった今アリアの話に上がった人物の1人だ。
カンナは正直蒼衣が苦手だったが、断わる理由もないので、頷いた。
蒼衣は笑顔でカンナの隣に座った。蒼衣からは何やらいい香りがした。石鹸のような香りでとても好感が持てる。
「アリアならノアを倒せるわよね? やってくれるんならちゃっちゃとやっちゃってよ。その内私も闘わないといけなくなるかもしれないからさ。あー、別に私が負けるとは思ってないわよ? ただ面倒臭いだけ。何でアイツの為に私の貴重な時間を取られなきゃならないのか分からないのよね」
蒼衣は笑顔だが言ってる事は腹黒い。
「まあ余裕で倒せるけど、お前の為に闘いたくないわ、腹黒女。つーか何しに来たのよ? ホントお呼びじゃないわよ」
アリアが蒼衣に牙を向いた。確かに弓特の生徒同士は仲が悪いようだ。
「そうそう、私の悪口が聴こえたんだけど気の所為だった? 陰でこそこそ悪口言うのは良くないわよ? ねぇ、アリア」
「べーだ! 下位序列は黙ってくださーい! さっさと消えてくださーい!」
アリアは舌を出し蒼衣を挑発し始めた。
「ふふふ」
蒼衣はそれ以上アリアには何も言わず、頬杖を付いて今度はカンナの方を見た。
「……え、な、何?」
蒼衣の視線はカンナの顔から胸、そして、脚までを見定めるかのように動いた。
「いやー、澄川さん可愛いしスタイルいいなぁと思って」
「何それ!? いきなり……ありがとう」
蒼衣の突然の称美にカンナは頬が緩んだ。
「でも清楚感があんまり気に入らないな」
「……え? 清楚……感?」
カンナは頭にクエスチョンマークを浮かべた。光希もアリアも同じ様子である。
「そう、『私は一途です。穢れてなんかいません』みたいな感じが伝わって来るんですよ」
蒼衣は胸に手を当てて小芝居を挟んで説明した。
「それが……ダメなの? 別にいいじゃん」
カンナは蒼衣が何が言いたいのかまだ理解出来なかったが悪意は感じた。
「まあいいわ。ねぇ澄川さん、今度授業が休みの日に私と2人で村まで出掛けてくれません? 私あなたともっと仲良くなりたいんですよ。弓特の連中はクソみたいな低能共しかいないんだもん。私は澄川さんみたいな強くて頭の良い人とお友達になりたいんです」
蒼衣の誘いにカンナはいよいよ困惑した。
「えー、いや……」
「断るの?」
カンナが苦笑いして目を逸らすと蒼衣は冷たい威圧的な声で追及した。
「……都合が合えば……」
「都合は合わせてください。やった! 約束ですよ?」
半ば強引にカンナに約束させると蒼衣はもう用は済んだと言わんばかりにさっさと食堂から出て行ってしまった。
「ね? あいつヤバいでしょ?」
アリアはまだマイペースにハンバーグを食べながら言った。
「カンナ、嫌なら断った方がいいよ……」
「うん……でも、まあ、何か話がある感じだったし、1回くらいなら……」
本当は心底嫌だったが1度了承してしまった以上もう断れない。
カンナは鬱々とした気分で冷めかけたアラビアータを口に運んだ。